№73私の語る「システム」論から、改めて前回記事での①②と③の関係を捉え直すとき(続・続)
(最初に一言)
③での、胸のところに「欧米流の自由万歳」のワッペンを付けた若者が「中国流の自由万歳」号のバスに乗り込もうとしたときに、乗車を拒否されたのだが、その際に他の乗客のほとんどは、若者の存在に対して、無視・無関心・無頓着の態度を示した。その若者に対する乗車拒否を許すのは、彼らが若者の抱える問題を一緒になって考える余裕がないのもさることながら、彼らにそれをさせない何らかの有形無形の「圧力」が働いているのではあるまいか。
これに対して、①②の場合はどうだろうか。障碍者が「人間の尊厳を守る」とか、「人権侵害は許されない」等々を掲げる「欧米流の自由万歳」号のバスに乗ろうとした際に、バスの大多数の乗客は、これまた無視・無関心・無頓着の態度でもって、その理由はいかなるものであれ、結果としては、障碍者に対する乗車拒否を黙認する形となってしまう。彼らも有形無形の「圧力」によって、障碍者の尊厳を踏みにじってしまったのだろうか。
今回記事は、こうした問題設定の下に、ここ数回記事で問いかけていた問題究明に向き合うことにしたい。その前に、前回記事と同様に、この(最初に一言)での問題設定にあるように、帰宅を急ぐ乗客で詰め込み合ったバスに、障碍者の席を確保できない問題を、人間尊厳云々だなんて、オーバーなことをという読者がいれば、勿論そうした読者は必ずいるのだが、ここでも「そうなんだよ、あなた方のそうした態度が変わらない限りは、あなた方の尊厳自体も守られないどころか、今まで以上に、これから更に踏みにじられて、あなた方に対する人権侵害は、さらに強まるのは必至なんだよ」、と私は伝えておきたいのだ。
誤解のないように、さらに付言しておくと、私も視覚障碍者となった今も、、、無視・無関心・無頓着な態度を示す乗客の一人であるのは間違いない。それゆえ、どうしてこのような「私」の存在をやめられないのか、それをいま一度、ここで問い直してみたいのである。
中国の場合は、よくわかるというか、これまたマスコミの刷り込みの効果も手伝っているのだろうが、中国がいま取り組んでいる「国造り」において、中国政府の言うことに従わないで、欧米流の自由万歳を叫ぶ香港の若者たちの存在は、どうしても許すことができないことは容易に察しができるのではあるまいか。。
問題は、これに対して、どうして「欧米流の自由万歳」を当然視する日本において、しかもだ、多様性の、多文化尊重の、差別や人権侵害を許さない等々と宣う日本社会で、一体どうしてなのだろうか。そこには、中国と同様に、今の日本の「国造り」において、最優先されるべき課題があり、たとえば、非(不)自由化・民営化路線の、資産家優遇遇の私的利益追求の政策とその実現を推進する社会の副産物の一つとして、弱者切り捨て、障碍者別紙の社会が相互補完的関係をつくり出している、と想像できるのかもしれない。
ここで私が強調したいのは、中国においても、日本においても、共に「国造り」が関係しているということである。それは、換言すれば、私の語る「システム」論で何度も開陳してきた〈「システム」とその関係の歩み〉に見られる「システム」の「高度化」と「低度化」の「段階」に呼応した話である。
その「国造り」とは、いわゆるナショナリズムの次元の問題を中心とする内容であるが、それはまた、諸個人、諸集団、諸共同体間における私たちの人間関係において繰り返される、自己決定権の獲得とその実現を巡る力(暴力)と力(暴力)のぶつかり合いを介した争奪戦によってつくり出される強者と弱者の、親分と子分の、差別し排除する側と差別され排除される側との、あらゆる関係とその集合体としての覇権システムに、密接に関わるのである。
そして、そこから、これまた何度も述べてきたように、国造りとしてのナショナリズムを含む覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの、三つの下位システムから構成される(私の語る)一つの「システム」が、つくり出されてきたのだ。このように考えていくとき、ここ数回の記事で論及してきた、とくに①②と③の関係は、覇権システムと、またそのシステムを前提としてつくられてきた世界資本主義システム、世界民主主義システムと、それゆえ「システム」との関係から、捉え直すことがどうしても必要となるのだ。
(最後に一言)
私は、これまで私の語る「システム」論を、ああだ・こうだと、それこそ云十年にわたり論及してきた。それは今もそうなのだが、幸か不幸か私は63歳を迎えるときに、視覚障碍者となり、障碍者手帳を持つことになった。それまでも目は不自由であり、相当に苦労してきたのだが、それが手帳を手にした途端、何かうまく表現できないのだが、人生の大きな転機となったのは確かである。
いろいろな集会や大会にも出て、そこで多くの視覚障碍者に出会えた。これまたうまくは言えないのだが、差別とか排除とか、これまでも幾度となく書いてはきたが、やはり何かが、そこには抜け落ちていたように思う。私は今も、その瞬間を覚えている。これまで書いてきた私の「システム」論は、やはり何かが足りないのでは、との思いがしていたのだが、それが少しわかったように感じられたのだ。(続く)
(付記)
次回の記事では、以下にある№71の(最後に一言)で提起していた問題を取り上げて、考察してみよう。これについての私の考えは、もう何度も述べてきたのだが、ひょっとして、少し異なる見方ができればとの思いを忘れないで、考えたい。なお、行論の都合上、下に(最後に一言)を引用貼り付けておく。
ーーー
№71の記事より
(最後に一言)
今回記事はここまでとしたいのだが、とくに18-19世紀転換期から19世紀中頃にかけて、イギリスに、今回記事で紹介した権威主義的、暴力的抑圧的政治四方を採用させたのは、一体どこの誰だったのか、また、それは一体何のためであったのか。それらの問いに関して、私たちは是が非でも向き合うことが求められているのではあるまいか。それは同様に、20-21世紀転換期から今日の時点に至るまでの中国の政治を考える際にも、不可欠な問題意識であるに違いない。③のような若者たちが、これから更に悲惨な人生を歩まないで済むように、そのためにも私ができることを、私はしなければならないはずだ。たとえ、ほとんど何の見返りが期待できないとしても。
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(最初に一言)
③での、胸のところに「欧米流の自由万歳」のワッペンを付けた若者が「中国流の自由万歳」号のバスに乗り込もうとしたときに、乗車を拒否されたのだが、その際に他の乗客のほとんどは、若者の存在に対して、無視・無関心・無頓着の態度を示した。その若者に対する乗車拒否を許すのは、彼らが若者の抱える問題を一緒になって考える余裕がないのもさることながら、彼らにそれをさせない何らかの有形無形の「圧力」が働いているのではあるまいか。
これに対して、①②の場合はどうだろうか。障碍者が「人間の尊厳を守る」とか、「人権侵害は許されない」等々を掲げる「欧米流の自由万歳」号のバスに乗ろうとした際に、バスの大多数の乗客は、これまた無視・無関心・無頓着の態度でもって、その理由はいかなるものであれ、結果としては、障碍者に対する乗車拒否を黙認する形となってしまう。彼らも有形無形の「圧力」によって、障碍者の尊厳を踏みにじってしまったのだろうか。
今回記事は、こうした問題設定の下に、ここ数回記事で問いかけていた問題究明に向き合うことにしたい。その前に、前回記事と同様に、この(最初に一言)での問題設定にあるように、帰宅を急ぐ乗客で詰め込み合ったバスに、障碍者の席を確保できない問題を、人間尊厳云々だなんて、オーバーなことをという読者がいれば、勿論そうした読者は必ずいるのだが、ここでも「そうなんだよ、あなた方のそうした態度が変わらない限りは、あなた方の尊厳自体も守られないどころか、今まで以上に、これから更に踏みにじられて、あなた方に対する人権侵害は、さらに強まるのは必至なんだよ」、と私は伝えておきたいのだ。
誤解のないように、さらに付言しておくと、私も視覚障碍者となった今も、、、無視・無関心・無頓着な態度を示す乗客の一人であるのは間違いない。それゆえ、どうしてこのような「私」の存在をやめられないのか、それをいま一度、ここで問い直してみたいのである。
中国の場合は、よくわかるというか、これまたマスコミの刷り込みの効果も手伝っているのだろうが、中国がいま取り組んでいる「国造り」において、中国政府の言うことに従わないで、欧米流の自由万歳を叫ぶ香港の若者たちの存在は、どうしても許すことができないことは容易に察しができるのではあるまいか。。
問題は、これに対して、どうして「欧米流の自由万歳」を当然視する日本において、しかもだ、多様性の、多文化尊重の、差別や人権侵害を許さない等々と宣う日本社会で、一体どうしてなのだろうか。そこには、中国と同様に、今の日本の「国造り」において、最優先されるべき課題があり、たとえば、非(不)自由化・民営化路線の、資産家優遇遇の私的利益追求の政策とその実現を推進する社会の副産物の一つとして、弱者切り捨て、障碍者別紙の社会が相互補完的関係をつくり出している、と想像できるのかもしれない。
ここで私が強調したいのは、中国においても、日本においても、共に「国造り」が関係しているということである。それは、換言すれば、私の語る「システム」論で何度も開陳してきた〈「システム」とその関係の歩み〉に見られる「システム」の「高度化」と「低度化」の「段階」に呼応した話である。
その「国造り」とは、いわゆるナショナリズムの次元の問題を中心とする内容であるが、それはまた、諸個人、諸集団、諸共同体間における私たちの人間関係において繰り返される、自己決定権の獲得とその実現を巡る力(暴力)と力(暴力)のぶつかり合いを介した争奪戦によってつくり出される強者と弱者の、親分と子分の、差別し排除する側と差別され排除される側との、あらゆる関係とその集合体としての覇権システムに、密接に関わるのである。
そして、そこから、これまた何度も述べてきたように、国造りとしてのナショナリズムを含む覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの、三つの下位システムから構成される(私の語る)一つの「システム」が、つくり出されてきたのだ。このように考えていくとき、ここ数回の記事で論及してきた、とくに①②と③の関係は、覇権システムと、またそのシステムを前提としてつくられてきた世界資本主義システム、世界民主主義システムと、それゆえ「システム」との関係から、捉え直すことがどうしても必要となるのだ。
(最後に一言)
私は、これまで私の語る「システム」論を、ああだ・こうだと、それこそ云十年にわたり論及してきた。それは今もそうなのだが、幸か不幸か私は63歳を迎えるときに、視覚障碍者となり、障碍者手帳を持つことになった。それまでも目は不自由であり、相当に苦労してきたのだが、それが手帳を手にした途端、何かうまく表現できないのだが、人生の大きな転機となったのは確かである。
いろいろな集会や大会にも出て、そこで多くの視覚障碍者に出会えた。これまたうまくは言えないのだが、差別とか排除とか、これまでも幾度となく書いてはきたが、やはり何かが、そこには抜け落ちていたように思う。私は今も、その瞬間を覚えている。これまで書いてきた私の「システム」論は、やはり何かが足りないのでは、との思いがしていたのだが、それが少しわかったように感じられたのだ。(続く)
(付記)
次回の記事では、以下にある№71の(最後に一言)で提起していた問題を取り上げて、考察してみよう。これについての私の考えは、もう何度も述べてきたのだが、ひょっとして、少し異なる見方ができればとの思いを忘れないで、考えたい。なお、行論の都合上、下に(最後に一言)を引用貼り付けておく。
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№71の記事より
(最後に一言)
今回記事はここまでとしたいのだが、とくに18-19世紀転換期から19世紀中頃にかけて、イギリスに、今回記事で紹介した権威主義的、暴力的抑圧的政治四方を採用させたのは、一体どこの誰だったのか、また、それは一体何のためであったのか。それらの問いに関して、私たちは是が非でも向き合うことが求められているのではあるまいか。それは同様に、20-21世紀転換期から今日の時点に至るまでの中国の政治を考える際にも、不可欠な問題意識であるに違いない。③のような若者たちが、これから更に悲惨な人生を歩まないで済むように、そのためにも私ができることを、私はしなければならないはずだ。たとえ、ほとんど何の見返りが期待できないとしても。
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