日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

私の語る「システム」論から、〈「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち(負け)続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ〉との関連において、改めて「戦争」と「センソウ」を再考するとき

2022-02-26 | 日記

私の語る「システム」論から、〈「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち(負け)続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ〉との関連において、改めて「戦争」と「センソウ」を再考するとき

 

(最初に一言)

ロシアのウクライナ「侵攻」に見られる「戦争」と、巨大な力を有する多国籍企業・大企業による中小・零細企業・個人に対する「シンコウ」に見られる「センソウ」の間には、動員される資金や人数の違いはあれども、基本的な構造(差別と排除の関係)においてはその「同質性」を有しているのではあるまいか。


私たちは、前者の「戦争」には驚愕して、それこそ「そんなことは絶対に許されない、あってはならない」と厳しく糾弾するのだが、後者の「センソウ」に対しては、ほとんど当然の如く納得して、「それが社会というものだ、悔しかったら努力して打ち勝つだけだ」云々と、さも当然のように理解し納得しているのだが、これではこの世から「戦争」をなくすことなど、到底できない、と私はみている。


その意味では、私たちの「戦争」に対する見方が「おかしい」のではあるまいか。逆に言えば、それは「平和」に対する見方がおかしいということにもなるだろう。さらにそこから、自由とか民主主義とか、人権といった普遍的価値とその実現の歩みである普遍主義に対する見方もまた、おかしいということにもなってくる。

たとえば、今回記事のタイトルにある「平和な民主主義」社会の実現とは、平和や民主主義といった普遍的価値の実現された社会ということなのだが、すなわち普遍主義の社会ということだが、その社会の実現のためには、勝ち・負け続けなきゃならない世界・セカイとそこでの戦争・センソウが必要不可欠という話ということなのだが、おそらく多くの人たちは、たとえば第9条論者の人たちには、それこそ「戯言」として受け入れることなど許されないのかもしれない、と私は推察している。

だが、私に言わせれば、そうした見方や理解の仕方こそが、「おかしい」のである。前前回記事〈私の語る「システム」論から、気になる社会の「出来事」を再考するときー「トー横キッズ」、「個人請負という名の過酷な偽装雇用」、「現代の奴隷制と化したコンビニ」、そして「露・独間の天然ガスパイプラインの稼働認可手続きの停止」問題に関してー〉(2022,2,24)で、私が論述していたことは、まさにそうした私のおかしいと考えてきた問題を俎上に載せて問い直す作業であった。

たとえば、〈(*)については、「阿修羅・総合アクセスランキング(瞬間)」に投稿掲載された〈個人請負という名の過酷な”偽装雇用”(東洋経済)http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/693.html投稿者 蒲田の富士山 日時 2022 年 2 月 21 日 15:23:31: OoIP2Z8mrhxxipeTY4LMlXiObY5S〉を参照されたい。〉や、〈(**)については、「阿修羅・総合アクセスランキング(瞬間)」に投稿掲載された〈“コンビニは現代の奴隷制度”大手コンビニ元社員らが衝撃の内部告発! マスコミが報じない惨状と卑劣な手口(リテラ)http://www.asyura2.com/17/hasan123/msg/495.html投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 9 月 04 日 16:07:10: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU〉を参照されたい。〉において、私が読者に考えてほしかったのは、そこに取り上げられていた大企業による力の弱い個人に対する傍若無人とも思われる無責任極まりない「イジメ」の関係は、まさに現下のロシアのプーチン大統領によるウクライナの住民に対するそれに酷似してはいないだろうかとの私の問いかけでもあったのである。


そこには、前々回記事で私が指摘していたような関係が垣間見られるのだ。行論の都合上、以下に、そのくだりを引用貼り付けておきたい。すなわち、ーーートー横に集まる子供たちがつくり出されていく背景を考えていくとき、私の語る「システム」論で提示される覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される「システム」に突き当たるのではあるまいか。その最初は、個人や集団や共同体(国家)間における自由とか主権として位置づけられる自己決定権の獲得とその実現をめぐる力(暴力)と力(暴力)の争奪戦を介した親分ー子分関係に見る差別と排除の関係を前提として作られてきた覇権システム・

次に、その覇権システムを構成する親分ー子分関係を前提として、親分に都合のいい、それゆえ子分にはたとえ理不尽な関係だとしても、「衣食足りて礼節を知る」の営為とその関係のネットワークが張り巡らされていく。それは、当然ながら、子分においては、「衣食足りず礼節を知らず」の営為とそのネットワークも同時並行的に作られていく。

そこから、力のある個人、集団、共同体から、力のないそれらの間に、私の語る「システム」論で提示している{[Aの衣食足りて(経済発展)→礼節を知る(民主主義の発展)]→[Bの衣食足りて・足りず(経済発展)→礼節を知る・知らず(民主主義の発展)]→[Cの衣食足りず(経済発展)→礼節を知らず(民主主義の発展)]}の営為のグローバルな関係のネットワークが作られてきたということなのだ。なお、このモデルは1970年代までの世界・セカイの関係を示すものである。また、以下のモデルでは、(経済発展)、(民主主義の発展)は省略していることを、ここで断っておきたい。

個人間、集団間、共同体間においても、先の図式のような関係が成立すると同時に、それらの関係にはすべて、差別と排除の関係が刻印されている。それゆえ、たとえば、私たちが後生大事に唱え続けてきた基本的人権とその実現に関しても、こうした差別と排除の関係が該当することから、私がこれまで何度も言及してきたように、{[Aの人権]→(×)[Bの人権]→×[Cの人権]}の関係が成立することになる。ーーー。


私はこれまで拙論において、これでもかというほどにこうした話を繰り返し述べてきたのだが、それにもかかわらず、いまだに私のこうした見方に関する支持は、それほど大きくはない、と私自身は理解している。誠に残念至極というしかないのだが。それゆえ、今回のウクライナ危機においても、多くの人たちが、その危機の背後に隠されている問題を直視できないのも当然だと、私はみている。

私が、それ以上に困惑したというか寂しく感じたのは、いわゆる知識人とされている人たちも、ごくごく「平凡な感覚」の持ち主であるということを、いまさらながら痛感したことである。そこには、彼ら専門家といえども、普遍的価値とか普遍主義に対して何ら疑うことなく、素直に受容してきたという事情があるに違いない。これでは、どうしようもないということなのだ。

当然ながら、彼らは、〈私がこれまで何度も言及してきたように、{[Aの人権]→(×)[Bの人権]→×[Cの人権]}の関係が成立することになる。〉などとは考えも及ばないのは明らかだろう。ましてや、そうした人権の差別と排除の関係を、自己決定権の獲得とその実現を巡る力(暴力)と力(暴力)の争奪戦を介した「親分ー子分」関係にみる差別と排除の関係を前提としてつくり出されてきた覇権システムと結び付けて考察することなど、さらさら期待できないであろう。

そこからまた、彼ら専門家と称された者たちが、私が今回記事の(最初に一言)で提示した問題の意義と意味に関しても、理解できないのも当然だということになってくるに違いない。これでは全くどうしようもないというか、どうにもならないではないのか。メディアで報道されているウクライナ危機を巡る専門家やジャーナリストと称される人たちの発言を聞きながら、私は別の深刻な危機を考えざるを得なかったのだ。


(最後に一言)


その危機とは、私たちが永久に、私たちが置かれ続けている危機的状況・状態から抜け出せないという知的レベルにおける危機である。そこには、私たちの情報がいつも米国を起点とした「大本営発」という知的偏りもさることながら、それ以上に、私たちが自らの頭でもって、いわゆる世間の常識(すなわち、「歴史叙述の神話」)とされてきた話を、根本から根底から問いただすことのできる姿勢や能力を欠如してしまっているという恐ろしい問題が横たわっているのではあるまいか。


(付記)

前々回記事の最後のくだりにおいて、私は以下のように述べていた。すなわち、ーーー今回記事で取り上げた「出来事」を、トコトン問い詰めて考察するならば、私の語る「システム」論で、私がいつも記事の中で読者に問いかけている覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの「システム」の抱える差別と排除の関係に、私たちは当然のことのように、目を向けるはずであろう。そうした途端、売春を援助交際に、覇権国を超大国と言い換える社会の抱える差別と排除の関係が見えてくるに違いない。と同時に、そうした社会の抱える息苦しさから逃れようとして喘いでいるトー横の子供たちの中に、私たち自身の姿を垣間見ることができるに違いない、と私は思い至るのである。ーーー、と。

まさに、私たちは「トー横キッズ」の存在よろしく、いろいろな場面で、私の語る「システム」から都合のいいように利用され、気に入られなくなった途端、所かまわずに差別され排除されて、見捨てられてしまうのだ。それが怖いので、私たちは「システム」にしがみつく、へばりつくしかないのである。

しかしながら、トー横の子供たちと同じように、一度や二度は、その「システム」から自ら進んで離れようと「跳躍」した経験があるに違いないのだが、残念ながら、その足を踏みとどめても大丈夫だと思われる「地点」など、どこにも見当たらないことに、結局は気が付き、またまた、どうしようもない「システム」の中に引き込まれてしまうだけなのだ。

その意味では、家の中で、あるいは社会の中で、閉じこもっている、引きこもって生きている人間は、本来ならば、美しく汚れなき生き方を何とか保持したいともがいている存在であるにもかかわらず、「システム」の抱える問題を見過ごして生きる者たちが大半であるために、また昔の自分で生きているものの存在が疎ましくなることから、尊き存在を、かき消そうと努める差別と排除の関係から成る「親分ー子分」関係の支配する世の中から、軽くあしらわれてしまっているのである。

言うまでもなく、その親分とは、方や「欧米諸国グループ」と称される集団の組長たちであり、方や「中・ロ・北朝鮮・イラン・グループ」と称される集団の組長たちである。そのいずれの集団・組長たちも、差別と排除の関係を当然のもの、所与のものとする生き方を支持礼賛しているのである。その意味では、まさしく「同じ穴の狢」であり、裏の裏のまた裏というか、奥の奥では、私の語る「システム」を担い支えあうことによって、つながっている集団・組長たちなのだ。

そして、私たちはといえば、そのいずれかの陣営に属しながら、表向きはきれいごとを言いつのり、相互に相手の集団なり親分たちを誹謗中傷してはいても、その生き方においては、誰しもそん色のない「システム人」たる存在なのだから、当然、トー横の子供たちにはケギライされても仕方あるまいなあ、なのだ。

 


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私の語る「システム」論から、「現下のウクライナ危機」問題について考えるとき(続・続・続)ーロシアとドイツ間の天然ガスパイプライン事業「ノルトストリーム2」の稼働認可手続き停止を、B、C、Aから構成

2022-02-25 | 日記

 

私の語る「システム」論から、「現下のウクライナ危機」問題について考えるとき(続・続・続)ーロシアとドイツ間の天然ガスパイプライン事業「ノルトストリーム2」の稼働認可手続き停止を、B、C、Aから構成される「金の成る木」としての「システム」が、その高度化実現のために推進中の中国主導の「一帯一路」構想実現の歩みと結び付けて捉え直すとき


(最初に一言)

前前回の記事〈B、C、Aから構成される「金の成る木」としての「システム」が、その高度化実現のために、「米・中覇権連合」を使って用意周到に練り上げられた戦争プランとして捉え直すときー私の語る「システム」論から、「現下のウクライナ危機」問題について考えるとき(続・続)〉(2022,2,20)において、私は次のように述べていた。すなわち、ーーーそれはB、C、Aから構成される「システム」の高度化を実現するために、米・中覇権連合が中心となって、EU諸国を巻き込む形で推進された戦争計画の一環として、私は理解している。/その狙いは、あくまでも中国主導の「一帯一路」構想の実現のためである。今回のウクライナ危機によって、ロシアやEU諸国の中国への依存度はますます高くなることが予想されるのではあるまいか。その関連からいうと、中東やアフリカ諸国の戦闘は、中国の一帯一路構想の実現と結びつけて考えるとき、わかりやすくなるのではあるまいか。ーーー


行論の都合上、ここで、前回のブログ記事〈私の語る「システム」論から、気になる社会の「出来事」を再考するときー「トー横キッズ」、「個人請負という名の過酷な偽装雇用」、「現代の奴隷制と化したコンビニ」、そして「露・独間の天然ガスパイプラインの稼働認可手続きの停止」問題に関してー(2022,2,24)〉から、その一部を引用張り付けておきたい。

ーーー

(引用張り付け、開始)

今日のウクライナ危機を、そのB、C、Aの関係から構成される「システム」と結び付けて考えるとき、1970年代以前においては、個人間、集団間、共同体間の自由や主権といった自己決定権の獲得と実現は、{[Aの衣食足りて→礼節を知る]→[Bの衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[Cの衣食足りず→礼節を知らず]}の営為のインターナショナリゼーションの関係のネットワークを前提として、その「システム」の枠の中で行われていたのに対して、70年代以降から今日においては、{[Bの衣食足りて→礼節を知る]→[Cの衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[Aの衣食足りず→礼節を知らず]}の営為のグローバリゼーションの関係のネットワークを前提として、個人間、集団間、共同体間の自由や主権といった自己決定権の獲得と実現が行われているのである。

付言すれば、このモデルで描いているようには、B、C、Aの関係は実現してはいない。なお、2,30年の歳月を必要とするに違いないのだが、それでも確実に、着実にB、C、Aの関係から構成される「システム」はその高度化の段階の歩みを進んでいる、と私はみている。Bの先頭には、次期覇権国となる中国が配置されるように、Aの先頭に位置しているこれまでの覇権国の役割を担ってきた米国が、米・中は県連合の形成と発展の歩みの中で、そのBの中国の位置を不動のものにするべく努めている。

B、C、Aの「システム」の高度化の段階を首尾よく上昇させることが、「金の成る木」としての「システム」においては何よりも重要な役割だが、そのためには、中国指導の「一帯一路」構想の実現が至上命題となる。その実現を妨害、阻止する諸国の動きに対しては、米・中覇権連合は神経をとがらせながら、それに対する対抗策を講じている。

たとえば、中国の「一帯一路」構想の実現は、ユーラシア大陸のみならず、北は北極海(北極圏)を、南はアフリカ諸国をも含む巨大な経済圏構想であるから、当然ながら、その実現に向けて、いろいろな横やり、介入、干渉、あるいは一時的な計画の頓挫を強いられるのは明らかである。

中国の計画実現をすべての国が喜んでいるわけではない。それはロシアも例外ではない。ロシアはドイツとの天然ガスのパイプラインの稼働認可手続き開始に向けた動きを進めていたが、この実現は、米・中覇権連合を推進する利害関係には、彼らの計画実現の妨げとなるように思われても仕方あるまい。ドイツがEU圏内でのさらなる力の増大・増強ともなれば、それは中国のEUへの浸透力に影響を及ぼすのは必至となる。また、そのドイツの力を借りたロシアの力の増大は、Bグループ内でのロシアと中国の覇権争いを勢いづかせることにもつながりかねない。さらに、そこから中国のアフリカ支配に対する力を弱めさせることにもなりかねない。

米・中覇権連合は、こうした動きを見定めながら、現下のウクライナ危機を演出したと考えた方がいい。と同時に、ロシアもその動きに自ら進んで乗ったとみていい。ロシアにおいても、いまだに覇権国への夢を捨てたわけではない。「システム」が、米・中覇権連合を使って、「冷戦」崩壊後のソ連解体に伴う中国とロシアの力の優劣関係を考慮して、ロシアからウクライナを引き離して、当分はロシアを第一次産品国としての資源提供国の役割に甘んじさせるシナリオ通りに進めてきた対ロシア工作を、無駄にしてはならないはずなのだ。中国が、あともう少し、盤石の国家として、そして覇権国へと雄飛するまでは、ロシアやEU諸国の力を押さえておく必要があるのだ。

なお、ウクライナ危機に関しては、またドイツとロシア間の天然ガスパイプラインの稼働認可手続き停止に関しては、〈G7、露の独立承認を「国際法違反」と強く非難…制裁へ緊密連携で一致〉(2022年02月22日 22時45分 読売新聞)と、「阿修羅・総合アクセスランキング(瞬間)」に投稿掲載された〈「ウクライナ危機」はウクライナとは何の関係もない(メモ・独り言のbrog)/http://www.asyura2.com/21/kokusai31/msg/447.html投稿者 こーるてん 日時 2022 年 2 月 22 日 10:43:52: hndh7vd2.ZV/2 grGBW4LpgsSC8Q/http://takahata521.livedoor.blog/archives/12863846.html#moreより〉を参照されたい。

とくに、後者の記事は、私の語る「システム」論にも、大変にに有益な示唆を与えてくれる内容を含んでいる。同記事によれば、今次のウクライナ危機を、米国が、米国の石油・天然ガス関連企業の利益の確保のために、ドイツとロシア間の天然ガスパイプラインの稼働認可手続き開始の頓挫を狙って仕組んだ戦争であると指摘している。それに対して、私は、そこに米国の企業の利益のみならず、B、C、Aから構成される「システム」の発展を推進する「米・中覇権連合」とその利害関係勢力によって、企図された戦争の一環として理解している。

(引用張り付け、終わり)

ーーー


(最後に一言)

今回記事での私の話を、正確には、(最初に一言)で引用貼り付けていた話、すなわち、
ーーーそれはB、C、Aから構成される「システム」の高度化を実現するために、米・中覇権連合が中心となって、EU諸国を巻き込む形で推進された戦争計画の一環として、私は理解している。/その狙いは、あくまでも中国主導の「一帯一路」構想の実現のためである。今回のウクライナ危機によって、ロシアやEU諸国の中国への依存度はますます高くなることが予想されるのではあるまいか。その関連からいうと、中東やアフリカ諸国の戦闘は、中国の一帯一路構想の実現と結びつけて考えるとき、わかりやすくなるのではあるまいか。ーーーであるのだが、ここでの私の指摘を、さらに具体的に補強してくれる次の記事を、最後に紹介しておきたい。

その記事とは、〈ウクライナ危機で幕開けた「米ロ新冷戦」、ひとりほくそ笑む中国
 近藤 大介 2022/02/24 17:00 〉である。以下に、とくに私の話と関連している記事のくだりを、以下に引用貼り付けておきたい。

ーーー

(引用張り付け、開始)

ロシアへの制裁が始まれば潤うのは中国
 もう一つ指摘したいのは、アメリカが段階的にロシアに科す予定の金融制裁に関してだ。例えば、アメリカがSWIFT(国際銀行間通信協会)からロシアを締め出し、アメリカドル決済を禁止したらどうなるか。そうなると、ロシアは自国の経済を、かなりの部分、中国に頼らざるを得なくなる。

 中国は今年を「デジタル人民元元年」と定めていて、周辺諸国との貿易を人民元決済にし、近未来にデジタル人民元決済のシステムを整備しようとしている。アメリカによるロシアへの金融制裁は、結果としてこの動きを加速させることになるだろう。

『台湾vs中国 謀略の100年史』(近藤大介著、ビジネス社)c JBpress 提供 『台湾vs中国 謀略の100年史』(近藤大介著、ビジネス社)
 他にもEU圏も、ロシアとの対立によって、コロナ禍に輪をかけた景気の後退が予想される。そうなると、やはり経済は中国との貿易頼みということになってくる。例えば、ドイツ車は昨年、中国で448万9384台も売っているのだ。これはヨーロッパ30カ国でのドイツ車の販売台数448万1453台を、わずかながら上回っている。

 いずれにしても、米ロの対立の中で、漁夫の利を得るのは中国ということになる。少なくとも短期的には、アメリカによる中国叩きも弱まることになるだろう。北京では、「分久必合」(久しく分かれれば必ず合う)という言葉も飛び交い始めている。

(以上、引用張り付け、終わり)

ーーー

 

 

 


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私の語る「システム」論から、気になる社会の「出来事」を再考するときー「トー横キッズ」、「個人請負という名の過酷な偽装雇用」、「現代の奴隷制と化したコンビニ」、そして「露・独間の天然ガスパイプライン

2022-02-24 | 日記

 

 

私の語る「システム」論から、気になる社会の「出来事」を再考するときー「トー横キッズ」、「個人請負という名の過酷な偽装雇用」、「現代の奴隷制と化したコンビニ」、そして「露・独間の天然ガスパイプラインの稼働認可手続きの停止」問題に関してー


(最初に一言)

今回記事は、タイトルにある「出来事」を、私の語る「システム」論と結び付けて捉え直してみたい。


最初に、〈クローズアップ現代+「密着・“トー横キッズ”▽長期取材で見えてきた“心の内”」〉(2/22(火) 午後10:00-午後10:30)で放映された「トー横キッズ」 ~居場所なき子どもたちの声~から。

私は残念ながら、番組の途中から聞き入っていたのだが、それでもおおよそのことは理解した次第。番組終了後の何とも言いようのない倦怠感というか自分自身の無力感にこれでもかというほどに打ちのめされた気がして、しばらくは気分の悪さが続いていた。トー横に集まる若者たちは、私たちの社会の抱える偽善性なり欺瞞性を、はっきりと感覚的につかんでいるに違いない。

そんな彼らは、おそらく私のウソも見抜いてしまうのは確かだが、何とも言えない雰囲気の中で、番組を私なりに振り返ってみた。私が注意したというか注目したのは、番組中で女子中学生が「売春」をして、金を稼ぎながら、生活費に充てている場面に際して、二人の女性アナウンサーというか進行係が、「援助交際」と言っていた場面を見て、ああ、これでは話の「本丸」には辿り着けない、と私は直感した次第。同時に、番組の収録中に、女子中学生が売春をする「現場」を抑えて相手方を軽雑に突き出そうとはしないというのだから、これではもうどうにもならないことは明らかだろう。

誤解の内容に一言付言すれば、別に私にその番組のやり方を批判する資格は毛頭ないと同時に、私もその番組での収録と同じやり方で、この少女の売春を見ている以外に、何もできない、何もしないということなのだ。つまりは、トー横の子供たちが危ない社会の中で生きている現実を知り、それを告発しながら、それにもかかわらず、彼らを救い出そうとはしない、否、救い出せないということなのだ。

そこには、私たちの社会全体が、もうどうにもならないほどに腐っていて、朽ち果てていて、たとえ彼らのいる危険な場所から彼らを救い出したように見える行為・行動をとったとしても、その彼らが、それでは次はどんな安全な場所で保護されるのかを考えるとき、そんな場所がどこにもないことに、私たちは薄々感じているに違いない。それどころか、彼ら自身が、もうとっくにその厳しい、寂しすぎる現実を理解しているのだ。

番組において、女性の進行係が、青少年の怒りや不信感の矛先が大人たちや警察に向けられている云々と語るのを聞きながら、私は、それは少し違うのではあるまいか、と思ってしまったのだ。すなわち、それよりは、彼ら青少年を含めた私たち大人たちが組み込まれているこの社会と、それを支える人間関係に対して、彼らの怒りや不信感は向けられているのだ、と言い換えるべきではないのかと考えている。


トー横に集まる子供たちがつくり出されていく背景を考えていくとき、私の語る「システム」論で提示される覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される「システム」に突き当たるのではあるまいか。その最初は、個人や集団や共同体(国家)間における自由とか主権として位置づけられる自己決定権の獲得とその実現をめぐる力(暴力)と力(暴力)の争奪戦を介した親分ー子分関係に見る差別と排除の関係を前提として作られてきた覇権システム・

次に、その覇権システムを構成する親分ー子分関係を前提として、親分に都合のいい、それゆえ子分にはたとえ理不尽な関係だとしても、「衣食足りて礼節を知る」の営為とその関係のネットワークが張り巡らされていく。それは、当然ながら、子分においては、「衣食足りず礼節を知らず」の営為とそのネットワークも同時並行的に作られていく。

そこから、力のある個人、集団、共同体から、力のないそれらの間に、私の語る「システム」論で提示している{[Aの衣食足りて(経済発展)→礼節を知る(民主主義の発展)]→[Bの衣食足りて・足りず(経済発展)→礼節を知る・知らず(民主主義の発展)]→[Cの衣食足りず(経済発展)→礼節を知らず(民主主義の発展)]}の営為のグローバルな関係のネットワークが作られてきたということなのだ。なお、このモデルは1970年代までの世界・セカイの関係を示すものである。また、以下のモデルでは、(経済発展)、(民主主義の発展)は省略していることを、ここで断っておきたい。


個人間、集団間、共同体間においても、先の図式のような関係が成立すると同時に、それらの関係にはすべて、差別と排除の関係が刻印されている。それゆえ、たとえば、私たちが後生大事に唱え続けてきた基本的人権とその実現に関しても、こうした差別と排除の関係が該当することから、私がこれまで何度も言及してきたように、{[Aの人権]→(×)[Bの人権]→×[Cの人権]}の関係が成立することになる。

換言すれば、大企業の労働者がその人権の獲得とその実現のために、必ずそうした人権にありつけない労働者がつくられていくこととなる。これは(*)個人請負や(**)コンビニ店主に該当する話であろう。なお、こうした関係が本格化してきたのは、1970年代以降から今日にかけてのB、C、Aから構成される「システム」においての話となることを、ここで付言しておきたい。いわゆる日本の高度経済成長が崩壊して、一億総中流社会が瓦解し始めて以降の、つまりは、A、B、Cの「システム」からB、C、Aの「システム」へと構造転換・変容が導かれた歩みと関連する話である。

(*)については、「阿修羅・総合アクセスランキング(瞬間)」に投稿掲載された〈個人請負という名の過酷な”偽装雇用”(東洋経済)http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/693.html投稿者 蒲田の富士山 日時 2022 年 2 月 21 日 15:23:31: OoIP2Z8mrhxxipeTY4LMlXiObY5S〉を参照されたい。

(**)については、「阿修羅・総合アクセスランキング(瞬間)」に投稿掲載された〈“コンビニは現代の奴隷制度”大手コンビニ元社員らが衝撃の内部告発! マスコミが報じない惨状と卑劣な手口(リテラ)http://www.asyura2.com/17/hasan123/msg/495.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 9 月 04 日 16:07:10: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU〉を参照されたい。


これらの二つの記事が私たちに伝えようとしているのは、力のある企業による力のない個人に対する「イジメ」の関係である。前者は後者に対する、そうしたイジメの関係を、自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的価値とその実現の歩みである普遍主義をの名の下に、合法化・正当化することをはばからないのだが、それに対して後者が普遍的価値や普遍主義を武器として争う折には、あまり力とはなりえないのだ。その理由は、普遍的価値や普遍主義は、私の語る「システム」を前提として初めて実現されるものであることから、もともと力のある親分や有力者に都合のいいようにつくられているからである。

こうした二つの事例に見る出来事は、最初のトー横の子供たちが直面している出来事と、どこかで結びついているのではあるまいか。そうした問題を考えていくときに、最後に紹介する現下のウクライナ危機を巡る出来事も、どこかで深く関連した話であることに気が付くのではあるまいか。

今日のウクライナ危機を、そのB、C、Aの関係から構成される「システム」と結び付けて考えるとき、1970年代以前においては、個人間、集団間、共同体間の自由や主権といった自己決定権の獲得と実現は、{[Aの衣食足りて→礼節を知る]→[Bの衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[Cの衣食足りず→礼節を知らず]}の営為のインターナショナリゼーションの関係のネットワークを前提として、その「システム」の枠の中で行われていたのに対して、70年代以降から今日においては、{[Bの衣食足りて→礼節を知る]→[Cの衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[Aの衣食足りず→礼節を知らず]}の営為のグローバリゼーションの関係のネットワークを前提として、個人間、集団間、共同体間の自由や主権といった自己決定権の獲得と実現が行われているのである。

付言すれば、このモデルで描いているようには、B、C、Aの関係は実現してはいない。なお、2,30年の歳月を必要とするに違いないのだが、それでも確実に、着実にB、C、Aの関係から構成される「システム」はその高度化の段階の歩みを進んでいる、と私はみている。Bの先頭には、次期覇権国となる中国が配置されるように、Aの先頭に位置しているこれまでの覇権国の役割を担ってきた米国が、米・中は県連合の形成と発展の歩みの中で、そのBの中国の位置を不動のものにするべく努めている。

B、C、Aの「システム」の高度化の段階を首尾よく上昇させることが、「金の成る木」としての「システム」においては何よりも重要な役割だが、そのためには、中国指導の「一帯一路」構想の実現が至上命題となる。その実現を妨害、阻止する諸国の動きに対しては、米・中覇権連合は神経をとがらせながら、それに対する対抗策を講じている。

たとえば、中国の「一帯一路」構想の実現は、ユーラシア大陸のみならず、北は北極海(北極圏)を、南はアフリカ諸国をも含む巨大な経済圏構想であるから、当然ながら、その実現に向けて、いろいろな横やり、介入、干渉、あるいは一時的な計画の頓挫を強いられるのは明らかである。

中国の計画実現をすべての国が喜んでいるわけではない。それはロシアも例外ではない。ロシアはドイツとの天然ガスのパイプラインの稼働手続きに向けた動きを進めていたが、この実現は、米・中覇権連合を推進する利害関係には、彼らの計画実現の妨げとなるように思われても仕方あるまい。ドイツがEU圏内でのさらなる力の増大・増強ともなれば、それは中国のEUへの浸透力に影響を及ぼすのは必至となる。また、そのドイツの力を借りたロシアの力の増大は、Bグループ内でのロシアと中国の覇権争いを勢いづかせることにもつながりかねない。さらに、そこから中国のアフリカ支配に対する力を弱めさせることにもなりかねない。

米・中覇権連合は、こうした動きを見定めながら、現下のウクライナ危機を演出したと考えた方がいい。と同時に、ロシアもその動きに自ら進んで乗ったとみていい。ロシアにおいても、いまだに覇権国への夢を捨てたわけではない。「システム」が、米・中覇権連合を使って、「冷戦」崩壊後のソ連解体に伴う中国とロシアの力の優劣関係を考慮して、ロシアからウクライナを引き離して、当分はロシアを第一次産品国としての資源提供国の役割に甘んじさせるシナリオ通りに進めてきた対ロシア工作を、無駄にしてはならないはずなのだ。中国が、あともう少し、盤石の国家として、そして覇権国へと雄飛するまでは、ロシアやEU諸国の力を押さえておく必要があるのだ。

なお、ウクライナ危機に関しては、またドイツとロシア間の天然ガスパイプラインの稼働認可手続きの停止に関しては、〈G7、露の独立承認を「国際法違反」と強く非難…制裁へ緊密連携で一致〉(2022年02月22日 22時45分 読売新聞)と、「阿修羅・総合アクセスランキング(瞬間)」に投稿掲載された〈「ウクライナ危機」はウクライナとは何の関係もない(メモ・独り言のbrog)/http://www.asyura2.com/21/kokusai31/msg/447.html投稿者 こーるてん 日時 2022 年 2 月 22 日 10:43:52: hndh7vd2.ZV/2 grGBW4LpgsSC8Q/http://takahata521.livedoor.blog/archives/12863846.html#moreより〉を参照されたい。

とくに、後者の記事は、私の語る「システム」論にも、大変にに有益な示唆を与えてくれる内容を含んでいる。同記事によれば、今次のウクライナ危機を、米国が、米国の石油・天然ガス関連企業の利益の確保のために、ドイツとロシア間の天然ガスパイプラインの稼働認可手続きの頓挫を狙って仕組んだ戦争であると指摘している。それに対して、私は、そこに米国の企業の利益のみならず、B、C、Aから構成される「システム」の発展を推進する「米・中覇権連合」とその利害関係勢力によって、企図された戦争の一環として理解している。


(最後に一言)

この最後のウクライナ危機の事例に関しても、そこには力のある大国(共同体)と力のない小国(共同体)とのイジメの関係がはっきりと浮かび上がっているのだ。結局は力を持つ親分同士が集まって、彼らに都合のいい決定をしてしまい、そのことからさらに新たな軋轢が生じることとなるのだが、それを甘受せざるを得なくなるのは、いつも力のない個人・集団・共同体ということになるのだ。

ところで、売春を援助交際に、覇権国を超大国に、それぞれ言い換える社会となってもう久しいのだが、私にはこうした物言いを何ら疑わない社会の中にこそ、相当の問題が積もり積み重なっているように思われて仕方がないのだ。先の言葉の言い換えは、そうした社会を如術に反映した結果として理解できるのではあるまいか。

冒頭のトー横の子供たちを取り上げた番組において、私が思ったのは、結局は彼らの話をとことん聞いてあげて、彼らの悩みや苦しみが分かったとしても、その彼らもこの社会の中でなにがしかの仕事に就き生計を立てなければならないだろうから、彼らがどうやって仕事に就けるのか、人間らしい仕事が手に入るのかというところまで、番組は掘り下げて問い続けていくことが求められるはずなのだが、それをメディアに期待するのはそれこそ野暮な話であろう。

もし、今回記事で取り上げた「出来事」を、トコトン問い詰めて考察するならば、私の語る「システム」論で、私がいつも記事の中で読者に問いかけている覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの「システム」の抱える差別と排除の関係に、私たちは当然のことのように、目を向けるはずであろう。そうした途端、売春を援助交際に、覇権国を超大国と言い換える社会の抱える差別と排除の関係が見えてくるに違いない。と同時に、そうした社会の抱える息苦しさから逃れようとして喘いでいるトー横の子供たちの中に、私たち自身の姿を垣間見ることができるに違いない、と私は思い至るのである。

 


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私の語る「システム」論から、コロナワクチン接種を巡る騒動を介して露わとなった、あまりにもバランス感覚を失してしまった社会の中で、改めて「命と暮らしを守る」安全保障論を再考するとき

2022-02-21 | 日記

私の語る「システム」論から、コロナワクチン接種を巡る騒動を介して露わとなった、あまりにもバランス感覚を失してしまった社会の中で、改めて「命と暮らしを守る」安全保障論を再考するとき


(最初に一言)

私はこれまで、コロナワクチン接種を受けていない。イベルメクチンをインドからネットで購入して、それを今までに10錠ほど飲んで、何とか凌いできた。怖いといえば怖いのだが、世界のワクチン接種後の人々のいろいろな情報を知るにつけ、どちらも怖いというのが実情。正直、つらい日々を送っている。だが、私の語る「システム」論云々の私であれば、それも致し方ないということである。


そもそも、私には厚労省や安倍、菅そして岸田と続く自公政権下の「政治」それ自体を信じることができないのだ。森友、加計、そして桜問題で露呈された無責任な政治を見せつけられたすぐ後でのことだから、なおさらなのだ。そこに、マスコミの騙す報道姿勢が重なる。NHKも偏った報道に終始しているとしか思われない。とくに、安倍政権誕生以降においては、「忖度」が目立っている。

コロナワクチン接種に関する報道を見ても、見事にワクチン接種まずありきが至上命題となっている。日本を含む各国政府や世界的多国籍企業の製薬会社を筆頭に、、コロナワクチン接種推進の利害勢力に都合の悪い情報は、大手メディアのほとんどが報道しないことを決めているかのように見える。そこには世界的大株主やスポンサーの影響力には逆らえない事情があるのだろうが、それにしてもひどい現状だ。

国会中継を聴いていても、ワクチンの副作用・副反応に関する質疑応答はほとんどないままに、むしろ一刻も早くワクチン接種をとの声が、野党議員から聞こえてくる始末なのだ。私はちょっと待ってくれ、と強く言いたいのだ。ワクチンの安全性を確保しないままに、見切り発車の状態で接種を推進しているにもかかわらず、接種後の副反応や死亡事例、さらには仕事や学校にも行かれないといった深刻な事例が多発しているにもかかわらず、それを国民は的確に知らされないままなのだ。

何かがおかしいと、私は思うのだが、最近ではおかしいことが当たり前の状態となってしまい、誰もそのことを声高に叫ばないようにも思われる。否、叫んでいたとしても、メディアが取り上げないから、国民に周知されるところとはならないのかもしれない。それにもかかわらず、何かおかしいぞ、と訴え続けている声はどこからともなく聞こえてくるのも確かなのだが。

いずれにしても、私には、何かこの日本という国や社会が、それこそ国会や地方議会も、さらには厚労省や医療関係者も含めて、そのすべてが何かの大きな力の中に、見事にすっぽりと包まれてしまい、うんともすんとも何も言えない、動けない状態と化しているように思えて仕方がないのである。

こんな状況の中で、私たちは一体どのようにして、私たちの命と暮らしを守れると言えるのだろうか。それこそ、安全保障論議など俎上に載せる力さえ、私たちは現実には持ち合わせていないのではあるまいか。それほどの小さな「防衛力」しか保持していないくせに、それにもかかわらず、「敵基地攻撃能力」云々などの戯言が繰り返されるのは、日本という国や社会のどこかが「ウイルス」に侵されてしまっているのに違いない。そのウイルスに効く「ワクチン」を、果たして私たち国民はどのようにして手に入れることができるのだろうか。


(最後に一言)

65歳の時に、私は帯状疱疹を患ってしまった。ちょうど、右の眉のあたりで、右の頭の中にも、激痛が走って2か月近くは起きることもままならない状態が続いていた。その間、いろいろな病院にかかり、入院もしたが、それでも痛みは収まらず、結局はペインクリニックで注射を毎日してもらうことで、やっと何か光が見えてきたのだ。

最近では、あのような激痛を感じはしないものの、それでも時々痛みが出てきて、その時には体が思うように動かなくなり、何もしたくなくなるのだ。今また、そんな時期なのである。少し前には1週間近く起きたかと思うとすぐに寝てしまうの繰り返しで、つらかったのだが、少しは良くなりかけたので、こうして記事がまた書けるようになっている。とはいえ、そんな調子なので、それほど集中できない。今回もこの辺でやめておくとしよう。


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B、C、Aから構成される「金の成る木」としての「システム」が、その高度化実現のために、「米・中覇権連合」を使って用意周到に練り上げられた戦争プランとして捉え直すときー私の語る「システム」論から、

2022-02-20 | 日記

B、C、Aから構成される「金の成る木」としての「システム」が、その高度化実現のために、「米・中覇権連合」を使って用意周到に練り上げられた戦争プランとして捉え直すときー私の語る「システム」論から、「現下のウクライナ危機」問題について考えるとき(続・続)


あまり面白くない話を述べるのは気の滅入ることだが、ロシアとウクライナの一触即発的状況とすでに戦争状態と化している両国関係を、私の語る「システム」論から捉え直すとき、それはB、C、Aから構成される「システム」の高度化を実現するために、米・中覇権連合が中心となって、EU諸国を巻き込む形で推進された戦争計画の一環として、私は理解している。

その狙いは、あくまでも中国主導の「一帯一路」構想の実現のためである。今回のウクライナ危機によって、ロシアやEU諸国の中国への依存度はますます高くなることが予想されるのではあるまいか。その関連からいうと、中東やアフリカ諸国の戦闘は、中国の一帯一路構想の実現と結びつけて考えるとき、わかりやすくなるのではあるまいか。

いずれにしても、「システム」は、米・中覇権連合を使いながら、紆余曲折はあれども、着々とその構想実現を目指していることは確かである、と私はみている。そのために、哀れなのは、ロシアやウクライナ、そしてEU諸国や中東、アフリカ諸国に暮らす名もなき貧しい人々である。ただでさえ、コロナ禍で苦しんでいるときに、そこにさらに追い打ちをかけるように、「金の成る木」としての「システム」の執念は凄まじい限りである。

勿論、これまで何度も指摘してきたように、誤解のないように付言しておくと、そうした私の語る「システム」にそこまでの力を与えているその張本人は、名もなき貧しい私たち「システム人」の存在だということなのだ。このことだけは、まず何よりも、自覚・自戒しておく必要があり、それは最低限の私たちの「道徳」である、と私は強調しておきたい。

その自覚・自戒のない者が、いくら世界の大富豪の金もうけの仕方や今日の格差社会を非難・批判したところで、それは所詮は、お里が知れているとしか言いようがない。こんな物言いを、本当は私はしたくはないのだが、あまりにも他人事感覚で語る人が多くなっていることを鑑みれば、致し方なかろう。当然ながら、日本に暮らす私たちにとっても、現下のウクライナ危機は他人事では、到底済まされなくなるだろう。

申し訳ないのだが、もうこの辺でやめておきたい。中途半端な記事の展開で終わらせてもらうのだが、それでも私の今回記事で伝えたかったことは、その少しは述べられたのではないかと思っている。

 


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