(雑談につぐ雑談)日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える(3)
今日は、最初の一語が出てこないのだ。やはり、自分ができないことを、誰かに期待するのだから、やはり引っ掛かりを覚えているのかもしれない。そんな状態が続き、昨日の黒古さんのブログ記事を、少しだけ熱を込めて、斜め読みをしてみようかと思った次第だ。「民主主義の危機」云々の記事は、別に文学者とか、文芸評論家でなくても書けるものだが、私は、それゆえ、期待して読みたいのだ。
文学研究者の観点から、民主主義とか、その危機に関して、どのような切り口をされるのか、と。残念ながら、すぐに期待は裏切られてしまった。おそらく、この感想は、もし黒古氏が、私の拙論や拙著に目をとおされるや否や、あきれたと思われる瞬間と似ているのかもしれない、とつくづく感じたところ。
それで、文学研究者の専門領域に関する記事ならば、また感想も違うかもしれないと、気持ちを新たにして、別の記事を探していると、以下に、その一部を引用貼り付けした記事に出会ってしまった。
(黒古一夫さんのブログ記事より)
今「戦争文学」を読むことの意味(2014年6月22日)
ーーー中略ーーー
『蠅の帝国』(2011年 新潮社)と『蛍の航跡』(同)を、一昨日、遅ればせながら読了し手、改めて痛感した。この2著は、北は満州から南は太平洋の島々まで、先のアジア太平洋戦争に動員され、敗戦によって幸いにも帰還することのできた軍医30人の「手記」を基に、それぞれ短編という形で仕上げたものを短編集にしたものであるが、それぞれの巻末に伏せられた「資料(手記)」の多さを見れば一目瞭然なのだが、作者は「資料」とした手記にできるだけ「忠実」に書いている(と思われる)。
ここに出てくるのは、ヒロシマ・ナガサキの出来事を基にした「原爆文学」と同じように、夥しい数の死者」である。戦争というものが、特に「無謀」な戦争というものが、数多くの「悲劇=死者」しか生まないということを、この『蠅の帝国』と『蛍の航跡』は、これでもかこれでもか、と読者に訴えてくる。作品としては、抒情過多の傾向にあるな、物語の展開がワンパターンだな、という印象を免れないものと言っていいが、僕はこの二つの「軍医」を主人公=語り手とする短編集を読んでいる間、ずっとこの短編集を、集団的自衛権行使を認めさせようとしている安倍首相はじめ、高村自民党副総裁、石破幹事長らに読んで欲しいと思い続けてきた。
戦争をすれば、必ず敵味方を問わず「死者」が出るのである。その「死者」を戦前のように「国のため」に仕方のないものと考えるか、それとも戦後69年間ずっと「戦争」をしてこなかった、つまり「戦争の死者」を出さなかった「平和主義」を大切なものと考えるか、僕は子供のため、孫のため、「反戦・平和」こそ「最高のモラル」であるとする思想的立場を堅持し、間違っても「目先の利益=経済・金儲け主義」を優先させるようなことは決してしまい、と思っている。
(以上、引用記事の終わり)
私の読者ならば、もう私がどんな思いでいるかを推察できるに違いない。前回の記事で、「会話」が成立しなくなった云々のことを書いたのだが、同時に黒古氏の力量を高く評価する一文も書いていたので、これは何だろうか、と複雑な気持ちである。たくさんの著作を世に問うてこられた氏の歴史には、素直に頭が下がるのは、その通りだが、---、残念至極であるとの思い、それだけだ。
最後の段落にある氏の主張は、すなわち、〈戦争をすれば、必ず敵味方を問わず「死者」が出るのである。その「死者」を戦前のように「国のため」に仕方のないものと考えるか、それとも戦後69年間ずっと「戦争」をしてこなかった、つまり「戦争の死者」を出さなかった「平和主義」を大切なものと考えるか、僕は子供のため、孫のため、「反戦・平和」こそ「最高のモラル」であるとする思想的立場を堅持し、間違っても「目先の利益=経済・金儲け主義」を優先させるようなことは決してしまい、と思っている。〉で展開されている市の主張は、私の「システム論」において、激しく論難してきた内容である。
正直なところ、氏とは「会話」が成立しない。その前提を創るのは、至難の業に違いない。あまりにも皮相的な議論に終始している。自衛隊が69年間、外に出ないことが、はたして誰も殺してないことの証明になるだろうか。
1970年代までの私たちは、{[A]→(×)[B]→×[C]}の、そして70年代以降は、{[B]→(×)[C]→×[A]}の、システムとその関係の歩みの中で生きている。このシステムの中では、いつも誰かが誰かを殺している、そうすることで生き残りを図っている。このシステムは、その存在からずっと差別と排除の関係を前提とした社会をつくり出してきた。その一番の象徴的出来事こそが、「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち(負け)続けなきゃならない」セカイ・世界とそこでのセンソウ・戦争なのだ。(なお、上記のモデルは、省略形、共時態モデルであることを、ここで断っておきたい。詳しいモデルとその解説については、以前のブログ記事、および拙著を参照いただければとお願い申し上げます。)
戦争には、そもそも「無謀」か否かはない。「平和」憲法に関しては、もうここでは論及しない。それにしても思うのは、私が述べてきたこと、私の研究は、このような文学研究者には理解されないのは、確かなことだ。政治学や国際関係論の研究者にも、理解されないままにあったのも、ある意味では、当然のことだったのだろう。
それにしても、今日は、というか今回の記事はどうにもならない、つまらない話であった。何かに対して、「賛成」するにしろ、「反対」するにしろ、人間というどうにも捉えがたい生き物を演じている「システム人」は、もっと屈折した、歪みをもった反応を示すのではあるまいか。たとえ、システム人だとしても、いつも心の中に割り切れない、ふっ切りたくない、か弱ささがあるはずだ、と私は感じるから、他人に対して、隙を見せることができる。ただ、黒古氏にはそれはできそうもない。どうしてなのか、またゆっくりと考えてみたい。
それにしても、今回の記事は辛さだけが残ってしまった。読者には申し訳ない。
今日は、最初の一語が出てこないのだ。やはり、自分ができないことを、誰かに期待するのだから、やはり引っ掛かりを覚えているのかもしれない。そんな状態が続き、昨日の黒古さんのブログ記事を、少しだけ熱を込めて、斜め読みをしてみようかと思った次第だ。「民主主義の危機」云々の記事は、別に文学者とか、文芸評論家でなくても書けるものだが、私は、それゆえ、期待して読みたいのだ。
文学研究者の観点から、民主主義とか、その危機に関して、どのような切り口をされるのか、と。残念ながら、すぐに期待は裏切られてしまった。おそらく、この感想は、もし黒古氏が、私の拙論や拙著に目をとおされるや否や、あきれたと思われる瞬間と似ているのかもしれない、とつくづく感じたところ。
それで、文学研究者の専門領域に関する記事ならば、また感想も違うかもしれないと、気持ちを新たにして、別の記事を探していると、以下に、その一部を引用貼り付けした記事に出会ってしまった。
(黒古一夫さんのブログ記事より)
今「戦争文学」を読むことの意味(2014年6月22日)
ーーー中略ーーー
『蠅の帝国』(2011年 新潮社)と『蛍の航跡』(同)を、一昨日、遅ればせながら読了し手、改めて痛感した。この2著は、北は満州から南は太平洋の島々まで、先のアジア太平洋戦争に動員され、敗戦によって幸いにも帰還することのできた軍医30人の「手記」を基に、それぞれ短編という形で仕上げたものを短編集にしたものであるが、それぞれの巻末に伏せられた「資料(手記)」の多さを見れば一目瞭然なのだが、作者は「資料」とした手記にできるだけ「忠実」に書いている(と思われる)。
ここに出てくるのは、ヒロシマ・ナガサキの出来事を基にした「原爆文学」と同じように、夥しい数の死者」である。戦争というものが、特に「無謀」な戦争というものが、数多くの「悲劇=死者」しか生まないということを、この『蠅の帝国』と『蛍の航跡』は、これでもかこれでもか、と読者に訴えてくる。作品としては、抒情過多の傾向にあるな、物語の展開がワンパターンだな、という印象を免れないものと言っていいが、僕はこの二つの「軍医」を主人公=語り手とする短編集を読んでいる間、ずっとこの短編集を、集団的自衛権行使を認めさせようとしている安倍首相はじめ、高村自民党副総裁、石破幹事長らに読んで欲しいと思い続けてきた。
戦争をすれば、必ず敵味方を問わず「死者」が出るのである。その「死者」を戦前のように「国のため」に仕方のないものと考えるか、それとも戦後69年間ずっと「戦争」をしてこなかった、つまり「戦争の死者」を出さなかった「平和主義」を大切なものと考えるか、僕は子供のため、孫のため、「反戦・平和」こそ「最高のモラル」であるとする思想的立場を堅持し、間違っても「目先の利益=経済・金儲け主義」を優先させるようなことは決してしまい、と思っている。
(以上、引用記事の終わり)
私の読者ならば、もう私がどんな思いでいるかを推察できるに違いない。前回の記事で、「会話」が成立しなくなった云々のことを書いたのだが、同時に黒古氏の力量を高く評価する一文も書いていたので、これは何だろうか、と複雑な気持ちである。たくさんの著作を世に問うてこられた氏の歴史には、素直に頭が下がるのは、その通りだが、---、残念至極であるとの思い、それだけだ。
最後の段落にある氏の主張は、すなわち、〈戦争をすれば、必ず敵味方を問わず「死者」が出るのである。その「死者」を戦前のように「国のため」に仕方のないものと考えるか、それとも戦後69年間ずっと「戦争」をしてこなかった、つまり「戦争の死者」を出さなかった「平和主義」を大切なものと考えるか、僕は子供のため、孫のため、「反戦・平和」こそ「最高のモラル」であるとする思想的立場を堅持し、間違っても「目先の利益=経済・金儲け主義」を優先させるようなことは決してしまい、と思っている。〉で展開されている市の主張は、私の「システム論」において、激しく論難してきた内容である。
正直なところ、氏とは「会話」が成立しない。その前提を創るのは、至難の業に違いない。あまりにも皮相的な議論に終始している。自衛隊が69年間、外に出ないことが、はたして誰も殺してないことの証明になるだろうか。
1970年代までの私たちは、{[A]→(×)[B]→×[C]}の、そして70年代以降は、{[B]→(×)[C]→×[A]}の、システムとその関係の歩みの中で生きている。このシステムの中では、いつも誰かが誰かを殺している、そうすることで生き残りを図っている。このシステムは、その存在からずっと差別と排除の関係を前提とした社会をつくり出してきた。その一番の象徴的出来事こそが、「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち(負け)続けなきゃならない」セカイ・世界とそこでのセンソウ・戦争なのだ。(なお、上記のモデルは、省略形、共時態モデルであることを、ここで断っておきたい。詳しいモデルとその解説については、以前のブログ記事、および拙著を参照いただければとお願い申し上げます。)
戦争には、そもそも「無謀」か否かはない。「平和」憲法に関しては、もうここでは論及しない。それにしても思うのは、私が述べてきたこと、私の研究は、このような文学研究者には理解されないのは、確かなことだ。政治学や国際関係論の研究者にも、理解されないままにあったのも、ある意味では、当然のことだったのだろう。
それにしても、今日は、というか今回の記事はどうにもならない、つまらない話であった。何かに対して、「賛成」するにしろ、「反対」するにしろ、人間というどうにも捉えがたい生き物を演じている「システム人」は、もっと屈折した、歪みをもった反応を示すのではあるまいか。たとえ、システム人だとしても、いつも心の中に割り切れない、ふっ切りたくない、か弱ささがあるはずだ、と私は感じるから、他人に対して、隙を見せることができる。ただ、黒古氏にはそれはできそうもない。どうしてなのか、またゆっくりと考えてみたい。
それにしても、今回の記事は辛さだけが残ってしまった。読者には申し訳ない。