私の語る「システム」論から、「自己責任」を引き受けることの難しさを、考えるとき
前回の記事で、また何かしら「嘘」を書いてしまったので、早く訂正成り、言い訳を話しておかなければと思いながらも、体が思うように動かなかったので、今になった次第。
前回記事の最後の方で、私たちは各人の自己責任を前提としながら、お互いを尊重し支え合いながら、コロナ感染者数を減少させることが、政府(政治)権力に対する「実力行使」となるに違いない云々と論じたのだが、とてもではないが、やはりと言うべきなのか、現実は厳し過ぎるのだ。
私は関係論の立場から、「私とあなた」、「あなたと私たち」という人間関係を前提とした「自己」を想定した上での自己責任について語るのだが、もし「私とあなた」のあなたが「安倍ちゃん」であれば、最初からそんな自己責任論は土台無理となるだろう。「安倍ちゃん」に対して、「責任」とか「政治家の責任」云々の話をすること自体が無理だということは、嫌というほど私たちは学習させられたので、自己責任論は相当に優秀な「哲人王」のような存在に限定される話だろう。
とは言え、今回のコロナ禍での感染者数の増大を受けて、多方面から「政治」(権力)に対する発動を求める声の増大する流れにも、少し警戒感を抱くのが正直な私の感想なのだ。元々が、{[B]→(×)[C]→×「A」}のかつての先進国グループを構成したAにおいては、「分厚い中間層」の解体と断片化の進行の下で、生活破壊や崩壊から自暴自棄になって、自分たちの属するコミュニティーに対する憎悪と復讐心から、より強い力と自己を一体化させることによって弱い自分の力を回復しようと願ういわゆるルサンチマンが社会の底辺に何層にも形成されている。
それゆえ、両者が何かの拍子で結びつくことがあれば、厄介なことになりかねない。そこに、今の国際関係の米中間の覇権争いが影響して、重なるような事態にでもなれば、日本もあっという間に、これまで経験しなかったような暴力が横行する社会となるだろう。決して、他人事ではないのだ。
強力な国家(政治)権力の発動は、それが必要となれば当然求められてしかるべきだが、今の安倍ちゃん政権と、それに対抗する枝野ちゃんや共産党の誰かちゃんや令和新選組の山本ちゃんなどの野党勢力をイメージするとき、背筋がぞっとなるのは、おそらく私一人だけではあるまい。
それに輪をかけて、、ひたすらコロナ感染者数の増大を見守るしかすべのない社会の構成員である私たちが存在している。そうした私たちの合言葉は、「どうにかならんのかい、どうにもならんのかい」なのだ。あともう少しなのだ。そんな私たちに向かって、「既成政党では駄目なのです。我が党が強力な力でもって対処します。安心してお任せください」云々の声が聞こえてくるのは。
そうこうする中で、私たちは、またどうにもならない歯がゆい状況の中で、枝野ちゃんも安倍ちゃんも、本当にひどかったが、それにしても今の政権は、こんなにも抑圧し弾圧するとは、と小さい声で恨めしく話しているのかもしれない。
最後に一言。
情けない話で、読者には申し訳ないとお詫びするしかない。ただ言えることは、既成政党に替わる強力な政党を、多くの者は欲しているのではあるまいか。私自身もそれを望んでいる。しかしながら、すぐ上でも述べているように、それはまた危険な存在ともなりうる。それを承知の上で言えば、それでも、私は新たな強力な政党が誕生することを歓迎する。問題は、そんな強力な政党を、どうやって有権者は「制御」できるのか、となるのだが。さらに、今後の米中関係において、その強力な政党の力は、どのような側面において、またどの程度、削がれることになるのか。とにかく考えれば考えるほど問題が出てくるのだが、もうこれ以上はやめておきたい。
「ルサンチマン」とは、私のことだ。老いていくということが、これほどみじめでつらいとは。社会の片隅に日々、追いやられていく自分に気がつく。誰もが通る道だと言えば、それはそうだろう。また、楽しく生きることで、老いも素晴らしくなると言えば、それもそうだろう。そんなことは。これまた誰しもわかっていることだろう。そうではなくて、---なんだよ、と言いたいのだが、また例の「あなた何様」の声が聞こえてきたので、やめようわい。それにしてもーーー。
前回の記事で、また何かしら「嘘」を書いてしまったので、早く訂正成り、言い訳を話しておかなければと思いながらも、体が思うように動かなかったので、今になった次第。
前回記事の最後の方で、私たちは各人の自己責任を前提としながら、お互いを尊重し支え合いながら、コロナ感染者数を減少させることが、政府(政治)権力に対する「実力行使」となるに違いない云々と論じたのだが、とてもではないが、やはりと言うべきなのか、現実は厳し過ぎるのだ。
私は関係論の立場から、「私とあなた」、「あなたと私たち」という人間関係を前提とした「自己」を想定した上での自己責任について語るのだが、もし「私とあなた」のあなたが「安倍ちゃん」であれば、最初からそんな自己責任論は土台無理となるだろう。「安倍ちゃん」に対して、「責任」とか「政治家の責任」云々の話をすること自体が無理だということは、嫌というほど私たちは学習させられたので、自己責任論は相当に優秀な「哲人王」のような存在に限定される話だろう。
とは言え、今回のコロナ禍での感染者数の増大を受けて、多方面から「政治」(権力)に対する発動を求める声の増大する流れにも、少し警戒感を抱くのが正直な私の感想なのだ。元々が、{[B]→(×)[C]→×「A」}のかつての先進国グループを構成したAにおいては、「分厚い中間層」の解体と断片化の進行の下で、生活破壊や崩壊から自暴自棄になって、自分たちの属するコミュニティーに対する憎悪と復讐心から、より強い力と自己を一体化させることによって弱い自分の力を回復しようと願ういわゆるルサンチマンが社会の底辺に何層にも形成されている。
それゆえ、両者が何かの拍子で結びつくことがあれば、厄介なことになりかねない。そこに、今の国際関係の米中間の覇権争いが影響して、重なるような事態にでもなれば、日本もあっという間に、これまで経験しなかったような暴力が横行する社会となるだろう。決して、他人事ではないのだ。
強力な国家(政治)権力の発動は、それが必要となれば当然求められてしかるべきだが、今の安倍ちゃん政権と、それに対抗する枝野ちゃんや共産党の誰かちゃんや令和新選組の山本ちゃんなどの野党勢力をイメージするとき、背筋がぞっとなるのは、おそらく私一人だけではあるまい。
それに輪をかけて、、ひたすらコロナ感染者数の増大を見守るしかすべのない社会の構成員である私たちが存在している。そうした私たちの合言葉は、「どうにかならんのかい、どうにもならんのかい」なのだ。あともう少しなのだ。そんな私たちに向かって、「既成政党では駄目なのです。我が党が強力な力でもって対処します。安心してお任せください」云々の声が聞こえてくるのは。
そうこうする中で、私たちは、またどうにもならない歯がゆい状況の中で、枝野ちゃんも安倍ちゃんも、本当にひどかったが、それにしても今の政権は、こんなにも抑圧し弾圧するとは、と小さい声で恨めしく話しているのかもしれない。
最後に一言。
情けない話で、読者には申し訳ないとお詫びするしかない。ただ言えることは、既成政党に替わる強力な政党を、多くの者は欲しているのではあるまいか。私自身もそれを望んでいる。しかしながら、すぐ上でも述べているように、それはまた危険な存在ともなりうる。それを承知の上で言えば、それでも、私は新たな強力な政党が誕生することを歓迎する。問題は、そんな強力な政党を、どうやって有権者は「制御」できるのか、となるのだが。さらに、今後の米中関係において、その強力な政党の力は、どのような側面において、またどの程度、削がれることになるのか。とにかく考えれば考えるほど問題が出てくるのだが、もうこれ以上はやめておきたい。
「ルサンチマン」とは、私のことだ。老いていくということが、これほどみじめでつらいとは。社会の片隅に日々、追いやられていく自分に気がつく。誰もが通る道だと言えば、それはそうだろう。また、楽しく生きることで、老いも素晴らしくなると言えば、それもそうだろう。そんなことは。これまた誰しもわかっていることだろう。そうではなくて、---なんだよ、と言いたいのだが、また例の「あなた何様」の声が聞こえてきたので、やめようわい。それにしてもーーー。