日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

「システム」の自己完結運動からトランプ米国大統領の政治・外交路線を読み解くとき(4)

2018-09-02 | 社会 政治

「システム」の自己完結運動からトランプ米国大統領の政治・外交路線を読み解くとき(4)
少し書いてはベッドに横になり、また痛みが和らぐと核の繰り返しですが、今日はもう一つ書いたものを投稿しておきます。

トランプ米国大統領の政治・外交路線を語る際に大事なことは、それがB、C、Aの関係からなるシステムの維持と発展に貢献するように展開される政治路線であることを読み取る必要がある。それゆえ、トランプは、そのシステムにおいてA(グループ)の中の米国が特に引き受け、担うⅠ’、Ⅱ’期、そしてⅢ’期の「段階」を歩む政治路線の推進を実行でいるということである。特に今の彼はⅢ’期の段階の前期を担うための路線を推進する歩むだけである。
それに対して、Bの先頭に位置する習近平は、トランプの政治路線と「三位一体」的に相互補完的な関係を形成するように、Ⅰ期、Ⅱ期、Ⅲ期の「段階」を、特に今日では、Ⅱ期の後期からⅢ期の前期の段階に移行できる政治路線の推進の流れを引き受け担うのである。習近平は「外向き」の、トランプは「内抜き」の政治路線であるが、両者の政治は対立衝突するように思われがちだが、実はそうではない。両者の政治路線は、B、C、Aの関係から成るシステムの維持と発展を担うために貢献していることを理解する必要がある。同時に、ここで大切なのは、そうしたBの中国とAの米国の相互補完的な政治路線の実現が、Bの中位、下位とCのグループに位置する諸国とその国民を、70年代以降、B、C、Aの関係から構成される一つのシステムの中に、彼らが望むと望まぬに関わりなく、巻き込んでいき、そのために地域戦争や内戦、そのあおりを受けて多くの難民を生み出していく残酷きわまる事態を導くということである。
いずれにせよ。このようにシステムの自己完結運動の歩みが、中国と米国に、またその両国の指導者に、またイギリスのロスチャイルド財閥や米国のロックフェラー財閥に、そうした政治路線を採用するように迫っていくことを銘記することが大切である。読者の方で、もしどうしてそのようなことにならざるを得ないのかと疑問なり更なる関心を抱いた方がいれば、拙著に目を通してほしいと切に願う次第である。必ずや、システムがそうした歩みを導くことを理解できるものと確信している。こうした地点にたどり着かない限りは、世界の流れや戦争責任の問題を的確には理解できないであろう。この物言いは決して偉そうな、不遜なそれではない、と静かに強調させてもらいたい。、


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「システム」の自己完結運動からトランプ米国大統領の政治・外交路線を読み解くとき(3)ー国際政治学

2018-09-02 | 社会 政治
「システム」の自己完結運動からトランプ米国大統領の政治・外交路線を読み解くとき(3)ー国際政治学で語られるE・Hカーの『危機の20年』の中で提示される「理想主義」と「現実主義」という見方では決して捉えられない私たちの抱える問題がある、ということに関して、以下で論及したい。
例えば、米国がクリントン大統領の下で、92年以降に「理想主義」的外交を展開する中で、米国は世界の警察官としての力を失い、そのためそれが中東やアフリカ地域の諸国にみられるように、世界各地での地域戦争を招くことになったと主張する論者がいるが、私から見ればそれは違う。
そうではなく、私のモデルで描くB、C、Aの関係からなるセカイが70年代以降に形成、発展していき、そこに多くの地域と諸国が組み込まれていく中で、少しでもより優位した位置を確保しようとする諸国家と諸国民のせめぎあいがシステムに存在する構造的圧力と相まって、中東やアフリカ諸国での地域紛争や戦争を惹起させていったということなのだ。
そのため、地域戦争は、B、C、Aのセカイが次第にその輪郭を明確にする90年代以降に激化していくのだ。それはまさに中国が78、9年の改革開放路線の下で世界の向上を目指していき、その歩みの中で安い中国製品が中東やアフリカ諸国を飲み込んでいくと同時に、それら地域から原材料となる天然の鉱物資源を中国が必要とする巨大な輸入圧力が高まり、それがそうした鉱物資源の供給諸国の姿を一変させていく構造的圧力として地域戦争や紛争といった形に反映されていくこととなる。そうした地域戦争や紛争を、先進諸国の格差社会の深化の中で呻吟する「失われた世代」を始めとした多くの生活困窮者が、B、C、Aのシステムの関係をAにおいて支えているのであるから、このシステムの形成と発展は、まさに残酷きわまるセカイである。その世界は恥ずかしさもなく、自由、民主主義、平和、人権といった普遍的価値の普遍化を実現しようとする普遍主義を常に世界に向けて喧伝しているのだから、これほど罪深い世界もないだろう。そうした世界を私たちは、B、C、Aのセカイの中で、それぞれの国民がシステムの発展「段階」におけるそれぞれの役割を担い、相互に関係しあいながら、システムに総動員される形で支えているのである。。皮肉を込めて言えば、Bの先頭に位置する中国の国民の役割は、自らの安い労働力を提供しながら、世界の向上を目指す中で、Cの国民を地域戦争や紛争に巻き込み、またAの国民には失業を輸出する役割を担っていたということではあるまいか。こうした歩みと結び付けて、中国の新疆・ウイグル地域やチベットに対する中国共産党の人権弾圧を見ていかない限り、私たち自身もこのシステムを担う中で、形は違いながらも、同じような人権抑圧や弾圧を支えていることを時価ウするのは難しいと言わざるを得ない。しかしながら、そうした中国の国民を、CやAの国民も、Cは地域紛争や戦争を引き受ける形で、Aの国民は民主主義の発展の低度化としての格差社会の深化に身を甘んじさせる形で、システムの中に動員される中で支えているのである。

さて、これらのあまり面白くない話を踏まえながら、今日の話をするうえで、もう一度、(1)で紹介した私のモデルを貼り付けておく。

(1970年代までの「セカイ」とその「関係の歩み」(関係史)に関するモデル)

{[Aの経済発展→Aの民主主義の発展]→[Bの経済発展→(×)Bの民主主義の発展]→[Cの経済発展→×Cの民主主義の発展]}(共時態モデル)

(経済発展と民主主義の発展を、衣食足りて礼節を知る用語に置き換えてみた場合)
{[Aの衣食足りて→Aの礼節を知る]→[Bの衣食足りて・足りず→(×)Bの礼節を知る・知らず]→[Cの衣食足りず→×Cの礼節を知らず]}(共時態モデル)
(図式の関係を逆からみた場合)
{[Cの経済発展→×Cの民主主義の発展]→[Bの経済発展→(×)Bの民主主義の発展]→[Aの経済発展→Aの民主主義の発展]}(共時態モデル)
(経済発展と民主主義の発展を、衣食足りて礼節を知る用語に置き換えてみた場合)

{[Cの衣食足りず→×Cの礼節を知らず]→[Bの衣食足りて・足りず→(×)Bの礼節を知る・知らず]→[Aの衣食足りて→Aの礼節を知る]}(共時態モデル)

Ⅰ期の「段階」
権威主義的性格の政治→経済発展
Ⅱ期の「段階」
経済発展→分厚い中間層の形成
Ⅲ期の「段階」
分厚い中間層の形成→民主主義の発展(高度化)
(Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ期の段階はそれぞれ、前期、中期、後期の段階に区分される。)

(1970年代以降のセカイとその関係に関するモデル

{[Bの経済発展→Bの民主主義の発展]→[Cの経済発展→(×)Cの民主主義の発展]→[Aの経済発展→×Aの民主主義の発展]}(共時態モデル)

(経済発展と民主主義の発展を、衣食足りて礼節を知る用語に置き換えてみた場合)
{[Bの衣食足りて→Bの礼節を知る]→[Cの衣食足りて・足りず→(×)Cの礼節を知る・知らず]→[Aの衣食足りず→×Aの礼節を知らず]}(共時態モデル)
(図式の関係を逆からみた場合)
{[Aの経済発展→×Aの民主主義の発展]→[Cの経済発展→(×)Cの民主主義の発展]→[Bの経済発展→Bの民主主義の発展]}(共時態モデル)
(経済発展と民主主義の発展を、衣食足りて礼節を知る用語に置き換えてみた場合)

{[Aの衣食足りず→×Aの礼節を知らず]→[Cの衣食足りて・足りず→(×)Cの礼節を知る・知らず]→[Bの衣食足りて→Bの礼節を知る]}(共時態モデル)
(B、Cグループの場合)
Ⅰ期の「段階」
権威主義的性格の政治→経済発展
Ⅱ期の「段階」
経済発展→分厚い中間層の形成
Ⅲ期の「段階」
分厚い中間層の形成→民主主義の発展(高度化)
(Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ期の段階はそれぞれ、前期、中期、後期の段階に区分される。)
(Aグルプの場合)
Ⅰ'期の「段階」
民主主義の発展(高度化)→経済発展
Ⅱ'期の「段階」
経済発展→分厚い中間層の解体
Ⅲ'期の「段階」
分厚い中間層の解体→民主主義の発展(低度化)
(Ⅰ',Ⅱ',Ⅲ'期の段階はそれぞれ、前期、中期、後期の段階に区分される。
なお、このモデルと「システム」がそうさせる、という話に関しては、拙稿「歴史叙述の神話」に関する一考察-「システム」とその自己完結運動から「歴史」を語り直す―」」(『神戸外大論叢』第66巻第3号所収) 単著 外大研究会 2016年を参照されたい。
さらに、拙著『21世紀の「日本」と「日本人」と「普遍主義」-「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」セカイ・世界とそこでのセンソウ・戦争」』晃洋書房、2014年の88-91頁のモデルと覇権国の興亡史の図式も合わせて参照されたい。
私が読者にお勧めしたいのは、このモデルを頭に置きながら、いつも世界の出来事を関係づけて捉え、理解する訓練をしてみてほしいということです。

昨日の続きとして大事な話をしておきたい。
上述のモデルで描いているように、1970年代までのA、B、Cの各グル^ぷに位置する諸国の人々(国民)は、例えばAの、Bの、の、Cの人々(国民)は、A、B、Cの関係からなる一つのシステム(70年代までのセカイ)に組み込まれながら、Ⅰ期の「段階」権威主義的性格の政治→経済発展、Ⅱ期の「段階」経済発展→分厚い中間層の形成
Ⅲ期の「段階」分厚い中間層の形成→民主主義の発展(高度化)
(Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ期の段階はそれぞれ、前期、中期、後期の段階に区分される。)で描かれるように、70年代までのシステムを支えるために、各々の役割を引き受け担うように動員されている。

これに対して、70年代以降のシステムにおいては、B、C、Aの関係から構成されているシステム内において、B、Cの人たち(国民)は、Ⅰ期の「段階」権威主義的性格の政治→経済発展、Ⅱ期の「段階」経済発展→分厚い中間層の形成、Ⅲ期の「段階」分厚い中間層の形成→民主主義の発展(高度化)
(Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ期の段階はそれぞれ、前期、中期、後期の段階に区分される。)
にある「段階」を引き受けるのに対して、Aの人たち(国民)は、Ⅰ'期の「段階」民主主義の発展(高度化)→経済発展、Ⅱ'期の「段階」経済発展→分厚い中間層の解体、Ⅲ'期の「段階」分厚い中間層の解体→民主主義の発展(低度化)(Ⅰ',Ⅱ',Ⅲ'期の段階はそれぞれ、前期、中期、後期の段階に区分される。)に示される「段階」を引き受けるように動員されるのである。そしてB、Cの人々8国民)と、Aの人々(国民)は70年代以降のB、C、Aの関係からなるシステムの自己完結運動に総動員されながら、一つのシステムを支えていくのである。

今日の中東やアフリカ諸国において地域戦争や内乱に巻き込まれているB、Cの人々(国民)とAグループ内のかつての先進国の人々(国民)が生活難や生活苦で呻吟している状態とが、相互に関係しながら、一つのシステムを支え、担うように組み込まれているのである。その意味で、中東やアフリカ諸国の地域戦争や内戦、内乱はこうした私たち自身が支え、担っているシステムの形成と発展の歩みがつくり出してきたことを、私たちはまずは確認することが大事ではないのか、と私は考えるのです。それを確認した後で、「理想主義」対「現実主義」の問題に向き合うならば、おそらく多くの読者は、私が問題提起した意味を理解してくれるだろうと考えます。
それにしても帯状疱疹とその後の神経痛は、どうにかならないかと私を苦しめています。辛いものです。


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システム」の自己完結運動からトランプ米国大統領の政治・外交路線を読み解くとき(2)

2018-09-01 | 社会 政治
 


(今また今日のブログ記事を少し手直ししました。13時。なぜ中東やアフリカ諸地域で、地域戦争が起きているかを、私のモデルでとらえ直しています。「勝ち続け(負け続け)なきゃならない」セカイ・世界とそこでのセンソウ・戦争の仕組みを体現したシステムの中で、少しでもより優越した地位に位置したいとの構造的圧力によるとの私の見方が紹介されています。

「システム」の自己完結運動からトランプ米国大統領の政治・外交路線を読み解くとき(2)


何か、夜と昼が逆転している感があるが、昨日の続きを書いておきたい。いたいのは変わらないが。
昨日のブログでも指摘していたように、「木」を描くことも大事だが、それらが組み込まれる「森」を描くことができない限り、人は簡単に、「木」の集まりを「森」と勘違いしてしまう危険(性)に直面するところとなる。

昨日のモデルをごく簡単に示すと、1970年代までは、{[A]→(×)[B]→×[C]}で描かれるセカイ・世界であり、そのAグループのイギリスや米国に支配され、組み込まれてきたCの中東やアフリカの関係から、1970年代以降は、{[B]→(×)[C]→×[A]}の関係に示されるように、Bグループの先頭に位置する中国と、その下に位置するロシア等による、Bグループの中位、下位やCグループに含まれる中東やアフリカ諸国の支配権の確立が進んでいるということである。
この両者の「森」の関係が描かれない限り、中東やアフリカ諸国の細かい「木」の集まりを論じても、例えばイラン対サウジとかサウジ対カタール、トルコ対クルドといった対立関係であるが、森の構造の形成過程とその歩みが理解できないままでは、世界を本当に語ってはいないのではあるまいか。
B,C,Aの関係からなる70年代以降のセカイの歩みが示しているのは、アメリカやヨーロッパ諸国の影響力の交代である。70年代以降、Bの中国は確実にCの中東やアフリカ諸国をその傘下に組み込んでいくのである。
ここで問題となるのは、こうした中国をつくり出したのは、AグループのべいこくやEU諸国や日本に代表される諸国であったという事実である。つまりそうした関係の中で中国は次期覇権国として台頭するのである。それゆえ、いたずらに、中国対米国とか、ロシア対米国といった見方(たとえば、米中貿易戦争もそうであるが)では決して語られない現実がそこにあるのである。と同時に、中国とロシアの関係を友好関係ともっぱら見ることもあまりにも単純する見方であることはいうまでもない。
70年代以降のB,Cは「外向き」に、すなわち、いわゆる「グローバリズム」の方向に、Aは「内向き」に、すなわちいわゆる「ナショナリズム」の方向に、動くことが私のモデルからりかいできるはずである。(70年代以前にもこうした「外向き」と「内向き」の関係は存在している。その場合、「グローバリゼーション(ズム)」は「インターナショナリゼーション」として理解できる。これに関連した話は、いずれ紹介したい。
と同時に、それが「→」で、結び付けられた関係をつくり出し、そして一つのシステムとしての、すなわち{[B]→(×)[C]→×[A]}のシステムとその自己完結運動の歩みを支えているということを、私のモデルから理解できるのではあるまいか。ロシア、トルコ、イラン、イラク、クルド、サウジ、エジプト、シリアその他の中東諸国は、このシステムとその自己完結運動の歩み、すなわち{[B]→(×)[C]→×[A]}の歩みをつくり出し、支えるために、彼らの意思にかかわらず「総動員」させられているのである。それは、Bグループの中国やロシアの国民もまたしかりであり、Aの米国やEU諸国や日本の国民またしかりである。そのことは、Aの米国のトランプもユダヤの大投資家や銀行家も、そのシステムを支えるように動かされている(つまり彼らも総動員させられているのである)と捉えることができるのではあるまいか。勿論、忘れてならないのは、このシステムは、「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続け(負け続け)なきゃならない」セカイ・世界とそこでのセンソウ・戦争を所与の前提としている残酷きわまる「金の成る木」である。
付言すれば、今日の中東やアフリカ諸国における内乱や地域戦争は、すこしでも{[B]→(×)[C]→×[A]}のシステム内で、より上位に位置したいとのそれら地域の諸国のせめぎあいが投影されているのである。くどい話で恐縮だが、中東やアフリカ地域内の各国間の戦争は、例の「勝ち続け(負け続け)なきゃならない」セカイ・世界とそこでのセンソウ・戦争を所与の前提として生きていかざるを得ないことの結果でもある。

この流れがわからない限り、いくら「木」の細かい説明や解釈ができても、「森」を的確に捉えることは難しいであろう。ただし、私はそうした細かい「木」の説明や解釈はとてもありがたいし、私のモデルの説明や解釈にすこぶる役立つことは言うまでもない。その意味で、ただただ感謝するばかりである。



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