日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

新しい「クニ」造りに関する「独り言」ー1

2014-02-28 | 社会 政治
 今日からは「独り言」。
 いや少し今も疲れている。まだまだ全て吐き出せないけど、ゆっくりやっていこう。たくさんの誤字、脱字それと文章のおかしいところあると思うけど、これも仕方ない。ところで、これまで話してきたことで一番大事なのは、いま私たちが組み込まれているというか、私たちが自ら与りながら造り上げてきた「システム」にどう向き合っていくかという「姿勢」じゃないかということ、それが大事。今日は、「つくりあげてきた」のつくりが創りじゃなくて、造りとなっているけど、何か意味があるのか。おそらくあるんだ。そこには意識というか私が確認できる。また分からんこと喋りだした。
 ずっと私が話してきたのは、システムの構造や仕組みというより、どうやってそれに向き合って、その厚い殻というか壁を突き崩すことが可能かということだった。それゆえ、いつもこうした意識、態度が確認できるような見方が欲しかったんだ。逆に言えば、そうしたシステム、構造をこれまで永続させてきた意識や態度はどのようなものだったかを確かめたかった。つまりそうしたシステムを支える意識、態度、生き方を、システムと切り離さないで論じるためにはどのような見方が求められるのかということだった。いろいろ試行錯誤した結果たどり着いたのは、馴染みのある「衣食足りて礼節を知る」の一節だった。
 つまり、この「衣食」と「礼節」を「一対の関係」として捉える見方なんだ。具体的に言うと、高橋さんの「犠牲のシステム」と「平和憲法」の位置づけ方から見れば、衣食に関わるのが犠牲のシステムで、礼節に関わるのが平和憲法となる。つまり、犠牲のシステムをつくる中で、平和憲法がつくられてきたという関係が示されるんだ。一見すると、この関係はおかしいし、高橋さんも護憲派の人もそんなこと言ってないよ、となることは間違いないだろうけど、それじゃ、私のこうした見方をどうやって論駁するんだろうか。出来るのだろうか。私はそれは無理だと考えている。それについてはこれまでの記事で話してきたこと。だから、逆から言うと、「平和憲法」の下で、犠牲のシステムの一つの象徴である「原発」が54基も建設されたということとなる。
 従って、いくら平和憲法を守っても、犠牲のシステムに立ち向かえないんだ。それは格差社会が抱える様々な問題に対してもそうなんだ。私から見れば、革新政党やリベラルな知識人のほとんどが、「ずっと嘘ついていたんだぜ」となるんだ。しかし私がいくら記事で話してきたことを世の中に問うても、全く反応は期待できないし、無視されるのがオチだ。事実ほとんどだった。そんな私からすれば、リベラルな知識人も「原子力ムラ」の御用学者と同じ役割を担っているんだ。彼らの考え方は、結局は「見殺しの論理」に立っているんだ。いくら「感じる心」があっても、それ以上のことはできないんだ。つまり私の持っているものはあなたのもの、だから苦しくてもみんなで分け合って、生き抜いていきましょうなんかにはならない。
 私はそうした彼らを批判するけど、何度も言うように結局同じ、最低な奴。だから、ここから「復活」したいんだ。だからみんなで分け合うクニ造りのために、恥をかいているんだ。でも、ちっとも恥ずかしくはない。夢があるから。恥ずかしいのはこれまでの私のような生き方。

 それじゃ、そのクニ造りに関して、また今日も妄想してみたい。以下のことを少し考えていた。昨日の記事で、もう解放しますと言ったから、今日から、進んで読んでくれると思う一人か二人のアナタに、いないか?、まぁ、それはそれでいいから、君たちを想定しながら、独り言を続ける。


 ところで、私はこちらに来てから、少し年老いてきました。「変身」しました、少し。この1年近くで歩き方がオジンくさくなったことを感じます。それを感じる分、逆に私の「感じる心」が若返っている、いや子供のように、「純」にというか、「大人」が「子供」を見て「お前そんなことして、言って、ホンマに馬鹿じゃないか」と言われるような、そんな子供じみた感じになっている。しかしながら、私はずっと子供だったんだ、無理して大人を演じてきたんだ。そうしないと給料っていうか、お金稼げないから。マルクスが、レーニンが、フランクが、ウォーラスティンが、覇権システムが、民主主義が、政治学が、国際関係云々―――がどうのと言わないと生きていけないから?。
 もちろん、それは私にとって大事なことで、これからも大切なこと。しかしその大事なことに精を出せば出すほど、なんで私の子供のような、イヤ子供じみた「感じる心」は消えていくのか、あるいは凍てついてしまったのか。こうして氷のように固まってしまった私の感じる心を溶かして柔にしてくれるのは、一体何だろうか。はっきり分かるのは、それは私の民主主義論ではない、そんなもんじゃダメだということだ、そんなもんじゃない。それじゃ、マルクスなら、カントなら、ヘーゲルなら、グラムシならどうなんだ。同じだ、同じなんだ。確かにこれからも学び続けなきゃならないし、それはそうなんだ。問題は、それを学んでその次にどうするのかだ。

 しかもだよ、
ずっと、第1の生き方というかそれが当然だとされる世界に生きながら、ただひたすら学ぶ、教える。若い頃は仕方がないだろう。食べていかなきゃならないから。しかし、ある程度の年齢になったら、もう少しは別のやり方というか、例えば第2の生き方の構想なりその実践を自分の出来る範囲でやっておく。イヤやり残しておく。今度その残されたものを、次のある程度の年齢になったものが引き継いでいく。そうした関係をもうそろそろつくらないと、そう感じるようになったんだ。そのきっかけを与えてくれたのは、都知事選の広瀬隆さん。

 あの「一本化」問題で、宇都宮さん、というか共産党や社民党じゃなくて、あの細川さんを選んで「脱」原発運動の命運を託して、結局は「自爆」してしまったという感じ。ただし、誤解の無いように、私はそれじゃあ、何かに私の命を賭して自ら進んで戦って一敗地に塗れる覚悟をいまこの瞬間に持っているのか。自爆してもいいと思える、何かにこの身命を投げ打ってでもという何かがあるか。
 
 それこそ、それは「運命共同体」のクニ造りというものだろう。お前にそれがあるか。いや、その前に問うべきことがあるだろう。広瀬さんにとって、社民党、共産党にとっての、運命共同体は何なのか。市民運動や護憲派にとっては。そもそも「脱」原発運動を実現させたい人たちにとって、運命共同体とはなんだろうか。そもそもそれがない、そんなこと考えてもいないのだったら、それじゃあ、何のための「一本化」なのか。少しこれらについて考えてみたい。

 運命共同体とはなんだろうか。私の家族はそうだろうか。私自身、家族のためにこの命も財産(私の時間)も投げ出せるのだろうか。この共同体は、例えば、共同体の構成員もしくはその関係者が何らかの「イジメ」にあってたとしたら、全国どこからでも、その「現場」に駆けつけて、馳せ参じて、いじめられている者の後ろに私たち、俺たちが付いているんだということを、まずはいじめている側に伝えるだけだが。必ずそうする、そんな仲間からなる共同体だ、まあぁ、簡単に言えば家族ってことになる。それじゃ、福島原発の事故処理の現場に駆けつけるんだろうなぁ。ーーー。どうした、どう答えるんだ。のっけから答えに窮してしまった。こりゃ、やっぱし無理か、軌道修正して、「脱原発」に戻るか。ーーー、あれほど大見得切ったくせに、また繰り返されるこの無様な醜態。ーー。落ち込みながら先に行く、行けないよなぁ。横に、いや斜め後ろに、後退しながら進む。しんどいなぁ。

 もちろん、一つ屋根の下に住んではいない。しかし、みんなが同じ時間に起きて、同じものを食べて、同じ志のもとに生活し、そして同じ時刻に寝る。少し気色悪いかもしれないが、そうした方向かな。家族だから、決まりがある。助け合うこと、いたわりあうこと。これって、ほんまの家族でも難しいことだ。私もできなかったことだ。

 いわゆるゲットーに押し込められていたユダヤ人たちって、よく分からないけど、その中のある者たちは鉄の結束で団結していたんじゃないか。それは大事なことだ。日本に住むすべての者がこんなことできるわけがないし、それは最初から無理な話だ。だから、そうした志を持つ者が先ずそれをすればいい。
 勘違いしないでほしいが、この共同体のモットー、「息を抜く、だらしなく、云々だったか。なぜこんなことを掲げるかといえば、この共同体に集うものたちは、私を始めとして、みんな息なんか抜いて、生きてなんかいないんだ。それこそ真面目だけが取り柄で、とにかく頑張るんだ、頑張りすぎるんだよ。そのくせ人一倍傷つきやすい、のんびり生きられない、そんな奴らだから、自戒を込めて言っている。大丈夫、このモットーでちょうどいいんだと。

 だから、あまり舐めてもらっちゃ困るんだ。誰でも入れる共同体なんかじゃないよ。ただし、各人が各人のできることをやって、みんながみんなを支え合うという心があればいい。
「知恵のあるもんは知恵を出せ、知恵のないもんは汗を出せ、何もないもんは辞表を出せ」、これは義父の言ってた名文句。ついでにこんなことを教えてくれた。「土を耕すものは飢えず、土に立つ者は倒れず、土に生きるものは滅びず」と。誰の言葉か、義父自身の言葉か知らないが、とにかく素晴らしい。だから私は「恥を出している、かいている」。とにかく、真面目に働く、人に頼らない、自己責任で行動する、これが基本なんだ。それを当然と心得る者からなる集団だ。しかしそれでもダメな時はお互いが助け合う。この順序が大事。この逆では組織は維持できない。なんか、ますます夢がしぼんでいくような、しんどい感じ。

 想像以上に冷たいね。信賞必罰、これも掟。なんか「マフィア」みたい。イヤみたいじゃない、「まふぃあ」の組をつくるんだ。もちろん誤解はしないだろうが、「天下三分の計」の話に関わる組織。だって、ファミリーなんだから。そして同時にそれは宗教組織の形をとる?。例のロスチャイルド財閥(「家」)は、よくフリー・メーソンだとかイルミナティとか言われるが、まさに家、フ ァミリーであり、また「宗教」結社だ。だから当然ながら強くなる。鉄の組織となることができたんじゃないのか。ああ、ますますしんどい展開となってきた。これは、しんどい。

 そもそもこれまでとは異なる「生き方」を目指すんだから、ヤマギシイズムが今のところ思いつくけど、また違う組となるし、そうならざるを得ない。こう話してみると、本来「家族」とは「生き方」を同じくする、その意味である種の宗教結社であり、また運命共同体の最強の組織ではないのかと思うんだ。もっとも、悲しいけど今日の家族はその逆だろう。最弱というか。そうした最弱の家族の一員が構成する社会とか国家を考えると、相当に気が重い。こうした一員から成る「民族」や、その民族を基盤とする「階級」の存在を考えると、もうその「感じる心」はますます干上がった状態。そういえば高橋真梨子の歌ってた「感じないのよ、私の唇」だったか、ごめん、もう君たちには、こんな話全く分からないねェ。『人生劇場』とか、飛車角とか、仁吉も分からないねェ。鶴田浩二と高倉健、そして佐久間良子、平幹二朗が出演していた映画。分かんないねェ。

 ところが「宗教は民衆の阿片」だとして宗教を批判した共産主義。彼らは宗教というか「神」を恐れた。自分たちの上に君臨するものの存在を否定した。なぜなら、彼らこそが神なんだから。そのくせしゃあしゃあとのたまう。「人間が神をつくったのであり、神が人間をつくったのではない」と論じた誰かの主張に依拠しながら。それは当然だとしても、少なくとも私はそう理解しているが、問題はそこから先なんだ。そうだからといって、人間が創った神の存在とその戒めを、自分たちの都合のいいように、解釈改憲じゃなかった、偏向してじゃない、改変、改竄してはならないんだ。
 ごめん、話がますます見えなくなったね。見ようとしてはいけないよ、感じることがまず大事なんだから。私たちはその「感じる心」を自ら放棄してしまったのだ、理性的に、合理的に、客観的に、勉強して、研究し続けることで。だから無理して分かる必要はないし、複雑に考えることもない。宮沢賢治じゃないが、ごめんもう何だったか忘れてしまったが、たしか、どこかで助けを求める人がいればそこに行って一緒に横にしゃがんで、お互いの立場を置き換えて慮りなさいというようなことを言ってた、ここは意訳し過ぎました、ような。だから私はまず正直にそれができないなぁ、と感じるんだ。どうしてなんだろうと、また感じようとするんだ。
 おかしいなぁ。これだけ世の中の抱える問題を考え、理解し、その問題点に気がつきながら、ただ憲法を守ろう、人権が大事だ、平和が大事だというだけで、なぜ困っている彼らの横に行って、ただ一緒に佇(たたず)む、それさえもできなくなったのは何故なんだと、それを感じるんだ。

昨日は久しく見たことのないようないい天気、青空でした。前日の雨で「毒霧」が全て土の中に吸収された?、これ怖いねえ。いくら無農薬とか有機とか言っても、ほとんど意味がなくなるんじゃないかと。これって、他人事じゃないかも。日本の原発後の放射性物質だって、雨や雪が降るたびに土の中に吸収される。イヤそれだけじゃない、今も汚染水は地下水、河川、海洋にと、その勢いは止まらない、イヤ止められない、これ大丈夫なのか。
















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オニクタラムの「感じる心」は何故(6)ー7

2014-02-27 | 社会 政治
図式の説明

ここで本書において使われている図式に関して、読者の理解を助けるためにも説明しておきたい。
{[Aの経済発展→Aの民主主義の発展]→[Bの経済発展→(×)Bの民主主義の発展]→[Cの経済発展→×Cの民主主義の発展]}の図式から解説、説明したい。この図式は、〈共時的〉関係を示すモデルであり、A、B、Cの「経済発展」と「民主主義の発展」の「関係」が常に「共時的」に進行していることを表している。つまり、AとBとCの「経済発展」と「民主主義の発展」は相互に同時進行形の形で展開している。たとえば、「Aの経済発展」は、いつも「Bの経済発展」とも、「Cの経済発展」とも結び付けられながら同時進行形で「発展」しているということを示している。さらに、「Aの経済発展」は「Aの民主主義の発展」と同時進行形の歩みにおいて「関係」づけられながら「発展」しているだけでなく、そこから、「Bの民主主義の発展」とも、「Cの民主主義の発展」とも、〈同時進行形〉で「発展」していることを表している。[Aの民主主義の発展→Cの民主主義の発展]の図式は、Aの「発展」が〈高度化〉すると同時に、Cの民主主義の発展も〈同時進行形〉で〈低度化〉の発展」をすることを意味している。

付言すれば、これらの図式の外側には、全体を囲む一つの大きな枠が存在していて、それは一番外側のカギカッコで示されるが、通常はハズしている。カギカッコか多すぎると誤解や分かりにくくなると考えたからである。そのカギカッコとは[覇権システム]を示す[   ]である。その中に先のA,B、Cのかっこがあるのだが、それらのかっこでい示そうとしているのは、共同体の、ここでは一般に「国家」である。ァのカギカッコが一番厚く、Cのそれはほとんどないかボーダレスな状態であり、Bのそれは比較的薄くなっている。私たちが「経済発展」とか「民主主義の発展」を語るとき、その「舞台」をいつも忘れないでおくことが大切だという点を、読者に理解していただきたいために、こうした関係史モデルを考案した。そのモデルはまた、「ナショナリズム」と「経済発展」そして「民主主義の発展」とを〈同時進行形〉として創り出される「関係」として理解することの重要性を説いている




芥川龍之介の「敗北の文学」が今も「勝利」し続けている「現場」

芥川龍之介の「文学」は、「敗北の文学」とかつて評された。皮肉にも「敗北」したのは評者の方であった。芥川が描いた「人間」とその「人間関係」の姿は、21世紀の
今日においてもなんら変わるところがない。

「蜘蛛の糸」に描かれている「カンダタ」とその人間模様は、今まさにスーパーやコンビニの飲料水のペットボトルの品切れに如実に示されている。それも「2リットル」のボトルだけがなくなっているという「事象」に置いて。

見事というだけである。一本の蜘蛛の糸にすがって、地獄の世界から極楽の世界へと必死に這い上がろうとするカンダタの消費行動ではあるまいか。「坂の上の雲」を目指した明治期の「日本人」を彷彿させる。

芥川は、地獄に堕ちた(落された)カンダタが、生前に踏み殺そうとした蜘蛛を助けてやったという「善行」を、カンダタが極楽へといける機会を釈迦から与えられた「蜘蛛の糸」と結びつけている。カンダタは、自分の下(後)から昇ってくる無数の「カンダタ」に気がつき、このままでは糸が切れると思い、後のものを振り落とそうと試みる。それを見た釈迦は、カンダタの上方から、糸を断ち切る。それでカンダタはふたたび、他のものたちと地獄へ真っ逆さまにおちてしまう。

この蜘蛛の糸は、小学生から大人に至るまで幅広く読まれてきた芥川の作品の一つである。非常に奥行きが深くかつ内容も重い。

カンダタのような人間が、「市民社会」を形成していた。彼らは、「市民革命」によって「王政」を打倒して、天賦人権を高らかに世界に標榜した。しかしその「市民」とやらは、時として「善行」を施すのだが、自分の獲得した財産をだれにも侵されることなく所有し続けるという権利(人権)だけはどんなときにおいても手放そうとはしなかった。カンダタとしての市民の本性であり、それは釈迦によって糸を切られることがなかった。カンダタとその仲間たちは、上っている蜘蛛の糸の下の方を、自分の都合に合わせて断ち切るのである。

このようなカンダタから成る人間集団の「欲望」は、「共産主義」社会を持って「改造」されると芥川には信じられるものでなかった。せいぜいその「善行」は、「自由な民主主義」のレベルであり、その「自由」や「民主主義」なるものも、時として善行に目覚めるが、その功徳の範囲は、「所有権」「営業・通商権」「財産権」という、彼ら市民である「カンダタ」たちの考える、「公共の福祉」に反しない限りにおいてであった。〈私〉である一人の「カンダタ」が無数に集まって創る「公共」であり「福祉」であることから、そこでいう「公共の福祉」とは、「カンダタ」たちに、とりわけ、そのなかでも最も強い「カンダタ」とその集団に都合のいい「所有物」になってしまう。「覇権国」とは、そうした最強の「カンダタ」集団から構成される「主権国家であり「国民国家」であるということになる。

芥川は、悲しいほどにそうした「カンダタ」から成る人間集団を見つめていた。そうした者たちはたとえ「革命」をいくら繰り返しても、「カンダタ」自身を「改造」できないということを。

カントやヘーゲルまたアダム・スミスやマルクスは、芥川からみれば、「カンダタ」の生前の「善行」である「歴史」を、「カンダタ」個人を超えて、全世界に、「普遍化」できると信じて、それぞれの「学説」を説いただけであり、決してそれを(「善行」から成る「歴史」)を超えるものではないと理解されたのではないか。彼らにとって、「蜘蛛の糸」という「近代化」の「歴史」それ自体は「共通の前提」とされていた。彼らにとり問題とされたのは、「蜘蛛の糸」それ自体ではなく、その糸から派生する問題と、それをどのように解釈して、そこから問題とされるものにどう取り組めばいいかということであった。

たとえば、「共産主義」革命を信じたレーニンにとって、その担い手は、「前衛」とされていたが、芥川に従えば、その「前衛」は、「カンダタ」という「素性」を隠すための「フィクション」として理解されただろう。あらゆるレトリックを行使しても、「カンダタ」なのだ。その意味では、ジョージ・オ-ウェルの『動物農場』の「世界」に近い。

今、震災を契機として突如燃え上がった感のある私たちの「思いやり」の「善行」は、それ以前の「格差社会」から生み出された「非正規雇用」をつくりだす「仕組み」に対して向き合うことが無かったように、今回も震災を機に大量に首を切られ始めた非正規雇用者に対して、向けられることはない。あれほどの放射線被害に直面した原発労働者の置かれた「現場」を今でもなお「安全」だと信じたままで、自らがその仕事に従事することは断固拒否する「カンダタ」である。

そして厄介なことは、そうした「善行」を行う「カンダタ」は、それから先へと世の中を変えるべきだと考えて、「蜘蛛の糸」にすがる、群がるものたちの「蜘蛛の糸」「配列」、「配置」そして「順番」、それら自体とその問題点を考えようとする、「世の中」のすべてに開き直ることを躊躇する「小市民的」かつ「偽善者」である「カンダタ」たちの動きを封じ込めようとする。

そう、あれなのだ。いつものあの名台詞である。「なぜ、みんなが困っているときに、あなたはそんなに冷静でいられるの」「今はあれこれ批判するよりも何かの手助けが大事でしょう」と。

彼らはそういうことにより、自分のきまぐれで蜘蛛をたまたま助けたに譬えられる「善行」では決して払えないほどの、彼らが日常の生活において踏みつぶしてきたもっと「大きな罪」に対して背を向けるのだ。これもまた「カンダタ」特有の行いなのだ。

黙って、「善行」をすればいいのだ。それだけでいいではないか。

消えてしまったペットボトルの背後にはいろいろな「カンダタ」がいる。さて、あなたは、この「グローバル化」した世界の中で、どんな姿に身をやつした「カンダタ」なのか。


〈放射能(放射性物質)〉よりもはるかに恐ろしいもの、怖いもの――その「正体」
小出裕章著『隠される原子力・核の真実-原子力の専門家が原発に反対するわけ』(創史社、2010年)の中に、以下のくだりがあります。

水俣病にその生涯を捧げて取り組んできた原田正純さんは大仏次郎賞を受賞した『水俣が映す世界』に次のように書いています。
 「水俣病の原因のうち、有機水銀は小さな原因であり、チッソが流したということは中なる原因であるが、大なる原因ではない。大なる原因は、“人を人と思わない状況”いいかえれば人間疎外、人間無視、差別といった言葉でいいあらわされる状況の存在である」
それを許しておくかぎり、次の事故、一層大きな規模の事故もいずれ起きるでしょう。(12頁)

 残念なことに、小出さんの言うとおりになってしまいました。私はここで原田さんが述べている「大なる原因」である「人を人と思わない状況」あるいは、そうした状況を作り出す「仕組み」(構造)についてこれまでずっと考えてきました。
 私のモデルで描くあの[セカイ]はまさに「人を人と思わない状況」を生みだしてきた構造そのものだといえるでしょう。すなわち、歴代の覇権国が中心となって創造してきた「覇権システム」とその「秩序」と、その下で織りなされてきた「経済発展」と「民主主義の発展」の「関係(史)」です。それは「差別」と「排除」に刻印された、おぞましい私たちの「歴史」そのものです。

以下の図式を見て下さい。

 {[Aの経済発展→Aの民主主義の発展]→「Bの経済発展→(×)Bの民主主義の発展]→[Cの経済発展→×Cの民主主義の発展]}〈「共時態」の関係を示したものです〉
(図式は少し違います。(×)と×の位置は、正確にいえば、その前の→の上に置かれるのですが、うまく操作できません。その意味するところは、Cにおいては、Aのように→で導かれませんし、Bにおいても、Cほど絶望的ではありませんが〈可能性はありますが〉、Aほど「十分」には→で導かれません。そうした図式が本来お伝えしたいのですが、うまく変換できません。もしよろしければ、拙著か拙論の図式を参照してください。)

 この図式で描かれる[セカイ]は、Aの経済発展→×Cの経済発展、Aの民主主義の発展→×Cの民主主義の発展に描かれる関係をはじめとしていろいろな関係に置き換えられる[セカイ]です。ここで描かれるAとCの関係の中に、「人を人と思わない状況」が見事に示されています。
たとえば、Aの石原都政を支持した東京都民が、自分たちの「民主主義の発展」とそれをもとにした彼らの「自由」「人権」「平和」の実現のために、Cの福島の県民の「自由」「人権」「平和」を享受する権利を「原発」を介在させることにより奪い取る構図が示されています。とくに今回のような事故の後ではそれがはっきりと見えます。
問題は事故が起きなくても、原発があるということは、原発労働者がつねに存在しているということであり、またもう少しさかのぼると、ウランを掘り出す鉱山労働者が存在しているということであり、そのことは彼らの常時の「被曝」を前提として、私たちの生活が、「自由」「人権」「平和」が保障されてきたということを意味しています。
すなわち、そうした「関係」はいつも「人を人と思わない状況」が存在しているということを表しているのです。まさに「差別」「排除」の関係ではありませんか。
翻って私たちの歴史を見るならば、近代以降に限定してみた場合、こうした「人を人と思わない状況」は、あの「大航海時代」に既にはじまっるものです。奴隷貿易、三角貿易、それを前提としたヨーロッパ社会の繁栄、市民革命、自由主義の時代と呼ばれる歴史を支えていたのは、こうした「人を人と思わない状況」の絶え間ない「蓄積」(堆積)ではなかったでしょうか。
ところがこれまでの「専門家」は、そうした歴史の中に「進歩」や「正義」を見いだし、「自由」「民主主義」の歴史を「普遍化」すべきであると声高に主張し続けてきたのです。
それゆえ、私は、彼らがいう「自由」「民主主義」「人権」「平和」なるものが、私の図式で描く」関係」とその歩みを創り出さない限り実現できなかったということを示すことによって、「人を人と思わない状況」を前提にした「自由」「民主主義」「人権」「平和」ではまずいのではありませんかと、訴え続けてきたのです。
「原発」に私が反対するのは、放射性物質が飛散すれば人体に癌を引き起こす危険性があるからではなく、原発が「人を人と思わない状況」を前提として創り出された「文明」であるからなのです。「人を人と思わない状況」に置かれた、またそのことにも思いが至らない人間が放射能汚染で仮に死ぬのであればいた仕方がないと、私は少し思っています。ところが、現実は、そうした「悪人」が生き残る可能性が大であるという「皮肉な歴史」を教えています。ほんと、口惜しいほどに。
現在進行中の日本における放射能汚染の危険性について語る多くの人は、この「人を人と思わない状況」とその仕組みについてどの程度認識できているのでしょうか。私からすると、ほとんどの人が認識できていないといわざるをえません。その証拠として、日本国憲法の「基本的人権(自由権)」を批判する人は、ごく少数の人だけではありませんか。この人権は、言論、集会、あるいは、営業、通商、私的(財産)所有のもろもろの「自由(権)」を含めて、全て「人を人と思わない状況」をもとに創り出されてきたものなのです。
すなわち、これまで私が何度も主張してきたように、それらは「人を人と思わない状況」の最高点に達した「覇権システム」とその「秩序」を前提として、私たち「人類」が手にすることのできたものなのです。
原発労働者は、まさにこの「営業の自由」と、それと結びついた私的(財産)所有の自由」という「人権」によって創り出された存在であり、時代と場所を変えて、そうした存在は、つねに創り出されてきたことを忘れてはならないでしょう。
その意味では、私たちが享受している「人権」を、今ここで変えない限り、すなわち「改憲」しない限り、「原発」とそれを作り出す仕組みは、換言すれば「人を人と思わない状況」を生み出す構造は、決して変えることができないものであると、私は確信してやみません。もっともそのことは、同時に変えられないだろうという、逆の確信をも意味しています。悲しいことですが。
福島の事故を契機として突如として提唱されたような「脱原発」「原発止めろ」の声に対して、私がためらいを感じるのは、「原発」を超える次の「危険」に対して、対抗できないと思うからなのです。
ただそうはいっても、今はそうした声を大切にしなければならないと、忸怩たる思いでいることだけは確かですが。



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オニクタラムの「感じる心」は何故(6)ー6

2014-02-27 | 社会 政治
〈山〉の「再生」を妨げる「原発」
私が福島県のどこかの「山」で、
「再生」に向けてのささやかな取り組みを
長期にわたり続けていた、
と仮に考えてみよう。

今回の「福島原発事故」により、私の試みはふいとなる。
 想像したくない、ぞっとする出来事である。

いま私が住む愛媛の松山にある〈山〉は、
伊方原発から半径50キロ圏内にある。
もし事故が起こればどうなるか。

 もはや「想定内」のこととなった。
「想定内」のこととして、私はどうすればいいのか。

 当然ながら、「原発」を止めるように働きかける。

と同時に、「原発」推進のために
やれ「エコ」だとか
「温暖化防止」だとか

「国策」としての「原発エネルギー政策」を
推進するために

「意図的に」に
〈眠らせてきた〉

「水力」「火力」の発電所の稼働(再稼働)を
強く、求める。

〈節電〉は必要だ。

だが、「原発」を推進するために、
「水力」「火力」発電を稼働させないための
〈節電〉には乗れない。

愛媛をはじめ「田舎」の
農業、林業、漁業従事者は、
「原発」に反対して、止めなければ
ならない。

「原発」に賛成する
表現、言論の自由
営業、通商、所有の自由
そしてそれらを前提とする「民主主義」。


「原発」に反対する
表現、言論の自由
営業、通商、所有の自由
そしてそれらを前提とする「民主主義」。

あなたはどちらの「民主主義」を守るのか。

「原発」に賛成する
「普遍的人権」と結びついた「(自由)民主主義」か、

それとも

「原発」に反対する
「普遍的人権」と結びついた「(自由)民主主義」か。

「選択」の自由は
あなたにある。

あなたの「自己責任」は重い。



〈クラック(裂け目)〉から透けて見えてきたのは何か

いまリビアのカダフィ大佐という「自由」の「抑圧」者が
フランス、イギリス、アメリカを中心とする勢力の「空爆」を受けている。
 
その「理由」は何か。

「自由」に対する「抑圧」という
「不当な暴力」によって
「尊い人権」が奪われている。

いま福島原発「事故」をとおして見えてきたことは何か。

「自由」を「普遍化」する勢力の「正当な暴力」によって「尊い人権」が奪われている。

その「自由」とは何か。

「原発」に反対する「田舎」の「声」を
「正当な暴力」によって
「抑圧」する「自由」である。

その「自由」とは何か。

「西欧列強」による
「植民地化」に反対する「田舎」の「声」を
「正当な暴力」によって
「抑圧」した「自由」である

その「自由」とはなにか。

これまで私たちが手にしてきた「自由」である。

その「自由」とは何か。

これからも私たちが守り続けていく「自由」である。

その「自由」とは何か。

「正当な暴力」によって
「尊い人権」を奪い続ける
「自由」である。

なぜ「あの戦争」へと突入したのか
今回の「福島原発事故」を見ながら、少し「想像」できた。
「自由」「人権」「民主主義」が十分に認められない、保障されなかった
「大日本国憲法体制」の下で、
仕方なく、無理やり
「あの戦争」へと追いやられたと
聞かされてきた。

「自由」「人権」「民主主」が十分に認められ、保障された
「日本国憲法体制」の下で
「あの原発事故」へと追いやられた。

どちらも「ウソ」なのだろう。

イスラム教の下でも、
キリスト教の下でも
仏教の下でも

等しく「原発」推進となるのは
何故なのか。

「抑圧」体制であれ
「解放」体制であれ
等しく「原発」推進となるのは
何故なのか。

「福島原発事故」は「交通事故」以下なのか、なぜ〈現行犯逮捕〉できないのか
                  (〈山の再生を夢見て〉村田邦夫gooブログより)

国家の「犯罪」と「文明」「人道」に対する「罪」

「福島原発事故」は「交通事故」と比較してどれほどの「犯罪」に問われるのだろうか。
まさに「罪」ではないか。〈現行犯逮捕〉に相当する「罪」ではないか。
〈業務上過失〉〈業務上過失致死〉に「軽く」相当する「罪」ではないか。

しかし誰も「逮捕」されない。
いや「事故」の当事者たちは、ほとぼりが冷めるなかで
解決処理にあたった云々の理由で「英雄」になるのだろう。

既にわれわれは足尾鉱毒事件、水俣メチル水銀事件の「犯罪」に関して
その「責任者」たちが「逮捕」されないできたことを知っている。

あの[勝者の裁き]といわれた「東京裁判」においても
「日本」と「日本人」は「文明に対する罪」「人道に対する罪」で裁かれた。

ところが、「広島」「長崎」の「原爆投下」に関与した当事者は
その「犯罪」を問われることはなかった。
それどころか「英雄」に祭り上げられ
20世紀の「世界史」を形成する中心的存在として君臨したのである。

今回の福島原発事故も、これほどの惨禍と、これから予想される「被害」の
甚大さにもかかわらず、事故後の処理は「交通事故」以下ではないか。

不思議なことにだれも現行犯逮捕されていないのだ。
〈犯罪者〉が図々しく居座って、事故の処理を行っている。
間抜けなことに、多くの国民はその「痴呆」的国民性を世界中に
臆面もなくさらし続けている。

いまこそ「東京裁判」の「不当性」を問うべきではないか。
いまこそあの裁判の「被告人」を国民自らが裁くべきではないのか。

「原発」は「文明に対する罪」なのだ。
「原発」は「人道に対する罪」なのだ。
〈原爆〉も「原発」も同じように「放射性物質」をまき散らし、
多くの「罪人」たちに放射能汚染の被害を与えてしまう。
〈無辜の自然〉に取り返すことのできない「災厄」をもたらす。

いまこそ「立ち上がろう」ではないか。
いまこそ「一つになろう」ではないか。

「日本」と「日本人」が「一つになって」「立ち上がって」
「原発」関係者をみずからの手によって
〈逮捕〉し、その「罪」を裁こうではないか。

その「原発裁判」によって、
「文明に対する罪」「人道に対する罪」を
改めて問い糺そうではないか。

そのとき初めて「日本」と「日本人」が
かつての「原告」席でふんぞり返っていた[勝者]を
〈被告〉席に座らせることができるのではないか。

このように本当は啖呵を切ってみたいのだが、
〈あれから何十年〉経って、
「覇権システム」とその「秩序」の下で
身も心もボロボロ。

〈可哀そうな〉「日本」と「日本人」よ。

また[勝者]の「連合国」とその「多国籍企業」の「軍門」に降(くだ)り
「文明に対する事故」「人道に対する事故」との大合唱を背に浴びながら
彼らの協力の下に事故〈敗戦〉後の処理をすることしかできないとは。

それでも私はこの「日本」に住み、「日本人」となったのだから、
〈満腔の喜び〉ならぬ「満身創痍」の身体でもって
ただ「素直さ」だけは忘れることなく
これからも、生きていたい。
これまで以上に、力強く。

「営業の自由」(それと結びついた「私的〈財産〉所有の自由」)という「基本的人権」と「公共の福祉」の「関係」

以前のブログにおいて、「人を人と思わない状況」そのものもである原発事故現場で、放射線の基準値を、緊急事態という「口実」のもとに、あろうことか、それをあげてまで作業をさせる、そうした「営業の自由」を許してはならないと述べました。
これに対して、読者の方の中には、仕方がないだろう、私たちの命に関わる問題なのだから、誰かがその作業をしてくれないと、自分たちの命が危険にさらされると、そう反論されるでしょう。その反論自体が「人を人と思わない状況」それ自体を物語っていませんか。自分の命の安全のために、誰かを犠牲としてもかまわない。そのように問い詰められるといやだから、「直ちに危険はない――」「きちんと防御服を着ていれば大丈夫―――」と、まさに「専門家」のいうようなことを考えるのです。
それでいて、専門家が、そのようなことを言うと、それは嘘だろう、本当のことではないと、また腹を立てるのです。まさにここに、私たちが「人を人と思わない状況」の中で暮らしてきたという証を示すことができるのではありませんか。
なぜこのような「卑しい生き方」を「普通のこと」のようにしてしまったのでしょうか。それについて少し考えてみたいと思い、「営業の自由」と「公共の福祉」(に「反しない限り」という「条件」の留保)との関係について私見を披歴したいと思います。
今回の原発「事故」の問題に結びつけて、結論を先取りしていうならば、その「公共」というか「公」には、「政府」を構成する政治家の議員、官僚、原子力推進を主張する学識経験者、東京電力の会長、社長以下の社員、そして「株主」そしてそのもろもろの「ファミリ―」が入っています。それゆえ、「福祉」とは、彼ら「ファミリ―」の「利益」、すなわち彼らの「生活」「生き方」です。
これらを踏まえてもう一度「公共の福祉」を「定義」するならば、それは、「原発」を推進する「ファミリ―」の「生活(様式)」ということになります。そしてこの「公共の福祉」を掲げるものが、「圧倒的多数」をしめていますから、彼らは、自分たちの「生活」を侵害するような私の「申し出」に対して、すなわち「営業の自由」を「制限」しなければならないという意見に対して、あらゆる手段を講じて、反対し、そして沈黙させるでしょう。
その「成果」が、冒頭に紹介した「自分たちのみの安全のために誰かを犠牲にしてもいた仕方ない」という「理屈」の「誕生」なのです。その意味では、「公共の福祉」の「代弁者」です。といっても、彼らの多くは、「ファミリ―」の末席を汚す「しがない庶民」に他なりません。付言しますと、「水戸黄門」のドラマの中で「この印籠が目に入らぬか、ハハ―、と一同がひれ伏している場面で、自分たちは黄門さまの側にいると勘違いしているかわいそうな庶民です。
もともとそうした「自由」なり「自由権」を「普遍化」させてきた人たちは、17世紀、18世紀の「公共の福祉」の物・心両面における中心的存在であった人達であり、いわば21世紀の「ファミリ―」が、形を変えて存在していたということです。
それゆえ、「公共の福祉」に「反する」「反しない」に関わらず、「営業の自由」を「制限」できる新たな〈じゆう〉〈じゆうけん〉を「創造」しなければならないということになります。そうです、もし〈本当に〉あなたが「原発」を止めたいのであれば。そのためには、彼らの存在抜きには「原発」が稼働しない「原発労働者」の「命」を保障できる〈営業の自由〉へと変えなければなりません。
もちろん、少しこの世で働いたものならば、いま私がここで述べていることがどれほど「実現性」の乏しいものかはよくお分かりでしょう。このようなことをいうものを「ケツノアナガアオイ」というのです。それでは「アオクナイ」ものはどういう者かというと、「人を人と思わない状況」を一方で十分に知りながら、他方で、「今みんなが困っているのだから、一つになって立ち上がろう」とのたまうことのできる、私を含む「その他大勢」を指しています。
話を戻します。もちろん、このようなややこしいことをしなくても、ドイツの例のように、「原発」を止めようと、上からの大合唱によって、止められる可能性は、あります。しかし、この場合は、状況が変われば、また「原発」に〈ゴ―〉という合図が出される余地は残されています。(メルケルさんはさすがに「政治家」ですね。)それだけではありません。「人を人と思わない状況」をつくりだす「営業の自由」は無傷ですから、形を変えた「原発労働者」が生み出されていくことになります。付言しますと、もう既にそうした存在は個々彼処に認められるではありませんか。そのドイツにおいても、海外移民労働者の存在と、戦後ドイツにおける彼らに対するドイツ国民の接し方を見れば、一目瞭然です。
何度もいいますが、「原発」に反対するということは、「人を人と思わない状況」を「常に」つくりだす私たちの「生き方」に、ひとまず疑問を持つということです。それは私のモデルの[セカイ]で描いた[Aの民主主義の発展→×Cの民主主義の発展]に、換言すれば[Aの自由(権)→×Cの自由(権)]の「関係」に、ひとまず疑義を呈するということを意味しています。
そしてそうした「関係」をつくりだしているものは何かを、そこから考えるということを意味しています。そこから見えてくるのは、先述したような「営業の自由」(それをもとにした「私的〈財産〉所有の自由」)と「公共の福祉」云々という関係に他なりません。
いま、福島原発の事故によって、それこそ多くの人は程度差はありますが、「パニック」に陥っています。
(私もその一人です。それが証拠に、できもしない企てを最近また考えていますから。あれほど「覇権システム」とその「秩序」の下に織りなされてきた「経済発展」と「民主主義の発展」の「関係(史)」を担う私たち人間の「宿阿」をトコトン力説してきたのに、またここにきて「ケツガアオイ」自分になっていますから。「ウソ」を心底語っていますから、やはりおかしいのです。しかし、正直なところ、今の自分の方がまだましかと思います。)
話を戻します。それは自分の「身」の危険性に少し気がついたからです。それは非常に大切なことには違いありませんが、しかしそこからただ「原発を止めよう」というメッセージしか発せられないとしたら、残念でなりません。「原発労働者」の「身」の危険性にまずは目を向けるべきだといいたいのです。
いま私たちが叫ばなければならないのは、「原発を止めよう」ではなく、「原発労働者」という「存在」を許してはならない〉というものではないかと、私は思うのです。
「原発」を止めれば、当然ながら「原発労働者」は危険な目に会う機会は少なくなります。だから同じではないかと考える人もいるでしょう。それならば逆に聞きたいのです。同じというなら、なぜ私のように叫ばないのかと。一度心の中で、私のいうように静かに呟いてみてください。おそらく「同じ」ではないことに気づかれるかもしれません。
その理由の一つは、原発を推進しようとしたメルケルさんが、ここにきて「反対」を叫んでいるからです。しかし彼女は、「原発労働者」の存在には「心底」からは、触れません。
もちろん、以前にも述べましたが、それでも「原発を止めよう」という声がいま起こることに対して、私は異議をはさむものではありません。
ただ、もし「日本」の「原発」だけでなく「中国」の原発を止めようとするのであれば、どうすればいいのかと考えるのです。その問いにまた、すぐこんな声が聞こえてきます。「日本」でまず止められなければ、何で他の国の―――。私がいいたいのは、その逆です。「中国」や「アメリカ」「フランス」の「原発」を止める力なり、「方策」が無いのであれば、つまり、ただ「反対運動」だけに終始するのであれば、「日本」の「原発」を止めることは決してできないということです。
「日本」の「原発」というとき、私は、カギカッコをつけて「日本の原発」と示しています。そこには、日本だけでなくアメリカ、フランス、イギリス、その他の先進諸国と、その傘下にある(多国籍企業〉が含み込まれています。彼らは「営業の自由」の下に「日本」に含み込まれているのです。それゆえ、「日本」の「原発」を止めるということは、そうした「関係」の流れを「止める」ということになるといいたいのです。
そのことは、またふり出しに戻りますが、「営業の自由」(それと結びついた「私的〈財産〉所有の自由」と「公共の福祉」の関係について問うということに私たちを導くことになります。
もうこのくらいにしておきます。「実現」できそうにないことを書くのはしんどいものですね。ただ最後に一言。「危機」的状況が起これば、「原発」を止められる「可能性」も高くなります。しかし、その危機的状況をつくりだした「人災」の「源」は、おそらくこの地球がなくなったとしても、しぶとくどこかでその生命力を顕示しているのかもしれません。



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オニクタラムの「感じる心」は何故(6)ー5

2014-02-27 | 社会 政治
私たちがすぐそこに抱えている「福島」なのだが、あまりにも遠い存在に私には思われる。たとえ、「一つになって、立ち上がろう」という掛け声のもとに義捐金やボランティアで一緒になったように「演出」をしても、「現場」は遠い、遠すぎるのだ。

 もう始まっているように私には思われる。「現場」から一刻も早く遠ざからなければならないと、「安全、安心」を確保できる「地点」へと「這いあがらねば」という「強い思い」を、(福島という地理的空間として理解される意味での)「現場」から遠い人ほど改めて、確認したのではないかと。なお、私がここでいう「現場」とはその「地理的空間」の意味だけではないことはおそらく、このブログを何度も見てくれた人には理解しやすいとは思っている。

「現場」という言葉で私が言いたいのは、「関係」として創り出されてきた人間の、集団の、共同体の、国家の、あるいは脱(非)国家主体の、様々な「関係」により織りなされる「現場=関係」という意味である。以前の「本能的」な「生き方」をさらに強める結果となる動きが次第に明らかになる、そんな風に。以前のブログで示した「蜘蛛の糸」の「カンダタ」を想像されたい。

 しかし「現実」は、その思いに答えられない。「現場」から遠いところを目指す多くのものは、自分の思いとは逆にますます、そこから離れたいと思っている、願ってきた、そこだけはできればお断りしたい、「現場」に吸い寄せられていく「実感」を強めるようになるのではないか。そうした無力感、焦燥感に駆られた多くの者がすがるのは、いまの欧州における右翼的指導者たちではないかと。

 昔の右翼的、国家主義的行動とは異なるものの、かといって欧州のそれとも異なる右翼的国家主義的言動や言辞が日本を席巻するのではないかと、少しここにきて私は危惧している。もちろんそれがキユウであればと思うのだが、中国のさらなる台頭やアメリカとの関係如何ではどうなる事かわからない。

 日本とアメリカが共同で、原発の使用済み核燃料廃棄物を「モンゴル」に「搬出」する計画が昨年の秋頃から進められていたとのことだが、おそらく、この「福島」の「事故」がなければ、多くの「日本人」はそれを容認していたであろうし、今後もそうした動きに反対するよりは、「仕方のない」こととして、どこかの「現場」を探すことには目をつぶるのではなかろうか。

 残念ながら、こうした現状を鑑みていまの私が分かるのは、「原発」に反対しても、脱原発を目指しても、それは「現場」を直視し続けることに繋がるとは思われないことだ。復旧、復興にいそしむ今の姿を見ても、「現場」はそのまま放置されたままである。むしろますます悪い状態に置かれるきらいがある。多くの人の目が、「福島」という「現場」に、しかも目に見える範囲の、また自分の住むところに放射性物質がどれだけ飛来したかどうかに、もっぱら関心が注がれていることから、その他の深刻度を増している「現場」への目配せはますます希薄となっているように思われる。

 しかし、それは福島の「事故」以前にはごくごく当たり前のことであり、事故後少し何か変化の兆しが見えかけた感があるが、それは「現場」を見る、捉える力が「福島」によって削がれただけであったと気がつくならば、誰も責められないし、誰もその資格があるとは思われないではないかの感が強まってきてしまう。
もちろん、そのことは東電や自民党、民主党、株主の責任が無いということを意味しない。しかし、〈あなた〉にはそれでは何の「責任」もないかと。そうした「責任」を感じる者のみが、はじめて東電や原子力発電の推進者の責任を問うことができると、私は考えている。

もしそうした責任を少しでも感じるならば、「原発」の〈現場〉を、無数のその他の「現場」とともに抱える、抱えてきた、先の「覇権システム」とその「秩序」を前提として織りなされてきた「経済発展」と「民主主義の発展」の「関係(史)」のもとに生きる、生き続けることの「責任」を感じるであろうし、その地点に立てば、誰も問う資格は持ち得ないのではということになる、そう思うのだ。

しかしそれは責任を問うことを「放棄」しろというのではない。その逆である。はじめて「責任」を問い得る資格が持てるし、そこから問うべきなのだと。(ごくごく一部の人達はこの「責任」を免れることは可能かもしれないが、やはりそれも難しい。)
結局のところ、また以前と同じ生活が繰り返されることだけだといいたいのだが、それは決して「以前と同じ生活」とはならない。「現場」を取り巻く環境が、「関係(史)」が変容しているからである。

 それにしても憂鬱なことだ。当たり前の日常にまた戻り始めたことに気がついただけだから。ただ少しだけ私に救いがあるとすれば、私の中にもほんの少しだけ何かが変わったような「気」が生まれたような、そんな気持ちを持てたことかもしれない。

フランス革命時の「理念」は素晴らしいものであるが、それが国民国家と結び付いて以来、「変質」してしまったという見方は、多くの人が共有している。たとえば、山内、徐らの論にもみられる。また、ハンナ・アーレントの解説書を書いた仲正も、おそらく国民国家の描き方をみるときそのような見方を前提としているのかもしれない。本当に、そのように最初は、あるいは「理念」自体は素晴らしかったのだが、その後のいろいろな経緯により「変質」してしまったと解していいのだろうか。「理念」の担い手は当然人間だが、その人間でもいろいろな人がいる。具体的な「人間」を前提として考えることが何より大切ではないだろうか。たとえば、フランス革命の「自由」「平等」「友愛」を考えるとき、そうした「理念」を提示したのは一体誰なのか。啓蒙思想家だとしたとき、彼らは、その「理念」の担い手として誰を想像していたであろうか。E・H・カーの『歴史とは何か』にあるように、〈歴史〉とは、権力者に都合のいいように、その命を受けた歴史家が描く。同様に、そこで謳われている「理念」もまた、そうした命を受けた啓蒙思想家が、例えば、ロックらが主張したのではなかろうか。たとえば、山之内靖のロックの『市民政府論』の紹介にあるように、そこでの「理念」の担い手は、[インディアン]ではなく「白人」である。もっともその「白人」のなかでも、海外に出掛けて行き、そうした海外での土地をインディアント争奪できるのは、ただの白人ではない。相当な資産家である。たとえ、そうしたなかに「冒険家」が含まれていたとしても、その冒険家もただの白人ではない、誰かの命を受けたか、その「パトロン」であったと考えられる。すなわち、「理念」といっても、例えばこの場合は私的所有権に関してであるが、あるいは、通商の自由、営業の自由もそこから関連して考慮に入れられるだろうが、「市民」と呼ばれるにせよ、かなりの「資産家」であることは疑いを得ない。つまり、そうした富裕層を具体的担い手とする「個人」が「理念」の「担い手」として位置づけられていることを、確認しておくことが重要である。
 従来の議論は、こうした「関係」を直視することに代えて、最初から土地所有における「争奪戦」の「歴史」を切り取り、あたかもそうした争奪なり略奪が無かったかのように〈歴史〉を位置づけ、白人が「権利」としてなんら争うことなく自らの権利として、それこそ「天賦」の〈人権〉として与えられたかのような〈解釈〉がなされてきたと言えるだろう。つまり、そうした意味では、「理念」は最初から「変質」していたのである。「関係として」描かなければならなかった〈所有〉や〈所有〉に関する〈人権〉の「争奪戦」、すなわち「関係」として描かれてしかるべき「自己決定権」の争奪戦が、「個人」の〈人権〉にすり替えられてしまったのである。そのことが先にみた山之内のロックのくだりに如実に示されているのである。
 カントにしろ、ヘーゲルにしろ、あるいはまたロックやルソーにしろ、既に彼らが生きた同時代の国際関係に関しては熟知していたとみていいだろう。そこには今日に繋がる「南北関係」がすでに顕在化していたし、奴隷商人や奴隷の存在にも気が付いていたであろう。あるいは、彼らの「衣・食・住のネットワーク」臥そうした南北関係を前提としていたことも。ところが、それにもかかわらず、ロックにおいてもそうであったように、そうした関係が彼の〈人権〉論に反映されていたとは思われないし、そのことは、ヘーゲルの「市民的自由」の考え方にも伺えられる。ヘーゲルに至っては、「奴隷は人間ではなかった」みなされていたが、そうした考え方からは、「関係」としての「理念」や〈人権〉という見方は生まれてこないのである。問題は、そうした見方が、21世紀においてもなお支配的であるということなのだ。フクシマに見事に浮き彫りにされたはずの「原発労働者」と私たち「市民」の「関係」をみるとき、そこでの〈人権〉に関する見方は、どうもロックやヘーゲルの時代の〈人権〉の見方と変わらないように思われる。勿論、それは日本国憲法の〈人権〉概念がそうした〈歴史〉を継承しているから当然のことなのだが、それゆえ、今日の原発事故でも「人を人として扱わない」状況なり状態を導く〈人権〉概念が生き残っているばかりか、あれほどの事故にもかかわらず、「市民」としての「原発労働者」とその他の「市民」との「関係」として捉え直す〈人権〉の再考察という作業はまったく手つかずではないのか。そのことは、「原発労働者」が「市民」のなかに含まれていないことをいみじくも語っているということではなかろうか。それゆえ、日本国健保胃の〈人権〉概念は「理念」においても「改憲」が必要だと私は考えるのだが、川本謙の著作にも示されているように、そうした試みはまったく望むべくもないのである。当然ながら、そのことは、「格差社会」における「非正規労働」の問題においても、彼らは「市民」として位置づけられない「存在」となるのではなかろうか。そこには、私たちの〈人権〉はいつもそうした差別、排除された存在を組み込みながら、すなわち、そうした〈人権〉の具体的恩恵を、現実の生活においては、享受できない存在を前提として創り出されてきたということでなないだろうか。「関係」として創り出される[セカイ]を、その「衣・食・住のネットワーク」を創り出すために[動員]されてきた多くの国や地域とそこに暮らす人々を組み込みながら、いざ〈人権〉の「理念」をという時には、そうした「理念」はいつも「一個人」「一国家」を「準拠」枠としたものに「すり替えられ」てしまっているのである。しかもその「理念」には、「衣食足りて礼節を知る」「関係」を「理念」とするのではなく、「衣食足りて」の〈営為〉の[リンrん]を切り離した「礼節を知る」〈営為〉の「礼節」を「理念」として採用してきたのである。そうした描き方は、実は従来の「民主主義」を語る際においてもいつも見られてきたことではなかろうか。それは「資本主義」と「民主主義」を語る際において顕著である、と私はみている。これに関して拙稿を紹介しておきたい。資本主義と民主主義の関係は、いわば「衣食足りて」の〈営為〉と「礼節を知る〈営為〉の「関係」を語ることである。資本主義の「理念」と「現実」の〈両方〉を一方で語る論者が、民主主義に関してはその一方の「理念」のみを語り、「他方の「現実」を語らないとしたら、それはどのようなことになるのだろうか。こうした問題意識の下にまとめた論考である。(挿入)
 そうした「理念」の関係を図式で示すとき、「変質」していない以前の「理念」は、実は[Aの(この場合は、白人の)民主主義の発展→(×)Bの民主主義の発展→×Cの(この場合はインディアン)民主主義の発展]に描かれるように、極めて「不都合な」〈不適切な〉「関係」から実現される「理念」であることが理解されるのではあるまいか。そのことは、別に、「理念」が「国民国家」と結び付いたから「変質」したという問題ではないことを示しているのである。
 ところが、既に何度も論究してきたように、現実に生きる人間はいつも誰かとの「関係」のなかで生きているし、生きることができないにもかかわらず、どういうわけかこれまでのところ、普遍的とされる〈人権〉の「理念」は、そうした関係で描かれる「理念」ではなく、「個人」を、あるいは「一国」を、単位としたそれであったのである。またそこでは、「衣食足りて」と切り離された「礼節を知る」の「礼節」のみが「人権」の「理念」とされてきたのである。現実に生きている人間は、たとえそれが「個人」を単位としてであっても、何かを食べ、何かをまとい、またどこかで住まうことが当然のこととして想定されているだろう。すなわち、「衣食足りて」の〈営為〉と結び付けられない、ただの「礼節を知るの〈営為〉としての「礼節」のみを〈人権〉の「理念」とすることには、本来的にそもそもどこか奇妙というか、おかしいと言わざるを得ない。ここにも、従来の〈人権〉理念には、切り取られた、切り剥がされた「関係」とその「歴史」が存在していたのである。それゆえ、〈人権〉の理念においても、そうした「関係」を「単位」とするモデルが提示されてしかるべきなのである。それに関しては、私は既に何度も拙著や拙論で紹介してきたのだが、それに従うならば、これまでの〈人権〉の理念は、[Aの衣食足りて礼節を知る]の、「礼節を知る」の「礼節」を取りだして描かれてきたものであったこと、それゆえ、本来のAの「礼節」として描くには、BやCの「衣食足りて礼節を知る」の〈営為〉と結び付けて再構成されるべきであるということである。それは、[Aの衣食足りて→Aの礼節を知る]→[Bの衣食足りて→Bの礼節を知る]→[Cの衣食足りて→cの礼節を知る]の「関係」から成る〈人権〉の理念を想定しなければならないということであった。こうした「関係」を成り立たせるための〈人権〉理念は、先述したロックの様な白人とインディアンの関係を前提とした時には、決して望むべきものではないことは、最初から明らかなことだろう。AあるいはCの「衣食足りて」の〈営為〉の「関係」がどれほど不都合な関係であったとしても、それを正当化するAの「礼節を知る」の〈営為〉とその「礼節」として位置づけられているのだから。それゆえ、こうしたAの「礼節」は、Aのなかにいる多くの人々の不都合な「関係」をも同時に「正当化」する「礼節」として位置づけられていることは間違いないだろう。すなわち、Aの共同体においても、富裕層もいれば貧困層もいるだろう。その際、そこでの「礼節」というか〈人権〉の理念は、Aのなかの富裕層を具体的な理念の担い手として想定されているのではあるまいか。これに関しても、既に述べたことである。
 こうしたことを踏まえるとき、これまでの〈人権〉の理念は、「関係」を単位とした理念に置き換えられてしかるべきであることを、ここでも強調しておきたい。

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オニクタラムの「感じる心」は何故(6)ー4

2014-02-27 | 社会 政治

なぜ欧米的「衣食足りて礼節を知る」〈営為〉が「勝利」したのか
―フランク、ウォ-ラステイン、フクヤマ、ハンチントンとの対話を通して―

「歴史の終わり」において、H・フクヤマは〈自由主義〉〈自由民主主義〉の「勝利」を宣言したが、もしフクヤマの説を前提とするならば、なぜ勝利できたのかについて問うことは21世紀の現時点においても有意義ではなかろうか。その際、ただ単に「冷戦の崩壊」とそれに伴うソビエトを中心とする「東側」社会主義(陣営)の崩壊という観点から、そうした問題に答えるだけに関心を狭めることを慎みたい。むしろそれに代えて、フランクによる「リ・オリエント」論を念頭に置いた「アフラジア」を中心とした資本主義の興隆がなぜ「自由主義的民主主義」の台頭を「準備」する役割を演じたのかという観点から、この問いに答えていきたいと考えている。考えてみればわかるように、世界には多種多様の「生き方」があったはずであり、それゆえ、多種多様の「衣食足りて礼節を知る」〈営為〉が存在していたはずである。しかし21世紀の今日において、交際連合を構成する諸国は、まさにこう際連合憲章の下に、各国の政治外交を運営することを約束させられてしまっている。その検証に謳われている内容は、古くは「市民革命」の際に発せられた「人権宣言」に、また直近では第二次世界大戦中における「大西洋憲章」に求めることができる。それでは国際連合憲章とは、一体国連加盟国をどのような目的地に導こうとしているのだろうか。そうした目的地と、先ほど指摘した「リ・オリエント」の流れとはどのように関係しているのだろうか。
 もう少し本稿の意図について述べておきたい。フランクの「リ・オリエント」は、従来のウォ-ラステイン流の「資本主義」の位置づけ方と理解の仕方に対して、「西洋中心主義」史観として批判したのだが、それでは、「自由主義」「自由民主主義」という「政治発展」の歩みそれ自体が、私には「西洋中心主義」にほかならないとみているのだが、どのようにこうした主題に接近すれば良いのだろうか。アミンやフランクの著作を見る限り、彼らは〈民主主義〉それ自体に異議申し立てをしているように思われない。それにもかかわらず、「資本主義」の歩み、発展に関しては、「西洋中心主義」あるいはそうした見方に対して激しい批判を展開している。もしここで、資本主義やそれに関わる経済発展を「衣食足りて礼節を知る」の「礼節を知る」〈営為〉として位置づけ、「民主主義」やそれに関わる発展を「衣食足りて礼節を知る」の「礼節を知る」〈営為〉として位置づけた場合、どうしても「民主主義」という用語は、論者がどのような意図を持ち合わせていなくとも、それ自体が「西洋」〈産〉と呼ばれても仕方のないものではなかろうか。さらに、多種多様な「礼節を知る」〈営為〉が存在したにもかかわらず、先の国際連合憲章には、「自由主義」を前提、内包した「民主主義」を重要な目標として位置づけている事を観がみるとき、またアミン、フランクもそうした〈民主主義〉を受容しているのを見るとき、彼らの批判したい「西洋中心主義」とは一体どのようなものだろうか。換言すれば、ただ単に、「資本主義」は多種多様な、それこそ[リージョナル]な発展がみられたにもかかわらず、そうした歴史的事実を過小評価、あるいは無視して、あたかも「ヨーロッパ一地域」を中心にして資本主義とその発展の歩みを語っていることを批判しているのであれば、[先の〈民主主義〉に関してはいかなる批判が可能なのだろうか。そもそもその前に、なぜ彼らは「史的システム」としての〈資本主義〉にもっぱら関心を集中させるのか。なぜ「史的システム」としての〈民主主義〉を語ろうとはしないのか。
 こうした問題意識の下に、本稿はこれらの問題に私自身が答えるという形で論を展開していきたい。

「脱」原発の動きを私のモデルノアの[セカイ]と結び付けてみたとき何が見えてくるだろうか。そもそも原子力について考えるとき、それはあの[セカイ]の秩序と安定のために必要な軍事的武器として開発されたという点を確認s手おきたい。つまり原子力の軍事的利用としての原子爆弾であり核兵器であるということである。次に、その使われ方は原子力の平和利用と転換したが、ここでいう「平和」とは、あの[セカイ]の維持、安定とそのさらなる発展に他ならない。いわゆる「パックス・ブリタニカ」「パックス・アメリカーナ」の「パックス」である。それ故、原子力の「平和」的利用といくら抗弁しても、それは「軍事」的利用と相互補完的なものとして理解される必要がある。すなわち、原子力発電所と原子力発電は、あの[セカイ]の維持と安定のために、戦前は「原爆」として、戦後は「原発」として「連続」して開発され、また現実に使用され続けてきたという事実である。
 こうした観点から見るとき、「戦前」の全体主義体制」の日本と「戦後」の自由民主主義体制の「日本」と「日本人」は「原子力」の軍事的、平和的利用のもとに連続しておかれ続けていることに気が付くのである。また、日本と日本人は、そのことを身を以て戦前と戦後の「被ばく」により経験してきたといえる。
 それゆえ、もし「脱」原発が、私のモデルで描くあの[セカイ]を「脱」しようとするのでない限り、私はそもそも「脱」原発とは何を目指すものかが見えてこないのだ。
 もし「脱」原発があの[セカイ]を「脱」することであると確認できたならば、それはそれで実は大変厄介な作業を必要とすることなのだ。憲法は当然ながら「改正」しなければならなくなる。その理由は、あの[セカイ]を維持発展させるために作られた戦後憲法であるからだ。また、TPP yaWTO にも反対しなければならなくなるだろう。国連における日本の位置取りも難しくなるだろう。何よりも日米関係の見直しは必至となるのである。なぜならあの[セカイ]の親分であるアメリカの古文として仕えてきた日本が、あの[セカイ]を「脱」するというからである。
 「脱」原発と多くの人は簡単に口にしているようだが、本当に、本気でこうした提言に向き合えるのだろうか。もしそんなことは必要ない、そんなことをしなくても「脱」原発ができるという声が聞こえたなら、私は残念ながらあまり先行きに期待はできなくなる。また私の見る限り、どうも私が述べたような方向に向いていく気配は感じられない。

その関連から言えば、日本は高度経済成長期を水力、火力を中心としたエネルギー政策のもとで、あの[セカイ]のBからAへと「上昇」することに成功したが、今日の原発をエネルギー政策の中心に置く日本の経済発展の在り方は、やはり多くの日本人にとり有意義なものとは決して思われない。ひたすら「坂の下の雲」を目指さざるを得ない「段階」で選択する政策ではありえない。
 「日本」と「日本人」に今求められているのは、自分たちがどのような「レール」の上を歩いているか、その確認作業ではあるまいか。しかし残念ながら、どうもこれができないままに私たちは無駄に時を失しているといわざる得ない。少なくとも私のような「経済発展」と「民主主義の発展」の「関係史」を論究したものからすれば、多くの日本人はいまだに自分がどのような流れを渡っているかが理解できないままなのである。それがわからないままに、私たちは日米関係や日中関係あるいはその他の関係の中で生きていかざるを得ないとしたら、やはり私は危惧することがある。


 

いま私たちは日本のなかに「福島」を抱えながら、「福島原発」の「放射性物質」をめぐる論議をこの「二ヶ月間」ずっと見守り続けてきた。この「福島」を、すなわち「日本」のなかにある「福島」を、たとえば「パレスチナ」に、あるいは「イスラエルとパレスチナ」におきかえるとしたら、そのときに私たちは「福島」を見るときとは違う何かを感じるのだろうか。もしそうだとすれば、それはいかなる理由によるのだろうか。

 さらにこの「福島」を「世界の最貧国」に置き換えるならばどうなるだろうか。つまり、「日本」のなかに「世界の最貧国」が配置されているような格好となる。「日本」とそこに暮らす人々が、その国を抱え込んでいるという具合に。もちろんその際私たちは「日本」という国のなかにもう一つの国を抱えるなどできないと思うかもしれないが、それならば、すぐ日本の横にその最貧国が位置していると考えればいい。

 ここで私が問題提起したいのは、いまの「日本」と「福島」の「関係は、「日本」と「パレスチナ」(「イスラエルとパレスチナ」)の関係に、また「日本」と「最貧国」との「関係」に置き換えることが可能ではないかということだ。さらに「福島」には、「内戦、内乱に直面している世界のさまざまな国々」が置き換えられるのではないかということなのだ。

 もう少し分かりやすくいうならば、その「福島」を「ワーキング・プア」に代えて、「日本」のなかに「働いているのに何故か生活貧困線以下に位置する人々」を抱えているといえば、わかりやすいかもしれない。

これらの事例を見てわかることは、「現場」から離れるにしたがい「問題」となっていることが見えなくなってしまうということ、私たちは「本能的」に、そうした「現場」から一刻も早く出来るだけ遠くに「逃げ延びたい」と行動してきたということ、逆にいうならば、そうした「現場」がいつもこの世の中には存在しているということ、そしてそれを除去することは果てしなく不可能に近いということを「本能的」に感じて生きてきたということではないだろうか。

 私がこれまで勉強してきた「学問」は、とくに私の関わる「政治学」は、その「現場」をどのように改革、改良、変革していけばいいのかというよりは、それに「フタ」をしたままにあったように思えて仕方がないのだ。〈フタ〉をしたままで、どのように改革、改良あるいは変革できるのかを、それこそ大真面目に論議、論争してきたのだ。その理由ははっきりしているように思われる。〈学〉を語る者の多くが、そうした「現場」からほど遠いところに生きているからである。「現場」は「研究」の「対象」であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 かくいう私自身まさにその一人であったということである。私の場合はその「フタ」を開けて、「現場」の抱える問題を、私たち自身が創り出してきたのだと、「覇権システム」とその「秩序」のもとで織りなされる[経済発展]と「民主主義の発展」の「関係(史)」を描くことで、私の背負う「罪」と「責任」を「告発」し続けてきたつもりであったのだが、やはりそれはエラソウナ言い方であり、卑怯な自己弁護である。なぜなら、何も〈現場〉を変えるような、すなわち私自身を変えるような「行動」をしてこなかったからである。


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