いや、ごめんなさい。だいぶまた漢字の変換ができてなくて。少し直したんですが、まだあれば、すいませんね。
前回もまた大風呂敷を広げてしまいましたね。ホント、恥ずかしいだけですよ。先ずは、ヤマギシ会に似た活動体をつくるんだそうです、と。お前にそんなことができるのかい、いつもながら私の分身が笑っています。もう最近は相手にもしてくれません。馬鹿に付ける薬はない、まぁ、そんな感じですかね。とにかく恥ずかしいというか、やめたいんですが、バカは死んでも治らない、ようです。付言しておきますが、ヤマギシ会に似た組織というよりは、似て非なると同時に、どこかそれに似た空気というか匂いですかね、が漂ってくる、そうした「集落」を構想しています。
それでは娘の話をしますね。あの頃の娘の状態を思い出すと、私もまた悲しくなりますが、ゆっくりとお話しますね。学校を卒業した年の4月から看護士として働き始めたんですが、その勤務実態の凄まじさといいますか、しんどさですかね、私には相当ショックでした。それだけ私が世間知らずだったというか、他人事として世の中の「働く人」を見ていたんでしょうね、娘が当事者となるまでは。
断っておきますが、以下の私の話は、あくまでも私の主観でありまして、すべての看護士がそうだ、と言うつもりもありません。同じ病院内の部署(局)といいますか、例えば外科、内科、眼科、ーーーとやはり勤務状態は同じように見えても違いますしね。また病院もいろいろですし、一概に決め付けることはできませんからね。
また、ここで私が話したいというか、お伝えしたいのは、病院の誰かを責める為のものではありませんし、県の担当者がどうだということでもありません。その逆なんですよ。誰かを特定して、そこに責任を押し付けることができればいいのですが、もはやそんなことができる時代状況ではないということなんです。だから苦しむのです。私も、娘もね。確かにあるんですよ。娘が抱えた、娘自身では到底ながら引き受けられない問題が。その娘のそばにいてその苦しみをほんの少しばかり感じた父親としての私が、胸を掻(か)き毟(むし)られるように、無性に腹が立って、この怒りを誰かに叩きつけたいのだが、どうしようもない無力感。
そりゃ-ね、最初は攻撃の対象を見つけ出し、娘を守るために抗議しに行くことだけを考えていたんですよ。それこそ、県庁の関係部局から始まって、病院内の云々とね。みなさんはどうか分かりませんが、「組織」の中で私も生きているでしょう。そこで生きるということは、これはまた単に論理とか「正論」だけではどうしようもないことばかりが実際山ほどあるんですね。例えば、娘の上司に私がもし仮に、娘の問題の「解決」のために相談に行くとしますよ。「何とかしてください」と、頼みに行くとしますよ。もちろん腹の中では、(お前、なに考えているんじゃい、娘を殺すつもりか)、と煮えくり返っているんですよ。
そうこう思いめぐらしているうちに、もし私がその上司の父親だとしたら、この抗議に来る親に対してどんな思いで自分の子供を守ろうとするのか、とね。そこでもまたいろいろと理屈があるでしょう。例えば、「あなたの娘さんのしんどさはわかりますよ。これまでも自分の子供(上司)は看護士の労働時間の問題を真剣に考え、出来る範囲で取り組んできたんですよ。何度も県の担当部局に改革、改善を求めて上申していたんですよ。でも、まったくのところ埓が明かないんです。県の財政状況を考えると、簡単には答(応)えられないと〈上〉から言われ続けてますからね。」こんなやり取りが想像できるんじゃないですか。
まぁ、こんな調子で次から次にならざるを得ない。誤解の無いようにね。いくら財政状況が悪いから、財源が限られているからといってもね、それでも「融通」されるところはあるし、そんな言い訳というか理屈もおかしいというのは、私にだって分かっていますよ。いくらでも「無駄」なところに大盤振る舞い?しているしね。しかし、このムダの定義が違うんでっすね。娘が当事者となって、私の定義も変わるんですから、偉そうには言えませんよ。じゃ、何もできないのか。そうこうするうちに、また腹が立ってくる。そのうちまた同じことの繰り返し。
こんな私はいつしか魯迅の『阿Q正伝』の阿Qのように、自分の心の葛藤といいますか、憤懣やる方ないといいますか、とにかく自分を納得させるというよりも、自分の心をごまかしてでも落ち着かせる理屈を考えるしか、どうしようもなかったんですね。こんな私ができることといったら、娘が通勤で使う原付バイクを磨いてやること、その際私の呪文というか魔法の言葉をバイクに伝える(「どうか今日も無事に往き帰りができるように守っておくれ」と念じる)こと、朝方の2時から3時に帰るときは湯を沸して待ちながら、玄関の鍵を開けて「お疲れさん」と言ってから寝ること、こんなことでお茶を濁すしかありませんでした。
娘もそうですが、作業療法士の長女からも、また看護士をしている次女からも多くのことを学びました。同時に私と同じ、それ以上の悩みを抱えている親たちの苦悩にも、これまで以上に思いを馳せるようになりました。娘は、みなさんね、県の公務員ですからね、たとえ勤務状態がどうのと言いましても、まだ恵まれているのは確かですよ。誤解の無いようにね。「恵まれている」かどうかを、私は問題にしているのじゃありませんよ。今の時代の可笑しさというか、愚かしさは、「仕事があるだけでもいいじゃないか」とそんな風に考える者たちが多いんですよ。そのくせ彼らは、原発作業員になりたがりません。当然でしょう。私もそうですよ。それなら、仕事があればいいという次元の話ではないでしょう。
ただ残念というか、そこからさらに落ち込んだのは、こうした働く現場の個々人の抱える問題が、同じ職場の仲間同士の問題として共有するのが難しい時代環境にあるということも、痛感した次第です。それなのに不思議でしょう、「同じ日本人なんだから」、「今こそ一つになって」の大合唱ですよ。原発労働者の労働環境の問題を、「同じ日本人として」、「ガンバロー・日本」の輪の中に含めて大事に考えようとはしないんですよ。多分、そんな日本人が「強い日本を取り戻す」と叫ぶんじゃないですか。
いずれにしても、どうしても個人の、自己責任の問題として済まされてしまうんですね。唐突ですが、私のモデルを思い出してくださいね。こうした傾向は、私は昔もあまり変わらなかったと思いますが、それでも「1億総中流」と呼ばれた時代には、たとえそれがオーバーな見方であっても、生活するのが可能な仕事はたくさんあったんですよ。ところがもうそれは期待できませんから、自己責任なんて言われても、どうすればいいんだとなりますよ、普通に働こうと意欲と能力のある者でもね。
結局のところ、娘や同世代の若者が背負わなければならない問題は、誰かが真剣に考える、引き受けてやらなければならないはずの問題なのに、誰もその責任を引き受けようとはしません。上でもお話しましたように、私は誰かを責めるつもりは毛頭ありません。誰も責められないということなんですね、実際は。誰にも責任を背負わせることは本当はできないんだということですね。
ところがですよ。例えば娘が何か勤務中に「ミス」をしたとして、しかもその理由の一つに長時間労働とそれに伴う肉体的、精神的過労というかストレスや不安定が容易に考えられるとしても、また、それゆえそれは組織上の責任として考えられるとしても、いつもその多くの責任を現場の者が取らされてしまうんじゃありませんか。本来ならば、その責任は別の誰かが当然引き受けてもおかしくないはずなのに、いつもそれはスルリとすり抜けられる、すり替えられてしまうということですね。全くその後の事態の改善は見られないままですよ。長距離バスの運転手による事故がよく話題になりますが、この場合も、家族の抱える悩みは尽きないでしょう。どれだけの人が運転手たちの抱え続ける問題を我が事の問題として、思いを寄せられるか。
まさに現在は私たちの生きる環境は「戦場」なんですね。イジメが原因で自殺する学生にとっては、学校は戦場なんですよ。その意味ではいじめという言葉は不適切ですね。例えて言えば実弾が飛び交っているんですからね。流れ弾に当たることだってあるでしょう。こう考えれば、私たちも似たような戦場にいるのかもしれませんね。この私の話がオーバーに聞こえたら、その人は幸せな人だというしかありませんし、どうぞ末永くお幸せに、ただそれだけですよ。戦場もまさに千差万別ですね。一度も弾の飛んでこないところもあれば、常に放射性物質を扱い続けて死の危険に直面し続けている戦場だってある。
もし、私たちの社会が「戦場」であるとして、またそこで生き続けなきゃならないとしたら、誰しも考えるのは、少しでも傷つかないところ、死なないところでしょうね。リーダーたる資格がある者は、本来は、自ら率先していちばん死ぬ確立の高い最前線に位置しなければならないはずでしょう。だからそうしたリーダーになるのは誰しも敬遠するでしょう。いくら命があっても足らないですからね。プラトンの『ソクラテスの弁明』の中でソクラテスがそれに関する事柄について語っていますが、まさにその通りだと思うんですよ。もちろん、いつも現実はこの逆なんですけどね。(続)
前回もまた大風呂敷を広げてしまいましたね。ホント、恥ずかしいだけですよ。先ずは、ヤマギシ会に似た活動体をつくるんだそうです、と。お前にそんなことができるのかい、いつもながら私の分身が笑っています。もう最近は相手にもしてくれません。馬鹿に付ける薬はない、まぁ、そんな感じですかね。とにかく恥ずかしいというか、やめたいんですが、バカは死んでも治らない、ようです。付言しておきますが、ヤマギシ会に似た組織というよりは、似て非なると同時に、どこかそれに似た空気というか匂いですかね、が漂ってくる、そうした「集落」を構想しています。
それでは娘の話をしますね。あの頃の娘の状態を思い出すと、私もまた悲しくなりますが、ゆっくりとお話しますね。学校を卒業した年の4月から看護士として働き始めたんですが、その勤務実態の凄まじさといいますか、しんどさですかね、私には相当ショックでした。それだけ私が世間知らずだったというか、他人事として世の中の「働く人」を見ていたんでしょうね、娘が当事者となるまでは。
断っておきますが、以下の私の話は、あくまでも私の主観でありまして、すべての看護士がそうだ、と言うつもりもありません。同じ病院内の部署(局)といいますか、例えば外科、内科、眼科、ーーーとやはり勤務状態は同じように見えても違いますしね。また病院もいろいろですし、一概に決め付けることはできませんからね。
また、ここで私が話したいというか、お伝えしたいのは、病院の誰かを責める為のものではありませんし、県の担当者がどうだということでもありません。その逆なんですよ。誰かを特定して、そこに責任を押し付けることができればいいのですが、もはやそんなことができる時代状況ではないということなんです。だから苦しむのです。私も、娘もね。確かにあるんですよ。娘が抱えた、娘自身では到底ながら引き受けられない問題が。その娘のそばにいてその苦しみをほんの少しばかり感じた父親としての私が、胸を掻(か)き毟(むし)られるように、無性に腹が立って、この怒りを誰かに叩きつけたいのだが、どうしようもない無力感。
そりゃ-ね、最初は攻撃の対象を見つけ出し、娘を守るために抗議しに行くことだけを考えていたんですよ。それこそ、県庁の関係部局から始まって、病院内の云々とね。みなさんはどうか分かりませんが、「組織」の中で私も生きているでしょう。そこで生きるということは、これはまた単に論理とか「正論」だけではどうしようもないことばかりが実際山ほどあるんですね。例えば、娘の上司に私がもし仮に、娘の問題の「解決」のために相談に行くとしますよ。「何とかしてください」と、頼みに行くとしますよ。もちろん腹の中では、(お前、なに考えているんじゃい、娘を殺すつもりか)、と煮えくり返っているんですよ。
そうこう思いめぐらしているうちに、もし私がその上司の父親だとしたら、この抗議に来る親に対してどんな思いで自分の子供を守ろうとするのか、とね。そこでもまたいろいろと理屈があるでしょう。例えば、「あなたの娘さんのしんどさはわかりますよ。これまでも自分の子供(上司)は看護士の労働時間の問題を真剣に考え、出来る範囲で取り組んできたんですよ。何度も県の担当部局に改革、改善を求めて上申していたんですよ。でも、まったくのところ埓が明かないんです。県の財政状況を考えると、簡単には答(応)えられないと〈上〉から言われ続けてますからね。」こんなやり取りが想像できるんじゃないですか。
まぁ、こんな調子で次から次にならざるを得ない。誤解の無いようにね。いくら財政状況が悪いから、財源が限られているからといってもね、それでも「融通」されるところはあるし、そんな言い訳というか理屈もおかしいというのは、私にだって分かっていますよ。いくらでも「無駄」なところに大盤振る舞い?しているしね。しかし、このムダの定義が違うんでっすね。娘が当事者となって、私の定義も変わるんですから、偉そうには言えませんよ。じゃ、何もできないのか。そうこうするうちに、また腹が立ってくる。そのうちまた同じことの繰り返し。
こんな私はいつしか魯迅の『阿Q正伝』の阿Qのように、自分の心の葛藤といいますか、憤懣やる方ないといいますか、とにかく自分を納得させるというよりも、自分の心をごまかしてでも落ち着かせる理屈を考えるしか、どうしようもなかったんですね。こんな私ができることといったら、娘が通勤で使う原付バイクを磨いてやること、その際私の呪文というか魔法の言葉をバイクに伝える(「どうか今日も無事に往き帰りができるように守っておくれ」と念じる)こと、朝方の2時から3時に帰るときは湯を沸して待ちながら、玄関の鍵を開けて「お疲れさん」と言ってから寝ること、こんなことでお茶を濁すしかありませんでした。
娘もそうですが、作業療法士の長女からも、また看護士をしている次女からも多くのことを学びました。同時に私と同じ、それ以上の悩みを抱えている親たちの苦悩にも、これまで以上に思いを馳せるようになりました。娘は、みなさんね、県の公務員ですからね、たとえ勤務状態がどうのと言いましても、まだ恵まれているのは確かですよ。誤解の無いようにね。「恵まれている」かどうかを、私は問題にしているのじゃありませんよ。今の時代の可笑しさというか、愚かしさは、「仕事があるだけでもいいじゃないか」とそんな風に考える者たちが多いんですよ。そのくせ彼らは、原発作業員になりたがりません。当然でしょう。私もそうですよ。それなら、仕事があればいいという次元の話ではないでしょう。
ただ残念というか、そこからさらに落ち込んだのは、こうした働く現場の個々人の抱える問題が、同じ職場の仲間同士の問題として共有するのが難しい時代環境にあるということも、痛感した次第です。それなのに不思議でしょう、「同じ日本人なんだから」、「今こそ一つになって」の大合唱ですよ。原発労働者の労働環境の問題を、「同じ日本人として」、「ガンバロー・日本」の輪の中に含めて大事に考えようとはしないんですよ。多分、そんな日本人が「強い日本を取り戻す」と叫ぶんじゃないですか。
いずれにしても、どうしても個人の、自己責任の問題として済まされてしまうんですね。唐突ですが、私のモデルを思い出してくださいね。こうした傾向は、私は昔もあまり変わらなかったと思いますが、それでも「1億総中流」と呼ばれた時代には、たとえそれがオーバーな見方であっても、生活するのが可能な仕事はたくさんあったんですよ。ところがもうそれは期待できませんから、自己責任なんて言われても、どうすればいいんだとなりますよ、普通に働こうと意欲と能力のある者でもね。
結局のところ、娘や同世代の若者が背負わなければならない問題は、誰かが真剣に考える、引き受けてやらなければならないはずの問題なのに、誰もその責任を引き受けようとはしません。上でもお話しましたように、私は誰かを責めるつもりは毛頭ありません。誰も責められないということなんですね、実際は。誰にも責任を背負わせることは本当はできないんだということですね。
ところがですよ。例えば娘が何か勤務中に「ミス」をしたとして、しかもその理由の一つに長時間労働とそれに伴う肉体的、精神的過労というかストレスや不安定が容易に考えられるとしても、また、それゆえそれは組織上の責任として考えられるとしても、いつもその多くの責任を現場の者が取らされてしまうんじゃありませんか。本来ならば、その責任は別の誰かが当然引き受けてもおかしくないはずなのに、いつもそれはスルリとすり抜けられる、すり替えられてしまうということですね。全くその後の事態の改善は見られないままですよ。長距離バスの運転手による事故がよく話題になりますが、この場合も、家族の抱える悩みは尽きないでしょう。どれだけの人が運転手たちの抱え続ける問題を我が事の問題として、思いを寄せられるか。
まさに現在は私たちの生きる環境は「戦場」なんですね。イジメが原因で自殺する学生にとっては、学校は戦場なんですよ。その意味ではいじめという言葉は不適切ですね。例えて言えば実弾が飛び交っているんですからね。流れ弾に当たることだってあるでしょう。こう考えれば、私たちも似たような戦場にいるのかもしれませんね。この私の話がオーバーに聞こえたら、その人は幸せな人だというしかありませんし、どうぞ末永くお幸せに、ただそれだけですよ。戦場もまさに千差万別ですね。一度も弾の飛んでこないところもあれば、常に放射性物質を扱い続けて死の危険に直面し続けている戦場だってある。
もし、私たちの社会が「戦場」であるとして、またそこで生き続けなきゃならないとしたら、誰しも考えるのは、少しでも傷つかないところ、死なないところでしょうね。リーダーたる資格がある者は、本来は、自ら率先していちばん死ぬ確立の高い最前線に位置しなければならないはずでしょう。だからそうしたリーダーになるのは誰しも敬遠するでしょう。いくら命があっても足らないですからね。プラトンの『ソクラテスの弁明』の中でソクラテスがそれに関する事柄について語っていますが、まさにその通りだと思うんですよ。もちろん、いつも現実はこの逆なんですけどね。(続)
といっても5つくらいしか読んでませんが・・・。
頭が悪いので詳しいことはわかりませんが、
やっぱり先生が闘っているのはわかりました!
また、日本に戻ってきたら、先生の憂う現状を教えてください!