日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

いま世界で起きていることー「システム」の歩みとその「関係」から見るときー

2018-12-12 | 社会 政治

いま世界で起きていることー「システム」の歩みとその「関係」から見るときー

ごく簡単に述べると、1970年代まではAとC,BとCの関係の深化から、「金の成る木」としてのシステム{[A]→(×)[B]→×[C]}(省略形、共時態モデル)の関係が発展、安定して強固になる歩みであった。

AとCと、BとCの関係はより強い「私」がより弱い「私」を差別、排除する関係を構築する過程であり、同様にまたBとCの関係もそうであった。それは現実には収奪する形として、植民地主義とか帝国主義として描かれてきた。

具体的には、英米仏の欧米自由民主主義体制グループによるCのアジア、中東・アフリカ、ラテンアメリカ諸国に対する「侵略」と、そこに暮らす人々の富の収奪であった。これらの関係は、国家と国家、また国民と国民の関係として描かれるが、同時に「公」と「私」の関係としても描くことは可能である。

「公」と「私」の関係は、つまり「国家」と「国民」、「公権力」と「私的権力」の関係として描ける。そこから、結局のところ、「私」と「私」の関係として描くことができるのである。その意味で、上述の「私」は位置づけられている。

またBとCの関係では、Bの全体主義体制グループとして教えられてきたドイツ、イタリア、(旧)ソ連、そして日本の諸国が先のCに対する侵略とそれに伴う富の収奪という関係である。

このAとBグループは19世紀末の帝国主義戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦、そして戦後の冷戦、そこには朝鮮戦争、ベトナム戦争が含まれるが、かなり長期に及ぶ戦争を介しながら、A、B、Cの「金の成る木」である一つのシステムの関係を維持、発展させながら、システムを強固にしてきたのだ。

それが何のためであったのかに関しては、拙論を参照されたい。またこれまでのブログの記事でも少しは述べてきたつもりである。せん無いことを言えば、勿論お金のためである。

さて、ここまでのくだりを踏まえた上で、1970年代以降から今日に至るシステムの歩みとその関係を考えるならば、おそらくおおよそのことに気が付くのではあるまいか。すなわち、かつてのAとCの関係がBとAの関係に、またBとCの関係がCとAの関係にそれぞれ置き換わっている。そして、AとBがCの富を収奪する関係が、今度はBとCがAの富を収奪する、別言すれば、これまでAが享受してきた、手にできていた豊かさがBとCの「侵略」によって収奪されているのだ。

それはまたBとCの「私」によるAの「私」の富の収奪を意味している。Aのヨーロッパ諸国へのCの中東・アフリカ諸国からの移民や難民の流入により、かつての福祉国家スウェーデンの無残な姿はそうした侵略の一つの例だ。

ここで急いで付言しておきたい。欧米先進国の豊かさは非欧米諸国からの難民や移民によって奪われたのではない。それはあくまでも表面的なことだ。あくまでもそれは進行中の動き、すなわちシステムの再編、転換から派生した結果に過ぎない。

欧米先進国の富や豊かさを収奪したのは、彼らの富や豊かさを手にしてきた方法や仕方それ自体に原因があるのだ。これについてはすでに拙論で詳しく述べている。ここではこれ以上述べない。

米国のトランプやヨーロッパ諸国での擬似トランプ政治家や「右翼勢力」の台頭は、こうした侵略に対する防衛として描かれよう。また米中貿易戦争として盛んに喧伝されている米中間の争いは、東シナ海や南シナ海の軍事的一触即発状態とともに、そうしたBとCのAに対する侵略に伴う形で生じたものと解釈できよう。

ここで重要なのは、それにもかかわらず、今日私たちの耳目を集めている様々な形で展開されている内紛や、内乱、衝突、あるいは戦争といった「出来事」は、ここにはまた直近の「ゴーン問題」や「ファーウェイ問題」も含まれるが、{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態モデル)のシステムの歩みとその関係を破壊し、崩壊させるのではなく、むしろ逆に、そうした関係とその歩みを維持、発展させ、さらに強化していくのに手を貸しているという点である。

正確に言えば、先のシステムの歩みがそうした出来事をつくり出すのである。1972年のニクソン訪中を導き出したシステムは、米中覇権連合の発展と維持、そしてその強化に動くのだ。ここには70年代までのシステムが「金の成る木」としての役割を終えたことが大きく与っていた。

誤解を恐れないで言えば、米中覇権連合の形成と発展、そしてその更なる展開は、{[B]→(×)[C]→×[A]}のそれと「表裏一体」の関係にあるのだ。

なぜシステムは70年代以降に米中覇権連合を必要としたのか。それはさきのB、C、Aの関係とその歩みを形成、発展させ、そして強固なものにするためであった。システムの発展と維持、そしてさらにそれが強固となるために、システムはいつもある種の争いを必要不可欠とするのだ。「金の成る木」としてのシステムの「しゅくあ」なのだ。

いわゆる「金の成る木」としてのシステムの高度化のために、換言すれば、「金の成る木」としてのシステムの働き(機能)を最高レベルに引き上げるために、覇権連合が必要となる。それゆえ、米中覇権連合が強固になることは、米中間の争いがなくなることを意味しないのだ。むしろ逆に見える時期というか「段階」があるのだ。

私たちが冷静に見定めなければならないのは、米中間の争いが、B、C、Aのシステムの歩みとその関係を弱体化、崩壊に導くものなのかどうかである。私が見るに、ますますシステムの歩みとその関係を強化させている。その意味ではシステムの歩みに私たちはいつも翻弄させられ、踊らされているのだ。

日本の防衛費の増大の理由を、システムが与えてやったのだ。それは中国に対しても、米国に対しても、そうなのだ。そうすることで、システムはお金を生み、またそのお金がシステムの栄養源となる。

システムは、たとえ米中間で戦争が起きても、そのために多数のシステム人が犠牲となっても、システムの歩みとその関係に危害を加えられない限り、まったく痛くもかゆくもないのだ。むしろシステムの存続のためには、システムに害のない戦争ならば米中戦争も大歓迎なのだ。

愚かな、愚かしいことを、システムは私たちにさせる。その私たちはと言えば、そんなシステムが提供するほとんどがすぐに忘れてしまうどうでもいいような「国際・国内情勢」の話に一喜一憂させられるままにおかれている。

それにしてもなのだ。ここ最近の連日のように見聞きする世界情勢や日本に関する報道には辟易するだけだ。

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