日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

「在沖米軍基地」移転の賛否を問う「沖縄県民投票」を巡るマスコミ報道から零(こぼ)れ落ちた「問題」を、「システム」とその関係の歩みから考えるとき

2019-02-28 | 社会 政治
「在沖米軍基地」移転の賛否を問う「沖縄県民投票」を巡るマスコミ報道から零(こぼ)れ落ちた「問題」を、「システム」とその関係の歩みから考えるとき

今回も前回からの記事の続きを書くつもりでいたが、そうした記事を紹介する前に、やはり沖縄米軍基地の普天間から辺野古への基地移転の是非を巡る「沖縄県民投票」に関して、システムの自己完結モデルに依拠しながら、少し言及しておきたい。

最初に断っておくが、沖縄の県民投票を受けて、日本政府や日本国民がどのような関わり方をするべきか、あるいは沖縄の民主主義を黙殺してはならない、日本の民主主義の真価が今こそ問われているのだ、沖縄の抱える問題に背を向けてはならない云々の議論に直接ここでは向き合わない。正直に言えば、向き合えないのだ。私には日本政府や米国政府と刺し違えても最後まで取り組むとの覚悟がない。上述の議論は巡り巡ってそこまで、私たちを導くだろう。つまり日本政府とその後ろに控えている米国政府との「戦争」を覚悟しなければならなくなるからだ。

しかしながら、急いで付言すれば、そうした戦争は、果たして日本政府や米国政府だけに限られたものなのか。米軍を追い出しても(もっとも、それさえもはるかに実現困難なことだが)、次にまた別の国の軍隊が日本や沖縄を占拠、占領する可能性を、今の時点でもって、すべて否定しさるのはできないだろう。先の「民主主義」に関わる議論には、初めからこうした覇権システム内における「力」と「力」のぶつかり合いを前提とした「親分ー子分」関係に見る帝国主義にともなう基本的問題が組み込まれていないのだが、それは一体どうしてなのか。そこには、民主主義と帝国主義の親和的な相矛盾しない相互に補完する関係とそれが抱えてきた問題を、議論の最初から視野の外においている、おこうとしている、そうした態度それ自体にも気づかないのは、誠に残念としか言いようがないのである。

こうした議論の在り方と同様に、以下に紹介する議論についても、ここでは関われないことを断っておく。すなわち、在沖米軍基地のある沖縄は地政学的観点からも軍事的要衝であり、いわゆる「冷戦の終焉」以降の世界情勢も、世界の平和と安定において、いまだに予断を許さない一触触発の緊迫した局面にある。朝鮮半島の情勢も、韓国と北朝鮮の両国間には緊張と緩和の流れが交互に継続しており、そこに今の日韓関係の悪化や北朝鮮による日本人拉致問題や核開発疑惑問題が重なる中で、さらには中国の軍事力の増強、増大と東シナ海の尖閣諸島の領有権問題を巡る中国側からのあからさまの、力づくの対応を見るにつけ、これまで同様に、いやそれ以上に、米軍による日本プレゼンスは、アジアの平和と安定の確保において、また「日本」と「日本人」の安全保障の実現において、無くてはならない存在なのだ。それゆえ、日米安保体制の存続とその同盟強化は日米関係において必要不可欠であることから、日本国内はもとより、在沖米軍基地の重要性も論を待たない。ただし、沖縄に集中する基地問題を解決するためにも、まずは普天間辺野古への基地移転は避けられないものとなってくる。沖縄の「民意」を逆なでするのではない。日本の防衛問題と沖縄における基地負担の軽減問題を共に視野の内に入れながら、今後も日本政府は米国政府との協力関係を維持発展させていく云々の議論である。

この議論の前提がそもそも怪しいのだ。今後も米国の軍事力が中国のそれを牽制、制御できるかのような前提に立っている。何よりも、歴代の覇権国の興亡史を的確に分析、整理した作業が何ら提示されていない。もし米国と中国の間に、米中安保同盟が締結されたならば、これまで何十年も当然のこととしてきた基地容認論者にみる先の議論とその前提が一瞬にして崩れ去ってしまうだろう。驚くべきは、「日本」と「日本人」を取り巻く国際関係におけるこうした未来図を、日本政府とその関係者が今後起こりうる重大事態の一つとして、何ら考慮しないままに、真面目に日本外交を論じてきたことである。これほど笑止千万な話はあるまい。

こうした点を踏まえながら、以下に私の持論を展開していこう。これもまた拙著や拙稿で論及してきた内容ではあるが、今一度ここで論じ直しておきたい。


 1970年代までのシステムの歩み
①{[A]→(×)[B]→×[C]}
(このモデルは何度も断っているように、省略形の共時的モデルである。)

この時期の在沖米軍基地の存在目的は、上記のA、B、Cのシステムとその関係の歩みを擁護するためである。とくにシステムの高度化を実現する上で、覇権システムの維持と安定は不可欠の前提となる。その意味では、日本や米国を、また沖縄を守るためではないことをまずは確認しておきたい。在沖米軍基地の存在は、それ自体が覇権システムを強化し、強固にするのに与っている。そしてそのことが70年代以前のシステムの高度化の実現に導くと同時に、70年代以降のシステムとその関係の歩みを準備しながら、その形成と発展を促すのである。

 1970年代以降のモデル

②{[B]→(×)[C]→×[A]]
(このモデルは何度も断っているように、省略形の共時的モデルである。)

この時期の在沖米軍基地の存続目的は、70年代以前のそれとは異なり、70年代以降のB、C、Aの関係から構成されるシステムとその関係の歩みを防衛するためである。ここでも日本や米国を守るためのものではないし、ましてや沖縄でもない。こうした点をまずは確認しておかねばならない。70年代以前の時期と同様に、ここでも付言すれば、在沖米軍基地の存在は、それ自体が覇権システムを強化し、強固にするのに与っている。

それゆえ、70年代以降のシステムとその関係の歩みを防衛するということは、何よりもBグループの先頭に位置する中国を防衛しているということだ。次期覇権国として台頭する中国を念頭に置けば、もはや在沖米軍基地の役割も、あと数十年年で、少なくとも朝鮮半島の統一の実現が確実になるころには、米軍の存在意義はかなり低下するであろう。今後は在沖中国軍基地化の様相を帯びてくる可能性が高くなるのではあるまいか。その関連で言えば、覇権システムにおいて、第9条では国民を守れないのは確かであり、それは単なるお飾りでしかないことを踏まえて、あえて言うならば、次期覇権国として台頭する国のすぐ横で、9条を見直して改憲すべきだとか、米国の力の存在をあてにした集団的自衛権の行使を高らかに叫ぶよりは、たとえどうすることもできない第9条をお飾りとして掲げる方が、日本の安全を考える際に、まだ少しはましな方策ではないか、と自虐的に私は見ている。とにかく、どちらの選択肢も満足のいくものではないのは確かなことだ。

それでは、もう一度ここで覇権システムに関する重要な問題を述べておきたい。モデルで描く外側の{ }の記号は覇権システムを表している。このモデルからわかることは、覇権システムの力でもって、A、B、Cにおける、あるいはB、C、Aにおける軍事力の衝突を介した力の暴発・暴走を抑え込んでいるのである。換言すれば、その暴発あるいは暴走が覇権システムの抑止・制御する力を凌駕した時に、覇権システムはその存在意義を失うこととなり、その瞬間に、システムとその関係の歩みは瓦解・頓挫せざるを得なくなる。

しかしながら、これまでの覇権システムの歴史を見る限り、いまだにそうした事態は生じたことがない。たとえA、B、C内で、軍事的爆発、暴走が生起したとしても、例えば世界大戦における場合を引き合いに出してみても分かるように、これまでの歴史が物語るのは、覇権システムの抑圧、抑止する力が結局のところは、優越、優位してきたことである。そこには、歴代の覇権国間において、覇権のバトンの引き渡し、引き継ぎにおいて現覇権国と次期覇権国との間にある種の「了解事項」が存在している、と私はこれまでの拙論で紹介してきた。

こうした観点から、70年代以前の在沖米軍基地と70年代以降の、とくに2030年前後以降の在沖中軍基地の可能性を推察するのである。もっともその「基地(化)」の在り様は米国のそれとは異なるであろう。最初は、中国軍艦や空母、潜水艦の寄港地としての基地提供から始まるだろう。

こうした「最悪の事態」を避けるためにも、だから在沖米軍基地は、日米安保体制は必要だとの声が聞こえてきそうだが、果たしてそうだろうか。日本は20世紀初頭に、日英同盟を結んでいた。その当時の英国は覇権国としての地位を失いかけてはいたが、なおそれでも覇権国として君臨していた。ところが1923年になると、次期覇権国として台頭し始めた米国からの「要請」で、日英同盟は破棄される(失効する)に至った。私には、こうした日英と英米間の関係が、今また日米と米中間で展開されているかのように思われるのだ。すぐ上で「最悪の事態」と述べたが、正確には、その始まりに過ぎない。

日英同盟の破棄によって、米国は日本と戦争しやすいチャンスを手に入れることができた。紆余曲折はあったものの、日米は衝突し、日本の敗北を見た。その敗北は、70年代以前までのシステムとその関係の歩みを強化し、システムの高度化に寄与した。同じように、今また、日米安保体制という日米同盟が破棄されたならば、中国は日本と戦争しやすいチャンスを得ることとなる。仮に日本が敗北して中国の勝利となれば、それは70年代以降のシステムとその関係の歩みを強化し、システムの高度化に寄与するであろう。中国は日本とのこの先の戦争を自覚し、その準備を着々と進めている。

そのために、東シナ海での尖閣諸島をめぐる「攻防」で日本の出方をうかがっているのは確かだろう。そこから、日米同盟が破棄された場合には、中国はあの手この手で日本に対して揺さぶりをかけてくるだろうが、その一つが先の寄港地を日本に呑ませる動きに出るのではあるまいか。今の日韓問題をめぐる日本政府や日本人の対応を見る限りでは、日本と中国の関係も相当にぎくしゃくしたものとなるのは必至であろう。そこを中国は、そして米国も狙ってくるに違いない。おそらく朝鮮半島の統一を巡る動きが加速するにつれて、「日本」と「日本人」はますます危うい局面に立たされることになる。システムの高度化にはやはり戦争が必要不可欠となることから、米中覇権連合を推進する勢力はその好機を狙っている。

こうした脈略からもう少し言及するならば、在沖米軍基地から米軍の撤退にともなう「力の空白」状況・状態が生まれることが予想される。その際、米中覇権連合の推進勢力は、したたかな計算のもとで、そうした空白状況・状態を引き起こすに違いない。その勢力の中には、第二次世界大戦中の日米戦争時に見られたように、「日本人」の協力者が必ず存在しているだろう。戦後の米国占領期から以降、GHQや米国政府に協力した「日本人」は戦時期の日本側における協力者であったが、今後予想される日中戦争後の「日本」と「日本人」を指導する中国政府への日本人協力者も、そうした戦時期の日本側における協力者であろう。その時になって、本来の意味における「売国奴」の正体がわかるだろう。その多くは現在の安倍政権や日米同盟に反対する人々である可能性が高い、と私は見ている。しかし、もうその時には、売国奴云々の議論もできなくなっているに違いない。

いずれにせよ、「日本」と「日本人」には、面白くも可笑しくもない話ではあるが、私はすぐ上で述べたシナリオ実現の蓋然性の高いことを予期している。もし私の見通したように事態が進行していくならば、もうその時にはなすすべもないこととなるのは必至である。私たちは、在沖米軍基地問題を、もっぱら沖縄の民主主義とか日本の民主主義という次元から、また対米国問題といった次元を念頭に置いて論じているように、決して「三つ」の下位システム、すなわち、覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムから成る「一つ」のシステムとその関係の歩みにおける転換、変容といった次元を視野の内に含んだ論議を行ってこなかったのではあるまいか。システムとその関係の歩みからすれば、「日本」と「日本人」のあまりにも米国一辺倒に、また日本の沖縄の民主主義問題に傾斜した論の流れは、言うまでもなく好都合なのだ。私たちの議論はほとんどが「内向き」のそれであり、日本を取り巻く、外からの、外側に位置した相手側に立った議論とはなっていないのだ。あまりにもお人好しな、独りよがりな話に終始してきただけだと述べるのは、言い過ぎなのであろうか。

逆に言えば、普通の日本人には厄介極まりない深刻な事態となる。そうした事態を少しも想像していないかのような、先の「沖縄の県民投票とその結果」報道の中で、私たちは今一番、肝心な問題に向き合わないままでいるのだが、暗愚な首相を擁く愚鈍な国民だからではとても済まされないことである、と私は言わざるを得ないのだ。

それではどうしてこのような「内向き」の議論に終始するのか。そうした背景を探りながらさらに以下に論を進めていきたい。この問題の考察は、前回までのブログ記事の内容と密接に関連してくるのである。

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(追加・修正版)中東、アジア、アフリカ諸地域からの「難民」や「移民」は「弱者」なのか。先進諸地域に暮らす人々は「強者」なのか

2019-02-22 | 社会 政治
中東、アジア、アフリカ諸地域からの「難民」や「移民」は「弱者」なのか。先進諸地域に暮らす人々は「強者」なのかー1970年代以前のグローバリズムと70年代以降のグローバリズムにみる「強い側」と「弱い側」の位置づけ方と理解の仕方が同じでないのはどうしてなのか

(誤解を恐れないために、ここであらかじめ断っておくが、これまでの記事と同様に、以下で述べている、「日本人」、「中国人」、「イギリス人」、「フランス人」、「アジア、中東やアフリカ地域の人々(難民や移民を含む)」は、すべて「システム人」としての彼らを意味している。)

前回のブログ記事の内容を、今回はまた少し異なる観点から論じてみたい。行論の都合上、システムの歩みに関する転換・変容モデルを基に最初に要点を述べておきたい。

 1970年代までのシステムの歩み
①{[A]→(×)[B]→×[C]}
(このモデルは何度も断っているように、省略形の共時的モデルである。)

 1970年代以降のモデル

②{[B]→(×)[C]→×[A]]
(このモデルは何度も断っているように、省略形の共時的モデルである。)

①におけるっ関係を見る私たちの目は、AのまたBのより「強い立場」に位置する強者のグループが、Cのより「弱い立場」に位置する弱者のグループを差別し排除する関係にあると位置付け理解しいるのに対して、②においては、本来ならば、①と同じく、②における関係を見る私たちの目は、BのまたCのより「強い立場」に位置する強者のグループが、Aのより「弱い立場」に位置する「弱者」グループを差別し排除する関係にあると位置付け理解するのに代えて、70年代以降の世界においても、相も変わらずなお①の関係が継続しているかのように、Aをより強い側に位置する強者グループとして、またBやCをより弱い弱者グループに位置付け理解しているのではあるまいか。

それはなぜなのか。理由は簡単だ。私たちの多くがなお、70年代以降の世界を、②のモデルで描かれるシステムの歩みとして理解できないままにあるからである。卑近な例を挙げれば、私から見れば不思議なことだが、今日においてもなお日本の方が中国よりも「強い」、進んでいるかのようにみている若者がいることだ。年寄りはなおさらだが。もうすでに日本はアジアの中心に位置した主人公の地位を降りて久しいのだ。アジアの中心はもとより、世界の中心に位置などしていないのだ。それゆえ、①から②へと私たちの世界が転換、変容していることを十分に皮膚感覚でとらえられないままに置かれているとしても、何ら不思議なことではなかろう。

もう取り返しのつかない誤った判断の下に日本の外交・軍事は進められてしまったことは言うまでもないのだが、社会科学に与る研究者の罪はーーーというしか他にない。しかし、彼らも霞を食って生きられないから、(システムとその関係の歩みに対しては)「忖度」しながら文章を書かなければならない。哀れを通り越して同情するばかりだが、「右翼」とか「左翼」系云々を冠した「御用学者」たちの著作はもう何年もしないうちに紙切れ以下のものとなるだろう。そんなことはどうでもいいのだが、「日本」と「日本人」が跡形もなくこの世から消えてしまうことだけは避けたいものだ。しかしこのままだと、それも十分起こりうる話ではなかろうか。いや、もう既に取り戻せない、後戻りできないところまで、私たちは踏み込んでしまっている。来てしまっている。

気が付くと、いつの間にか少し横道に論の流れがそれてしまった。元に戻そう。

それゆえ、アジア、中東やアフリカ諸地域からの移民や難民を。弱い立場に置かれた弱者グループの一員とみなし、彼らの「テロ」活動とその原因を、その多くを、貧困や貧しい環境を前提とした分析に終始する傾向がある。かつての先進諸国グループも、例えば日本もフランスも、アメリカもイギリスもそうだが、自分たちの貧困や貧しい環境状態を直視したならば、フランスにおけるテロ活動の分析にも端的にみられるように、相当に奇妙な、おかしな関係の理解となっているのではあるまいか。今回の記事では、そうした問題意識をもって、論の展開を試みている。


前回の記事では、「グローバリズム」として語られている出来事を、私のモデルで描くシステムとその関係史から位置づけなおすとき、今日的現象として語られているグローバリズムやグローバリゼーション現象は、何も最近特に引き起こされたのではなく、ずっと以前においても同じような動きが存在していたことを私は論じた。たとえば、1970年代以前においては、Cに位置した諸地位とそこに暮らす人々は、AやBからのヒト・モノ・カネの大移動(大流入)によって、植民地やjtyy属地の状態に長らく据え置かれ、多くの人々は塗炭の苦しみを甘受せざるを得なかった云々、と述べていたが、もし私が読者の一人としてそのくだりをもっと詳しく具体的に知りたいと感じたならば、その読者に私は次のようなことを想像してほしいと伝えるはずである。

すなわち、イギリスによる、とくに東インド会社を介在させてインドの綿工業の破壊やインドの国富の徹底的収奪と搾取、そうした仕打ちに対するインド人の反乱、反抗としてのセポイの反乱とか、また同じくイギリスによるアヘン貿易を媒介とした中国の富と中国人の命を犠牲としながら、アヘン戦争を吹っ掛けた挙句、中国のヒト・モノ・カネをイギリスの意のままにしたこと等を想起してほしい。こうした例は、オランダの現在のインドネシア諸地域に対する、フランスのインドシナやアフリカ諸地域に対する、アメリカのフィリピンやハワイ等の太平洋諸地域と何よりもアメリカ国内のインディオに対する徹底した収奪等を思い出してほしい。

勿論、当時の欧米諸国による日本に対する反植民地化政策の推進は、これまたヒト・モノ・カネの大移動を伴っていたのは言うまでもない。その日本による明治以降の台湾、中国東北部(満州)や朝鮮半島に対する侵略・神鋼もまたヒト・モノ・カネの大移動を引き起こしたのである。このように、とくにCにおいて、グローバリズムの影響は甚大であったことがわかるだろう。

そこから一つの疑問がわいてくるのではあるまいか。19-20世紀転換期のいわゆる帝国主義時代と呼ばれた頃において、Cはグローバリズムの圧倒的な逆風の下に置かれていたが、どうしてAやBは、とくにAは早期から積極的にCに対するヒト・モノ・カネの大移動を引き起こす必要があったのかを考えなければならないだろう。一体なんのために、またそれによって何を実現しようとしたのか。

おそらくはこうした問題を読者は念頭に浮かべるに違いない。そうした問題意識を持つ読者ならば、1970年代以降の、それこそいわゆるグローバリズム問題が俎上に載せられる昨今の出来事に関して、マスコミ報道とは異なる見方や感想を抱くのではなかろうか。例えば、フランスやオランダやベルギー、スウェーデンに代表される北欧諸国等に大量に流入する非西欧諸国からの「移民」や「難民」と呼ばれている人々を、何か「弱い立場」であるかのように思うのであれば、私はそうした見方も一面的なそれであると思うのだ。

70年代以前のAやBの側からのCへのヒト・モノ・カネの大移動は、あたかも力の強い側からのそれとして理解していたのではあるまいか。逆に、CからAやBへの大移動は、何か強い力でもって、強制された感をもって理解していたのではあるまいか。そうした見方、感じ方を私は特におかしいとは思わない。私が奇妙だとみるのは、70年代以降の大移動を、それ以前のように位置付け理解しないことに対してなのだ。

すなわち、いま私たちの眼前で展開されている大移動は、BやCからの、かつての先進諸国グループであったAへの大移動だが、例えばBの中国のそれと比較して、中東やアフリカ諸国のCに該当する大移動は、何か力の強い側から弱い側への大移動とは理解しない雰囲気が漂っている感が強い。同様に、AからBやCへの大移動も、かつてのCからAやBへの大移動を何か弱い側から強い側へと大移動が強制されている、従わざるを得ないような噛んでみていたのと比べて、それとは異なる位置づけ、理解の仕方をしているのではあるまいか。すなわち、今もAは強くて、BやCは弱いとみたままで、強い側から弱い側へ、何か援助してやっている、助けてやっているかのような「上から目線」で見てはいないだろうか。

私はそうした見方に違和感を、また少しの危機感を抱くのである。Aに位置した日本人は、他の先進国の国民と同様に、もうかなり弱いのである。既に弱い側に位置しているのだ。それを自覚しないからこそ、ODAの見方も甘いのだ。Aの側からBやCへの大移動は、確かに今なお先進諸国の大企業は強い力を有しではいるが、その多くは多国籍化しており、その内実はAから、とくにAに暮らすかつての中間層の利害とは離れているのではあるまいか。その例として、分厚い中間層の解体化に大企業は大きく与りながら、むしろBゃCに拠点を置いて、そこでの中間層を分厚くするように大きな影響力を発揮していることから、Aの国民とその生活実態、実情はかなり苦しく、またその現状は相当に弱くなっていると考えた方がいい。

ところが、やはりそうは言っても、今もAは、Aの国家も国民も等しく強い力で守られていると、多くの人々は見ている節がある。私はそうした見方は間違っているし、危険極まりないと感じている。すなわちフランスへのアジア・中東、アフリカ諸国からの人々の大移動は、BやCによる強い側から弱い側のフランスへの大移動として理解しなければ、おかしなことになると危惧する。中国のフランスをはじめEU諸国とのかかわり方はそうした文脈で位置づけ、理解しなければならない。これはイギリスや北欧諸国への人の大移動においても同じなのだ。もう既に弱い側にイギリスもスウェーデンも位置している。

これに付言して言うならば、今日のフランスでの中東。アフリカ諸地域からの移民や難民による「テロ」活動の頻発により犠牲となったフランス国民の存在は、ある面で70年代以前に、フランス人によるフランス植民地の住民に対する「テロ」活動と類似した歴史的意味を持っているのではあるまいか。その際にも、おかしな見方、理解の仕方があるかもしれない。例えば、フランス人のそれは強い側から弱い側のものへのさっしょyであるのに対して、後者のそれは弱い側による強いフラン審に対する暴力として描かれる。また決まって、そうしたテロの背後に、非西欧諸国出自の難民や移民の貧困や彼らの苦しい境遇が強調されるのだ。このぎゃくのばあいもとうぜんそんざいしているのであり、事実今のフランス国民の生活環境は悪く、貧しいのではあるまいか。ところが、あまりこうした観点からの因果関係が問われないのはどうしてなのだろうか。

Bの中国が日本の土地や水資源はもとより、日本企業を大金でもって買い漁っている様をみるとき、かつてのイギリスによる中国への、また日本の中国東北部に対する向き合い方を思わざるを得ない。中国をはじめ、他のアジアや中東からの移民や難民や留学生は、日本と日本人の雇用や富を、給料や社会保険や医療保険、さらには各種の年金、授業料の免除や奨学金の無償貸与等の形で、これからますます吸い取っていくだろうから、日本をはじめAに位置したかつての先進諸国の人的物的資源が奪い取られていく中で、今後ますます貧しくなっていくのは必至である。今もAの普通の国民は市民は貧しく弱いのであるのに、さらに弱い立場へと追い立てられていく。これまた70年代以前のBやCに、とくに後者に顕在化していた状況、状態と重なって見えるのだが、不思議なことにAの富裕層とその利害を代弁するマスコミの語り方は大きく異なっている。それゆえ、Aの普通の人々もそうした見方や理解の仕方を共有する傾向にある。イギリスのEU離脱の国民投票とその結果を巡る議論の仕方も
同様に、そうしたマスコミ操作が大きくかかわっているのではあるまいか。

すなわち、マスコミの移民とか難民報道に接したAの人々の見方は、何か弱い側からのそれであるかのようにみるように仕向けられているのではないか。それゆえ、何か道場でもって、弱い人たちを助けなければ云々となる。本当にそうなのか。人道的問題云々の議論も踏まえながら、もう少し論を展開してみたい。

システムとその関係の歩みから見れば、先のような見方はとてもありがたいのだ。BやCに対するAからの大移動は、強い側から弱い側へとのそれであるから強い側のAの人々は自分たちの利益ばかりを考えるのではなく、まさに「共生」社会の創造に向けて助け合うのが大事だ、少しは我慢すべきだとの空気が醸成されていく。Aの国内は「持つもの」と「持たざる者」との「富」の二極化が極端に進み、生活破綻者の急増や福祉の後退化も顕著となっているにもかかわらず、共生云々となるから、これはもう本末転倒した議論ではあるまいか。

こうした見方と、先述した70年代以前のそれとは異なる70年代以降から今日における強者と弱者の関係の位置づけ方、見方に伺われる逆転した捉え方は相互に支え合っているのではあるまいか。

それでは何がこうした逆転した見方や位置づけ方を許しているのだろうか。システム論の観点からごく簡単に言えば、システムとその関係の歩みを私たちが理解できないままに置かれているということである。と同時に、システムの歩みに積極的に加担する者たちは、、彼らの影響力の下で育成した宣伝、教育機関をフル稼働させて。システムとその関係の歩みを理解できないように働きかけているということであろう。私たちもそうした仕組みの下で教化され、社会化されてきたのは言うまでもない。
 
換言すれば、世界の歩みをみる私たちの「目」が相変わらず、70年代以前のシステムとその関係の歩みを当然のことであるかのように位置付け理解したままなのではあるまいか。すなわち、私たちは今も差別し、排除する強い者の側にいちしていると考えているのではあるまいか。私はこれまでの拙論で何度も語ってきたように、70年代以降の世界において、かつての先進国に位置したAは、B矢Cとの関係において、差別し、排除する、弱い者の側に位置していることを論じてきたが、世間一般の見方、理解の仕方は違っているようである。

もう少し補足すれば、70年代以前のシステムの歩みから70年代以降のそれへと転換・変容していく過程を捉え、理解することができないのである。そこにはAにおける「民主主義の発展」(「礼節を知る(知らず)」の営為のシステム関係)に見られる高度化へと向かう歩みと、その高度化の段階から低度化へと向かう歩みを描けないこと、それと同時に、B、Cにおける低度化の段階から高度化へと向かう歩みを描けないこと、さらにそうした二つのベクトルで示される歩みを関係づけて考察できないことが与っている。さらに、経済発展の歩み(「衣食足りて(足りず)」の営為の関係システム)におけるA、B、Cににみられる高度化と低度化の関係、覇権システムにおける歴代の覇権国間の興亡の歩みが描けないことが相互に関連しているのではあるまいか。つまり、「三つ」の下位システムから構成される「一つ」のシステムの形成、発展とその変容の関係の在り方を理解できないことが大きく関わっているのである。こうした点を踏まえながら、さらに以下で具体例を引きながら論を展開していこう。 

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中東、アジア、アフリカ諸地域からの「難民」や「移民」は「弱者」なのか。先進諸地域に暮らす人々は「強者」なのか

2019-02-22 | 社会 政治
中東、アジア、アフリカ諸地域からの「難民」や「移民」は「弱者」なのか。先進諸地域に暮らす人々は「強者」なのかー1970年代以前のグローバリズムと70年代以降のグローバリズムにみる「強い側」と「弱い側」の位置づけ方と理解の仕方が同じでないのはどうしてなのか

前回のブログ記事の内容を、今回はまた少し異なる観点から論じてみたい。行論の都合上、システムの歩みに関する転換・変容モデルを基に最初に要点を述べておきたい。

 1970年代までのシステムの歩み
①{[A]→(×)[B]→×[C]}
(このモデルは何度も断っているように、省略形の共時的モデルである。)

 1970年代以降のモデル

②{[B]→(×)[C]→×[A]]
(このモデルは何度も断っているように、省略形の共時的モデルである。)

①におけるっ関係を見る私たちの目は、AのまたBのより「強い立場」に位置する強者のグループが、Cのより「弱い立場」に位置する弱者のグループを差別し排除する関係にあると位置付け理解しいるのに対して、②においては、本来ならば、①と同じく、②における関係を見る私たちの目は、BのまたCのより「強い立場」に位置する強者のグループが、Aのより「弱い立場」に位置する「弱者」グループを差別し排除する関係にあると位置付け理解するのに代えて、70年代以降の世界においても、相も変わらずなお①の関係が継続しているかのように、Aをより強い側に位置する強者グループとして、またBやCをより弱い弱者グループに位置付け理解しているのではあるまいか。

それはなぜなのか。理由は簡単だ。私たちの多くがなお、70年代以降の世界を、②のモデルで描かれるシステムの歩みとして理解できないままにあるからである。卑近な例を挙げれば、私から見れば不思議なことだが、今日においてもなお日本の方が中国よりも「強い」、進んでいるかのようにみている若者がいることだ。年寄りはなおさらだが。もうすでに日本はアジアの中心に位置した主人公の地位を降りて久しいのだ。アジアの中心はもとより、世界の中心に位置などしていないのだ。それゆえ、①から②へと私たちの世界が転換、変容していることを十分に皮膚感覚でとらえられないままに置かれているとしても、何ら不思議なことではなかろう。

もう取り返しのつかない誤った判断の下に日本の外交・軍事は進められてしまったことは言うまでもないのだが、社会科学に与る研究者の罪はーーーというしか他にない。しかし、彼らも霞を食って生きられないから、「忖度」しながら文章を書かなければならない。哀れを通り越して同情するばかりだが、「右翼」とか「左翼」系云々を冠した「御用学者」たちの著作はもう何年もしないうちに紙切れ以下のものとなるだろう。そんなことはどうでもいいのだが、「日本」と「日本人」が跡形もなくこの世から消えてしまうことだけは避けたいものだ。しかしこのままだと、それも十分起こりえる話ではなかろうか。

気が付くと、いつの間にか少し横道に論の流れがそれてしまった。元に戻そう。

それゆえ、アジア、中東やアフリカ諸地域からの移民や難民を。弱い立場に置かれた弱者グループの一員とみなし、彼らの「テロ」活動とその原因を、その多くを、貧困や貧しい環境を前提とした分析に終始する傾向がある。かつての先進諸国グループも、例えば日本もフランスも、アメリカもイギリスもそうだが、自分たちの貧困や貧しい環境状態を直視したならば、フランスにおけるテロ活動の分析にも端的にみられるように、相当に奇妙な、おかしな関係の理解となっているのではあるまいか。今回の記事では、そうした問題意識をもって、論の展開を試みている。


前回の記事では、「グローバリズム」として語られている出来事を、私のモデルで描くシステムとその関係史から位置づけなおすとき、今日的現象として語られているグローバリズムやグローバリゼーション現象は、何も最近特に引き起こされたのではなく、ずっと以前においても同じような動きが存在していたことを私は論じた。たとえば、1970年代以前においては、Cに位置した諸地位とそこに暮らす人々は、AやBからのヒト・モノ・カネの大移動(大流入)によって、植民地やjtyy属地の状態に長らく据え置かれ、多くの人々は塗炭の苦しみを甘受せざるを得なかった云々、と述べていたが、もし私が読者の一人としてそのくだりをもっと詳しく具体的に知りたいと感じたならば、その読者に私は次のようなことを想像してほしいと伝えるはずである。

すなわち、イギリスによる、とくに東インド会社を介在させてインドの綿工業の破壊やインドの国富の徹底的収奪と搾取、そうした仕打ちに対するインド人の反乱、反抗としてのセポイの反乱とか、また同じくイギリスによるアヘン貿易を媒介とした中国の富と中国人の命を犠牲としながら、アヘン戦争を吹っ掛けた挙句、中国のヒト・モノ・カネをイギリスの意のままにしたこと等を想起してほしい。こうした例は、オランダの現在のインドネシア諸地域に対する、フランスのインドシナやアフリカ諸地域に対する、アメリカのフィリピンやハワイ等の太平洋諸地域と何よりもアメリカ国内のインディオに対する徹底した収奪等を思い出してほしい。

勿論、当時の欧米諸国による日本に対する反植民地化政策の推進は、これまたヒト・モノ・カネの大移動を伴っていたのは言うまでもない。その日本による明治以降の台湾、中国東北部(満州)や朝鮮半島に対する侵略・神鋼もまたヒト・モノ・カネの大移動を引き起こしたのである。このように、とくにCにおいて、グローバリズムの影響は甚大であったことがわかるだろう。

そこから一つの疑問がわいてくるのではあるまいか。19-20世紀転換期のいわゆる帝国主義時代と呼ばれた頃において、Cはグローバリズムの圧倒的な逆風の下に置かれていたが、どうしてAやBは、とくにAは早期から積極的にCに対するヒト・モノ・カネの大移動を引き起こす必要があったのかを考えなければならないだろう。一体なんのために、またそれによって何を実現しようとしたのか。

おそらくはこうした問題を読者は念頭に浮かべるに違いない。そうした問題意識を持つ読者ならば、1970年代以降の、それこそいわゆるグローバリズム問題が俎上に載せられる昨今の出来事に関して、マスコミ報道とは異なる見方や感想を抱くのではなかろうか。例えば、フランスやオランダやベルギー、スウェーデンに代表される北欧諸国等に大量に流入する非西欧諸国からの「移民」や「難民」と呼ばれている人々を、何か「弱い立場」であるかのように思うのであれば、私はそうした見方も一面的なそれであると思うのだ。

70年代以前のAやBの側からのCへのヒト・モノ・カネの大移動は、あたかも力の強い側からのそれとして理解していたのではあるまいか。逆に、CからAやBへの大移動は、何か強い力でもって、強制された感をもって理解していたのではあるまいか。そうした見方、感じ方を私は特におかしいとは思わない。私が奇妙だとみるのは、70年代以降の大移動を、それ以前のように位置付け理解しないことに対してなのだ。

すなわち、いま私たちの眼前で展開されている大移動は、BやCからの、かつての先進諸国グループであったAへの大移動だが、例えばBの中国のそれと比較して、中東やアフリカ諸国のCに該当する大移動は、何か力の強い側から弱い側への大移動とは理解しない雰囲気が漂っている感が強い。同様に、AからBやCへの大移動も、かつてのCからAやBへの大移動を何か弱い側から強い側へと大移動が強制されている、従わざるを得ないような噛んでみていたのと比べて、それとは異なる位置づけ、理解の仕方をしているのではあるまいか。すなわち、今もAは強くて、BやCは弱いとみたままで、強い側から弱い側へ、何か援助してやっている、助けてやっているかのような「上から目線」で見てはいないだろうか。

私はそうした見方に違和感を、また少しの危機感を抱くのである。Aに位置した日本人は、他の先進国の国民と同様に、もうかなり弱いのである。既に弱い側に位置しているのだ。それを自覚しないからこそ、ODAの見方も甘いのだ。Aの側からBやCへの大移動は、確かに今なお先進諸国の大企業は強い力を有しではいるが、その多くは多国籍化しており、その内実はAから、とくにAに暮らすかつての中間層の利害とは離れているのではあるまいか。その例として、分厚い中間層の解体化に大企業は大きく与りながら、むしろBゃCに拠点を置いて、そこでの中間層を分厚くするように大きな影響力を発揮していることから、Aの国民とその生活実態、実情はかなり苦しく、またその現状は相当に弱くなっていると考えた方がいい。

ところが、やはりそうは言っても、今もAは、Aの国家も国民も等しく強い力で守られていると、多くの人々は見ている節がある。私はそうした見方は間違っているし、危険極まりないと感じている。すなわちフランスへのアジア・中東、アフリカ諸国からの人々の大移動は、BやCによる強い側から弱い側のフランスへの大移動として理解しなければ、おかしなことになると危惧する。中国のフランスをはじめEU諸国とのかかわり方はそうした文脈で位置づけ、理解しなければならない。これはイギリスや北欧諸国への人の大移動においても同じなのだ。もう既に弱い側にイギリスもスウェーデンも位置している。

これに付言して言うならば、今日のフランスでの中東。アフリカ諸地域からの移民や難民による「テロ」活動の頻発により犠牲となったフランス国民の存在は、ある面で70年代以前に、フランス人によるフランス植民地の住民に対する「テロ」活動と類似した歴史的意味を持っているのではあるまいか。その際にも、おかしな見方、理解の仕方があるかもしれない。例えば、フランス人のそれは強い側から弱い側のものへのさっしょyであるのに対して、後者のそれは弱い側による強いフラン審に対する暴力として描かれる。また決まって、そうしたテロの背後に、非西欧諸国出自の難民や移民の貧困や彼らの苦しい境遇が強調されるのだ。このぎゃくのばあいもとうぜんそんざいしているのであり、事実今のフランス国民の生活環境は悪く、貧しいのではあるまいか。ところが、あまりこうした観点からの因果関係が問われないのはどうしてなのだろうか。

Bの中国が日本の土地や水資源はもとより、日本企業を大金でもって買い漁っている様をみるとき、かつてのイギリスによる中国への、また日本の中国東北部に対する向き合い方を思わざるを得ない。中国をはじめ、他のアジアや中東からの移民や難民や留学生は、日本と日本人の雇用や富を、給料や社会保険や医療保険、さらには各種の年金、授業料の免除や奨学金の無償貸与等の形で、これからますます吸い取っていくだろうから、日本をはじめAに位置したかつての先進諸国の人的物的資源が奪い取られていく中で、今後ますます貧しくなっていくのは必至である。今もAの普通の国民は市民は貧しく弱いのであるのに、さらに弱い立場へと追い立てられていく。これまた70年代以前のBやCに、とくに後者に顕在化していた状況、状態と重なって見えるのだが、不思議なことにAの富裕層とその利害を代弁するマスコミの語り方は大きく異なっている。それゆえ、Aの普通の人々もそうした見方や理解の仕方を共有する傾向にある。イギリスのEU離脱の国民投票とその結果を巡る議論の仕方も
同様に、そうしたマスコミ操作が大きくかかわっているのではあるまいか。

すなわち、マスコミの移民とか難民報道に接したAの人々の見方は、何か弱い側からのそれであるかのようにみるように仕向けられているのではないか。それゆえ、何か道場でもって、弱い人たちを助けなければ云々となる。本当にそうなのか。人道的問題云々の議論も踏まえながら、もう少し論を展開してみたい。

システムとその関係の歩みから見れば、先のような見方はとてもありがたいのだ。BやCに対するAからの大移動は、強い側から弱い側へとのそれであるから強い側のAの人々は自分たちの利益ばかりを考えるのではなく、まさに「共生」社会の創造に向けて助け合うのが大事だ、少しは我慢すべきだとの空気が醸成されていく。Aの国内は「持つもの」と「持たざる者」との「富」の二極化が極端に進み、生活破綻者の急増や福祉の後退化も顕著となっているにもかかわらず、共生云々となるから、これはもう本末転倒した議論ではあるまいか。

こうした見方と、先述した70年代以前のそれとは異なる70年代以降から今日における強者と弱者の関係の位置づけ方、見方に伺われる逆転した捉え方は相互に支え合っているのではあるまいか。

それでは何がこうした逆転した見方や位置づけ方を許しているのだろうか。システム論の観点からごく簡単に言えば、システムとその関係の歩みを私たちが理解できないままに置かれているということである。と同時に、システムの歩みに積極的に加担する者たちは、、彼らの影響力の下で育成した宣伝、教育機関をフル稼働させて。システムとその関係の歩みを理解できないように働きかけているということであろう。私たちもそうした仕組みの下で教化され、社会化されてきたのは言うまでもない。
 
換言すれば、世界の歩みをみる私たちの「目」が相変わらず、70年代以前のシステムとその関係の歩みを当然のことであるかのように位置付け理解したままなのではあるまいか。すなわち、私たちは今も差別し、排除する強い者の側にいちしていると考えているのではあるまいか。私はこれまでの拙論で何度も語ってきたように、70年代以降の世界において、かつての先進国に位置したAは、B矢Cとの関係において、差別し、排除する、弱い者の側に位置していることを論じてきたが、世間一般の見方、理解の仕方は違っているようである。

もう少し補足すれば、70年代以前のシステムの歩みから70年代以降のそれへと転換・変容していく過程を捉え、理解することができないのである。そこにはAにおける「民主主義の発展」(「礼節を知る(知らず)」の営為のシステム関係)に見られる高度化へと向かう歩みと、その高度化の段階から低度化へと向かう歩みを描けないこと、それと同時に、B、Cにおける低度化の段階から高度化へと向かう歩みを描けないこと、さらにそうした二つのベクトルで示される歩みを関係づけて考察できないことが与っている。さらに、経済発展の歩み(「衣食足りて(足りず)」の営為の関係システム)におけるA、B、Cににみられる高度化と低度化の関係、覇権システムにおける歴代の覇権国間の興亡の歩みが描けないことが相互に関連しているのではあるまいか。つまり、「三つ」の下位システムから構成される「一つ」のシステムの形成、発展とその変容の関係の在り方を理解できないことが大きく関わっているのである。こうした点を踏まえながら、さらに以下で具体例を引きながら論を展開していこう。 

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「ナショナリズム」と「グローバリズム」の関係をどう見ればいいのか(続、追加・修正版)

2019-02-20 | 社会 政治
「ナショナリズム」と「グローバリズム」の関係をどう見ればいいのか(続、追加・修正版)

今回の記事は、前回のブログ記事の追加・修正版であることを最初に断っておきたい。文章を熟考しないままに、今はただ書き留めることに専念しているので、読者には不親切な内容となっていると思われる。いずれまた書き改めたい。とにかく御寛恕を。


前回の記事で私は「ナショナリズム」と「グローバリズム」について以下のように述べていた。ーーー私のモデルで描くセカイ、すなわち1970年代以前を、{[A]→(×)[B]→×[C]}に、1970年代以降を、{[B]→(×)[C]→×[A]}とそれぞれ位置付けて、「ナショナリズム」をつくり出した関係と「グローバリズム」をつくり出した関係は、各々対立するものではなく、むしろ私のモデルで描くシステムとその関係の歩みを相互に支え合う関係を構成しているのである。具体的に言うと、1970年代以前のシステムとその関係の歩みにおいて、AとBにおいて「ナショナリズム」が、Cにおいて「グローバリズム」が生み出されていたのに対して、1970年代以降では、B、Cにおいてナショナリズムが、Aにおいてグローバリズムが生み出されているのである。しかしながら、それらの一見すると相互に対立、衝突するかのように見える動きは、実はそれぞれのシステムとその関係の歩みを相互補完的に支え合う関係を構成していると理解できるのである。ーーーと論じていた。

それを踏まえて今回の記事では、私のモデルで描くシステムとその関係の歩み(システムの自己完結運動の歩みである)に見られる歴史の「段階」との関連から、つまりモデルのⅠ期、Ⅱ期、Ⅲ期へと至るシステムとその関係の歩みにおける「高度化」の段階と、Ⅰ’期、Ⅱ’期、Ⅲ’期のそれの「低度化」へと至る段階に示されるシステムとその関係の歩みの歩みから、いわゆる「グローバリズム」に関して、もう少し補足しておきたい。

結論を先取りして言えば、システムの歩みにおける高度化の段階では、1970年代までのそれは、A、B、Cのすべてが高度化を目指していることから、「ナショナリズム」の動きが強化される。そのために、国境の「壁」を厚くして、主権国家、国民国家の建設に邁進する。その過程において、Aにおける帝国化、覇権国家化を目指す動きが顕在化するのである。それに反して、BやCにおいては、特にCにおいて顕在化していくのだが、Cにおける高度化の歩みは、A、Bとの力と力の「親分ー子分」の帝国主義関係から、高度化へと向かう歩みを絶たれてしまい、そのため植民地、従属地の地位に甘んじる中で、自らの自己決定権を奪われ、A、Bによる帝国主義的支配のなすがままに置かれていくことから、主権国家は元より国民国家建設の道をたどるのも程遠い段階に、すなわちⅠ期の段階の前期に久しくとどまらざるを得ないのである。その段階では、あたかもAやBからCへの、またCからAやBへと、ヒト・モノ・カネが大移動している感がある。その現象は、今日的表現で語られている「グローバリズム」に他ならないのだが、1970年代までのシステムの歩みの段階では等しく「ナショナリズム」を目指すベクトルで示されるのである。それゆえ、Cのナショナリズムは、「グローバリズム」との関連から位置づけるならば、「グローバリズム」として体現された「ナショナリズム」であると位置付け理解できるのではあるまいか。

こうした文脈から1970年代以降のシステムの歩みを概観するとき、以下のように要約できる。すなわち70年代以降において、システムとその関係の歩みは{[B]→(×)[C]→×[A]}のセカイの中で、B、Cではシステムの歩みにおける高度化へと至る歴史の段階をたどるのに対して、Aではひたすら「低度化」へと至る段階をたどっていく。そこから、B、Cにおいては、国境の壁を厚くして、主権国家、国民国家建設を目指す動きがますます強化され、その間にBにおいては帝国化、覇権国家化を目指す動きが顕在化していく。そうしたB、Cのシステムの歩みにおける歴史の段階は「ナショナリズム」の動きが色濃く投影されざるを得ないのである。そうしたB、Cに見られるシステムとその関係の歩みとしての歴史の段階における高度化へと向かう流れに対して、Aではシステムの歩みにおいて、その低度化へと至る歴史の段階を担うのである。すなわち、70年代以前のCが引き受けていたような「グローバリズム」現象を体現するのである。その意味で、70年代以降のAのナショナリズムは、70年代以前のCのそれと同様に、「グローバリズム」として体現される「ナショナリズム」として位置付け理解できるのである。(なお、Ⅰ期からⅢ’期の段階に関する詳細はここでは省いていることを断っておきたい。ずっと以前のブログ記事や拙著、拙論をを参照されたい。)

今日の国際社会の特徴を捉えて、私たちはヒト・モノ・カネが国境を超えて大移動している時代だと盛んに言うのだが、ヒト・モノ・カネの(大)移動という観点から見れば、1970年代以前においてもそウした現象はすでに起こっていたのである。「帝国主義の時代」として描かれた植民地や従属地に置かれた諸国や諸地域の側からヒト・モノ・カネの移動を見れば、まさにそうであったとみていい。つまり、1970年代以前のシステムとその関係の歩みで描かれるセカイのBやCにあっては、とくに後者においてはまさしく「グローバリズム」の影響のもとに、国境の壁を越えて、ヒト・モノ・カネの大移動によって、Cに暮らす人々はなすすべもなくそうした出来事を傍観していたに違いない。これに関して、付言すれば、Bにおいては、例えば幕末以降の日本やナポレオンの侵略・侵攻により蹂躙されたプロイセンのように、そうしたグローバリズムに、もっとも正確に言えばインターナショナリズムのそれである、に立ち向かうナショナリズムの動きが、近隣諸国・諸地域を武力でもって侵略する形で推進されてきたのを想起できる。

もっとも、当時のそうした出来事は「インターナショナリゼーション」の時代の一コマとして描かれたに過ぎない。歴史の主役はAであり、そうしたAの側からすれば、AによるBやCに対する差別と排除の関係として導かれるBやCの混乱状態は他人事であったのである。
ところが、今日の歴史の段階におけるAの立ち位置は、まさに70年代以前のCの状態を彷彿とさせるものである。それゆえ、ことさら今頃になって、仰々しく「グローバリズム」とか、「グローバリゼーション」の時代だと叫ぶ必要もないのだが、いまだに歴史の主役と勘違いしているAにおいては、今日に至って初めてグローバリズム現象が起こったかのような見方に終始する。

どうしてそのようなことになるのだろうか。それに関連して、アメリカの時刻第1主義を捉えて、ナショナリズムをことさら奇異な出来事であるかのように論じているのだが、これまたおかしな話ではあるまいか。70年代以降のAにあつては、当然のようにグローバリズムを標榜するのが当たり前であるかのように語り、その関連からまた、これから本格的にナショナリズムを体現していくBやCの動きを無視する、軽視するかのように、彼らも一様にAと同じくグローバリズムの動きを支えるのが当然であるかのような見方や論じ方となっている。

こうした社会科学におけるナショナリズムとグローバリズムの位置付け方から読み取れる問題点は果たして一体何だろうか。その際、これまでナショナリズムを論じた際に、「健全な」ナショナリズムとか、「上から」「下から」のナショナリズムの見方を踏まえて考えるとき、何かが見えてくるかもしれない。

例えば、トランプんが、あるいはルペンの動きを述べるとき、そのナショナリズムは、「不健全な」「常軌を逸した」ナショナリズムとして理解して、はたして問題はないのだろうか。

何が「健全」であるかを示す基準となったのだろうか。たとえば、差別と排除の関係を前提としたシステムとその関係の歩みに対して、立ち向かい、その関係を差別しない排除しない関係へと導くナショナリズムを「健全」とか「下から」のナショナリズムとして描いていたのだろうか。

フランス共和国の建国期のナショナリズムを、またアメリカやイギリスの市民革命期のナショナリズムを、これまでは「健全」とか、「下から」のそれとして何かしら望ましい者として論じてきたのだが、そうした観点から言えば、まさにトランプが体現するナショナリズムは、不健全きわまる「上から」の出来事とならざるを得ない。

本当にそうした論じ方が許されるのだろうか。またトランプに抗議して、グローバル化を推進するある種の「ナショナリズム」は、健全であり、市民を担い手とした下からの動きとして、安易に礼賛することで何ら問題は生じないいのだろうか。やはり、これまたおかしな見方ではあるまいか。

いま問われるべきことは、トランプ減少を異常な、偏狭な、ナショナリズムとして位置付け理解している側の「物差し」がおかしなことにそうした批判者の側から提起されていないことではあるまいか。

誤解のないように断っておきたいのだが、私はトランプ減少もまたそれを批判する側にも、ひとしく距離を保たざるを得ない。むしろ、双方の主張に疑問を抱かざるを得ないし、懐疑的なのである。前回、前々回の記事でも指摘したように、両者の主張は、システムとその関係の歩みを相互補完的に支え合うものであり、絶えず差別と排除の関係を担い強化するものでしかないからである。

それにもかかわらず、私たちは相も変わらず両者の主張とそれが推進する動き、すなわちナショナリズムとグローバリズムのぶつかり合いを見せられ続けた挙句、その入り口で論争することに終始するだけで、さらにその奥へと論及の歩を進めることはできないままなのだ。それゆえ、システムとその関係の歩みが抱える「しゅくあ」については、まったく不問に付されたままとなってしまう。これまたおかしな話ではあるまいか。

ところで、システム論の観点からもう少し踏み込んでいえば、70年代以降のシステムとその関係の歩みにおいて、Aの引き受ける役割は、いわゆるグローバリズムなのだから、トランプのように、Aにおいてそうした動きを妨害する試みは許されないとみられているのかもしれない。しかしながら、すぐ様わかるのは、そうだからこそ、そうしたグローバリズムの影響の下で、生活環境を破壊され生きるのにも精一杯の境遇へと追い落とされた人々にはとても耐えがたい力として、暴力として許されないものとして理解されるに違いない。

それゆえ、Aにおいてこそグローバリズムに対する激しい反対、敵対の動きが生起するのではあるまいか。システム論の立場から見れば、両者の対立や衝突は矛盾する出来事ではない。しかもそうしたAにおけるグローバリズムの動きを、BやCのナショナリズムの動きが支えている。例えば、中国において、次期覇権国としての力をつけていくためにも、BやCのAに対する、あるいはまた前者に対するAからのヒト・モノ・カネの移動は必要不可欠である。それを基にしながら、中国はますますナショナリズムの動きを強化しながら、同時にそれにに支えられて、大国化、覇権国への地位を確保する可能性を高められるのだから、BやCにおいては、自国の国内的統合と国力増強に示されるナショナリズムの推進のために、(そのことの端的な例証として、中国国内での新疆・ウイグル自治区やチベット自治区に対する弾圧や国内の人権活動家の取り締まりがあるが)Aにおけるグローバリズムの動きは大前提として受容されるのである。ここにおいても、先のAの中で見られたように、BとCと、Aの間にはナショナリズムとグローバリズムの関係は相互補完的な関係として構成されているのである。

さらにそうした点を踏まえてもう少し言及すれば、B、Cにおけるナショナリズムの動きは、Aのグローバリズムのそれと結合する動きを示しながら、例えば米中覇権連合の形となって、Aにおけるトランプやルペンに代表されるナショナリズムの動きを、抑え込むことに成功することによって、{[B]→(×)[C]→×[A]}のシステムとその関係の歩みを強化することに与るのである。

それゆえ問題となるのは、先述したように、こうしたB、C、Aの関係から成るシステムとその関係が「力」と「力」の競い合い、ぶつかり合いに示される「親分ー子分」の「帝国主義的」関係を前提とした「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず」の営為のシステム関係が差別と排除の序列の関係を示しながら、構築されていくことにあると言っても過言ではない。

そうした序列の関係を基にして、「市民的自由」の実現に必要不可欠な「人権」の序列化が当然のことのように、構造化されていく。すなわち、いくら普遍的価値の尊重を声高に叫んだとしても、その価値の実現に重要な人権の序列化が、換言すれば、私たち一人一人の「命と暮らしを守る」能力に換言される自己決定権における「力」の序列化が避けられない深刻な現実問題として導かれるのである。これこそが問われなければならない喫緊の問題なのだが、こうした思考の域に到達する可能性を秘めた「ナショナリズム」と「グローバリズム」の関係についての考察に至るまでには、なおかなりの時間を要する地点で地団太踏みながら佇(たたず)む以外に仕方がないのか、と私は内心いら立つ思いを感じているのだ。

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「ナショナリズム」と「グローバリズム」の関係をどう見ればいいのか

2019-02-20 | 社会 政治
「ナショナリズム」と「グローバリズム」の関係をどう見ればいいのか

前回の記事で私は「ナショナリズム」と「グローバリズム」について以下のように述べていた。ーーー私のモデルで描くセカイ、すなわち1970年代以前を、{[A]→(×)[B]→×[C]}に、1970年代以降を、{[B]→(×)[C]→×[A]}とそれぞれ位置付けて、「ナショナリズム」をつくり出した関係と「グローバリズム」をつくり出した関係は、各々対立するものではなく、むしろ私のモデルで描くシステムとその関係の歩みを相互に支え合う関係を構成しているのである。具体的に言うと、1970年代以前のシステムとその関係の歩みにおいて、AとBにおいて「ナショナリズム」が、Cにおいて「グローバリズム」が生み出されていたのに対して、1970年代以降では、B、Cにおいてナショナリズムが、Aにおいてグローバリズムが生み出されているのである。しかしながら、それらの一見すると相互に対立、衝突するかのように見える動きは、実はそれぞれのシステムとその関係の歩みを相互補完的に支え合う関係を構成していると理解できるのである。ーーーと論じていた。

それを踏まえて今回の記事では、いわゆる「グローバリズム」に関して、もう少し補足しておきたい。

今日の国際社会の特徴を捉えて、私たちはヒト・モノ・カネが国境を超えて大移動している時代だと盛んに言うのだが、ヒト・モノ・カネの(大)移動という観点から見れば、1970年代以前においてもそウした現象はすでに起こっていたのである。「帝国主義の時代」として描かれた植民地や従属地に置かれた諸国や諸地域の側からヒト・モノ・カネの移動を見れば、まさにそうであったとみていい。つまり、1970年代以前のシステムとその関係の歩みで描かれるセカイのBやCにあっては、とくに後者においてはまさしく「グローバリズム」の影響のもとに、国境の壁を越えて、ヒト・モノ・カネの大移動によって、Cに暮らす人々はなすすべもなくそうした出来事を傍観していたに違いない。これに関して、付言すれば、Bにおいては、例えば幕末以降の日本やナポレオンの侵略・侵攻により蹂躙されたプロイセンのように、そうしたグローバリズムに、もっとも正確に言えばインターナショナリズムのそれである、に立ち向かうナショナリズムの動きが、近隣諸国・諸地域を武力でもって侵略する形で推進されてきたのを想起できる。

もっとも、当時のそうした出来事は「インターナショナリゼーション」の時代の一コマとして描かれたに過ぎない。歴史の主役はAであり、そうしたAの側からすれば、AによるBやCに対する差別と排除の関係として導かれるBやCの混乱状態は他人事であったのである。
ところが、今日の歴史の段階におけるAの立ち位置は、まさに70年代以前のCの状態を彷彿とさせるものである。それゆえ、ことさら今頃になって、仰々しく「グローバリズム」とか、「グローバリゼーション」の時代だと叫ぶ必要もないのだが、いまだに歴史の主役と勘違いしているAにおいては、今日に至って初めてグローバリズム現象が起こったかのような見方に終始する。

どうしてそのようなことになるのだろうか。それに関連して、アメリカの時刻第1主義を捉えて、ナショナリズムをことさら奇異な出来事であるかのように論じているのだが、これまたおかしな話ではあるまいか。70年代以降のAにあつては、当然のようにグローバリズムを標榜するのが当たり前であるかのように語り、その関連からまた、これから本格的にナショナリズムを体現していくBやCの動きを無視する、軽視するかのように、彼らも一様にAと同じくグローバリズムの動きを支えるのが当然であるかのような見方や論じ方となっている。

こうした社会科学におけるナショナリズムとグローバリズムの位置付け方から読み取れる問題点は果たして一体何だろうか。その際、これまでナショナリズムを論じた際に、「健全な」ナショナリズムとか、「上から」「下から」のナショナリズムの見方を踏まえて考えるとき、何かが見えてくるかもしれない。

例えば、トランプんが、あるいはルペンの動きを述べるとき、そのナショナリズムは、「不健全な」「常軌を逸した」ナショナリズムとして理解して、はたして問題はないのだろうか。

何が「健全」であるかを示す基準となったのだろうか。たとえば、差別と排除の関係を前提としたシステムとその関係の歩みに対して、立ち向かい、その関係を差別しない排除しない関係へと導くナショナリズムを「健全」とか「下から」のナショナリズムとして描いていたのだろうか。

フランス共和国の建国期のナショナリズムを、またアメリカやイギリスの市民革命期のナショナリズムを、これまでは「健全」とか、「下から」のそれとして何かしら望ましい者として論じてきたのだが、そうした観点から言えば、まさにトランプが体現するナショナリズムは、不健全きわまる「上から」の出来事とならざるを得ない。

本当にそうした論じ方が許されるのだろうか。またトランプに抗議して、グローバル化を推進するある種の「ナショナリズム」は、健全であり、市民を担い手とした下からの動きとして、安易に礼賛することで何ら問題は生じないいのだろうか。やはり、これまたおかしな見方ではあるまいか。

いま問われるべきことは、トランプ減少を異常な、偏狭な、ナショナリズムとして位置付け理解している側の「物差し」がおかしなことにそうした批判者の側から提起されていないことではあるまいか。

誤解のないように断っておきたいのだが、私はトランプ減少もまたそれを批判する側にも、ひとしく距離を保たざるを得ない。むしろ、双方の主張に疑問を抱かざるを得ないし、懐疑的なのである。前回、前々回の記事でも指摘したように、両者の主張は、システムとその関係の歩みを相互補完的に支え合うものであり、絶えず差別と排除の関係を担い強化するものでしかないからである。

それにもかかわらず、私たちは相も変わらず両者の主張とそれが推進する動き、すなわちナショナリズムとグローバリズムのぶつかり合いを見せられ続けた挙句、その入り口で論争することに終始するだけで、さらにその奥へと論及の歩を進めることはできないままなのだ。それゆえ、システムとその関係の歩みが抱える「しゅくあ」については、まったく不問に付されたままとなってしまう。これまたおかしな話ではあるまいか。

ところで、システム論の観点からもう少し踏み込んでいえば、70年代以降のシステムとその関係の歩みにおいて、Aの引き受ける役割は、いわゆるグローバリズムなのだから、トランプのように、Aにおいてそうした動きを妨害する試みは許されないとみられているのかもしれない。しかしながら、すぐ様わかるのは、そうだからこそ、そうしたグローバリズムの影響の下で、生活環境を破壊され生きるのにも精一杯の境遇へと追い落とされた人々にはとても耐えがたい力として、暴力として許されないものとして理解されるに違いない。

それゆえ、Aにおいてこそグローバリズムに対する激しい反対、敵対の動きが生起するのではあるまいか。システム論の立場から見れば、両者の対立や衝突は矛盾する出来事ではない。しかもそうしたAにおけるグローバリズムの動きを、BやCのナショナリズムの動きが支えている。例えば、中国において、次期覇権国としての力をつけていくためにも、BやCのAに対する、あるいはまた前者に対するAからのヒト・モノ・カネの移動は必要不可欠である。それを基にしながら、中国はますますナショナリズムの動きを強化しながら、同時にそれにに支えられて、大国化、覇権国への地位を確保する可能性を高められるのだから、BやCにおいては、自国の国内的統合と国力増強に示されるナショナリズムの推進のために、(そのことの端的な例証として、中国国内での新疆・ウイグル自治区やチベット自治区に対する弾圧や国内の人権活動家の取り締まりがあるが)Aにおけるグローバリズムの動きは大前提として受容されるのである。ここにおいても、先のAの中で見られたように、BとCと、Aの間にはナショナリズムとグローバリズムの関係は相互補完的な関係として構成されているのである。

さらにそうした点を踏まえてもう少し言及すれば、B、Cにおけるナショナリズムの動きは、Aのグローバリズムのそれと結合する動きを示しながら、例えば米中覇権連合の形となって、Aにおけるトランプやルペンに代表されるナショナリズムの動きを、抑え込むことに成功することによって、{[B]→(×)[C]→×[A]}のシステムとその関係の歩みを強化することに与るのである。

それゆえ問題となるのは、先述したように、こうしたB、C、Aの関係から成るシステムとその関係が「力」と「力」の競い合い、ぶつかり合いに示される「親分ー子分」の「帝国主義的」関係を前提とした「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず」の営為のシステム関係が差別と排除の序列の関係を示しながら、構築されていくことにあると言っても過言ではない。

そうした序列の関係を基にして、「市民的自由」の実現に必要不可欠な「人権」の序列化が当然のことのように、構造化されていく。すなわち、いくら普遍的価値の尊重を声高に叫んだとしても、その価値の実現に重要な人権の序列化が避けられない現実問題として導かれるのである。これこそが問われなければならない喫緊の問題なのだが、こうした問題へとたどり着くのを許すようなナショナリズムとグローバリズムの問題考察とはお度遠い所に、私たちは放置されたままである。


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