日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

(2023,10,24)のブログ記事の続き〈後〉

2023-10-24 | 日記
(2023,10,24)のブログ記事の続き〈後〉


(2021,12,22)


私の語る「システム」論から1970年代以降のB、C、Aから構成される「システム」のAにおける「生活苦に喘ぐ成長無き社会」を考えるときー斎藤幸平氏の説く「脱成長・潤沢なコミュニズム」の提唱との関連から(続・続)




前回記事で論及できなかった話を、以下に紹介しておきたい。それでもって、斎藤の論の検討・考察からは、少し離れることにしたい。とは言え、これから先も、社会変革の在り様に関して、私自身も、もう少し前向きに考えてみたいので、その関連から斎藤に話が及ぶこともあるかもしれないのだが。




市民の参加による水や大気、大地や電気等々の「コモン」の共同管理をもとにした社会変革という論は、その対象を地方自治体から国家を、そして国際社会をその中に取り込むこととなる。同時に対象となる空間の拡大は、コモンの中に私たちの命と暮らしを守る「安全」とその保障をもまた組み込むことを求めるであろう。なぜなら、市民の安全とその保障を実現するためのコモンの共同管理云々の問題であるからだ。


そこから、市民参加によるコモンの共同管理を介した社会変革についての議論は、「地球防衛軍?」の創設問題に向き合うことを余儀なくされる。当然ながら、その軍隊を誰が指揮管理すればいいのかという問題が浮上してくる。その軍隊の「暴力」の共同管理を巡る問題こそが、「脱成長・潤沢なコミュニズム」(論)が、やがては向き合うべき課題となっていくに違いなかろうが、まさに、そのとき、私たちは市民の参加による「平和」というコモンの共同管理を迫られることになる。


「システム」においては、平和と戦争はコインの裏表の関係に置かれていることを踏まえるとき、その平和の共同管理とは、戦争の共同管理でもあることを意味している。いずれにしても、そうした問題から、自己決定権の獲得とその実現を巡り、「親分ー子分」関係がつくり出されていくことになることは避けられない。


実はそのことは、私たちがいま組み込まれている覇権システムを、市民の参加により共同管理できるのかどうかの問題へと、私たちを導いているのである。この地点において、私たちはもはや、「資本主義というシステム」の次元に関わる問題だけを、同時にまた、その資本主義システムを市民の参加によるコモンの共同管理をもとにした社会変革としての「コミュニズム」で乗り越える云々の問題だけを、俎上に載せて議論するだけでは何ら展望は描けないということを自覚・自戒しなければならない。


それゆえ、こうした点を鑑みながら、もし私たちが「脱成長・潤沢なコミュニズム」(論)の提唱・提言を、より現実的・有効な代替案とするためには、その論の中に、どのような視角・視点が含まれるべきかに関して、今後さらに検討・考察することが重要ではなかろうか。


私の語る(意味での)「システム」と向き合いながら、差別と排除の関係を前提とした「格差バネ」を介して導かれる構造的暴力・圧力を、すなわち、この圧力によって、私たちは人間と自然の環境の双方における差別と排除の、いわばイジメにも似た関係の中で生きることを強いられ続けてきたのだが、その暴力・圧力を、今よりは少しでも低減する「システム」の在り様を検討・考察するためにも、私はこれからも斎藤の論で提唱された社会変革の在り様に関して、「ああだ、こうだ」と論を展開できればと思うのだ。(続)





*いつもながら、もっと簡単に話せばいいものを、と後で嫌と言う程に後悔。結局のところ、水や空気、電気、山や森、田畑、川といったコモンを、市民の参加によって共同管理しているときに、その管理を侵害する「暴力」の問題を、併せて考えていなければだめではあるまいか、という話を上述のくだりではしている。


たとえば、大切な空気やきれいな水が原発事故によって汚染されたとき、コモンの共同管理者は、そうした暴力と向き合うのか、それを避けるのか、という問題にも関係してくる。さらには、共同管理している山や森、川がどこかの国の軍のミサイル攻撃を受けた時、あるいはその蓋然性が高い時に、どうやってその攻撃に対して反撃するのか、それともしないのかの話であった。ここには、自己決定権の獲得とその実現を巡る力と力の、つまりは暴力と暴力とのぶつかり合いを介した争奪戦と、そこからつくり出される「親分ー子分」関係とそれに伴う差別と排除の関係が導かれてくる、そのような問題が関わっているのだ。


つまり、市民参加による共同管理の問題に、安全保障の問題を加味するのか、しないのかという問いかけであった。私は、それを加味してみなければと考えているのだが、そうなれば、当然ながら、主権国家・国民国家の暴力は勿論、そうした国家の集合・連合体から構成される覇権システムの暴力とも、否が応でも向き合うこととなる。(付言すれば、そしてそこから、私の語る「三つ」の下位システムから構成される「一つ」の「システム」と向き合うことを余儀なくされる、という話である。)


さらに、場合によっては、国家や覇権システムの暴力のもとにねじ伏せられてしまうかもわからない。そうなれば、市民であれ労働者であれ、彼らによるコモンの共同管理は不可能なこととなる。それは、そうした共同管理を介した社会変革と、それによるコミュニズムの実現云々の話を、絵空事としてしまう。


そうならないためには、私たちはさらに、どのような問題・課題を検討・考察すべきなのか、ということを考察していかなければならない。そんな話を、上述のくだりではしていたのだが、もうこうした私の問いかけは、これまでの数回の記事の中で、形を変えて論述してきた次第である。



(2021,12,23)


私の語る「システム」論から1970年代以降のB、C、Aから構成される「システム」のAにおける「生活苦に喘ぐ成長無き社会」を考えるときー斎藤幸平氏の説く「脱成長・潤沢なコミュニズム」の提唱との関連から(続・続・続)




それでは早速、前回記事の続きといきたい。読者に少しと言うか、お断りというか、それこそ「舌の根の乾かぬ内に」なのだが、やはり斎藤氏にはこれからもご登場をお願いしなければならない。今回からの記事において、何回か前の記事で紹介した「探求派公式ブログ」の潮音 学氏のブログ記事を検討・考察してみたいのだが、潮音氏が氏の記事において、斎藤氏のマルクスやマルクス主義に対する批判を試みていることから、行論の都合上、どうしても致し方なく、そうならざるを得ないからだ。




これまでの斎藤氏に関する私の記事において、潮音氏のブログ記事での斎藤批判を鑑みながら、私は既に、間接的ながらも潮音氏の斎藤批判に対する私なりの応答を展開していたのだが、今回からの記事において、潮音氏の見解を直接的な形で検証・考察してみたい。




先ずは、潮音氏の手による『人新世の資本論』の著者である斎藤の資本論・資本主義・社会変革・革命等々の位置づけ方や理解の仕方に対する批判記事に初めて接した際に、私が抱いた率直な感想から述べるとしよう。急いで付言すれば、ここでは潮音氏の記事のくだりに対してというよりも、氏の記事から伝わってきたマルクスやマルクス主義に関して私がこれまで「勝手に」つくり上げてきた何かについて、述べていることを断っておきたい。




私の語る「システム」論からすれば、私たちが「リベラルな民主主義」社会を実現するときには、必ずや人的環境及び自然環境の破壊が導かれるということである。というのも、そうした自由や民主主義、人権といった普遍的価値の実現は、私の語る「システム」を、すなわち「金の成る木」としての「システム」を前提として、その実現が目指されることから、「システム」に内在する差別と排除の関係から、人間と人間の関係においても、また人間と自然の関係においても、必ずや破壊が付きまとうからである。


たとえば、イギリスのインド支配の中で、イギリスはインドの人々と、彼らがそこで暮らしてきた自然を、イギリスとインドとの間において繰り返された戦争を介して壊してきたのである。また、私たちの社会を見渡しても、私たちがその豊かさや富を手にするために、どれほどの自然環境を破壊してきたかは一目瞭然ではあるまいか。


その際、そうした破壊の原因として、私たちが人間との、また自然との関係において疎外されてきたことの結果なのだ、と「反論」されるとき、私には、そもそも私たちの差別と排除の関係から構成される社会の中で、「疎外される」余地など、はたしてあったのかと言わざるを得ない。


私たちのリベラルな民主主義の実現のためには、いつもその前提として、経済発展(成長)を介した豊かさが不可避であったが、その豊かさと言うかそれを導く経済発展は、いつも他国とそこに暮らす人々との「関係」を、すなわち差別と排除の関係を前提とせざるを得なかったのである。こうした差別と排除の関係を前提とした経済発展と民主主義の発展の関係は、私の語る「システム」とその関係の歩みの中でつくり出されてきた。




私のこうした「システム」論を踏まえるとき、私には、マルクス主義で語られる「疎外」論を別にしても、人間と人間の関係における、また人間の自然との関係における破壊は、何もマルクスやマルクス主義と結び付けなくても語られることではないのか、と私は考えるのだ。


私の語る「システム」を前にしたとき、それを「止揚」するという場合には、国家の止揚のレベルでは収まり切れない様々な問題を勘案する必要がある、と私は「システム」論と向き合いながら考えてきた。その際、マルクスやマルクス主義者が革命の変革主体として位置付け理解してきた賃金労働者や労働者階級(プロレタリアート)の存在が、いかに差別と排除の関係を前提とした(私の語る)「システム」の形成と発展に、どれほど寄与・貢献してきたかを、私はこれでもかと言うほどに、認めざるを得なかったのだ。


私からすれば、マルクスやマルクス主義の「資本主義」理解には、社会変革を構想する際において、致命的かつ決定的?な欠点・欠陥が存在していたと言わざるを得ないのだ。それは今やマルクス主義が時代に合わない、時代から取り残されたという意味ではなく、もともとその理論なり主義の中に内在的な問題として、そうした欠点・欠陥が存在していたということなのだ。


それを、私なりにかいつまんで言えば、私の語る意味での「システム」を「国家」として把握したということ、換言すれば、国家を超えた存在を認められなかったということ、それゆえ、「資本主義」国家さえ止揚すれば何か先が見えてくるかのように捉えていたきらいがある。つまりは、そうした国家の集合体・統合体・統一体としての覇権システムの存在を軽視・無視あるいは理解できない傾向がみられた。


さらに、私には看過できない問題として、マルクスやマルクス主義者は、資本主義さえなんとかすれば、民主主義はどうにでも処理できるかのような位置づけ方理解の仕方にとどまっていたことを無視できない。その一つの例証として、をーラーステインやフランク等は、資本主義を「史的システム」の次元で理解していたのに対して、民主主義はその資本主義から独立した一つの史的システムとしては位置付け理解できなかったということである。そこには、彼らが歴史を動かす原動力を、資本主義とそれにかかわる労働者と資本家との関係の次元にもっぱら制限して考察していたことが大いに与っている、と私は理解している。


付言すれば、そうした理論的原因なり背景を考えていくとき、私には歴史を動かす原動力として、マルクスやマルクス主義者は労働者階級を、そしてその労働者階級と資本家階級との階級対立を、その理論的中核・中心に据えていたのではあるまいか。労働者階級が中心的担い手となって展開される資本家階級との階級闘争の歩みこそが、歴史を構成するのだ、と。


**これに対して、私は、有史以来私たちの歴史の原動力は、自己決定権の獲得とその実現を巡る二人・二つ以上の人間・集団・共同体間の力(暴力)と力(暴力)のぶつかり合いとしての争奪戦を介してつくり出される「親分ー子分」の「支配」と「従属」にみる差別と排除の関係を、その基本的・中核的要素とすると同時に、その集合・統合・統一体として形成され発展するに至った覇権システムの歩みこそが、何よりも歴史を創る原動力であった、と私はみているのだ。


***なんとも悲しい話を、ここでも私は語っているのだが、歴史を動かす原動力は、マルクスのような「希望」へと至る人類の道ではなく、私の描くような「絶望」へと導くものであったことを、私たちは改めて、自覚・自戒しておいた方が良いのではあるまいか。


***だが、間違っても、絶望の淵にとどまり続けないでほしい。私たちの直面する絶望がどれほど大きく深いものであったとしても、それを自覚・自戒すればするほど、そこから哲学する力も同時にまた、さらにその強靭さを増していくに違いないのだから、決してあきらめることのないように、と私自身に言い聞かせながら、一日、一日、そしてまた一日の繰り返しを大切にしつつ、生きていきたいものだ。


*付言すれば、その「親分ー子分」の支配と従属にみる差別と排除の関係とその集合体・統合・統一体である覇権システムの下で、親分に都合のいい「衣食足りて礼節を知る」営為の関係が子分との間において創造されてきたのだ、と私はみている。私たちが資本主義と呼ぶのは、その「衣食足りて(足りず)の営為の関係であり、また民主主義と呼ぶのが「礼節を知る(知らず)」の営為の関係に他ならないのである。




以上のことを、私は潮音氏の斎藤批判の記事を読みながら感じた次第である。それでは、ここまでの私の感想を踏まえながら、次回からは、潮音氏による斎藤批判のブログ記事を検証・検討していきたい。ただし、私の勉強不足から、潮音氏との応答がどれほどうまくいくのかは、最初から自信はないのだが、とにかく勉強するいい機会なので取り組んでいきたい。(続)




(2021,12,26)のブログ記事


私の語る「システム」論から潮音 学氏による斎藤幸平氏の『資本論』・「資本主義」理解に関する批判記事(第1回)を読み直すとき(続、続、続、続)




それでは前回記事の終わりにおいても述べていたように早速、潮音氏の斎藤に関する批判記事を紹介しながら、その内容を検証・検討していきたい。ここで取り上げている潮音氏の記事は、あくまでも私が氏による斎藤批判において注目した記事であることをここで断っておきたい。今のところ、私が取り上げてみようと考えているのは、潮音氏の記事の第1回目、第4回目、第7回目であるのだが、今回記事では、その第1回目を、以下に引用貼り付けておく。




(引用貼り付け、始め)


ーーー


探究派公式ブログ
潮音 学


2021-02-07
斎藤幸平「疎外論」批判 第1回 いま・なぜ
斎藤幸平「疎外論」批判――斎藤幸平によるマルクス「疎外論」の破壊を許すな――一 いま・なぜ



 長年にわたる良心的な環境保護活動家、科学者たちの取り組みと警鐘によって、気候危機の大きな要因とされているCO?の排出量の制限が、ようやく脱炭素産業革命というかたちで実現されるかのように宣伝されている。第一次産業革命(18世紀半ば)から250年にもわたり主要エネルギーを担ってきた化石エネルギーの大転換である。




 昨年、ヨーロッパ各国支配権力者たち、ロスチャイルドを中核とする金融資本グループ・諸独占資本家たちは脱炭素化に大きく舵をきった。またすぐさま習近平中国もそれに追随したのである。「母なる地球は有限」と称し、コロナ感染の克服と同様に脱炭素化は「全人類の課題」としてそれは推し進められようとしている。
 だが、彼らが考えていることは、「全人類の危機」を防ぐことなどではない。コロナ危機をのりきるために、各国支配権力者たちが金融市場につぎ込んだ膨大な資金を、この膨れ上がった金融市場の資金を、脱炭素・グリーンニューディールとして投下し、ポストコロナに彼らの利害を貫徹しようとしていることでしかない。




 現代帝国主義の経済形態としての国家独占資本主義は、2008年のリーマンショックというかたちでの世界金融危機においてその限界を現実的に露呈した。独占資本家どもとその政府は、この金融危機を、膨大な赤字国債を財源とする財政・金融政策の展開によってとりつくろいつつ、国家資本主義国中国を、生産の・そして投資先の・さらに市場としてのパートナーとしながら、パーソナルコンピューター、インターネット、ICTなどの高度化による直接的生産過程ならびに流通過程の合理化をもって、労働者・人民に多大な犠牲を強いてのりきってきたのであった。だが、コロナ危機へ対応のゆえにさらに膨れ上がった金融バブルは、もはや国家独占資本主義という政治経済構造の破綻を覆い隠すことができない臨界点に達してきている。だから彼ら各国支配者、独占資本家どもは、金融市場での資産価格のつり上げという「仮想空間での投資」から現実的に価値創造が行われる直接的生産過程への投資へとどうしても切り替えなければならなかったのである。




 これが、脱炭素産業革命の物質的基礎に他ならない。だから言うまでもなく、この脱炭素産業革命は、その質、規模、影響力において巨大なものとならざるを得ない。それは全世界の労働者・人民にさらに大きな犠牲を強いることは明らかなのである。
良心的な環境保護活動家、科学者、エコロジスト思想家をからめとり、彼らを先兵としながらそれはなされようとしている。




 今、新たなマルクス主義思想家としてもてはやされている斎藤幸平もその一人である。彼は、『大洪水の前に』『人新世の「資本論」』という著書を出版し、NHK「100分de名著」という番組で『資本論』の解説を務めた。斎藤はその著書でもプロレタリア、プロレタリアートという言葉を忌み嫌う。またNHKの解説においても「階級闘争」という言葉をマルクスから抜き去り、マルクスは、「人間主義=自然主義」という観点から人間と自然との「物質代謝」を唱えたのだと解説している。




 私は先の小論において、『新人世の「資本論」』を中心に斎藤幸平を批判した。しかし、その小論で述べていたように、「疎外論」にかかわる批判は充分になしえたとは思っていない。
 若きマルクスが『経済学・哲学草稿』で獲得したところの、彼のイデーといいうるものは、明らかに『資本論』の未完の完成に至るマルクスの「学問」的生涯を貫いている。だから斎藤は『大洪水の前に』という著書の冒頭で、マルクスの「疎外論」を改竄・捏造しなければならなかったのである。




 この小論では、斎藤幸平がいかにマルクスの疎外論を改竄・捏造しているのかを、すなわち、プロレタリアートの自己解放の論理である同時に人間の人間としての解放の論理であるマルクスの「哲学ならざる哲学」を歪曲しているのかを明らかにしたい。
       (2021年1月26日   潮音 学)


(引用貼り付け、終わり)


ーーー




それでは、私の語る「システム」論との関連から、上に引用貼り付けしたくだりの内容について、検討してみたい。私は、行論の都合上、以下のように、氏の引用貼り付けしたくだりを、以下のようにまとめ直してみた。




〈「現代帝国主義の経済形態としての国家独占資本主義は、2008年のリーマンショックというかたちでの世界金融危機においてその限界を現実的に露呈した。独占資本家どもとその政府は、この金融危機を、膨大な赤字国債を財源とする財政・金融政策の展開によってとりつくろいつつ、国家資本主義国中国を、生産の・そして投資先の・さらに市場としてのパートナーとしながら、パーソナルコンピューター、インターネット、ICTなどの高度化による直接的生産過程ならびに流通過程の合理化をもって、労働者・人民に多大な犠牲を強いてのりきってきたのであった。だが、コロナ危機へ対応のゆえにさらに膨れ上がった金融バブルは、もはや国家独占資本主義という政治経済構造の破綻を覆い隠すことができない臨界点に達してきている。だから彼ら各国支配者、独占資本家どもは、金融市場での資産価格のつり上げという「仮想空間での投資」から現実的に価値創造が行われる直接的生産過程への投資へとどうしても切り替えなければならなかったのである。」〉


のくだりと順序は逆になったが、


〈「昨年、ヨーロッパ各国支配権力者たち、ロスチャイルドを中核とする金融資本グループ・諸独占資本家たちは脱炭素化に大きく舵をきった。またすぐさま習近平中国もそれに追随したのである。「母なる地球は有限」と称し、コロナ感染の克服と同様に脱炭素化は「全人類の課題」としてそれは推し進められようとしている。
 だが、彼らが考えていることは、「全人類の危機」を防ぐことなどではない。コロナ危機をのりきるために、各国支配権力者たちが金融市場につぎ込んだ膨大な資金を、この膨れ上がった金融市場の資金を、脱炭素・グリーンニューディールとして投下し、ポストコロナに彼らの利害を貫徹しようとしていることでしかない。」〉


と、そこから次のくだりとなる


〈「 これが、脱炭素産業革命の物質的基礎に他ならない。だから言うまでもなく、この脱炭素産業革命は、その質、規模、影響力において巨大なものとならざるを得ない。それは全世界の労働者・人民にさらに大きな犠牲を強いることは明らかなのである。
良心的な環境保護活動家、科学者、エコロジスト思想家をからめとり、彼らを先兵としながらそれはなされようとしている。」〉




私が先ず何よりも気になったのは、氏の言う「現代帝国主義の経済形態としての国家独占資本主義は、」のくだりであった。私はすぐに以下のように問うてみた。すなわち、その個所は、〈現代帝国主義の「政治形態」としての国家独占資本主義〉として語れないのだろうか、という問いかけであった。


先ずそこで、私が私の問いかけというか問い直しにおいて、違和感を感じたのは、わざわざ政治形態として位置付け直したにもかかわらず、どうして経済形態と同じように、国家独占資本主義となるのかという点であった。


さすがに国家独占資本主義ではまずかろうから、「国家独占民主主義」に、またここでも独占民主主義という表現はおかしくなるだろうから、やはり、「現代帝国主義の政治形態」を考えるのはできないのか、と自問自答するに至った。そこから、私が導き出したことは、現代帝国主義の経済形態と同様に、政治形態も在りうるはずだとの結論であった。


だが、問題はそれをどのように表せるのか、また表わすことができるには、どうすればいいのかという点であった。そのためにも、これまでの帝国主義を、もっぱら資本主義の次元と結び付けて、同時にまた、そこから国家独占資本主義と結び付けて、両者尾を位置づけ理解する仕方に替わる何かを、改めて探す必要があるということであった。


そうしたことを考えていくとき、これまでの思考方法というかその形式が垣間見られたのだ。すなわち、現代の帝国主義の経済形態を国家独占資本主義とすることによって、その経済形態の中に、政治形態も当然ながら組み込まれているとの発想なり、民主主義の位置づけ方・理解の仕方が存在しているのではないか、との素朴な疑問である。換言すれば、国家独占資本主義の問題を検討・考察しさえすれば、当然ながら民主主義の問題も併せて検討・考察できるとの認識が規範として、何ら疑われることのない既成事実とされていたのではあるまいか。


少し考えてもわかることだが、いくら資本主義の認識や理解の力を高めたとしても、そこから直ちに、ある国のある国民がどのようにして民主主義の実現を目指すに至ったのか、また、その歩みはどのように展開していったかに関する検討や考察は、それほど簡単にできることではなかろう。


もしそれが、資本主義の検討や考察を行うことだけで可能なのだとされるのならば、その場合の民主主義とは、現実の、つまり史的次元のそれではなく、資本主義という下部構造に規定されると位置付け理解されていた「理念」の次元に限定されたものではなかったろうか。


さらに、国家独占資本主義という場合の「国家」を考えるとき、それはそれほど簡単な問題ではない。たとえば、イギリスの国家というとき、イギリスがその植民地としていた地域とそこに暮らす人々との関係を、私たちはどのように表せばいいのか、という問題が浮上してくるに違いない。


その理由は、たとえばイギリスの植民地に長らく据え置かれたインドを引き合いに出したとき、もしイギリスの植民地状態に長期間にわたり置かれていないならば、インドも国家の実現の機会に恵まれていたかもわからない。そうした点を斟酌するとき、私たちはイギリスの国家実現の歩みを語るときには、その歩みの中に、インドにおける国家実現の不在の歴史も合わせて組み込んで位置づけることを避けられない。


問題は、すぐ上でも指摘していたように、そうしたイギリスにおける主権国家・国民国家へと向かうナショナリズムの歩みと、インドにおけるその不在としてのナショナリズムの歩みを、相互に関係・関連させながら描くには、どうすればいいのか、ということであろう。


これらの点を鑑みるとき、はたして本当に、現代帝国主義としての経済形態である国家独占資本主義の抱える問題だけを俎上に載せて検討・考察することによって、たとえば、私たちは今、現実の史的次元における「民主主義」のいかなる「段階」に位置しているのいかを確認できるのだろうか。もし、その確認ができないのならば、私たちは当然ながら、これから先に直面するであろう出来事を、できうる限りの次元において、見通すことも難しいのではあるまいか。


ここで、先の問題について、もう少し論を展開してみよう。既に指摘したように、私が気になるのは、「国家独占資本主義」という場合の「国家」はどのようにしてつくり出されてきたのかという問題である。すなわち、そこには「国家」と(独占)「資本主義」の関係を、私たちがどのように位置付け理解してきたかの問題が組み込まれている、と私はみている。たとえば、当該国家が独力で、一国の力だけで、国家を創造して、その国家の手により資本主義の形成と発展に関わってきたと理解するのかどうか、の問題である。


その際、そこでの資本主義の形成と発展に関しても、当該国家が独力で、一国の力でもって資本主義をつくり上げてきたかどうかの問いである。資本主義の下での経済発展なり成長を念頭においたとき、すぐさまその経済発展を一国枠でとらえるのは少し難しいことに気がつくのではあるまいか。「外部」との接触を遮断した国家においては、それも可能だろうが、通例はもう一つの国や地域との関係においてそうした経済発展は可能となるであろうから、資本主義においても同様に、関係を前提としてつくり出されたと考えるのは何らおかしな話でもなかろう。


当然そこから、国家の創造に向けての歩みを考えるときも、関係を前提として、その実現が可能とされたとみるのはこれまたおかしなことではあるまい。すなわち、主権国家や国民国家の実現の歩みとして語られるナショナリズムの歩みは、関係を前提として初めて語ることのできる現象なのだ。それゆえ、問題となるのは、先述したように、その関係をどのようにして描くことができるのか、という問題となってこよう。


また、そうしたナショナリズムの歩みを考えていくとき、私が歴史を動かす原動力と位置付け理解している二人・二つ以上の人間・集団・共同体間での自己実現の獲得とその実現を巡る力と力のぶつかり合いを介した争奪戦にみられる「親分ー子分」の支配と従属の差別と排除の関係を基本的要素としてそこから形成と発展の歩みを展開するみる覇権システムと結び付けながら、関係論から捉え直したナショナリズム論は、「国家独占資本主義」を語る際に、重要な分析視角・視点を私たちに提供するのではあるまいか。


そうして考えていくとき、覇権システムを前提とした主権国家・国民国家と資本主義の歩みを関係の中で位置付け理解するのは当然のことであるとみられるのではあるまいか。さらにそこから、民主主義の実現の歩みを考える際に、関係を前提として位置付け理解することの重要性と有意義性に気がつくのではあるまいか。こうした点を鑑みることで、「現代の帝国主義」それ自体もまた、関係を前提としてつくり出されてきたとの分析視角が手にできるのではあるまいか。




これらの点を踏まえながら、先の潮音氏のくだりを読み返してみたい。結論を先取りして言えば、潮音氏の語る国家独占資本主義とは、たとえば、イギリスの、アメリカの、日本のというように、一国枠を前提としたそれではあるまいか。そこから資本主義のそれも、イギリスの、アメリカの、日本の資本主義という位置づけ方理解の仕方をされているのではあるまいか。


誤解のないように付言すれば、そうした言い方自体を私はおかしいと言っているのではなく、あくまでもそれは、たとえばイギリスの資本主義というとき、「世界資本主義システム」を構成するその一部であるイギリスの資本主義といわなければならないとの観点から、私は述べているのである。


同様に、私は、その世界資本主義システムの形成と発展の歩みを捉え直すとき、そのシステムは、覇権システム、世界民主主義システムと密接に関係しながら、その形成と発展、および変容の歩みを辿る、私の語る意味での「システム」の中で初めて位置付け理解される、と私はみている。


それゆえ、結局のところ、イギリスの資本主義という場合、それは私の語る意味での「システム」を構成する一要素としてのそれであるということを、はたして各々の論者がどれほど正鵠に理解しているか、と私は思うのだ。付言すれば、それはイギリスの民主主義という場合においても、またイギリス国家という場合においても、等しく該当する、と私は考えているのだ。さらに付言すれば、このように語る私の「システム」論の次元へと至る前で、I・ヲーラーステインの「世界資本主義システム」論は立ち止まってしまった、と私は理解している。




それでは、こうした点を踏まえながら、潮音氏のくだりに登場してくる中国の位置づけ方とその理解の仕方に関して、検討してみよう。行論の都合上、そのくだりを、以下に再度、引用貼り付けておく。




ーーー


(引用貼り付け、開始)


〈「現代帝国主義の経済形態としての国家独占資本主義は、2008年のリーマンショックというかたちでの世界金融危機においてその限界を現実的に露呈した。独占資本家どもとその政府は、この金融危機を、膨大な赤字国債を財源とする財政・金融政策の展開によってとりつくろいつつ、国家資本主義国中国を、生産の・そして投資先の・さらに市場として
のパートナーとしながら、パーソナルコンピューター、インターネット、ICTなどの高度化による直接的生産過程ならびに流通過程の合理化をもって、労働者・人民に多大な犠牲を強いてのりきってきたのであった。〉




〈「昨年、ヨーロッパ各国支配権力者たち、ロスチャイルドを中核とする金融資本グループ・諸独占資本家たちは脱炭素化に大きく舵をきった。またすぐさま習近平中国もそれに追随したのである。〉




(以上、引用貼り付け、終わり)


ーーー




こうした潮音氏の中国の見方を踏まえて、それではもう少し論を展開していきたい。私がこのくだりにおいて、気になった点は、現代の「国家資本主義国中国」と言う場合、中国の労働者や人民を視野に入れているのに対して、その中国と中国の労働者や人民によって、搾取されている他の諸国とそこに暮らす人々が、潮音氏の言う国家資本主義国中国の中には、両者を相互に関係づける・結び付ける形で、組み込まれていないという点だ。どのようにして、中国は国家資本主義国となることができたのだろうか。


つまり、ニクソン訪中と改革・開放の始まりを受けて、世界の工場となっていく中で、中国は、私のモデルで描くように、B、C、Aのグループとの関係を結ぶことによって、国家資本主義国の段階に位置するとされる中国へと転換・変貌できたのではあるまいか。そこには、Bのロシアやインド、ブラジルを始め、アセアン諸国や葉無論のこと、Cの中東、アフリカ諸国、Aの米国やイギリスを始めその他のEU ・ヨーロッパ諸国や日本等々が含まれているのではあるまいか。また、それらの諸国のすべてが資本主義の金融・独占主義の段階に位置付けられるわけでもないだろう。また、肝心の現代帝国主義なるものが、その関係を、何も描いてはいないのではあるまいか。


それに対して、私の語る「システム」論で提示される{[B]→(×)[C]→×[A]}においては、{[Bの経済発展]→(×)[Cの経済発展]→×[Aの経済発展]の関係に、また{[Bの民主主義の発展]→(×)[Cの民主主義の発展]→×[Aの民主主義の発展]の関係に、さらに、{[B]→(×)→[C]→×[A]}のB、C、Aの外側の[ ]の記号で示される主権国家・国民国家としてのナショナリズムの段階における「親分ー子分」の支配と従属にみる差別と排除の関係に、それぞれの次元における「帝国主義」とその関係が描かれているのである。




さらに、私のモデルは1970年代を分水嶺として、A、B、Cの関係からB、C、Aの関係へと、「システム」が構造転換・変容していく歩みを描くことによって、リーマンショックにみられる金融危機やコロナ危機とは関係なく、中国を先頭におきながら、B、C、Aの関係から構成される「システム」が「金の成る木」としてその基盤を脱炭素へと移行させる流れを、その有力な選択肢の一つとして、視野の内に入れている。当然ながら、「システム」との関係上、それは世界的規模でおこなわれるのは言うまでもない。だが、潮音氏の主張の中に、それを具体的に示す手掛かりは散見されない。




なお、ここまでの私の話は、あくまでも私の語る「システム」論から読み直すことを前提とした場合である、と付言しておきたい。すなわち、氏による今日の経済産業構造の変化を導いたのは、国家独占主義の関与のもとにおいてというよりは、私の語る1970年代以降から今日に続くB、C、Aによって構成される「システム」とその関係の歩みが、そうした構造変化・変動を導いた、と私はみているのである。


なお、モデルとの関連から付言すれば、未だこのB、C、Aの関係から構成される「システム」は、モデルで描かれるような形では実現してはいない。これに関しては、何度も断ってきたように、2040,50年頃に、モデルで描かれる関係が実現される、と私はみている。




氏による論の最初の方での以下のくだり、すなわち、ーーー 昨年、ヨーロッパ各国支配権力者たち、ロスチャイルドを中核とする金融資本グループ・諸独占資本家たちは脱炭素化に大きく舵をきった。またすぐさま習近平中国もそれに追随したのである。「母なる地球は有限」と称し、コロナ感染の克服と同様に脱炭素化は「全人類の課題」としてそれは推し進められようとしている。
 だが、彼らが考えていることは、「全人類の危機」を防ぐことなどではない。コロナ危機をのりきるために、各国支配権力者たちが金融市場につぎ込んだ膨大な資金を、この膨れ上がった金融市場の資金を、脱炭素・グリーンニューディールとして投下し、ポストコロナに彼らの利害を貫徹しようとしていることでしかない。ーーーのくだりの内容を、私の語る「システム」論との関連から、もう少し掘り下げてみたい。


私の語る「金の成る木」としての「システム」は、1970年代を分水嶺とするかのように、A、B、Cの関係から構成される「システム」から、B、C、Aのそれへと構造変換・変動をみたのだが、そうした歩みの中で、「脱炭素産業革命の物質的基礎」は用意されたのだ、と私は捉えている。


「金の成る木」としての格差バネを最大限に有効に働かせるためにも、B、C、Aから成る「システム」のBの先頭に位置する中国を筆頭として、今後ますますその発展の歩みを辿るであろう「システム」は、中国の経済発展を支えるレア・メタルやその他の鉱物資源や石油等の天然資源が滞りなく、中国国家と政府によって有効利用されるように、Cの中東やアフリカ諸国を、同時にまた中国国家と中国がその他の国家との間につくり上げた生産・流通・消費の面でのネット・ワークの下で、生産・製造・開発された文字通りのグローバル製品の受け入れ先としての市場として、かつての先進諸国であるAグループと、BやCのその他の諸国・諸地域を組み込みながら、その「金の成る木」としての構造的圧力をますます強大・巨大なものへとしている。


それゆえ、ーーーだから言うまでもなく、この脱炭素産業革命は、その質、規模、影響力において巨大なものとならざるを得ない―――と同時にまた、ーーー。それは全世界の労働者・人民にさらに大きな犠牲を強いることは明らか―――となるのだ。その際、「システム」はいつもながらのことだが、ーーー良心的な環境保護活動家、科学者、エコロジスト思想家をからめとり、彼らを先兵としながらーーー「システム」の下で急激にその汚染と破壊の勢いを強めていく地球環境とその対策に大挙かつ仰々しく、動員するのだが、彼らの提唱・提示する環境対策の内容にみる基本的性格とその守備範囲は、間違っても「金の成る木」としての「システム」の歩みを妨げるものには、決してならないことだけは確かである。


その意味では、潮音氏の説くように、ーーー「母なる地球は有限」と称し、コロナ感染の克服と同様に脱炭素化は「全人類の課題」としてそれは推し進められようとしている。
 だが、彼らが考えていることは、「全人類の危機」を防ぐことなどではない。コロナ危機をのりきるために、各国支配権力者たちが金融市場につぎ込んだ膨大な資金を、この膨れ上がった金融市場の資金を、脱炭素・グリーンニューディールとして投下し、ポストコロナに彼らの利害を貫徹しようとしていることでしかない。ーーーとして理解できるのではあるまいか。




以上、ここまでにおいて、潮音氏のブログ記事の第1回目を検討してきたが、やはり想像以上に疲れる作業であった。とは言え、その作業をとおして、私自身、また何かを考えるヒントを得たのも確かであった。次回以降の私の記事において、さらに氏の第4回、7回目の記事を取り上げて、検討・考察を試みたい。




(付記)


今日のというか、もう昨日となっていたが、NHKのニュース報道で、新型コロナやオミクロン株の新規感染者と入院に関する報道があったのだが、毎度のこと、肝心な話が聞かれないのだ。私が聞きたい・知りたいのは、オミクロンで入院した患者が、どのような治療を受けているのかに関してである。重症化しない?のなら、その治療は普通の風邪の処方と大差はないのかどうかについて知りたいのだが、、まったくわからないままだ。


本当に、この2年間近く、肝心なことを報道しないのだから、辟易している、といったところ。おそらく、現場の記者やニュース番組の担当者は、もっと疲れているに違いない。どうして、国民が知りたいであろう、より重要な情報を伝達させてくれないのか、と。
私は、この国の「自由」な空間がどんどん狭まっているように思われて仕方がない。何かの大きな圧力が私たちを身動きできないようにしている。私はそれを、私の語る「システム」論の観点から、これまでと同じように、ひたすら考察するしかないのだが。


私の記事に目をとおしてくれる読者の皆さんに、少し早いのだが、「良いお年を!」と、一言送りたい。私は、どうも夜と昼が逆転してしまって、何か変なのだが、今ならきっと、朝に起きれない若者の気持ちがよくわかるに違いないはず。まあ、なるようにしかならないから、ーーーーー。それでは、おやすみ。




(2021,12,29)のブログ記事


私の語る「システム」論から、潮音 学氏による斎藤幸平氏の『資本論』・「資本主義」理解に関する批判記事(第4回)と不破哲三著『マルクスは生きている』(平凡社新書)を読み直すとき(続、続、続、続、続)




以下の(最初に一言)は昨日の朝方に書いたものである。今回のタイトルにもあるように、今回記事からは、不破哲三著『マルクスは生きている』(平凡社新書)を、潮音氏の斎藤幸平批判記事との関連から取り上げて、さらに論を展開していきたい。


ただし、私は不破氏のその著作を、恥ずかしながら昨日まで全く知らなかった。ネット検索でマルクスやマルクス主義者の「(ブルジョア)民主主義」理解について調べていたところ、先の不破氏の手による著作とその批判記事を確認した次第。同時に、不破氏の講演会でのマルクスに関する主張なり見解についての記事も、斜め読みながらも確認したところだ。


その際、〈長野・「資本論」に学ぶ会:不破哲三『マルクスは生きている』(平凡社新書)批判 ◆2009.10.31 UP
平凡なブルジョア民主主義者に
不破はマルクスを貶める
『マルクスは生きている』を批判する〉の記事と、


〈不破哲三『マルクスは生きている』を批判する 畑田 治
週刊『前進』06頁(2420号5面1)(2009/12/14)
マルクスを語ってマルクスを解体
 「資本主義の枠内」論の合理化狙う
 不破哲三『マルクスは生きている』を批判する
 畑田 治〉の記事に、私は注目した次第。


また、併せて、〈長野・『資本論』に学ぶ会:柄谷行人『世界共和国へ』(岩波新書)批判 ◆2009.10.31 UP
カント平和論援用の時代錯誤
空疎なマルクス批判と平和への展望〉にも目が留まった。私も、この記事に、そして問題設定とその解明に向かう態度に強く共鳴・共感した次第だ。またまたうれしくなった。これからも、このブログ記事というか、この論考にも目を向けながら、勉強させていただく所存だ。




ここでも私の不勉強さを露呈してしまうのだが、残念ながら、昨日までこれらの記事を知らないままにいたなんて、もっと早くに知っていたら、当然ながら、参考論文記事として、拙論や拙著で紹介できたのに、と悔やむ限り。今回記事での不破哲三に関する私の記事は、このご両人の批判記事を踏まえた上でなされていることを、改めてここで断っておきたい。今のところは、「システム」と「国家」の位置づけ方を除いては、ほとんど異論はない。




(最初に一言)


今日もまた、今は午前の3時12分だが、文章を書き進めるための準備作業をしている最中。今日の投稿も見送りは必至。明日もまだ無理?、というかこのままだとおそらくちょっとやそっとでは書けそうもない。わかっていたことだが、私にはいわゆる「マルクス主義」の素養がないことから、マルクスの『資本論』を始め、その他の著作を巡るマルクスとエンゲルス没後のマルクス主義に関する神学論争を、私自身が自ら交通整理しながら、そこからマルクスやエンゲルスの生の声を取り出すのは、土台無理な話なので、あくまでも、私の能力に見合った取り扱いとなることを、ここでも重ねて念を押しておきたい。




それでは、潮音氏による斎藤幸平氏の批判記事を検討していきたい。以下に、行論の都合上、氏の批判記事(第4回)を、引用貼り付けておく。




ーーー




(引用貼り付け、始め)


2020-12-24
斎藤幸平批判 第4回 国家=革命論なき「潤沢なコミュニズム」社会への移行願望
 4 国家=革命論なき「潤沢なコニュミズム」社会への移行願望


 斎藤は、自然と人間とが統一された「持続可能な」「潤沢で公平な社会」を創造するものとして、コモンを見いだす。その主体は市民である。労働者は資本に包摂されたものとして、その即自的団結形態としての労働組合は切り捨てられる。労働者に彼が求めるのはワーカーズコープという職場の民主的管理・運営すなわち労働者による企業の経営である。(ワーカーズコープを主体とするということの問題性についてはここでは触れない。)
 彼は、このワーカーズコープをも、コモンを民主的に管理する共同体に集約されるものとして考えているようである。だから彼は、アメリカにおける住民闘争、イギリスの環境運動、フランスの「黄色いベスト運動」など彼が社会運動と規定するものに注目し、市民議会などの拡大と連携というかたちでコモンを量的に拡大することによって資本主義からの移行をはかる、ということを彼は考えているのである。
 だが彼は、国家については論及しない。コモンの量的拡大を、資本主義を変えるものとして考えている。まさに彼がコミュニズム社会と呼ぶものへの革命なき移行である。私は、資本が資本の利益を貫徹することに抗する市民的な闘いに、また国家が独占資本の利益を貫徹することに抗する種々の社会運動に、決して反対はしない。しかしその延長線上に国家の打倒が実現できるとは考えない。ましてやコミュニズム社会に移行することなどあり得ないことだと私は考える。斎藤には国家=革命論が欠如していると言わなければならない。(この問題については、さらに論を深められなければならないと思うが、今ここではできない)


(引用貼り付け、終わり)




ーーー




今回も、私には重荷となる作業だが、例によってまずは私の語る「システム」論からの素朴な印象を述べておきたい。


潮音氏によって指摘される斎藤の論の主眼は、労働者(階級)それ自体を前面に据えるのではなく、いわゆる「市民」をその直接的参加者とした「コモン」の共同管理にみる社会運動を介しての社会変革とその量的拡大を、「市民議会」活動と結び付けることによって、革命なきコミュニズムの実現手段としていることにある。


このように、潮音氏は斎藤の論をまとめながら、それに対して、バッサリと切り捨てるかのように氏の批判を展開している。その批判の要点は、斎藤氏による資本主義から「コミュニズム社会への革命なき移行」論には、革命の主体が不在であると同時に、「国家の打倒」に関する「国家=革命論が不在である」とのことだ。




以上、潮音氏に依拠しながら、氏と斎藤氏の見解を私なりにまとめてみたが、それを踏まえながら、ここで私が気になった問題についてさらに検討してみたい。


私は以前から、マルクスやマルクス主義者は、「(自由主義的)民主主義」をどのように位置付け理解してきたかについて、非常に関心を持っていた。結論を先取りして言うならば、私の語る「システム」を、その民主主義でもって「打倒」することなどは到底できない、ということである。


つまり、その民主主義の実現した社会の中で、立憲主義を尊重し、民主主義的手続きに従いながら、国民が自らの代表者を選出し、その彼らが政権を担い国家の政治を司る体制が滞りなく継続していくとしても、その民主主義体制の下で、たとえ共産党に代表される政党が政権を担当したとしても、「システム」の変革はおろか、打倒など決して行うことなどできない、と私はこれまでの拙著や拙論で論及してきたのである。この私のブログ記事でも述べているように、「システム」の「暴力」の前では、いかなる革命集団の暴力も全く歯が立たないのだ、と。


そして何よりも、私たちが民主主義(「普遍的価値」)の実現を目指す歩みにおいて、有史以来、自己決定権の獲得とその実現を巡る二人・二つ以上の人間・集団・共同体間の力(暴力)と力(暴力)のぶつかり合いとしての争奪戦を介してつくり出される「親分ー子分」の「支配」と「従属」にみる差別と排除の関係を、その基本的・中核的要素とすると同時に、その集合・統合・統一体として形成され発展するに至った覇権システムの歩みを抜きにしては語れない、と私はみている。


*なお、すぐ上のくだりに関連して、(2021,12,26日)の私のブログ記事の中のあるくだりを、ここに引用貼り付けておくので、もしよければ、再度考えてほしい。)




ーーー


(引用貼り付け、始め)


当然そこから、国家の創造に向けての歩みを考えるときも、関係を前提として、その実現が可能とされたとみるのはこれまたおかしなことではあるまい。すなわち、主権国家や国民国家の実現の歩みとして語られるナショナリズムの歩みは、関係を前提として初めて語ることのできる現象なのだ。それゆえ、問題となるのは、先述したように、その関係をどのようにして描くことができるのか、という問題となってこよう。


また、そうしたナショナリズムの歩みを考えていくとき、私が歴史を動かす原動力と位置付け理解している二人・二つ以上の人間・集団・共同体間での自己実現の獲得とその実現を巡る力と力のぶつかり合いを介した争奪戦にみられる「親分ー子分」の支配と従属の差別と排除の関係を基本的要素としてそこから形成と発展の歩みを展開するみる覇権システムと結び付けながら、関係論から捉え直したナショナリズム論は、「国家独占資本主義」を語る際に、重要な分析視角・視点を私たちに提供するのではあるまいか。


そうして考えていくとき、覇権システムを前提とした主権国家・国民国家と資本主義の歩みを関係の中で位置付け理解するのは当然のことであるとみられるのではあるまいか。さらにそこから、民主主義の実現の歩みを考える際に、関係を前提として位置付け理解することの重要性と有意義性に気がつくのではあるまいか。こうした点を鑑みることで、「現代の帝国主義」それ自体もまた、関係を前提としてつくり出されてきたとの分析視角が手にできるのではあるまいか。


(以上、引用貼り付け、終わり)


ーーー


そして、この覇権システムを前提としながら、そのシステムと世界資本主義システムと世界民主主義システムの三つの下位システムから成る一つの「システム」をどうしても受け入れざるを得なくなり、そこから結局のところ、抜け出すことができないままの「奴隷状態」に置かれ続けるのである。


哀れといえば、そのとおりなのだが、自由や民主主義や人権や法の支配、平和といった一見したところ、ごもっともなはずの神々しいそんな価値とその実現の成れの果てとして、いま私たちが生きているこの世界の現実を見ればわかるように、ごくごく少数の「勝者が支配する「システム」の中で、圧倒的多数の「敗者」は、身の回りの他人との差別と排除の関係の下で、押し合いへし合いを繰り返しながら、「システム」がその多数のシステム人として生きてきた彼らに対する報酬として提供した砂上の楼閣でしかない空間を、安住の地として守り抜こうと、必死に生きているのだ。




それゆえ、こうした私の結論をもとにして、それではマルクスやマルクス主義者は、民主主義や民主主義国家と国民、民主主義的・選挙・議会について、彼らの革命論との観点から、とくに「暴力革命」論や「プロレタリアートの独裁」論を前にして、どのようなアプローチを試みてきたのかについて、検討・考察していきたい。その際、私の語る「システム」と、潮音氏の言う「国家の打倒」の中の「国家」とがどのような関係にあるのかも、併せて検討・・考察してみたい。この作業を経た後で再度、潮音氏の斎藤批判記事を読み直すことにしたい。




それではここで、行論の都合上、日本共産党元委員長であった不破哲三氏の「マルクスは生きている」に関する論説・見解と、それに対する批判記事を以下に紹介しておきたい。その際、日本共産党現委員長の志位氏のマルクスとリンカーンに関する「赤旗綱領教室」に掲載された記事と、それを批判した私のブログ記事も紹介したい。




まあ、少し結論めいたことを述べるならば、私の「システム」論から、日本共産党の「民主主義」の位置づけ方・理解の仕方を捉え直すとき、「もう、これはあかんなあ」の一言しかないのだが、何度も言うように、「システム人」の私がそんなことを言えば、それこそ、天に唾することになってしまうのだが、それでも言わざるを得ないのだ。


私の語る「システム」は、それ自体が提供した親分の「衣食足りて」の営為=資本主義と「礼節を知る」の営為=民主主義を何ら問題視、も疑問視もするものではないことから、この共産党による「民主主義」礼賛を、
当然ながら歓迎するであろう。


斎藤幸平氏が労働者階級ではなく、訳の分からない「市民」を革命なき変革の主体」とせざるを得なかった理由も、こうした日本共産党の民主主義の見解からも推察できるのではあるまいか。と同時に、立憲主義に根差した民主主義社会の実現を目指すのならば、また市民によるコモンの共同管理を介した革命なき社会変革を目指すのならば、何もわざわざマルクスを引き合いに出すこともないであろうし、ましてやマルクス主義者などと僭称することもなかろう。


もっとも、私自身もこうした問題を考えるときには、今もそうだが、いつもイライラ来るというか、苛立ちを禁じを得ないのだ。フクシマにみるように、原発事故前も事故後も、これほど相手側の暴力によってボコボコにされながら、どうしてこちら側は、もしそんな存在があるとしたならばの話だが、何もしないで、ボーとしたままで、民主主義手続きがどうの、立憲主義がどうの、の間抜けな話の繰り返しに終始したままで、最後は相変わらず相手側の理不尽極まりない暴力の行使を甘受し続けたままで、のうのうと国会に議員資格を得て出席して、共産党は、立憲民主党は、社民党はこうこうしかじかなんて、ほざくのだから、これはおかしいを超えているだろう。


いま私はちょうど朝の3時を迎えたところ。それもあるのだろうか、少々威勢がいいようだが、それはそうだとしても、こちら側も、といっても私の後ろにはごくごく少数の者しかいないのだろうが、もう少し真剣に「暴力」について考えるべきではなかろうか。私たちがこの「民主主義の社会」において、相手側に対して行使できる暴力の在り方を、もっともっと考えるべきではなかろうか。


国家においても、今では、相手国からやられそうに思えたならば、やられる前に敵基地攻撃をすべし等との意見も出てきている。覇権システムの中で生きている限り、こうした考え方は、何もおかしくはないだろう。喩え、民主主義の世の中だと言えども、その民主主義を下部構造として支えているのが覇権システムなのだから、私たち自身も、この「平和な民主主義」社会の中で、ボコボコにされるがままの状態から、相手をぼこぼこにできるような暴力論を、そろそろ「頭の中だけ」でもいいから、真剣に検討してみてはどうだろうか。(続)




(付記)


相変わらず、「甘いなあ」。「頭の中」だけ云々と言っている今も、相手側は現実に数々のそれこそ、目に見えるものから見えないものを含めると、枚挙に暇のないほどの暴力を行使し続けているのだから。「このバカたれ、アホたれが」、との声は、今でも私には新鮮に響き続けている。


―ーー以上、引用貼り付け、終わり


 今回もまたまた、長くなり、読者には誠に申し訳なく思うのだが、とにかくここまでお付き合いいただき、感謝するのみ。



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(2023,10,24)の記事、続き〈中〉

2023-10-24 | 日記
(2023,10,24)の記事、続き〈中〉


(2021,12,21)


私の語る「システム」論から1970年代以降のB、C、Aから構成される「システム」のAにおける「生活苦に喘ぐ成長無き社会」を考えるときー斎藤幸平氏の説く「脱成長・潤沢なコミュニズム」の提唱との関連から




(最初に一言)


私の語る「システム」の中で生きている「システム人」としての私は、この世に生を受けた瞬間から、いわば「総力戦体制」・「総動員体制」として位置付け理解される「システム」に「強制連行」される形で繋ぎ留められている。しかしながら、私がそうした思いをするまでには相当な月日を経た後のことであった。まさにこれこそ「後の祭り」なのだが。


*なお、「システム」の中では、「自由」は「強制」に、同時にまた、「強制」は「自由」に置換するのが通例のことである。


その理由は、上述したくだりとは真逆の教えを、この「システム」とそこに暮らす「システム人」から教えられてきたからなのだが、何よりもそれなりの生活を享受できていたという事実が大きいと言えるに違いない。ほどほどの「自由」が許され、政治への参加も自由であった。好きな音楽を楽しみ、映画館へも不通に行けた。それなりの青春を謳歌していたのだ。想えば、実にありがたいことであった。


だが、私には古き良き時代であったとしても、その同時代を生きた人の中には、いわれなき差別と排除に苦しみ、「自由であるはずの体制」に対して、それこそ反旗を翻すかのような生き方を強いられていた受苦者が存在していたのだ。世界に目を向ければ、さらにそうした存在に圧倒されていたはずなのだが、私は「おめでたき人間」であり続けていたのである。


そのおめでたき生き方は、その後の私の生き方とも関係しながら、表面的には、以前の私のようには生きることができなくなっていった。あらゆるものを疑い、これまで信じてきた社会の教えに背を向け、私自身が自ら信じられるものを手にできるように、悪戦苦闘する日々が続いたのである。


そうこうする中で、私はいつしか自ら進んで孤立していく自分の姿に気がついたのだが、もう後戻りはできなかった。少なくとも、皮相的な表面的な形ではあるにせよ、精神的には、「不幸なフリ」をして生きるように、私自身を絶えず追い込んで生きてきたと言っても過言ではないだろう。


その理由は簡単明瞭だ。私の語る「システム」の中で、「システム人」としてこれまで私がどれほど多くの人を、彼らが受苦者の存在として生きるように強い続けていたことに、はっきりと気がついたからに他ならない。その瞬間から私は、この「システム」の中でシステム人として生きる私を、何とかして解放するために、私のできる限りのことを考え行動したのだが、結局は、それはいつも「フリ」であり、欺瞞と言うしかなかったのだ。


そうした生き方がまた、私を苦しめたのは言うまでもないことだったが、それにもかかわらず、私はここまで嘘に嘘を重ねて生きてきたのは間違いない事実なのだ。一番汚い生き方かもしれない。あれほど「システム」の抱える問題を告発して、なんとかしてそこから少しでも離れることが大事だとほざきながら、結局はその「システム」が提供する「衣・食・住」の恩恵に与ろうとして、なりふり構わず生きてきたのだから。


とにかく「フリだけは」、をモットーにして(するかのように)、いろいろなことに手を出した。そしていつも、これもダメ、あれも駄目の連続となり、いつしか行動しないうちに、そのみじめな結果も見えるようになっていた。その中でも、私なりに「システム」から離れて、それとは異なる空間を創造するために、最低限の食べるものを自ら手にする方法を模索し、あれこれとその手の文献をあさると同時に、自らも真似事で山に行き、そこでの空気を吸うことを何度も繰り返していた。


ある時、かがんでいた体を起こしながら、ふと空をを見上げたのだ。そのとき、高い空から、ミサイルが私をめがけて飛んでくるのが見えたのだ。勿論、それは錯覚と言うか、「お疲れ様」から来る何かの妄想だったのだが、私は全身の力が抜け落ちるのを、しっかりと感じていた。「ああ、こりゃ、もうどうしようもないわい」、さすが「システム」だよ。エラソーにそこからなんとか離れて、少しでもましな人間の在り方を目指して新たな別の空間の創造だなんて、いくら構想しても、「システム」から発射される一発のミサイルで、すべては御破算となるだけではないか。


たとえいくら、あれこれ知恵を絞ってみても、政治的(・経済的・社会的・文化的)共同体としての主権国家・国民国家をその基本単位として構成される覇権システムの抱える暴力と向き合うことをせざるを得なくなり、そこから従来の国家とは異なる共同体の実現を目指すのであれば、どうしてもその共同体の安全保障とその実現についての在り様を考えなければならなくなる。


それを欠いた新たな共同体構想は、砂上の楼閣に等しいのだ。ただでさえ、シカやイノシシ、サルに、そしてクマの「暴力」を前にして、右往左往しているのに、そこに正真正銘の暴力が出現するとなれば、「もう、やっておれんわい」、となるのは言うまでもなかろう。


今の時代だから、想定外の出来事が次から次にやってくる。そんな時に、やはり共同体の安全保障は必要不可欠となる。やっと手に入れたささやかな、それこそ悪戦苦闘してこれだという生き方に根ざした、今よりは少しでもましな生活空間を何とかして、ここまで苦労してつくり上げてきたとの思いが強まれば強まるほど、理不尽な暴力に対して、こちらも力というか理不尽な暴力に訴えてでも、守ろうとするのは自然の摂理ではあるまいか。


それゆえ、もし新たなる共同体を構想するときに、その空間を防衛する力(暴力)を勘案した防衛力構想とそれに依拠した現実の防衛力が欠如するのならば、その共同体構想は、もはや絵に描いた餅以下でしかあるまい。私は、あの時の空を見上げた瞬間から、「もう、やめたわい」、の心境となったのだ。


もっとも、そうは言っても、その後も私の語る「システム」論とそこで描かれた「システム」と絶えず向き合いながら、「ああでもない、こうでもない」、と私自身は相変わらず、「システム」と「システム人」からどうすれば「卒業」できるのかと思案の連続なのだ。


それゆえ、そんな私が、いまの体制とは異なる生き方を提唱する論者の著作に接するとき、何よりも拘泥するのは、自己決定権の獲得とその実現を巡る争奪戦と、そこで繰り返される「親分ー子分」関係にみる差別と排除の関係を前提としてつくり出された覇権システムとその暴力に対して、当該論者がどれほどの思い(熱量)でもって格闘しているかという姿勢(態度)なのだ。


その理由は、繰り返しとなるのだが、国家と、その権力(暴力)と、またそれらの集合体である覇権システムとその暴力の行使によって、「あるべき社会」の実現を目指す運動が、これまでの歴史において、どれほど押さえつけられ、蹴散らされてきたか、それを私たちは嫌ほど見せつけられてきたのではあるまいか、との思いからである。それゆえ、どうしても、国家や覇権システムの暴力と向き合うことのない、その視野の内に含まない、あるべきとされる共同体に関する話は、私には眉唾にしか思われないのである。(続)


*なお、急いで言及すれば、私のこれまでの著作もまた、「眉唾にしか思われない」そのような類であったことは免れない、と言わざるを得ないのだが、私には国家とその集合・連合体である「覇権システム」の暴力と向き合い、それを凌駕する暴力を兼ね備えた他の異なる共同体とその存在の可能性を構想するのは難しい課題であることを認めざるを得ない。




(2021,12,21)


私の語る「システム」論から1970年代以降のB、C、Aから構成される「システム」のAにおける「生活苦に喘ぐ成長無き社会」を考えるときー斎藤幸平氏の説く「脱成長・潤沢なコミュニズム」の提唱との関連から(続)





それでは早速、前回記事の続きに入っていこう。ここで、また今回紹介しておきたい斎藤に関連したネット記事を見つけた。それは、
〈"It" thinks, in place of "I" .
"それ" が考える、"私" の代わりに。
トップ > ◆ 本の考察〈 哲学 〉 > ? 斎藤幸平の『 人新世の「 資本論 」』を哲学的に考える〉である・


以下に、そのくだりを引用貼り付けておきたい。


(引用貼り付け、始め)


ーーー


2021-06-07
? 斎藤幸平の『 人新世の「 資本論 」』を哲学的に考える
◆ 本の考察〈 哲学 〉
f:id:mythink:20211026083218j:plain




 1. 賞賛でもなく、シニカルな批判でもなく ……
f:id:mythink:20211026083054j:plain


a. 世間で話題の斎藤幸平の『 人新世の「 資本論 」』に対する感想や批評の多く ( Amazon のレビューなど ) がいかにつまらないことか。それは読者が彼の思想を理解していないとか、あるいは "真正の" マルクスの思想を彼に対してシニカルに対峙させる、などといういずれの態度には問題があるという事を言いたいのではありません。そうではなく、賞賛であれ批判であれ、本書を読んでその程度の感想しか持ち得なかったのか、と思わせるものが溢れているという事です。本当に何かを読み取って自分なりに考えたのだろうか、たんに字面を目で追った結果としての印象を語っただけなのではないか、と思わせる多くの "感想文" は "何かを読み解くという思考行為" の手前で多くの人が留まっている現象が新書の普及と共に起こっている事を示しているのでしょう。


b. ここでは、本書を読んでそこに内在する哲学原理を幾つか抽出し、それについて考えてみます。本書の理論的限界に対する批判として為すのではなく、本書を読む者が、自らの思考の限界とそこからの展開を促す。そうする事によって本書の内容を自分の中で継続的に考え、変化させていく事が出来るでしょう。そういう作業をせずに本書の理論的欠点を著者に短絡的に帰す事しかしないのであれば、その人は自分の時間 ( 読書の ) を無駄に使ったという間抜けな告白をしているに過ぎないのです。


(引用貼り付け、終わり)


ーーー


このくだりの内容に関して、「間抜けな告白?をしている」と自覚・自戒している私自身も、ここに紹介したくだりの内容については、おおよそは同意すると断った上で、少し私自身の考えを述べておきたい。批判が単なる批判であるのは論外だとしても、やはり「批判しきる・し尽す」ことは大切なことだ、と私は考えている。


つまり、誰かが何かを批判することを介して、そこから次につながる何かが見えてくるかもわからないし、当の批判者自身の抱える問題点も同時にまた、浮かび上がってくるからである。私の場合は、それがとくに当てはまるのだ。それゆえ。批判それ自体が駄目なのではなく、当該批判者自身にも、その批判が直接・間接的に跳ね返ってくるように、批判尽くしきるまで、批判できないこと自体が問題である、と私はみている。


私は例の如く、私の語る「システム」論をもとにして、どのようにすれば「システム」とその関係の歩みがつくり出す差別と排除の関係から、私自身をそれこそ「解放」できるかをこれまでウン十年近くに渡って思案してきたのだが、正直なところ、もう私の手には負えない、お手上げ・降参といった状況・状態の中に置かれているのだ。


そんな私には、たとえ私の語る(意味における)「システム」ではなく、「資本主義というシステム」を取り上げて、それを乗り越えるとか、その代替策を構想するとかの主張や議論であったとしても、私はそうした著作に対して、引き付けられる何かを自然と感じてしまうのだ。


と言うのも、そうした論者は、たとえその立場や主義・主張を異にするにせよ、この世の不条理に対して果敢に挑戦して生きていると推察するからだ。その営みは、相当のエネルギーを費やし、同時にその労力に報いるものは少ないのが常だ、と私は自らの経験から思うのだ。もっとも、最初からそんな報いなど期待もしていないし、これ以上のことを望んでは駄目だと思うのだ。


そんな事情もあり、私はこれまでの記事で斎藤の主張を批判的に検討してきたのだが、そこから以前の私の苦闘と言うか格闘の歩みを思い出した次第である。勿論、苦い思いの連続でしかなかったのだが、しかもそれがただの「フリだけ」をモットーにしていた私のような場合であったとしても、そうだったのだ。それは、探求派公式ブログで斎藤を批判している潮音氏も同じ?心境ではあるまいか。


少し横道にそれ過ぎた感もするが、いずれは、今回記事で紹介したブログ記事についても併せて考えてみたい。とにかく、私には、昔の私を思い出させてくれる刺激的な記事に何度となく出会えているので、うれしい限りである。




さて、それでは、前回記事を踏まえて論を展開していきたいと思うのだが、今回の私の注目したい論点は、斎藤の提唱する「コモン」の共同管理を介した社会変革云々の話に関してである。ここで行論の都合上、それについて、斎藤自身がインタビューの中で語っているので、ここにそのくだりを紹介しておきたい。


ーーー


(ハフポスト)
コラム・オピニオン
2021年02月02日 20時02分 JST
斎藤幸平は資本主義が嫌いなのか ?「それしか選択肢がないと思わせるところが怖い」


ーーー中略ーーー


ほかのイメージは浮かばないかもしれませんね。もしそうだとしたら、それは日本では、社会変革の成功例が少ないからです。


ヨーロッパでは、選挙以外でも、政治や企業にプレッシャーをかけていく運動が強く展開されています。


たとえば、フランスやイギリスでは、社会運動が強く求めた結果、くじ引きで市民から議員を選ぶ「市民議会」(※無作為抽出された市民が科学技術や地方政治のあり方などを議論する動きが広がっている)が、気候変動の対策を議論するために導入されました。


社会運動は非効率なものに思えますが、だからといって、社会運動を面倒なもの、意味のないものとしてしまうと、普通の人々が社会の意思決定に参与する余地はどんどん狭まっていきます。


ーーー中略ーーー


ウーバーイーツ。スマホがあれば「クリック」で誰かが食べ物を運んできてくれる
生活に必要なもので、自分で作れるものは無い
実際、今の日本は、みんなが無力で、受動的な消費者になっている。24時間、ワンクリックでなんでも届く社会になっていますが、逆に言うと、クリックしてお金を払うという行為を抜きにすると、僕たちは何もできない無力な存在に成り果てています。


ーーー中略―――


ワンクリックで購入するのが当たり前になればなるほど、私たちはますます商品や貨幣の力に依存するようになっています。


ーーー中略―――


けれども、楽だからといって、市場にすべてを任せてしまうことは危険です。お金がなければ、どれだけ必要なものであっても手に入らなくなるし、また、企業は儲からなければ、地域に不可欠な財やサービスの提供を突然止めてしまうかもしれない。


あるいは、儲けのために環境破壊や労働者の使い捨ても行われてきました。そうした理不尽さに対して、無力な個人は抵抗することができません。


ーーー中略―――


しかも、こうした経済格差やコミュニティの破壊は、すべて資本主義経済に内在的な特徴です。


だから、マルクスは、共通の目的のために、人と人が自発的に結び付くこと、つまり「アソシエート」して、社会の富を共同管理することの大切さを説きました。


地球から贈与された富。それを「コモンとして共同管理していこう」
僕たちは地球から様々な「富」を贈与されています。水、森林、地下資源、そうしたものを「コモン」として共同で管理していこう、と「人新世の『資本論』」では書きました。


個人所有の概念は否定しませんが、それとはべつに、教育、医療、電力など「みんなで管理すべきもの」は世の中にはたくさんあります。


ただ、コモンの管理は「ワンクリック」ではすまないし、時間もかかる。


でも、自分たちで決めて、運営するという経験が、社会に積極的に参加しながら、民主的に協同する市民の力を育んでいきます。


「便利で何でも揃う」けれど、資本の奴隷や家畜でいたいのか、富を資本の独占から取り戻し、コモンの自治によって、民主主義を取り戻したいのか。そういう二択だと思います。


ーーー中略―――


コミットメントが「面倒だ」と思うのは、ほとんどの人たちが、働き過ぎであり、忙しすぎるからです。


自治をやっている余裕がない。情報を集めたり、議論したりする時間も気力もないのです。


ドイツに住んでいたとき「良いな」と思ったのは、日曜日に店が閉まっていることです(※斎藤さんはドイツやアメリカで研究生活を送った)。その分、仲間と集まって議論をしたり、自分たちで遊びを考えたりするようになります。


そうした仲間とのコミュニティが、「コモン」を管理したり、デモをしたり、ある種の社会を自分たちで作っていく第一歩になります。


ーーー中略―――


資本主義が共同体の縁を徹底的に断ち切ったからです。


何が残ったか。商品を媒介とした貨幣のやり取りのみです。


たとえばウーバーで弁当を運んできた人に1000円を渡すと、「あなたとお店は1000円分の働きをしたから、1000円をあげます」という関係だけで終わり、あとは「さようなら」です。


でも、人間の社会は、本来はそう動いてないはずです。僕は自分の子どもの面倒を見ていますが、対価を求めない。友達の引っ越しを手伝ったり、本をすすめたり。お金を介さない関係はたくさんあるのです。


ーーー中略―――


水⇒ペットボトル。なんでもかんでも商品に
ところが、資本主義のもと、自然を含めたあらゆるものが、誰かに独占され、貨幣を介して交換する「商品」になりつつあります。


分かりやすいのは水です。本来は自然の「富」であり、すべての人々が生きていくのに必要だから「コモン」として管理されるべきものです。


その水が、ペットボトルに入れられ、商品となってしまいました。


人間は、水だけでなく、太陽の光、農作物、海産物などの恩恵を自然から受けています。その自然と人間の間に「貨幣」はなかったはずです。つまり、贈与です。


ーーー中略―――


「コモン」を管理することを私はコモン主義、つまりコミュニズムと呼んでいますが、コミュニズムは贈与がポイントだと思うんですよね。


自分の行為に対して、「これ1000円な」と対価を必ずしも求めない。お互いが自分の能力に応じて貢献して、各人が必要に応じて受け取る。これが、マルクスが構想した本来のコミュニズムのイメージです。


さっきおっしゃったように、そういう社会はある意味「めんどうだ」という人もいます。


けれども、「コモン」を管理することは、自分たちの生活を自治するための力を取り戻し、地球環境を守るために必要なのです。


資本主義が壊した「コモン」を再生させていかないといけません。


ーーー中略―――


―――


それでは、斎藤による「コモン」の共同管理を介した社会変革云々に関する主張を以下に検討してみたい。その際、フクシマの原発事故やその後の再稼働、あるいは種子法や首謀法の制定の動きも念頭において論を展開してみたい。とは言え、このインタビューでの斎藤の話を聞くにつれて、マルクスの資本論がどうの、資本主義をどう見る云々の話は、理論的な観点からはもうこれ以上、必要ないというか、そこまで喧々諤々と論議することはないのではあるまいか、と私は思ってしまったのである。


むしろ、斎藤の説く市民が主体となってコモンの共同管理に参加することを介した「脱成長・潤沢なコミュニズム」の主張は、何よりも実践・行動論においてこそ、その真骨頂を発揮するのではないか、そう考えるようになったのだ。具体的には、そうした管理へ参加する市民は、各々が専門的知識や行政経験。あるいは議員経験を有した者が多数存在することにより、その市民参加組織における交渉力はさらに高まることが予想されることから、その意味において、斎藤の提唱するビジョンとその実現には、現実的な実践・行動・運動論からの考察が何よりも必要不可欠である、と私はみるのだ。


それは、コモンとしての水や電気の市民による共同管理を論じる際に、そうした共同管理がたとえどれほど望ましいものであるかを認めるにせよ、市民による水や電気の共同管理に対して、今日では、そこに世界的な多国籍企業が立ちはだかっている現状を鑑みるとき、コモンの共同管理を介したコミュニズムによる社会変革の道は相当に険しいとしか言いようがないのも、また事実ではあるまいか。


もっとも、だからと言って斎藤の主張や提言が駄目だと私は言うつもりは毛頭ない。とにかく、ありとあらゆる可能なチャレンジはするべきだし、それ以外には、私の語る「システム」と向き合うことなど、とてもではないが、最初からどうにもならなくなるから、ダメモトを承知で、やればいいのだ。その際、資本主義というシステムを戦うべき相手とみるのではなく、あくまでも私の語る(意味における)「システム」を、またその下位システムとしての「(世界)資本主義システム」を、戦うべき向き合う相手として位置付けておくことを、私は提言しておきたい。




それを踏まえた上で再度、私の語る「システム」論で位置付け理解される1970年代以降から今日に続くB、C、Aから構成される「システム」とその関係の歩みを鑑みるとき、斎藤の提唱する市民がその中心的な担い手となって参加する「コモンの共同管理・運営」を介した「脱成長・潤沢なコミュニズム」の提唱は、前回記事でも指摘していたように、BやCからの激しい批判・非難が予想されるであろうし、Aにおいてのみ、その受け入れが可能となるところが現れるかもしれない。ただし、それは政治意識の高い市民運動や住民運動をもとに地方自治が営まれてきた経験を持つ地方自治体に当面は限定されるとみた方が良かろう。


さらに、先述したように、水や電気、農村の山や川や田畑をコモンとして共同管理する際に、フランスやイギリス、アメリカ、そして中国等を活動の拠点とした世界的な多国籍企業との交渉に、否が応でも取り組まなければならなくなることが予想される。しかもそのコモンが取り扱う対象の中には、核のゴミや原発の使用済み汚染水等々が含まれる可能性も今後、否定できなくなるのではあるまいか。


先進諸国と言えども抗しがたい巨大な力を保持するそうした世界的企業と、はたしてどれほどの交渉が可能であろうか。その過程においては、市民運動の切り崩しも容易に予想されるだろうし、長期戦ともなれば、資金面や人的面でのコモンの管理運営能力それ自体が危うくなることも予想される。


さらに、「原子力村」における国連を始め、各国政府や企業間の様々な力(暴力)の世界的ネットワークの存在を前にしたとき、それはもはや市民の手によるコモンの共同管理から導き出される力(暴力)では、どうにも抗しがたい政治的現実が立ちはだかることは、フクシマとそれ以後の日本政治の展開を振り返ってみても、自ずと理解されることではあるまいか。


「原発」を介した電気の提供は、「システム」の提供する「民主主義政治」を経て導入されると同時に、その政治の下で異議申し立ても繰り返されてはいるが、裁判所の前ではその声も届くことなく、未だに跳ね返され、さらにその後の民主主義選挙をとおして、原子力発電は国民・市民のお墨付きを得たと言えるだろう。あのフクシマを経験したはずも福島県においても、また、フクシマ以後に再稼働の是非を争っていたその他の県でも、結果は同様であったのは記憶に新しい。


付言すれば、原子力発電を介した電気の提供に与っているのは、「民主主義」体制の国においても、「擬似・全体主義」体制の国においても、「権威主義」体制の国においても、等しく見られる。また、宗教別に言えば、キリスト教圏であれ、イスラム教圏であれ、仏教圏、儒教圏であれ神道圏であれ、等しくみられている。



(最後に一言)


だが、そうした政治的現実が立ちはだかるからこそ、だからこその斎藤の市民の手によるコモンの共同管理を介した「脱成長。潤沢なコミュニズム」の提唱となるのだろう。私は、B、C、Aの「システム」におけるAの日本において、斎藤の提唱する社会運動の意義は高いとみている。その際、私たちの社会は、Aグループの中でも、上から20何番目下に位置付けられる「生活に喘ぐ成長無き社会」であるとの現状を看過してはならないだろうが。


いずれにせよ、避けられない戦いが、おそらくそこから展開されるのは必至だろうし、そうならなければ、市民の力も強くはならない。たとえそれが、革命なき社会変革の道であったとしても、今後の戦いの仕方一つで、それは革命を超える成果を私たちの手にもたらすかもしれない。




(付記)


今回の私の話は、斎藤に寄り添う形で論を展開したことを断っておきたい。と同時に、私の語る「システム」との戦いを念頭におくとき、私には、とにかくすべての可能性を否定することはできないのである。現実に実践・行動することが、今の私には何よりも必要だと痛感するからだ。


勿論、何度も繰り返して言うのだが、私の語る「システム」の中で、「システム」に逆らいながら、「あるべき何か」を創造することは、言うまでもなく至難の業であることだけは、念のために記しておきたい。それを承知の上で、「ダメモト」での話であることを念のために。それゆえ、その戦いに巻き込まれて命を落としたり、家族や友人、知人の、さらには相手方の誰かが不幸になることがないように、社会運動の参加者はくれぐれもそこに注意・配慮しなければならないのだ。


そうだからこそ、そうした社会運動の現実の実践活動とその戦いがどのような経緯を辿り、どのような結果をもたらすかに関して、あるべき社会に関係する「理論」は、前もって徹底的に批判的検討・検証にさらされておくことが求められるのだ。


ただし、これまでの私の論述の中に垣間見られるように、斎藤の提唱する運動は、「システム」において、当面は何ら問題のない者として扱われるか、むしろ逆に、推奨される蓋然性も高いということも、併せて述べておきたい。(続)






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№82私の語る「システム」論から、改めて中東問題の根源は、「普遍的価値」の実現を目指す「普遍主義」であることを、再考するとき―「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・

2023-10-24 | 日記

№82私の語る「システム」論から、改めて中東問題の根源は、「普遍的価値」の実現を目指す「普遍主義」であることを、再考するとき―「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ(続・続・続・続・続)〈前〉




(最初に一言)


 前回記事の最後のくだりにおいて、私の書く記事の内容は嘘?云々と述べていたが、正確に言えば、私は必死に私のできうる限りの真摯な態度で、いつも記事を書いているのは間違いない。たとえ「仮説」であるとしても、私は私自身の記事内容に対して、責任を負いながら、いつも書いている。


 その意味では、そこに嘘はない、ないはずだが、残念ながら、記事内容における考えとか提言が、どのように見ても実現できないとすれば、それはやはり結局は嘘を垂れ流しているのに等しい、と私は思うのだ。そのような意味での、前回記事での「嘘」という物言いをしていることを、ここでもまた、断っておきたい。それを踏まえながら、今回記事においても、どのようにすれば、今よりも〈よりましな〉生き方が可能となるのかについて、嘘を書いてみたい。




 さて、前回記事もそうであったのだが、これまでの私の記事の引用貼り付けを主とした記事内容になっていることから、私も欲が出てしまい、いろいろな記事を読者といま一度読み直したいとの思いから、多くの記事を貼り付けてしまうことから、読者には申し訳ないことになってしまう。もっとも、私自身も記事投稿の前に、記事内容を確認しながら、投稿について考えることから、読者の大変さ?はわかっているつもりだ。


 すべてを読むことはないので、斜め読みしながら、今の私たちの時代に何が必要であり、そのためには最低限、私たちのできうる範囲はどこまでであり、できないことは何か、また、その理由について、おおよそのことを理解していた方がいい、と私はみている。私はそれを私の語る「システム」論でもって、いろいろ考察しているのだ。


 もしよければで構わないのだが、読者は、私の方法を、一つの(良き?・悪しき)参考例として、そこから読者各人が取捨選択しながら、読者自身にふさわしい、今よりもよりましな生き方を見つけられる思考方法を探してくれれば、私のブログ記事もそれなりに役立つのではないかと不遜ながらも、そう思う次第。




 それでは以下に、前回から続く内容を理解するために、ここで再読してほしい記事を引用貼り付けておきたい。最初からすべてにわたり目を通すこともない。できれば、最後の方(〈後〉)に引用貼り付けた二つの記事から目を通してもらえればありがたい。なお、文字数の関係上、前・中・後の三つに分けて投稿していることを、あらかじめ断っておきたい


―ーー記事の引用貼り付け、開始


(2021,12、19)


マルクスの語る「類的存在」の構成員として、はたしてインドや中国に暮らす人々は含まれていたのだろうかー私の語る「システム」論から捉え直すとき




(最初に一言)


マルクスが1840年代、50年代にかけて「青年・若きマルクス」として位置付けられる頃に発表した一連の有名な著作の中において提示されていた人間解放、類的存在、革命的主体としての労働者階級、自然と人間の統一的関係等々の彼の主張・見解と、同時代のヨーロッパの、とくに市民革命の母国とされるイギリスやフランスにみるアジア侵略の歩みは、私の語る「システム」論の「システム」とその関係の歩みにみられるように、矛盾することなく相互に補完する関係を構成していたのではなかろうか。


私の語る「システム」論からマルクスのっ主張や見解を見直すとき、マルクスが描いたプロイセンの労働者階級も、またイギリスのそれも、1970年代以前のA、B、Cの関係から構成される「システム」とその関係の歩み(以下、「システム」と略す)を支持すると同時に、積極的担う存在だったとして、私は理解している。


その関連から言えば、マルクスがその著作でイギリス労働者階級の「疎外」に関する論考を執筆していた頃、「疎外」されて生きていたのは当時のイギリスの労働者階級だけではなかった。イギリスの労働者階級がプロレタリアートとして、ある時は対立・敵対し、またある時は協調・連帯する関係に位置していたブルジョアジーとともに、国民として、また大英帝国の一員として属している英国・大英帝国の支配と搾取の下に置かれた植民地の人々も、同様にまた「疎外」されながら生きていたのだ。


この両者の「疎外」の意味とその関係を、マルクスはどの程度、理解していたのだろうか。私には。「関係」論の立場から「疎外」を位置付け理解するのではなく、あくまでも「一国・一地域(枠)」論の観点から、疎外を捉えていたように思えるのだ。換言すれば、先ずはその疎外からの解放をイギリス労働者階級が実現した後で、次はイギリス国家とイギリス労働者階級もその一員として構成したイギリス国民の植民地である国や地域に暮らす人々の疎外からの解放云々のような論の流れを構想していたのではあるまいか。


マルクスには、その植民地とそこに生きる人々の疎外からの解放は、何よりもイギリスからの独立だとして理解できなかったのではあるまいか。そこには、イギリスの労働者階級が革命主体として成長する上で、どうしても植民地の存在が必要不可欠と見たマルクスの顔が、それゆえ、英国ロスチャイルド財閥との利害関係が一致することとなる彼の顔が、私には垣間見えるのだが。同時に、マルクスのインド論での主張が導かれるのは何も不思議なことではないということが見えてくるのではあるまいか。


その意味において、私にはマルクスの担った役割は、「システム」の形成と発展を、ジャーナリストとして、在野の哲学・経済学の研究者として、その理論的支持・守護者としての役割を、結果的に担うこととなったとみているのだ。「システム」からすれば、マルクスは労働者階級の革命的主体的存在に注目することによって、ある時はプロイセンの絶対主義国家を、またある時は、覇権国であり大英帝国であった英国国家をその構成員とする覇権システムの、そしてそこから「システム」の形成と発展を支持・擁護する役割を担う存在であったということである。




その意味から、私にはマルクスが労働者階級を、また人類を、彼の語る「資本主義」からの「解放者」として位置付け理解することは、さすがに難しいと言わざるを得ない。勿論、この物言いは、マルクスの人としての存在を、批判するためでは勿論ない。そんなエラソーなことを、「システム人」としての存在である私が言う資格は毛頭ない。


付言すれば、それは斎藤幸平氏に対しても、白井聡氏に対しても、内田樹氏に対してもそうである。彼らに対する私の批判は、あくまで私の語る「システム」論を前提とした時の彼らの主張や見解に対してのそれであることは言うまでもない。これまでのブログの記事においての多くの論者に対する批判や非難は、すべてこうした脈略においてのそれであることを、念のためにこの場を借りて断っておきたい。


マルクスの一連の著作の中で主張される〈あるべき人間・人類の姿〉とその実現は、「資本主義」の解体と言うよりは、そのシステムも含む私の語る「システム」の解体無くしては、おそらくはありえないと思うと同時に、私たちの存在それ自体が自己決定権の獲得とその実現を巡る力と力の争奪戦を前提としていることから、どうしてもその過程において「親分ー子分」関係の形成と発展を免れるのは難しのではあるまいか。


同時にまた、そこから差別と排除の関係は、形を変えながら続くことが予想されることから、たとえ「システム」を何度、解体したとしても、新たな「親分ー子分」関係を前提として、{[衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)]}の営為の関係がつくり出されるのは必至となる、と私は考えざるを得ない。


つまりは、たとえ「資本主義」に替わる何かを、たとえばそれが「脱成長コミュニズム」であろうとも、そうした共同体の中にどうしても「親分ー子分」関係とそれを前提とした第2、第3の覇権システムが創られることとなり、そこから親分に都合のいい、それを資本主義と呼ぶか共産主義と呼ぶかは別にしても、{[衣食足りて(足りず)]}の営為の関係が創造されることとなる、と私はみている。


もっとも、たとえそうだとしても、私たちは資本主義の抱える問題を告発すると同時に、今よりはましな資本主義の在り方を模索することをやめてはならない。その意味でも、斎藤氏の提言する脱成長コミュニズムを、今後の資本主義の在り方を考える際の「たたき台」とするのも有益ではあろう。


それを前提とするからこそ、私はこれまでのブログ記事で、私の語る「システム」論からみれば、こうこうしかじかの問題が見られるということを論述してきたのである。すなわち、それは「資本主義」云々の問題と言うよりは、私の語る「システム」論において何度も強調してきたように、「システム」それ自体に起因した問題だということを、またそれゆえ、覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの「システム」を俎上に載せて、それが抱え続けてきた差別と排除の関係を考察することが何よりも大切であるということを、これまで私は何度も何度も論及してきたのである。




(最後に一言)


斎藤幸平氏のネット記事を見ているときに、〈探究派公式ブログ
潮音 学〉氏による〈(2021-02-07)斎藤幸平「疎外論」批判 第1回 いま・なぜ
斎藤幸平「疎外論」批判 ――斎藤幸平によるマルクス「疎外論」の破壊を 許すな――〉を目にした。この第1回目の記事を始め第7回までの記事を、ざっとではあるが読みながら、この論者の語りに懐かしさを覚えた。


潮音氏の斎藤批判は、私にも共感できるところが多々あり、その批判は従来のマルクスの教えに従うならば、氏の言うとおりだと、私も同意したというか、改めて、市からご教示いただいた次第である。いつになく、刺激的な瞬間を経験して、勉強することの喜びをかみしめた私である。


ただし、すべてにわたり、氏の主張や見解に従ったわけではない。それは今回記事の中の私の論の中にも示されているとおりである。私は私自身の「システム」論から、マルクスや潮音氏の議論を捉え直しながら、ああでもない、こうでもないと繰り返し考察を重ねて、今回記事でもその一部を述べている。


もっとも、これは言うまでもないことだが、私はマルクスを表面的にしかかじったことがないし、それゆえ、潮音氏の議論も十分に咀嚼できたか自信はあまりないのが正直なところである。今後も、改めて私の「システム」論と結び付けて勉強させてもらう所存だ。とにかく、久しぶりに「研究者」の姿を見た思いなのだ。


ところで、斎藤氏のマルクス論の再解釈は、「システム」が歓迎するものだと、私は前回・前々回の記事で述べていたのだが、今の日本の「連合」を見ていると、もはやマルクスがイメージしたような「プロレタリアート」などどこにいるのかと思わざるを得ないのだ。勿論、「そんなことはない。お前が生きている空間は恵まれているから、お前にはそれが見えないだけなのだ」、と言われるかもしれないのだが。


また、私の語る「システム」論において紹介したように、先進諸国の分厚い中間層の解体とそれに伴う格差社会の深化の下で、労働者は、従来のように、労働者階級としての一員として、その存在・存続をはたして、どこまで許されるのだろうかとかんがえるとき、斎藤氏のような議論が登場するのも致し方ない、と私はみるのだが、この私の物言いは、「システム」に絡めとられた一つの例証であるのも、また事実であろう。


もっとも、その前に、私はこの世に生を受けた瞬間から、「システム人」として生きてきたのだから、絡めとられた云々の話はやはりおかしい物言いであった。




以上のことを踏まえながら、ここで少しこれまでの話を整理しておきたい。私の語る「システム」論における「システム」は、例の三つの下位システムから構成されているのだが、それ自体、自己決定権の獲得とその実現に際して、差別と排除の関係から構成されていることから、そこに生きるシステム人は、本来そもそもが、お互いがお互いを差別し排除して生きてきた存在である、つまりは人間の存在からして、疎外されるのではなく、むしろ積極的に疎外することを空気のように感じて生きてきたということを、頭のどこか片隅にでも置いていてほしいということだ。


もう少し踏み込んで言えば、最初からヘーゲルの着想したような「疎外」という理解の仕方は、「システム」や「システム人」には該当しないというか、前提そのものが成立しないということである。本来コウコウしかじかだった何かが見失われた云々と言うよりは、最初からそのようなものは何も存在していなかった、と私は位置付け理解しているのだ。


さらに敷衍すれば、それは例えば人類は普遍的人権宣言で述べられたような高邁な理想的普遍的価値を創造したが、それがいつしか何かがおかしくなり、悲惨な歴史を辿るに至ったという具合に、そもそもの普遍的価値には何ら問題はなかったのに、それが現実に適用される過程で問題が生じてしまった云々のような考え方というか捉え方が疎外という概念にはみられるのではないか、と私はみている。


これに対して、私はそもそも最初から普遍的価値それ自体が差別と排除の関係を前提としてつくり出されていたことから、疎外として捉えられないとの見方なのだ。マルクスの言う疎外論に対しても、労働者とか労働者階級という前に、「システム」の中で「システム」に奉仕する「システム人」としての存在を私は重視しているために、ここでも最初から疎外という捉え方には違和感を抱かざるを得ないのだ。


それゆえ、イギリスの労働者階級が階級の連帯云々と叫び、人間の開放や人類のあるべき姿を示す希望の存在となるなどとは、とても信じられないのだ。*同時にまた、それはイギリス以外の先進諸国の、あるいは中進諸国や後進諸国の労働者階級であっても、同じく該当するのである。




(2023,10,24)の記事、続き〈中〉


(2021,12,21)


私の語る「システム」論から1970年代以降のB、C、Aから構成される「システム」のAにおける「生活苦に喘ぐ成長無き社会」を考えるときー斎藤幸平氏の説く「脱成長・潤沢なコミュニズム」の提唱との関連から




(最初に一言)


私の語る「システム」の中で生きている「システム人」としての私は、この世に生を受けた瞬間から、いわば「総力戦体制」・「総動員体制」として位置付け理解される「システム」に「強制連行」される形で繋ぎ留められている。しかしながら、私がそうした思いをするまでには相当な月日を経た後のことであった。まさにこれこそ「後の祭り」なのだが。


*なお、「システム」の中では、「自由」は「強制」に、同時にまた、「強制」は「自由」に置換するのが通例のことである。


その理由は、上述したくだりとは真逆の教えを、この「システム」とそこに暮らす「システム人」から教えられてきたからなのだが、何よりもそれなりの生活を享受できていたという事実が大きいと言えるに違いない。ほどほどの「自由」が許され、政治への参加も自由であった。好きな音楽を楽しみ、映画館へも不通に行けた。それなりの青春を謳歌していたのだ。想えば、実にありがたいことであった。


だが、私には古き良き時代であったとしても、その同時代を生きた人の中には、いわれなき差別と排除に苦しみ、「自由であるはずの体制」に対して、それこそ反旗を翻すかのような生き方を強いられていた受苦者が存在していたのだ。世界に目を向ければ、さらにそうした存在に圧倒されていたはずなのだが、私は「おめでたき人間」であり続けていたのである。


そのおめでたき生き方は、その後の私の生き方とも関係しながら、表面的には、以前の私のようには生きることができなくなっていった。あらゆるものを疑い、これまで信じてきた社会の教えに背を向け、私自身が自ら信じられるものを手にできるように、悪戦苦闘する日々が続いたのである。


そうこうする中で、私はいつしか自ら進んで孤立していく自分の姿に気がついたのだが、もう後戻りはできなかった。少なくとも、皮相的な表面的な形ではあるにせよ、精神的には、「不幸なフリ」をして生きるように、私自身を絶えず追い込んで生きてきたと言っても過言ではないだろう。


その理由は簡単明瞭だ。私の語る「システム」の中で、「システム人」としてこれまで私がどれほど多くの人を、彼らが受苦者の存在として生きるように強い続けていたことに、はっきりと気がついたからに他ならない。その瞬間から私は、この「システム」の中でシステム人として生きる私を、何とかして解放するために、私のできる限りのことを考え行動したのだが、結局は、それはいつも「フリ」であり、欺瞞と言うしかなかったのだ。


そうした生き方がまた、私を苦しめたのは言うまでもないことだったが、それにもかかわらず、私はここまで嘘に嘘を重ねて生きてきたのは間違いない事実なのだ。一番汚い生き方かもしれない。あれほど「システム」の抱える問題を告発して、なんとかしてそこから少しでも離れることが大事だとほざきながら、結局はその「システム」が提供する「衣・食・住」の恩恵に与ろうとして、なりふり構わず生きてきたのだから。


とにかく「フリだけは」、をモットーにして(するかのように)、いろいろなことに手を出した。そしていつも、これもダメ、あれも駄目の連続となり、いつしか行動しないうちに、そのみじめな結果も見えるようになっていた。その中でも、私なりに「システム」から離れて、それとは異なる空間を創造するために、最低限の食べるものを自ら手にする方法を模索し、あれこれとその手の文献をあさると同時に、自らも真似事で山に行き、そこでの空気を吸うことを何度も繰り返していた。


ある時、かがんでいた体を起こしながら、ふと空をを見上げたのだ。そのとき、高い空から、ミサイルが私をめがけて飛んでくるのが見えたのだ。勿論、それは錯覚と言うか、「お疲れ様」から来る何かの妄想だったのだが、私は全身の力が抜け落ちるのを、しっかりと感じていた。「ああ、こりゃ、もうどうしようもないわい」、さすが「システム」だよ。エラソーにそこからなんとか離れて、少しでもましな人間の在り方を目指して新たな別の空間の創造だなんて、いくら構想しても、「システム」から発射される一発のミサイルで、すべては御破算となるだけではないか。


たとえいくら、あれこれ知恵を絞ってみても、政治的(・経済的・社会的・文化的)共同体としての主権国家・国民国家をその基本単位として構成される覇権システムの抱える暴力と向き合うことをせざるを得なくなり、そこから従来の国家とは異なる共同体の実現を目指すのであれば、どうしてもその共同体の安全保障とその実現についての在り様を考えなければならなくなる。


それを欠いた新たな共同体構想は、砂上の楼閣に等しいのだ。ただでさえ、シカやイノシシ、サルに、そしてクマの「暴力」を前にして、右往左往しているのに、そこに正真正銘の暴力が出現するとなれば、「もう、やっておれんわい」、となるのは言うまでもなかろう。


今の時代だから、想定外の出来事が次から次にやってくる。そんな時に、やはり共同体の安全保障は必要不可欠となる。やっと手に入れたささやかな、それこそ悪戦苦闘してこれだという生き方に根ざした、今よりは少しでもましな生活空間を何とかして、ここまで苦労してつくり上げてきたとの思いが強まれば強まるほど、理不尽な暴力に対して、こちらも力というか理不尽な暴力に訴えてでも、守ろうとするのは自然の摂理ではあるまいか。


それゆえ、もし新たなる共同体を構想するときに、その空間を防衛する力(暴力)を勘案した防衛力構想とそれに依拠した現実の防衛力が欠如するのならば、その共同体構想は、もはや絵に描いた餅以下でしかあるまい。私は、あの時の空を見上げた瞬間から、「もう、やめたわい」、の心境となったのだ。


もっとも、そうは言っても、その後も私の語る「システム」論とそこで描かれた「システム」と絶えず向き合いながら、「ああでもない、こうでもない」、と私自身は相変わらず、「システム」と「システム人」からどうすれば「卒業」できるのかと思案の連続なのだ。


それゆえ、そんな私が、いまの体制とは異なる生き方を提唱する論者の著作に接するとき、何よりも拘泥するのは、自己決定権の獲得とその実現を巡る争奪戦と、そこで繰り返される「親分ー子分」関係にみる差別と排除の関係を前提としてつくり出された覇権システムとその暴力に対して、当該論者がどれほどの思い(熱量)でもって格闘しているかという姿勢(態度)なのだ。


その理由は、繰り返しとなるのだが、国家と、その権力(暴力)と、またそれらの集合体である覇権システムとその暴力の行使によって、「あるべき社会」の実現を目指す運動が、これまでの歴史において、どれほど押さえつけられ、蹴散らされてきたか、それを私たちは嫌ほど見せつけられてきたのではあるまいか、との思いからである。それゆえ、どうしても、国家や覇権システムの暴力と向き合うことのない、その視野の内に含まない、あるべきとされる共同体に関する話は、私には眉唾にしか思われないのである。(続)


*なお、急いで言及すれば、私のこれまでの著作もまた、「眉唾にしか思われない」そのような類であったことは免れない、と言わざるを得ないのだが、私には国家とその集合・連合体である「覇権システム」の暴力と向き合い、それを凌駕する暴力を兼ね備えた他の異なる共同体とその存在の可能性を構想するのは難しい課題であることを認めざるを得ない。




(2021,12,21)


私の語る「システム」論から1970年代以降のB、C、Aから構成される「システム」のAにおける「生活苦に喘ぐ成長無き社会」を考えるときー斎藤幸平氏の説く「脱成長・潤沢なコミュニズム」の提唱との関連から(続)





それでは早速、前回記事の続きに入っていこう。ここで、また今回紹介しておきたい斎藤に関連したネット記事を見つけた。それは、
〈"It" thinks, in place of "I" .
"それ" が考える、"私" の代わりに。
トップ > ◆ 本の考察〈 哲学 〉 > ? 斎藤幸平の『 人新世の「 資本論 」』を哲学的に考える〉である・


以下に、そのくだりを引用貼り付けておきたい。


(引用貼り付け、始め)


ーーー


2021-06-07
? 斎藤幸平の『 人新世の「 資本論 」』を哲学的に考える
◆ 本の考察〈 哲学 〉
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 1. 賞賛でもなく、シニカルな批判でもなく ……
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a. 世間で話題の斎藤幸平の『 人新世の「 資本論 」』に対する感想や批評の多く ( Amazon のレビューなど ) がいかにつまらないことか。それは読者が彼の思想を理解していないとか、あるいは "真正の" マルクスの思想を彼に対してシニカルに対峙させる、などといういずれの態度には問題があるという事を言いたいのではありません。そうではなく、賞賛であれ批判であれ、本書を読んでその程度の感想しか持ち得なかったのか、と思わせるものが溢れているという事です。本当に何かを読み取って自分なりに考えたのだろうか、たんに字面を目で追った結果としての印象を語っただけなのではないか、と思わせる多くの "感想文" は "何かを読み解くという思考行為" の手前で多くの人が留まっている現象が新書の普及と共に起こっている事を示しているのでしょう。


b. ここでは、本書を読んでそこに内在する哲学原理を幾つか抽出し、それについて考えてみます。本書の理論的限界に対する批判として為すのではなく、本書を読む者が、自らの思考の限界とそこからの展開を促す。そうする事によって本書の内容を自分の中で継続的に考え、変化させていく事が出来るでしょう。そういう作業をせずに本書の理論的欠点を著者に短絡的に帰す事しかしないのであれば、その人は自分の時間 ( 読書の ) を無駄に使ったという間抜けな告白をしているに過ぎないのです。


(引用貼り付け、終わり)


ーーー


このくだりの内容に関して、「間抜けな告白?をしている」と自覚・自戒している私自身も、ここに紹介したくだりの内容については、おおよそは同意すると断った上で、少し私自身の考えを述べておきたい。批判が単なる批判であるのは論外だとしても、やはり「批判しきる・し尽す」ことは大切なことだ、と私は考えている。


つまり、誰かが何かを批判することを介して、そこから次につながる何かが見えてくるかもわからないし、当の批判者自身の抱える問題点も同時にまた、浮かび上がってくるからである。私の場合は、それがとくに当てはまるのだ。それゆえ。批判それ自体が駄目なのではなく、当該批判者自身にも、その批判が直接・間接的に跳ね返ってくるように、批判尽くしきるまで、批判できないこと自体が問題である、と私はみている。


私は例の如く、私の語る「システム」論をもとにして、どのようにすれば「システム」とその関係の歩みがつくり出す差別と排除の関係から、私自身をそれこそ「解放」できるかをこれまでウン十年近くに渡って思案してきたのだが、正直なところ、もう私の手には負えない、お手上げ・降参といった状況・状態の中に置かれているのだ。


そんな私には、たとえ私の語る(意味における)「システム」ではなく、「資本主義というシステム」を取り上げて、それを乗り越えるとか、その代替策を構想するとかの主張や議論であったとしても、私はそうした著作に対して、引き付けられる何かを自然と感じてしまうのだ。


と言うのも、そうした論者は、たとえその立場や主義・主張を異にするにせよ、この世の不条理に対して果敢に挑戦して生きていると推察するからだ。その営みは、相当のエネルギーを費やし、同時にその労力に報いるものは少ないのが常だ、と私は自らの経験から思うのだ。もっとも、最初からそんな報いなど期待もしていないし、これ以上のことを望んでは駄目だと思うのだ。


そんな事情もあり、私はこれまでの記事で斎藤の主張を批判的に検討してきたのだが、そこから以前の私の苦闘と言うか格闘の歩みを思い出した次第である。勿論、苦い思いの連続でしかなかったのだが、しかもそれがただの「フリだけ」をモットーにしていた私のような場合であったとしても、そうだったのだ。それは、探求派公式ブログで斎藤を批判している潮音氏も同じ?心境ではあるまいか。


少し横道にそれ過ぎた感もするが、いずれは、今回記事で紹介したブログ記事についても併せて考えてみたい。とにかく、私には、昔の私を思い出させてくれる刺激的な記事に何度となく出会えているので、うれしい限りである。




さて、それでは、前回記事を踏まえて論を展開していきたいと思うのだが、今回の私の注目したい論点は、斎藤の提唱する「コモン」の共同管理を介した社会変革云々の話に関してである。ここで行論の都合上、それについて、斎藤自身がインタビューの中で語っているので、ここにそのくだりを紹介しておきたい。


ーーー


(ハフポスト)
コラム・オピニオン
2021年02月02日 20時02分 JST
斎藤幸平は資本主義が嫌いなのか ?「それしか選択肢がないと思わせるところが怖い」


ーーー中略ーーー


ほかのイメージは浮かばないかもしれませんね。もしそうだとしたら、それは日本では、社会変革の成功例が少ないからです。


ヨーロッパでは、選挙以外でも、政治や企業にプレッシャーをかけていく運動が強く展開されています。


たとえば、フランスやイギリスでは、社会運動が強く求めた結果、くじ引きで市民から議員を選ぶ「市民議会」(※無作為抽出された市民が科学技術や地方政治のあり方などを議論する動きが広がっている)が、気候変動の対策を議論するために導入されました。


社会運動は非効率なものに思えますが、だからといって、社会運動を面倒なもの、意味のないものとしてしまうと、普通の人々が社会の意思決定に参与する余地はどんどん狭まっていきます。


ーーー中略ーーー


ウーバーイーツ。スマホがあれば「クリック」で誰かが食べ物を運んできてくれる
生活に必要なもので、自分で作れるものは無い
実際、今の日本は、みんなが無力で、受動的な消費者になっている。24時間、ワンクリックでなんでも届く社会になっていますが、逆に言うと、クリックしてお金を払うという行為を抜きにすると、僕たちは何もできない無力な存在に成り果てています。


ーーー中略―――


ワンクリックで購入するのが当たり前になればなるほど、私たちはますます商品や貨幣の力に依存するようになっています。


ーーー中略―――


けれども、楽だからといって、市場にすべてを任せてしまうことは危険です。お金がなければ、どれだけ必要なものであっても手に入らなくなるし、また、企業は儲からなければ、地域に不可欠な財やサービスの提供を突然止めてしまうかもしれない。


あるいは、儲けのために環境破壊や労働者の使い捨ても行われてきました。そうした理不尽さに対して、無力な個人は抵抗することができません。


ーーー中略―――


しかも、こうした経済格差やコミュニティの破壊は、すべて資本主義経済に内在的な特徴です。


だから、マルクスは、共通の目的のために、人と人が自発的に結び付くこと、つまり「アソシエート」して、社会の富を共同管理することの大切さを説きました。


地球から贈与された富。それを「コモンとして共同管理していこう」
僕たちは地球から様々な「富」を贈与されています。水、森林、地下資源、そうしたものを「コモン」として共同で管理していこう、と「人新世の『資本論』」では書きました。


個人所有の概念は否定しませんが、それとはべつに、教育、医療、電力など「みんなで管理すべきもの」は世の中にはたくさんあります。


ただ、コモンの管理は「ワンクリック」ではすまないし、時間もかかる。


でも、自分たちで決めて、運営するという経験が、社会に積極的に参加しながら、民主的に協同する市民の力を育んでいきます。


「便利で何でも揃う」けれど、資本の奴隷や家畜でいたいのか、富を資本の独占から取り戻し、コモンの自治によって、民主主義を取り戻したいのか。そういう二択だと思います。


ーーー中略―――


コミットメントが「面倒だ」と思うのは、ほとんどの人たちが、働き過ぎであり、忙しすぎるからです。


自治をやっている余裕がない。情報を集めたり、議論したりする時間も気力もないのです。


ドイツに住んでいたとき「良いな」と思ったのは、日曜日に店が閉まっていることです(※斎藤さんはドイツやアメリカで研究生活を送った)。その分、仲間と集まって議論をしたり、自分たちで遊びを考えたりするようになります。


そうした仲間とのコミュニティが、「コモン」を管理したり、デモをしたり、ある種の社会を自分たちで作っていく第一歩になります。


ーーー中略―――


資本主義が共同体の縁を徹底的に断ち切ったからです。


何が残ったか。商品を媒介とした貨幣のやり取りのみです。


たとえばウーバーで弁当を運んできた人に1000円を渡すと、「あなたとお店は1000円分の働きをしたから、1000円をあげます」という関係だけで終わり、あとは「さようなら」です。


でも、人間の社会は、本来はそう動いてないはずです。僕は自分の子どもの面倒を見ていますが、対価を求めない。友達の引っ越しを手伝ったり、本をすすめたり。お金を介さない関係はたくさんあるのです。


ーーー中略―――


水⇒ペットボトル。なんでもかんでも商品に
ところが、資本主義のもと、自然を含めたあらゆるものが、誰かに独占され、貨幣を介して交換する「商品」になりつつあります。


分かりやすいのは水です。本来は自然の「富」であり、すべての人々が生きていくのに必要だから「コモン」として管理されるべきものです。


その水が、ペットボトルに入れられ、商品となってしまいました。


人間は、水だけでなく、太陽の光、農作物、海産物などの恩恵を自然から受けています。その自然と人間の間に「貨幣」はなかったはずです。つまり、贈与です。


ーーー中略―――


「コモン」を管理することを私はコモン主義、つまりコミュニズムと呼んでいますが、コミュニズムは贈与がポイントだと思うんですよね。


自分の行為に対して、「これ1000円な」と対価を必ずしも求めない。お互いが自分の能力に応じて貢献して、各人が必要に応じて受け取る。これが、マルクスが構想した本来のコミュニズムのイメージです。


さっきおっしゃったように、そういう社会はある意味「めんどうだ」という人もいます。


けれども、「コモン」を管理することは、自分たちの生活を自治するための力を取り戻し、地球環境を守るために必要なのです。


資本主義が壊した「コモン」を再生させていかないといけません。


ーーー中略―――


―――


それでは、斎藤による「コモン」の共同管理を介した社会変革云々に関する主張を以下に検討してみたい。その際、フクシマの原発事故やその後の再稼働、あるいは種子法や首謀法の制定の動きも念頭において論を展開してみたい。とは言え、このインタビューでの斎藤の話を聞くにつれて、マルクスの資本論がどうの、資本主義をどう見る云々の話は、理論的な観点からはもうこれ以上、必要ないというか、そこまで喧々諤々と論議することはないのではあるまいか、と私は思ってしまったのである。


むしろ、斎藤の説く市民が主体となってコモンの共同管理に参加することを介した「脱成長・潤沢なコミュニズム」の主張は、何よりも実践・行動論においてこそ、その真骨頂を発揮するのではないか、そう考えるようになったのだ。具体的には、そうした管理へ参加する市民は、各々が専門的知識や行政経験。あるいは議員経験を有した者が多数存在することにより、その市民参加組織における交渉力はさらに高まることが予想されることから、その意味において、斎藤の提唱するビジョンとその実現には、現実的な実践・行動・運動論からの考察が何よりも必要不可欠である、と私はみるのだ。


それは、コモンとしての水や電気の市民による共同管理を論じる際に、そうした共同管理がたとえどれほど望ましいものであるかを認めるにせよ、市民による水や電気の共同管理に対して、今日では、そこに世界的な多国籍企業が立ちはだかっている現状を鑑みるとき、コモンの共同管理を介したコミュニズムによる社会変革の道は相当に険しいとしか言いようがないのも、また事実ではあるまいか。


もっとも、だからと言って斎藤の主張や提言が駄目だと私は言うつもりは毛頭ない。とにかく、ありとあらゆる可能なチャレンジはするべきだし、それ以外には、私の語る「システム」と向き合うことなど、とてもではないが、最初からどうにもならなくなるから、ダメモトを承知で、やればいいのだ。その際、資本主義というシステムを戦うべき相手とみるのではなく、あくまでも私の語る(意味における)「システム」を、またその下位システムとしての「(世界)資本主義システム」を、戦うべき向き合う相手として位置付けておくことを、私は提言しておきたい。




それを踏まえた上で再度、私の語る「システム」論で位置付け理解される1970年代以降から今日に続くB、C、Aから構成される「システム」とその関係の歩みを鑑みるとき、斎藤の提唱する市民がその中心的な担い手となって参加する「コモンの共同管理・運営」を介した「脱成長・潤沢なコミュニズム」の提唱は、前回記事でも指摘していたように、BやCからの激しい批判・非難が予想されるであろうし、Aにおいてのみ、その受け入れが可能となるところが現れるかもしれない。ただし、それは政治意識の高い市民運動や住民運動をもとに地方自治が営まれてきた経験を持つ地方自治体に当面は限定されるとみた方が良かろう。


さらに、先述したように、水や電気、農村の山や川や田畑をコモンとして共同管理する際に、フランスやイギリス、アメリカ、そして中国等を活動の拠点とした世界的な多国籍企業との交渉に、否が応でも取り組まなければならなくなることが予想される。しかもそのコモンが取り扱う対象の中には、核のゴミや原発の使用済み汚染水等々が含まれる可能性も今後、否定できなくなるのではあるまいか。


先進諸国と言えども抗しがたい巨大な力を保持するそうした世界的企業と、はたしてどれほどの交渉が可能であろうか。その過程においては、市民運動の切り崩しも容易に予想されるだろうし、長期戦ともなれば、資金面や人的面でのコモンの管理運営能力それ自体が危うくなることも予想される。


さらに、「原子力村」における国連を始め、各国政府や企業間の様々な力(暴力)の世界的ネットワークの存在を前にしたとき、それはもはや市民の手によるコモンの共同管理から導き出される力(暴力)では、どうにも抗しがたい政治的現実が立ちはだかることは、フクシマとそれ以後の日本政治の展開を振り返ってみても、自ずと理解されることではあるまいか。


「原発」を介した電気の提供は、「システム」の提供する「民主主義政治」を経て導入されると同時に、その政治の下で異議申し立ても繰り返されてはいるが、裁判所の前ではその声も届くことなく、未だに跳ね返され、さらにその後の民主主義選挙をとおして、原子力発電は国民・市民のお墨付きを得たと言えるだろう。あのフクシマを経験したはずも福島県においても、また、フクシマ以後に再稼働の是非を争っていたその他の県でも、結果は同様であったのは記憶に新しい。


付言すれば、原子力発電を介した電気の提供に与っているのは、「民主主義」体制の国においても、「擬似・全体主義」体制の国においても、「権威主義」体制の国においても、等しく見られる。また、宗教別に言えば、キリスト教圏であれ、イスラム教圏であれ、仏教圏、儒教圏であれ神道圏であれ、等しくみられている。



(最後に一言)


だが、そうした政治的現実が立ちはだかるからこそ、だからこその斎藤の市民の手によるコモンの共同管理を介した「脱成長。潤沢なコミュニズム」の提唱となるのだろう。私は、B、C、Aの「システム」におけるAの日本において、斎藤の提唱する社会運動の意義は高いとみている。その際、私たちの社会は、Aグループの中でも、上から20何番目下に位置付けられる「生活に喘ぐ成長無き社会」であるとの現状を看過してはならないだろうが。


いずれにせよ、避けられない戦いが、おそらくそこから展開されるのは必至だろうし、そうならなければ、市民の力も強くはならない。たとえそれが、革命なき社会変革の道であったとしても、今後の戦いの仕方一つで、それは革命を超える成果を私たちの手にもたらすかもしれない。




(付記)


今回の私の話は、斎藤に寄り添う形で論を展開したことを断っておきたい。と同時に、私の語る「システム」との戦いを念頭におくとき、私には、とにかくすべての可能性を否定することはできないのである。現実に実践・行動することが、今の私には何よりも必要だと痛感するからだ。


勿論、何度も繰り返して言うのだが、私の語る「システム」の中で、「システム」に逆らいながら、「あるべき何か」を創造することは、言うまでもなく至難の業であることだけは、念のために記しておきたい。それを承知の上で、「ダメモト」での話であることを念のために。それゆえ、その戦いに巻き込まれて命を落としたり、家族や友人、知人の、さらには相手方の誰かが不幸になることがないように、社会運動の参加者はくれぐれもそこに注意・配慮しなければならないのだ。


そうだからこそ、そうした社会運動の現実の実践活動とその戦いがどのような経緯を辿り、どのような結果をもたらすかに関して、あるべき社会に関係する「理論」は、前もって徹底的に批判的検討・検証にさらされておくことが求められるのだ。


ただし、これまでの私の論述の中に垣間見られるように、斎藤の提唱する運動は、「システム」において、当面は何ら問題のない者として扱われるか、むしろ逆に、推奨される蓋然性も高いということも、併せて述べておきたい。(続)



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№81私の語る「システム」論から、改めて中東問題の根源は、「普遍的価値」の実現を目指す「普遍主義」であることを、再考するとき―「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイ

2023-10-23 | 日記
№81私の語る「システム」論から、改めて中東問題の根源は、「普遍的価値」の実現を目指す「普遍主義」であることを、再考するとき―「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ(続・続・続・続)




(最初に一言)の前に、今回記事の強調点を述べるとき


 「中東問題」に垣間見られる人間関係は、すなわち個人間、集団間、共同体間の関係とそれらの相互関係を意味しているのだが、当然ながら、そうした関係を踏まえるとき、中東問題にかかわるのは、イスラエルとパレスチナ、それを取り巻く一群の中東諸国家の他に、私たちかつての先進諸国家も深くかかわっていることに気がつくはずだ。それらの人間関係における「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係を鑑みるとき、そこには階級間の対立問題、エスニック・グループ・民族間の対立問題等々が複雑に絡み合っていることも、同時に理解できるのではあるまいか。


 さらにそこから、私はどうしてもそれらの人間関係における自己決定権の獲得とその実現を巡る力(暴力)と力(暴力)のぶつかり合いを介した争奪戦と、そこから導かれる「親分ー子分」関係とそれを基にした差別と排除の関係からつくり出される覇権システムとそれを前提としてつくり出されてきた世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの「システム」とそれが抱え続けてきた宿痾の存在に、どうしても拘泥せざるを得ないのである。


 そして今回のハマスによるイスラエルの暴力行使が伝えられた瞬間に、中東におけるイスラエルとパレスチナの積年に及ぶ対立と衝突の歴史と、すぐ上で述べた私のこだわりが結びついたのだ。それゆえ、ここ何回かの記事において、私たちが見落としてきた問題が、実はこの中東問題にも垣間見られるということを、再確認したかったのだ。それが何度も論述してきたように、普遍的価値と普遍主義の抱え続けてきた問題なのだ。


 今回記事で引用貼り付けている、以前の私の記事は、斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』に見い出される問題点であるが、それは端的に言えば、いわゆるマルクス主義者と呼ばれる論者が、これまで見落としてきたというかスルーしてきた「親分ー子分」関係とそれを前提としてつくり出されてきた覇権システムの存在であるということである。


 私たちが普通に論じている「民族主義」や「資本主義」、「民主主義」にかかわる問題は、本来ならば、自己決定権の獲得とその実現に際して生み出される「親分ー子分」関係に根差した、それを前提としてつくられてきた覇権システムの「制約」の下で実現される民族主義であり、資本主義であり、民主主義であるということを、私はここでも強く主張しておきたい。


 ところが、私の見る限り、人文科学や社会科学で議論される民族主義や資本主義や民主主義は、この覇権システムと見事に切り離されたものばかりではあるまいか。それゆえ、私からすれば、肝心要である覇権システムの問題が、民族主義や資本主義、民主主義を語る際に、それと切り離されてしまう蓋然性がすこぶる高くなり、そこからどうしても表面的なアプローチに終始してしまい、結果的には、私たち人間関係における根源的な自己決定権の獲得と実現に際して見いだされる差別と排除の関係ウを、すなわち親分と子分との、強者と弱者との、差別し排除する側と差別され排除される側の、どうにも解決されない問題に目を向けることができないままとなってしまうのである。


 誤解のないように付言すれば、私はこうした差別と排除の関係は、ほとんど解決不可能であると考えている。それゆえ、それを正直に認め、語ればいいのである。それを認めた上で、そこから私たちが今後取り組むべき問題の所在を明らかにしておけばいいのではあるまいか。


 残念ながら、私のそのような思いや意図とは真逆に、ほとんどの研究者は民族主義や資本主義、民主主義と、それらが抱える問題を語るとき、何か、どこかの問題点を、こうこうしかじかの方法ですれば、何とかうまくいく、片付くかのような議論に終始してしまう、そんなたわいのない論考があまりにも多すぎるのではあるまいか。


 たとえば、「行き過ぎた民族主義には自制を求めたい」、「何とか衆智を出し合って平和的解決に至る努力を」、「暴走する資本主義を民主主義を取り戻すことで、何とかその力を制御すべき」等々と、枚挙に暇がないほどに、その場しのぎの議論に終始している、と私はみているのだが、そもそもそんな議論ができるのは、私たちの人間関係に潜む差別と排除の関係に目を背けているからではあるまいか。


 まさに、中東問題もその例に漏れない。覇権システムの歩みの中で、今に続く中東問題はつくられてきた、と私はみている。それだけではない。資本主義や民主主義の抱える問題も、この覇権システムの歩みの中で、つくり出されてきた、と私は理解している。私が内田氏や白井氏の論考に、物足りなさを禁じを得なかったのは、まさに覇権システムとその抱える問題が最初からスルーされていたからなのだ。


 今回記事で、以前の記事での斎藤氏の論考を引用貼り付けたのは、斎藤氏のようなマルクス主義者?が、資本主義が抱える問題を考察する際に、覇権システムの問題を欠落させている、と私が考えていたからである、。果たして、資本主義は覇権システムとそれが抱える宿痾と、何らの関係を持たないままにその歩みを辿ってきたのであろうか。私からすれば、資本主義は、その歩みの中で中東のパレスチナとそこに暮らす人々と深くかかわる歴史を紡いできたのではあるまいか。


 それゆえ、斎藤氏の著作の中に、もしこうした中東問題に見いだされる差別と排除の関係が少しでも組み込まれていることを、私は期待していたのだ。誤解のないように付言すれば、中東問題を直接語る必要はない。資本主義を語る際、資本家と労働者の差別と排除の関係のみならず、先進国と途上国の関係も同様に語られるべきである、と私はみているからなのだ。マルクスが資本主義を語るとき、それがたとえばイギリスの資本家と労働者の関係である場合、その関係は、当時の先進国のイギリスと途上国のアジア(中東)の「親分ー子分」関係を、すなわち覇権システムを前提として、初めてつくり出される関係である、と私は考えるのだが。




(最初に一言)


 またまた前置きが長くなり、読者には申し訳ないと思うのだが、行論の関係上、お許しお願いしたい。それでは早速、以前の斎藤氏に関する私のブログ記事を、以下に続けて引用貼り付けておきたい。なお、今回記事の(最後に一言)は、省略したい、


―――(前回記事の引用貼り付け、開始)


(2021,12,18)


私の語る「システム」論から、斎藤幸平氏の「資本主義」の位置づけ方と理解の仕方を見直すときー「システム」の担い手たる「システム人」としての存在から、私たちはどうすればヒトとしての「感じる心」を取り戻せるのか?




(最初に一言)


最近になって、この斎藤幸平氏という人が、NHKを始め、民放の番組で取り上げられているのを目にするのだが、この人の哲学研究者?という肩書やその話の内容を鑑みるときき、どうしてこの人がこれほど「人気」なのかと少し怪訝に思われたので、いろいろと調べてみた次第。




私の語る「システム」論と「システム」からすれば、斎藤氏の話の中身は、まったく痛くもかゆくもないことに、先ずは気がつく。それゆえ、「システム」はこの人を殊の外持ち上げて、「システム人」の知的消耗品として「システム人」に提供しているかのように思われるのだ。付言すれば、『朝日』の記者であった船橋洋一氏が突如として華々しく論壇に登場した流れと、私には微妙に重なって見える。


それにしても、「システム」は罪な存在だ。斎藤氏の語る「資本主義」を、またその代替案を、あたかもそれしかないかのように、私たちに信じ込ませるのだから、それは見事に、例の普遍的価値や価値観としてそれを共有している云々の話と、どこか似ているではないか。


それにしても、この人の語る「資本主義」とその克服の仕方に関する話は、私には眉唾としか言いようがないのだが、「システム」は本当に好きだよなぁ。斎藤氏のように、こんなに簡単に物事がうまくいくとしたら、それはそれで結構としか言いようがないが。そんな氏とは異なり、私の場合は、毎度毎度これでもかというほどに、無様な姿を読者にさらし続けている。
  


すなわち、今回の記事タイトルにもあるように、ーーーのっけから絶望的な問いかけをしてしまった。フクシマの事故後の日本の原発再稼働をみても、また私の故郷、愛媛の伊方原発の再稼働を目の当たりにしているとき、こんな問い掛け自体がもうナンセンスであることを私も重々承知している。それをあえて断った上での論の展開に向かいたい。ーーー云々、とあるのだから。


さらに大事なことを言えば、私たちは決して、マルクスが言うような意味において、「疎外」などされてもいないということだ。「システム人」としての私たちの存在それ自体の中に、何か取り戻さなければならない本来既に私たちに備わっていたとされる人類愛だとか、同胞愛、ましてや類的存在としての意識などは、何もなかったのだ。それゆえ、取り戻すのではなく、新たに創造しなければならないということなのだ。無論、これまた私の語る「システム」論を前提とする限り、絶望的な話となるのだが。


私たちは、それなりの人としての優しさを持ってはいるのだが、それは「システム人」として、「システム」の中で生き残る、生き抜くための知恵としてのそれであり、本来の人間性は、残酷そのものである。誤解のないように言えば、私はそれが悪いというのではない。


善悪の問題ではなく、「システム人」として「システム」の差別と排除の関係を空気として吸い続けている私たちは、その残酷さこそが本来の姿だということを自覚・自戒すべきなのだ。もっとも、これもまた難しい話だが。私たちは、これでもかという具合に、優しさとか愛を条件反射のように、語り過ぎるのだが、これまた「システム人」としての本能なのだろうか。


それゆえ、今回のタイトルは、ヒトとしての「感じる心」を取り戻すというのではなく、その心を改めて、無から有へと創り上げるという意味で、述べていることに注意してほしい。それが今回のタイトルのように、「取り戻す」と示したのは、マルクスの疎外に含意されている内容との関連からである。




それでは、前置きはこのくらいにして、斎藤氏の「資本主義」の位置づけ方と理解の仕方について検討したいのだが、斎藤氏のそれとの関連から、ここで私の「資本主義」の位置づけ方と理解の仕方について、あらかじめ紹介しておきたい。


私が「資本主義」とその代替案を述べるとするとき、私の語る「システム」論と、その中で指摘される「システム」を前提とした「資本主義」を俎上に載せて考察することが何よりも必要不可欠となるということである。この視角を欠如した資本主義論であるならば、それはやはり、十分なものとは言えないと言わざるを得ない。


その理由は、資本主義の形成と発展、そしてその変容は、私の語る「システム」の形成と発展、そしてその変容と密接不可分の関係に置かれているからである。資本主義の成立には覇権システムの「親分ー子分」関係を抜き視しては語れない、と私はみている。と言うのも、私たちが資本主義として位置付け理解してきたのは、実は覇権システムを構成する「親分ー子分」関係を前提としながらつくり出されてきた親分に都合のいい「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係の中の「衣食足りて(足りず)」の営為の関係に他ならない、と私はみている。


それを踏まえて私のモデルで描き直すとき、それは以下のように図式で示される。すなわち、1970年代までの「資本主義」は、{[Aの経済発展(衣食足りて)→Aの民主主義の発展(礼節を知る)]→(×)[Bの経済発展(衣食足りて・足りず)→Bの民主主義の発展(礼節を知る・知らず)]→×[Cの経済発展(衣食足りず)→Cの民主主義の発展(礼節を知らず)]}(なお、このモデルは共時態モデルであり、逆からのそれは省略している。詳しくは、拙著『21世紀の「日本」と「にほんじん」と「普遍主義」ー「平和な民主主義」社会の実現のために、「勝ち続けなきゃならない」セカイ・世界とそこでのセンソウ・戦争』〈晃洋書房 2014年〉の88-91頁の図式のモデルを参照されたい。)の関係を前提とした{[Aの経済発展(衣食足りて)]→(×)[Bの経済発展(衣食足りて・足りず)]→×[Cの経済発展(衣食足りず)]}の営為の関係を、私たちは、1970年代以前の資本主義として語ってきたのである。


覇権システムを前提としながら、A、B、Cの経済発展から構成される資本主義は、それ自体が差別と排除の関係をもとにしていることから、その経済発展、経済成長は当然ながら、自然環境と人間環境の双方を犠牲にしたいわばイジメの関係を前提としている。それゆえ、そうした関係を、つまりはイジメの関係を排除するような発展・成長を目指す必要があるのは、今日の気候変動や格差社会の問題に向き合うためにも重要な課題となってくるだろう。これに関しては、記事の最後の(付記)において、以前のブログ記事を引用・貼り付けておくので、参照されたい。


ここで付言すれば、覇権システムの問題は、主権国家、国民国家の建設の歩みに関連したナショナリズムと密接不可分に関係している。それは、「親分ー子分」関係を前提とした自己決定権の獲得と実現を巡る政治共同体間における力と力の争奪戦の歩みが密接に関係していることによる。なお、図式では、主権国家・覇権国家を示す政治共同体を、[  ]で、またその集合体である覇権システムを図式の両側の{  }で表していることを、簡単に述べておく。詳しくは先の前掲拙著を参照されたい。


1970年代以前までの資本主義を語る際、こうした政治共同体が、つまり主権国家や国民国家その担い手としていたこともあり、その関係から政治共同体間における「親分ー子分」関係から構成される覇権システムは、資本主義を語る際に重要な要因となることは疑いを得ない。同時に、それは民主主義の発展の歩みについて語る際にも押さえておくべき要因である、ということである。




だが、ここですこぶる厄介となるのは、「システム」は、これまでとは異なる新たな資本主義を目指そうとする試みを、容易には許さないということである。そこには、1970年代以前の資本主義に話を限ってみる場合、それは資本主義の次元の問題だけではないということが関わってくる。先のモデルで示した図式は、たとえA、B、Cの経済発展の関係を別の何か新しい関係に替えようとした場合、それは覇権システムや民主主義の発展の関係も合わせて変えなければならないということを意味しているからである。


ここまでのくだりにおいて、私の資本主義に関する位置づけ方や理解の仕方について紹介したが、こうした観点から、斎藤やマルクスの資本主義の位置づけ方や理解の仕方に関して考察するとき、私にはどうしても彼らの資本主義の位置づけ方理解の仕方が余りにも狭いと言うしかないのだ。彼らの資本主義理解は、民主主義の歩みとも、またこれが一番重要だと私がみているところの自己決定権の獲得とその実現を巡る「親分ー子分」関係にみられる差別と排除の関係を前提として構成される覇権システムと、同時にまたそのシステムが抱える問題と切り離されて資本主義を捉えているということである。


それゆえ、私の語る覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの「システム」の担い手である「中心(文明・先進国)ー半周辺(半開・中進国)ー周辺(野蛮・後進国)」関係の各々の経済発展の関係として、資本主義を位置付け理解できないのだ。それは、結局のところ、「システム」が提供する「普遍的価値」と「普遍主義」の需要を意味することとなり、差別と排除の関係を正当化・合法化してしまわざるを得なくなるということなのだ。


私には、その問題こそが、何よりも私たちの生き方と歴史をゆがめてきた最も大きな原因ではあるまいか、とみてきたのだが、残念ながら、以前のブログ記事でも紹介した白井や内田の見解と同様に、斎藤の論もそれを免れるものではないということである。


気候変動問題を導くに至った自然環境の破壊や有史以来今日にその形を変えながら綿々として今日に至るまで続く「カクサ・格差」問題にみる人間環境の破壊の問題は、斎藤氏の説くように、資本主義にみる「成長」や「分配」にみる不公平・不正義に直接、起因した問題というよりは、差別と排除の関係を前提として織り成されてきた「システム」とその関係の歩みから直接、導かれたと位置付け理解すべきではあるまいか。


それゆえ、たとえ私たちの行き過ぎた成長にブレーキをかけ、「脱成長」を旨とする新たな資本主義を構想するにしても、「システム」と何ら向き合うことのない脱成長や歪んだ分配問題を質す云々の、斎藤氏流に言えば、それは「脱成長・コミュニズム」として位置付け理解されるものに違いないだろうが、そうした議論であり続けるのであれば、「金の成る木」としての「システム」の歪んだ「暴走」とそれを導く差別と排除の関係は、今後も以前となんら変わらずに、しぶとく生き残ることとなり、その意味では、これからの社会の在り様を提示する代替案として、私たちがそれに依拠するのは、難しいと言わざるを得ない。


斎藤氏がたとえ、資本主義における脱成長のススメを説いたとしても、氏の論は、1970年代以降の構造転換・変容を経験した「システム」の歩みに対して、歯止めをかけるのは困難ではないか、と言うしかあるまい。何よりも、私たち先進国の過去の歴史にみる傲慢さを顧みることなく、これまで途上国として1970年代以前の「システム」と、そのAに位置したかつての先進国を支え続けたBやCの諸国とそこに暮らす多くの人々が、これまでひたすら待ち望んできた「普通の暮らし」を、未だに実現できないという深刻な問題を直視するとき、斎藤氏の説く資本主義論では、あまりにも先進国に都合のいいような論のゆがみを垣間見てしまうのだが、それは私一人であろうか。


結局のところ、斎藤氏の説く、これまでとは異なる新たな資本主義のススメは、正確に言えば、それはコミュニズムのススメなのだが、先進国に暮らしてきた、先進国をこれまでつくり出してきた差別と排除の関係を払しょくできない、何かが匂うというか、漂ってくるのだ。私が哲学研究者としての斎藤氏にいま切に望むことは、いわゆる「市民革命」当時に、私たちがこれからの人類の道しるべとして享受した自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的価値と普遍主義に関して、それこそ「哲学」的考察をお願いしたい、ということである。



(最後に一言)


正直な話をすれば、どうしてかくも斎藤氏のような資本主義に関する著作を持ち上げるのかとの素朴な疑念・疑問である。あまりにも幼過ぎるというか、一面的な論の展開をみて、ここでも白井氏に対すると同様な感想を抱かざるを得ないのだ。もっとも、というか、勿論その理由は、私なりによくわかるのだ。何度も語っているように、「システム」には痛くもかゆくもないからだ。


逆に言えば、これでは私たちがいま抱えている命と暮らしを守る安全保障の問題に切り込むことなどできないということだ。もし、それを試みるとすれば、私たちはどうしても、普遍的価値と普遍主義がつくり出してきた問題に向き合わなければならなくなるはずなのだが、もしそうなれば、その途端に、「システム」からの何らかの妨害あるいは無視に直面するのは必至となるに違いない。「システム」がその宣伝機関を使って、大々的にそうした著作や研究を喧伝することはないからだ。


あのグレタさんに関しても、私は以前のブログ記事で私見を述べたことがあるのだが、実は斎藤氏についても取り上げている。次回は、それを参照しながら、もう少しだけ、論を展開したいと考えている。


最後となったが、誤解を避けるために一言、述べておきたい。斎藤氏が提言する内容のほとんどに私自身も共感・共鳴しているのは否定はしない。それはそうなのだが、もし斎藤氏のビジョンの実現を目指そうとするならば、私には、斎藤氏が一刻も早く「システム」とその関係の歩みを直視することを望むのだ。と言うのも、もし斎藤氏の唱える脱成長コミュニズムを実現しようとすれば、必ずや私の語る「システム」と向き合うことを余儀なくされるに違いない、と私は考えるからである。


その理由としては、私たちが向き合い、戦うべき相手は「システム」とその関係の歩み以外の何物でもないということを、私が痛感しているからに他ならない。先ずは、この点をしっかりと見据えておかない限り、私たちの命と暮らしを守る安全保障は、ますます困難な局面を迎えるに違いない、と私は確信するからである。



(付記)


それでは、上述したように、以下に、以前の私の記事を引用貼り付けておきたい。今回記事に直接かかわるのは、最初の二つの記事であるが、もし時間のある読者がいれば、斜め読みで結構なので、少し目をとおしていただければ幸いである。




(2021年11月9日)


脱・〈炭素社会〉を声高に叫ぶ私たちの社会の中から、脱・〈差別と排除の関係を前提とする「システム」〉を叫ぶ声が聞こえてこないのは、一体どうしてなのか。




(最初に一言)


正直なところ、私には今の社会の動きはとてもきみゅ王と言うか気色の悪いものである。その訳は、何か正体がわからないものに、背中を、無理やり押されながらわけのわからないままに突き進むことを強いられているからだ。その一つとして、今日の気候変動問題へのかつての先進諸国における積極的な取り組みと、その端的な例としての脱・炭素社会とSDGs運動を訴える喧しい声の大合唱であろう。




「自然を大事にする」ことは別に何も悪いことではない。その対策も多種多様なはずだ。ところが、今の私たちの社会で聞こえてくるのは、これからこうこうしかじかの対策を講じない限りは、2?-3?十年内に、地球の気温が産業革命以前の状態と比べて、約1・?度から2・?度近く上昇してしまい、大変な事態が引き起こされる?云々の声がその中心的なメッセージを構成すると同時に、その対応として、もっぱら先の脱・炭素社会への移行と、そのための方策の一つとしてSDGs運動を推奨する動きである。


これは、とてもおかしなことではあるまいか。何か私たちの多くが集団催眠に導かれたかのように、「一つの方向」に、まっしぐらに突き進んでいるのではあるまいか。私はこれまでの研究から、リベラルな民主主義社会の実現の過程において、どうしてもその前提となる経済発展により、人間環境はもとより、自然環境の破壊が導かれざるを得なかったことを論述してきた。


そんな私からすれば、脱・炭素社会とかSDGs運動と言う前に、これまでの私たちの社会における民主化やリベラルな民主主義の実現における問題点を、改めて検討・検証することから始めるべきではないか、と私は提言せざるを得ないのだが、これに関しては何ら取り組まないままに、いきなり小手先の問題を俎上に載せて、それこそがいま私たちの最優先課題だともいわんばかりのメディアを介した態度醸成の在り方は、どこか度を越しているのではあるまいか。


私からすれば、気候変動問題の背後には、私たちが喧伝してきた普遍的価値とその世界全体への浸透・普及である普遍主義の抱える宿痾が存在しているのだ。すなわち、私たちの自由や民主主義や人権、法の支配の実現は、差別と排除の関係を前提とする者であり、それは人間集団による別の人間集団と自然環境に対する「イジメ」にも似た差別と排除の関係をつくり出すということである。こうした関係から、私たちの自然環境とそれが取り巻く人間環境が木津つけられ、壊されてきたということなのだ。


このような私たちが抱え続けてきた宿痾を看過したままで、そこから目を遠ざけさせるかのような脱・炭素社会やSDGs云々の掛け声には、私は警戒するように強く主張せざるを得ないのだが、どうしても私の立場は孤軍奮闘となるのは必至であろう。私には、私がこれまで語ってきた「システム」の凄さと言うか、怖ろしさが際立つのみだ。




(最後に一言)


もう読者にはお分かりのことかもしれないが、私たちがこれまで抱えてきた、そしてこれからも抱え続けるであろう問題の背後には、「システム」の存在があると同時に、その「システム」の下で提供されてきた私たちの「知」とその在り方が深くかかわっているのだ。その意味では、戦後日本における「論壇」の果たした影響力は、今日の気候変動とその対応問題に対しても、いまだに大きな影響力を及ぼしているのである。それゆえ、一刻も早く、戦後論壇が不問にふしてきた重要な問題に、私たちは向き合うことを迫られているのだが、これも期待外れに終わるのだろうか。




(付記)


イギリスのロンドンで開催されているCOP26で環境問題を世界中に発信していた若者たちが、もし普遍的価値や普遍主義を何ら疑問視することなく、「システム」が提供する「民主化」や「民主主義」万歳の態度を受容したままであれば、彼らの環境問題への取り組みに対して、私はまったく期待などできるはずもない。




(2021年10月8日)


人間と人間のイジメの関係から今日の格差社会の問題が、人間と自然のイジメの関係から気候変動問題が顕在化する。1970年代を分水嶺とする「システム」の構造転換・変容とその「格差バネ」との関連から捉え直すとき


(最初に一言)


1970年代は、「南」と「北」の格差が一番拡大した時期と言われている。換言すれば、「システム」の「格差バネ」の働きによって、人間による人間と自然に対する「いじめの関係」が最大化した時期ということである。そこから、今日の格差問題(それは、別言すれば、自己決定権の獲得を巡る能力に見出される格差の問題とも言い得る。)と、温暖化問題を含む気候変動問題が導かれたということになる。




イジメという言葉を用いることに私は少しためらいを感じているが、人間の人間に対する侵害行為だけでなく、人間の自然に対する侵害行為も含んでいることを、私は改めて強調しておきたいのだ。なお、いじめや侵害の言葉は、あくまでも人間を主たる対象としているのだが、記事ではそれを踏まえた上で、今回記事でも使うことを読者に断っておきたい。


私たちは「人の命は地球より重い」とか、あたかもそれが絶対であるかのような嘘を垂れ流してきた。と言うのも、私たちは自然の助けなしには生きられない。空気を吸い、水を飲み、土を耕しながら、生きてきたのではあるまいか。その意味では人間の命と地球を別個に位置付け、その比較優劣を論じること自体がナンセンスなのではなかろうか。


人間の命が絶対だと仮に認めるとしても、それはすべての人間を含んでいないということも、私たちはこれまでの生きてきた歩みの中で嫌と言うほど知っている。金持ちと貧乏人、人が食べられない高級食材にありつけるペットの存在、これまた枚挙に暇がないほどの反証事例に突き当たる。


そもそも一体誰が先のようなうそを垂れ流してきたのか。その嘘によって、私たちは何を見落とすことになったのか。たとえば、遺伝子組み換え食品(そこには様々な農作物や農薬・肥料と飼料等を含む)の登場は人間はもとより、地球に、自然環境に対して、どれほどのダメージを与えてきたのだろうか。自然に対する侵害行為を意識できない人間に、どうして人間の人間に対する侵害行為を認識・自覚などできようか。勿論、こんなもの言いをしても、もはやどうにもならないところまで私たちは来ているのだが。その最たる例がmRNAワクチンではなかろうか。




(最後に一言)


今回記事は、私がなるべく早い時期に世に問いたいと、これまであたためてきた次回作(拙著)の骨格の骨格のさらにその骨格の「素描」に過ぎない。苦しんできた甲斐というか、少し頭の中を整理できた感じ。


とは言え、それができたからと言っても、これからの世の行く末は、これまで同様により悪くなる方向において、少しも変わらないし、逆に私はますます孤立感・孤独感を味わうに違いない。それはこれまでの経験からよくわかっていることだが、これまた仕方がないとしか言いようがない。




(付記)


前回か前々回で岸田さんのことを少し褒め過ぎたようで、反省。だが、それ以前の首相が悪すぎた。私の立場は、自民党に肩入れするでもなく、野党をことさら貶めるでもなく、とにかく何も期待などできないのだ。かと言って、無責任な態度もとれない。また嘘を言った。ずっと無責任に、政治に関わってきた。背を向けてきた。真面目に考えれば考えるほど、棄権するしかないし、関われない。さりとて、自らが政党を組織化して立ち上がるでもないし、正直、途方に暮れている。つまらない有権者と言われればそれまでだし、ーーー。


(再付記)


これから次回作をまとめる作業に取り掛かりたいので、しばらくは記事投稿は休止したい。目や体の不調で、何も楽しみはないのだが、そんな私に残されたやすらぎと言えば、次回作をまとめること。ただし、それはやすらぎを与えてくれると同時に、私の心身の不健康をさらに増すだけなのは確かなことだが。


☆ここまでお付き合いいただいた読者の皆様には、ただ感謝の一言だけです。長い間、ありがとうございました。くれぐれもご自愛ください。どうか生き抜いて、生き抜いて、天寿(天命)を全うしてくださいよ。お願いですよ。



(2021年10月6日)


気候変動とは、人間による人間と自然に対する「いじめの関係」からもたらされた結果の一つ。その対策としては、CO2の(排出量の)削減以上に、「システム」のイジメの構造を是正し見直すことが肝要!ー「歴史叙述」の「神話」を打破すべく、新たな「歴史」を描く旅に出ようかー(6)




(最初に一言)


真鍋さんという研究者がノーベル賞を受賞されるとのこと。研究テーマはCO2の増加(CO2濃度の上昇)と気候変動との関係を突き止めた?とのこと。私はCO2の増加とそれに伴う温暖化?現象を含む気候変動を、〈「システム」とその関係の歩み〉(以下、「システム」と略す。)にみられるイジメの関係(構造)という観点から考察してきたので、今回記事はそれに関して少し述べておきたい。




「システム」の基本構造である差別と排除の関係に示される「イジメの構造(関係)は、人間の人間によるいじめだけではなく、人間の自然環境に対するいじめ(その例の一つが諸々の自然環境破壊であり、その結果としてのCO2増加とそれに伴う温暖化を含む気候変動である)と相互補完的な関係にある。それゆえ、環境問題の解決はこうした人間の人間によるいじめと人間の自然に対するいじめの二重構造を理解するところから始めなければならないということになる。


つまりは、CO2の削減問題にばかり目を向けていてはだめだということなのだ。私たちは、環境問題の「大本」というか森をみないで、木木や枝葉ばかりを俎上に載せて喧々諤々の議論を繰り返してきたのではあるまいか。私はそう見てきたのだ。これに関しては、(『外大叢書』第48冊 2010)の『日本人の物語』の〈第2部 「あの戦争」の考察から見えてくるもの」を参照されたい。


そこでは、「(自由)民主主義」を実現するために、私たちは自然環境と人間環境における環境破壊を繰り返してきたことを論述している。逆から言えば、私たちがもし自由、民主主義、人権、法の支配、平和といった普遍的価値を実現しようとするならば、必ずや環境破壊を繰り返すことになる、そうした「システム」を私たちはつくり出してきたということを、そこでは考察している。


なお、その当時既に私の眼はかなり不自由であったために、(注)の位置がズレていたり、記述されない箇所も散見されるが、判読をお願いしたい。なお、第1部はその後、加筆・修正した後で、拙著『21世紀の「日本」と「日本人」と「普遍主義」ー「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ』(晃洋書房 2014年)として刊行された。




それではここで行論の都合上、前々回のブログ記事〈(2021年9月28日)「歴史叙述」の「神話」を打破すべく、新たな「歴史」を描く旅に出ようかー(4)〉から、その一部を引用しておきたい。


(引用始め)


今回は思いつくままにツレヅレ風に述べていきたい。前回記事では、これまでの「システム」論をいじめの構造という観点から語ったのだが、たとえば、私たちが南北問題での南北関係というとき、それは北による南に対するいじめとして描くことも可能だろう。私は南北関係を、{[Aの経済発展]→(×)[Bの経済発展]→×[Cの経済発展]}の関係として描いてきた。


さらにそこから、経済発展という擁護では何か曖昧模糊とした捉え方となると思われたので、{[Aの衣食足りて]→[Bの衣食足りて・足りず]→[Cの衣食足りず]}の営為の関係に描き直した。これを私は世界資本主義システムとして位置付け理解し直すことにしたのである。


このモデルからわかるのは、Aが自らの衣食足りての営為の実現のために、Cに対して衣食足りずの営為を強いることで、AとCの関係をつくり出したということを示しているのだが、その関係はまるでイジメの関係(構造)そのものとして捉えられるのではあるまいか。今日において格差問題が盛んに論じられているが、それは換言すればイジメの問題でもある、と私は考えるのだ。


南北関係で私が注目したのは、それは何も経済的次元の問題として限定されるものではなく、政治的次元の民主主義の発展における関係としても位置付け理解されるべきだということである。私は、南北関係を政治的次元の観点から、{[Aの民主主義の発展]→(×)[Bの民主主義の発展]→×[Cの民主主義の発展]}の関係として捉えることの必要性と重要性に関して、これまで強調してきたが、ここでも民主主義の発展と言うときの何か漠然とした伝わり方を踏まえて、そこから{[Aの礼節を知る]→[Bの礼節を知る・知らず]→[Cの礼節を知らず]}の営為の関係に描き直したのである。


この政治的次元における民主主義の発展(礼節を知るの営為)のA、B、Cの関係を世界民主主義システムとして位置付け理解することを読者に伝えると同時に、この関係においても、Aの礼節を知るの営為の実現には、Cの礼節を知らずの営為が必要不可欠であることから、この政治的次元の関係においても、いじめの関係(構造)がつくられてきたことを、私は強調したのである。




当然ながら、読者の中には、民主主義はそんな関係を創るはずがないと思われる方も多いだろうが、それはイジメている側が、簡単にはそのイジメの行為を認めようとはしない、さらにはそもそもそれに気づかないことと、同じ話なのだ。付言すれば、これも何度も指摘してきたのだが、そこには資本主義と民主主義を位置付け捉える際の私たちのある思考方法が与っている、と私はみている。


すなわち、それを簡単にまとめるとすれば以下のようになるだろう。資本主義を語る際には「理念」とか「価値」の次元ではなく、その理念・価値が実現される歩みとその結果について述べるのに対して、民主主義を語る際にはもっぱら理念や価値の次元にとどまっているということである。資本主義の実現に至る歴史は「史的システム」として描かれているのを踏まえて、民主主義の実現に至る歴史を、同様に「史的システムとしての民主主義」の観点から、私は捉え直したのである。


いずれにしても、史的システムとしての資本主義であれ、史的システムとしての民主主義であれ、その形成と発展の歩みにはイジメの構造(関係)が見いだされたということであった。Aに暮らす人々は、Cに暮らす人々に対して、「私たちと同じ空間で」、すなわち[衣食足りて礼節を知る]の営為の実現が可能な空間であるが、「一緒に暮らしましょう」とは言わなかったのだから。


換言すれば、そこには差別と排除の関係が、「親分ー子分」の力の獲得を巡る争奪戦とその歩みの中でつくられた覇権システムを介して、創られてきたということなのだ。この「親分ー子分」関係を基にした覇権システムそれ自体が、いじめの構造(関係)それ自体であることを、ここでも確認しておきたい。


(以上、引用、終わり)




先の{[衣食足りて]→[衣食足りて・足りず]→[衣食足りず]}に示されるイジメの構造は、そうした関係が自然を介してつくられてういることを踏まえるとき、同時並行的に人間の自然に対するいじめの関係を内包するものとして位置付けられることを理解できる。まさに、自然はいま猛烈に悲鳴を上げているのだが、残念ながら、加害者である私たちは気付かないままなのだ。


CO 2削減を介して地球温暖化を目指す運動は、そのためにも、先の「衣食足りて(足りず)」の営為の実現を担い支える人間関係におけるいじめの構造を是正・見直す作と、不可分に結びついていることに気がつくのではあるまいか。さらにそこから、「礼節を知る(知らず)」の営為の実現の関係にみる民主主義の発展におけるいじめの構造も同様に関係していることに気がつくはずであろう。


こうしてみてくるとき、脱炭素社会の実現を目指す試み(そこにはその一つの例として、電気自動車の普及による温暖化解決の動きも含まれる)は、事(こと)の半分の世界すらも理解できていない、と言わざるを得ないだろう。そこには自然環境の保全や自然の大切さを説く議論は溢れていても、その自然をもとにして、それを破壊しながら、私たちが文明をつくり出してきたことを見失ってはならないだろう。


すなわち、自然を差別し排除する形で、、環境破壊によるいじめを基にした文明の建設があると同時に、その文明の建設を支えた「文明ー半開ー野蛮」の関係から構成された「衣食足りて(足りす)礼節を知る(知らず)」の営為の実現(の関係)における「差別と排除の関係」がいじめの関係として、相互に補完する形で構成されていたということである。




(最後に一言)


それゆえ、自然環境の保全や環境整備の問題は、「システム」における差別と排除の関係にみられるイジメの構造を是正・見直すことが何よりも必要不可欠であることに気がつくに違いない。ところが、その前に立ちはだかるのが、覇権システムの頂点に君臨する親分である覇権国なのだ。


これは厄介である。というのも、覇権国を中心とした世界の親分連中は、彼らの「金の成る木」としての「システム」の「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係を、そう簡単に修正したり手直すことなどは決して応じないであろう。その代わりとして、彼らはCO2の排出量の削減がどうの、そのための脱炭素化社会がどうのと話をそらし続けるに違いないからである。


私たちの日常生活での身近なところで生産・再生産されるイジメの関係というか構造に対して、私たち自身が自ら加害者意識をもって向き合わない限り、私たちは今後ますます、気候変動問題に安易に関わらされてしまうことになるのは必至であろう。私たちは自然(環境)に対して、常にイジメの加害者的存在であることを自覚・自戒しなければならない。それが理解されたとき、人間環境に対するイジメの加害者的存在であることにも、ひょっとすれば気がつくのかもしれない。「システム」は、自然環境と人間環境の双方を共に含んでいる。


―ーー以上、斎藤幸平氏に関する(2021、12,18)の最初の記事、ここまで



(2021,12,18)


私の語る「システム」論から、私たちの社会に対する斎藤幸平氏の「提言」を、積極的・前向きに見直すとき




(最初に一言)


ほんの少し前に、前回記事を投稿したばかりだが、何か後ろ向きの否定的な話ばかりを展開したように私自身も思ったので、今回は、斎藤氏の折角の提言を、もし生かすのであればとの観点から、再考察した次第だ。




最初に断っておきたいのは、前回記事での斎藤氏の見解に対する私の主張は、ほとんどそのとおりであると考えている。それを踏まえた上で、私の語る「システム」論で紹介している21世紀のこれからの「システム」とその関係の歩みとして描かれる{[Bの経済発展(衣食足りて)→Bの民主主義の発展(礼節を知る)]→(×)[Cの経済発展(衣食足りて・足りず)→Cの民主主義の発展(礼節を知る・知らず)]→×[Aの経済発展(衣食足りず)→Aの民主主義の発展(礼節を知らず)]}の関係から、斎藤氏の「脱成長・コミュニズム」の提言は、B、Cにおいては、その実現性はほとんど無理であると同時に、激しい反対の声に直面するのは必至であるのに対して、かつての先進国が位置するAにおいては、その賛同者を得る可能性・蓋然性は高い?のではあるまいか。


すなわち、Bグループを構成する中国やインドロシア、ブラジルといったいわゆるブリックスを始め、アセアン諸国や中東諸国の一部や北朝鮮と、Cグループを構成するアフリカ諸国やBに含まれない中東諸国は、今後ますます成長を重視した政治のかじ取りに専念するのは明らかだろう。


これに対して、そうしたB、Cグループと投資や技術援助を含む経済活動の面で、相互に呼応する関係を続けるAグループに位置する諸国とその世界的に有名な多国籍企業を別にして、その他のAグループを構成する諸国においては、斎藤氏の提言を受け入れる可能性は高いのではあるまいか。もっとも、そうは言っても、その担い手として予想されるのは高学歴の所得水準の高い人たちから構成される「有志」連合という側面は否定できないのではあるまいか。


その意味では、斎藤氏の脱成長・コミュニズムが受け入れられるのは、国家を単位とした共同体ではなく、むしろ国家の中で、従来とは異なり人々の連帯を模索する先の有志連合を単位とした共同体であると考えた方が良いのではあるまいか。


そうした事情を鑑みるとき、斎藤氏の提言は、Aにおいてはその蓋然性・可能性は高いとは言え、1970年代以降今日にかけてその形成と発展の歩みの下にあるB、C、Aの関係から成る「システム」とその関係の歩みにより導かれたAグループの諸国とそこに暮らす人々に対して行使される構造的圧力を鑑みるとき、脱成長云々の議論の以前に、先ずは政治共同体とその構成員の存続・生存の問題が死活問題として顕在化することが予想されよう。それはまさに、今日のAグループ諸国が直面している難民・移民の流入問題として理解できるのではあるまいか。





(最後に一言)


私自身も、これまでの記事において、「システム」とその関係の歩みとは異なる生き方を模索し続けていることもあり、斎藤氏の提言には、無論賛同することを惜しむものではないが、それだからこそ、逆にその実現性も含めたいろいろな問題に応える必要性を痛感するのである。


そこから、私は今後ますます、自己決定権の獲得とその実現を巡る力と力のぶつかり合いを介した「親分ー子分」関係として展開される争奪戦(戦争・センソウ)とそれに伴う「命と暮らしを守る安全保障」の問題が、個人のレベルにおいても、国家次元の政治共同体のレベルにおいても、等しく重要な問題として生起することを、改めて強調しておきたいのである。もしこの問題をクリアーできないならば、その時に成長か脱成長云々の話など、それこそ論外ではあるまいか。


そして、いま私たちの周りを見渡すとき、とくにこのコロナ禍の社会の中で、そうした自己の生存問題を解決できない人々が次々と生み出されていることに、私たちは当然のこととして気がついているのではあるまいか。それでは、彼らには何が一番、必要不可欠なのだろうか。脱炭素を含む気候変動云々の議論なのか、脱成長の議論なのか。公正・公平な分配の議論なのか。


勿論、そうした議論も重要なのは疑いなかろうが、彼らに今必要なのは、普通の暮らしをかなり長期にわたって保障する「衣・食・住」の提供ではなかろうか。残念ながら、私たちの社会は、それをしないままに、多くの人々を見殺しにし続けるだけなのだ。そこには、差別と排除の関係から構成される覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムから構成される一つの「システム」の存在が立ちはだかっているのは確かなのだが、それを認めた上で、私たちは先ずは、生存に必要な最低限のものを、必要とする人には与えることが何よりも先決であろう。


―ーー以上、今回記事での引用貼り付け、ここまで)




(最後に一言)


 ここまで、以前の斎藤氏の論考に対する私のブログ記事〈(2021,12,18)に二度続けて投稿〉を紹介したが、読者に少しでも私の考えが伝えられることを、願う次第だ。それにしても、本当に厄介極まりない。私たちがそれこそ、主体的に責任をもって扱えることのできる問題は、現実にはほとんどないのではあるまいか。換言すれば、世界・セカイの親分連中のやりたい放題ではあるまいか。


 もっとも、だからと言って、悲憤慷慨することもなかろう。さりとて、「願いは必ず叶う」ことのない、そんな次元の問題もあるのだということも、できれば気がついてほしいものである。勿論、だからと言って、最初からすべてをあきらめることもない。無理なら無理なりに、ダメならダメなりに、そこからまた、いろいろなことが見えてくるのではあるまいか。勿論、こんなことが言えるのも、私がパレスチナとは異なり日本にいるからだが、その日本も、相当に危なくなっているのではあるまいか。兎に角、今は何を書いても、虚しくなるばかり。すべてがウソに響くばかり。つらいだけだが、それでも、私は嘘を書き続けるしかあるまい。今の私には、それしかできないから。



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№80私の語る「システム」論から、改めて中東問題の根源は、「普遍的価値」の実現を目指す「普遍主義」であることを、再考するとき―「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイ

2023-10-21 | 日記
№80私の語る「システム」論から、改めて中東問題の根源は、「普遍的価値」の実現を目指す「普遍主義」であることを、再考するとき―「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ(続・続・続)




(最初に一言)


 それでは早速、前回記事の続きと生きたい。その記事の最後の方で、パレスチナのことを引き合いに出していたのだが、確認された読者がいれば、ありがたい限りだ。




 それではまた、白井氏の論に対する私の以前の記事を引用貼り付けておきたい。


―ーー(引用貼り付け、開始)


(2021,12,10)


私の語る「システム」論から伊方原発3号機の再稼働を再考するとき―白井聡「永続敗戦論」と内田樹「比較敗戦論」との関連から


(この記事に関しても、前回同様加筆修正した箇所を*で示していることを断っておきたい。)


〈私が今回の記事で読者にお伝えしたい「論点」とは〉


白井や内田(敬、省略)の「敗戦論」からは、残念ながら「あの戦争」の「全体像」を決して捉えられない、それゆえ、「過去」と向き合い「謝罪」することも「反省」することも、そして過去とは「異なる道」を提示することもできないということである。


すなわち、彼らの見解からは、普遍的価値とその実現の歩みに見いだされる差別と排除の関係の抱える問題を捉えることができないと同時に、私の語る「システム」論で描いているように、〈「システム」とその関係の歩み〉(以下、「システム」と略す)における差別と排除の関係を「告発」することもできないということである。


換言すれば、彼らは「親分ー子分」関係から構成される覇権システムの差別と排除の関係を、そしてそのシステムを前提としてつくり出されてきた世界資本主義システムと世界民主主義システムにおける差別と排除の関係を俎上に載せて議論することはできないということである。むしろ、彼らの議論はそうした問題を隠蔽・糊塗する方向へと私たちを導いてしまう、と私は言わざるを得ない。


*〈「あの戦争」の「全体像」を決して捉えられない〉で私が言うところの「全体像」とは、『昭和史』で指摘されているあの戦争についての三つの性格を、すなわち、①帝国主義国家間の戦争、②デモクラシーを守ろうとした国家とファシズムを支持した国家間の戦争、③植民地独立戦争としての性格を、並列的にここバラバラに切り離して述べるのではなく、それらの相互に関連した関係とその歩みを語ることができた時に初めて浮かび上がってくるであろうあの戦争に関する姿である、と私は理解しているが、その姿こそが全体像と呼べるものなのだ。それゆえ、問題となるのは、そうした三つの性格を相互に関係づけて描くことのできる分析視角と分析枠組みである。ところが、これについてこれまで論及できた研究者は、管見の限りでは、私一人ではあるまいか。




(最初に一言)


正直なところ、なかなか書けそうもない。と言うのも、私は「原発」との戦いにおいて、常に負け続けてきたからである。そんな私が今さら何を語ったとしても、やはりそれは、ある種の「引かれ者の小唄」に過ぎない、と私は理解しているから。結局のところ、「敗北者」なのだから、その物言いは潔くもないし、回りくどい言い訳というか、保身のための卑怯未練な見っともない老醜を晒すだけだから。


私は何も戦うことなく、敗北したのだ。そのように言えば、少しはかっこよく響くかもしれないが、戦えなかったのだ。相手が余りにも強力・強大であり、戦うこと自体が「無謀なセンソウ」だと皮膚感覚で理解していたからである。付言すれば、私がここでいう「戦い」とは、自己決定権の獲得とその実現を巡る日々の「争奪戦」を意味している。対外的な争奪戦を「戦争」として、また国内のそれを「センソウ」として、それぞれ区分している。


そんな私なのに、何回かは反原発の講演会や集会に出かけていき、そこで実際に孤軍奮闘しつつ戦い続けてきた人々から、「あなた方もこの戦いに加わってほしい」、「どうか私たちに力を貸してほしい」云々のメッセージを受け取りながらも、結局は傍観者でしかなかった私に、今さら何が語れようか。


私はずっと私自身の人生における敗戦をしっかりと認め、それを受け入れてきたのだが、そこから先には何の展望も描けないままであった。いつしか、下を向きながら生きる姿勢が、私にはよく似合うようになった。情けないと感じながらも、何もできなかったのである。私の語る「システム」論をそれこそ長い間かけてつくり上げ、それを絶えず練り直しながら、私の分身であるかのように自覚できるようになっていくうちに、ますますその「システム」(論)の前で、身動きが取れなくなった私を発見してしまったのである。


とてもではないが、「システム」と真正面から向き合い、戦うことなど無謀極まりない暴挙だと痛感すると同時に、「核(原発)」はその「システム」が提供する「武器」であることを知るに至った。こちらには何の武器もない。素手同然である。さらには、「システム」が提供する「衣食」と「礼節」を受容しながら、それに依拠・依存しながら何十年も生きてきた私なのだから、もう始めから敗北していたということではあるまいか。


それにしてもなのだ。あのフクシマを、たとえ遠くから眺めていただけだとしても、その悲惨さ・危険性は、十二分に分かったし、原発の「ゴミ」や事故後の処理済み汚染水が、「アンダー・コントロール」などとはほど遠い現実も痛いほど知らされたはずではなかったろうか。


それがどうだろう。「あの戦争」を経験した日本と日本人が「もう二度とこのような悲惨な戦争は致しません」と誓ったその舌の根も乾かないうちに、再軍備、原子力の平和利用と、戦後すぐに発した嘘を彷彿させるように、今また原発事故後と同様に、嘘に嘘を重ねる私たちの姿は、もう「ご立派」と言うしかあるまい。


私はそう言わざるを得ないのだが、問題はそうした嘘を言わざるを得ない理由というか事情を探っていくとき、私が先述したような話にたどり着くのではあるまいか。そうだとすれば、私には、たとえ私が私自身を批判・非難したとしても、それもまた嘘となってしまう、ということになる。


戦う相手の正体を知れば知るほど、戦えなくなってしまう。反原発闘争は、「あの戦争」と同様に、無謀なセンソウとなってしまうのは必至ではあるまいか。しかし、そんなことを言うだけならば、原発事故に直面して放射性物質の被害に今も苦しんでいる人はどうすればいいのか。「泣き寝入りしろとお前は言うのか」との声が、もう一人の私から聞こえてくる。


もう一人の私はさらに続けて、事故の有無に関係なく、原発作業員が日々、直面する被曝の問題やその他の見えない・見えにくい問題も数多くあるではないか。「彼らが救いの手を求めているのに、お前はここでもまた傍観者なのか」と、激しく声を荒げながら私に迫ってくる。


私は答えに窮してしまう。何もできそうもないのだが、もし何もできない、仕方がない云々と返答してしまった瞬間、私は今後一切、もし私が困った時にも、誰にも助けを求められないし、誰の助けも期待してはならないし、もし助けを求めようとすれば、私はやはり「人」ではなくなる。だが、そうなったとしても、私は藁をもつかむかのように、すがるに違いない。そして、厚かましくも、人としての存在を主張する。


いずれにしても、それこそみんなが「一丸」となって戦うことは、本来ならばできないはずだ。私たちは差別と排除の関係を前提とした「システム」の中で、私たちの命と暮らしを守るために、国内・国外を問わず、自己決定権の獲得とその実現のための日々の争奪戦を繰り返しながら、生き続けているのだから、もしそんな一丸状況・状態が出現するとなれば、そこには相当に大きな理不尽な圧力が行使されるに違いない。。


それを承知で、もし「システム」を相手にそんなことをすれば、また昔のあの戦争のときと同じような帰結となるだけだ。逆に言えば、一丸となって、敗北を認めることもできない。否、そんなことをしてしまえば、その瞬間にも私たちは嘘に嘘を塗り固めた存在と化してしまい、それこそ、一丸となってこれまで以上に、さらに「システム」の奴隷になるだけではあるまいか。


こうした点を踏まえながら、それでは以下において白井の「永続敗戦論」と内田の「比較敗戦論」を取り上げて、彼らの論の内容を検討してみよう。(今回はここまで)




(2020,9,11)のブログ記事


私の語る「システム」論から、「どうにも形容し難い」不気味な社会の出現について、改めて語るとき


以前の記事でも「どうにも形容し難い」云々の話をしたが、今回の気分はもう「吐きそう」から「吐くものも見当たらないといった感じだ。とにかくひどいという次元をとっくに通り越してしまった日本の政治の現状。勿論、誰も責められない。自分自身を責める以外にはないのは確かである。


与党も野党も、よく言うわい、よくやるわい、なのだ。「それを言っちゃおしまいだよ」、「それをやっちゃおしまいだよ」云々以前に、とにかくーーーーである。それでも、たとえどんなに悲憤慷慨したところで、すべてが自分に跳ね返るだけで、さらに自分を惨めにするだけだから、今は何をすることが「よりましか」、を考えるだけ。


勿論、何をしたところで、「システム」に翻弄され、嘲笑われるのが落ちなのだが、それでも、私の次の行動はどのようになるかははっきりと決まっている。とにかく、次の衆議院議員総選挙では、新立憲民主党、共産党、社民党、令和新選組に関連した「野党」に一票を入れるしかない。自民党を勝たせ過ぎないことが何より第一である。たとえ、「どぶに捨てる」のと同じであったとしても、棄権はしないで、投票するしかないのだ。何はさておき、主権者としての私自身を救うために、正気に戻すために、投票するだけである。


今の日本の雰囲気は、とても不気味そのものだ。マスコミは、「誰か」の指示に従って、国民すべてを、ある特定の目的実現のために、躍起となって洗脳・扇動しているようにしか思われないのだ。特定の目的とは、次期首相候補の菅官房長官を、何が何でも首相の地位に就かせて、菅内閣の下での早期解散と、総選挙の勝利後に自公政権のさらなる安定化を図るということである。


このシナリオは既にほとんどの国民に見えているし、何も隠すふりもしないで、マスコミはその情報を垂れ流し続けているだけなのだ。もうマスコミの自浄作用などは期待できないし、政治に対しても期待できない以上、私たち有権者が自らに期待する以外に何もないのではあるまいか。


最後に一言。


私は、(私の語る)「システム」論の立場から、「システム」は「金の成る木」として「戦争」を、いつもその内に組み込んでいると論じてきたのだが、今回の安倍首相の退陣劇から、これまでの流れを見るにつけ、なんとも言えないような雰囲気をマスコミは醸成しながら、誰もその流れに逆らえないような筋書きを描くことに、相当な力を及ぼすのだということを、まざまざと教えられた思いがするのである。


当然ながら、そのような力をマスコミに与えているのは、誰かということになろうが、それについてはこれまで多くの論者が語っているし、私も何度かこの問題を記事でも述べてきたので、今回は触れないでおく。


とにかく、圧倒的に弱い立場に置かれている私たちが、もし主権者として、また有権者として、いま何をなすべきかを考えるとき、今般予想される衆議院議員総選挙では、(新生)野党とその支持政党に、たとえどのような不平や不満があろうとも、今回だけは、我慢に我慢を重ねながら、各人の1票を投ずるしかない、と私は思うのである。


これ以上、自公政権を長期化させては、私たちは、引き返すにはもう立ち戻れない、そんな地点にまで流されてしまうのではあるまいか。その地点を、「分岐点」などとた易く呼んではならないし、ましてや考えてもいけないのだ。私たちは、ここまでに、既に相当な程度、流され続けてしまい、私たち自身の判断能力さえもその都度、失ってきたのだから。




さて、ここまで、以前の私のブログ記事を行論の都合上、再度ここに紹介したのだが、それを踏まえて、それでは以下に、まずは白井の敗戦論に関する私見を述べてみたい。


私がとくに疑問視する点は、白井の言う敗戦の否認をその後の日本のどうにも説明しがたい、おかしな歩みの原因として位置付け理解するのは、やはり相当な論理の飛躍というか無理があるのではないかという点である。つまり、日本と日本人が敗戦をどのように受け止めるかの問題にかかわらず、日本と日本人は、戦後の覇権システムの頂点に君臨した覇権国である米国による占領統治を免れることはできなかったであろうし、それこそ日本人が一丸となって米国と向き合いその結果として日米安全保障条約や日米地位協定の破棄や見直しを実現できたかどうかも、やはり疑わしいのではあるまいか。


もしもそうした実現を目指すとすれば、もう一度、米国を始めその他の戦勝国との戦争を不可避とすると同時に、その戦いに勝利しなければならないということを意味するのではあるまいか。そもそも、未だ占領統治下に置かれているにもかかわらず、米国から押し付けられた憲法を礼賛して、その第9条を金科玉条の如く扱ったとされる当時の日本と日本人が戦争するのは至難の業であったであろう。


いずれにしても、米国の占領統治下の下で、覇権システムに、そして「システム」に組み込まれてしまったという事実こそが、その後の日本と日本人の歩みを「制約」したことは間違いない。もう少し踏み込んで言うならば、幕末以降、明治、大正、昭和の戦争に至る時期においても、日本と日本人は「システム」の中にどっぷりと組み込まれて、その制約の下で歩まざるを得なかったという点を銘記しておかなければならないだろう。


白井の言う戦後の日本の間違ったとされる生き方は、その意味において、敗戦の否認といった子分の視点から捉えられるものではなく、むしろ覇権システムと「システム」に組み込まれてしまったことの結果として、位置付け理解すべきではなかろうか。


と同時に、そのように理解しない限りは、日本を占領統治するに導いた覇権国の米国とそれが指導する覇権システム、そしてそれを前提としてつくり出される親分に都合のいい「親分ー子分」関係の下でつくり出されてきた「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係における差別と排除の関係にみられる問題を、すなわち、差別と排除の関係の下につくられてきた世界資本主義システムと世界民主主義システムの抱える問題を俎上に載せて、批判的に検討・考察することなど、到底無理であろうし、それゆえ、「システム」と異なる道を模索などできなかったであろう。




こうした観点から、以下に再度、白井の「永続敗戦論」を検討・考察してみよう。白井の論は「親分ー子分」関係の「子分」としての日本から、戦後の日本の歩みを概観したことを、改めて確認できるのではあるまいか。


だが、白井が述べるように、日本側における「敗戦の否認」を、子分の側だけからもっぱら捉えてしまうとき、やはりそこには、ある種の「ないものねだり」となって日本と日本人を一方的に厳しく論難してしまうきらいがあるのではなかろうか。


もっとも、白井による日本と日本人に対する批判・非難については、私自身も同感なのだが、それを断った上で言うならば、そうした敗戦の否認を介した白井による日本と日本人に対する批判・非難は同時にまた、別の問題を生み出すのではあるまいか。


すなわち、戦勝国である米国におけるあの戦争と原爆投下、日本占領に見られた暴力的な差別と排除の関係に対する、すなわち、米国を始めとした文明を僭称した戦勝国のイジメについての無自覚・無理解さにつながるのではあるまいか。その意味では、両者の問題は、相互に関係づけて再考察・再検討・再検証を必要とするに違いない。


もし、そうしない限りは、子分だけの背負うべき問題となってしまい、そこから親分の米国が東京裁判を利用しながら、日本と日本人に強要した「あの戦争」の位置づけ方・理解の仕方を清算・超克することなどは到底できなくなり、それゆえ、「親分ー子分」関係とそこから導かれる差別と排除の関係の抱える問題へ、私たちを導くことはないだろう。


そしてそれは、覇権システムとその関連から「システム」の抱える「構造的圧力」(暴力)とそこに垣間見られる差別と排除の関係についても、つまりは世界資本主義システムと世界民主主義システムの抱える構造的圧力(暴力)とそこに垣間見られる差別と排除の関係についても向き合うことをさせなくなってしまい、それは「普遍的価値」とその実現の歩み(「普遍主義」)における差別と排除の関係を不問に付してしまうのである。


そうした関連から付言すれば、白井の主張する「永続敗戦論」は、こうした「システム」の中で位置付け直すことによって、初めて子分としての日本と日本人の敗戦を否認したとされる生き方を掴み直すことができる、と私は強調しておきたい。


私が主張したいのは、白井の言う敗戦の否認といった日本と日本人の精神的な戦争に対する向き合い方によって、日本のその後の対米従属とアジアの近隣諸国に対する横柄な態度に示されるような生き方がもたらされたというよりも、すなわち、そのような精神的云々の話に何ら関係なく、覇権システムの頂点に君臨した覇権国の米国と、覇権システムを前提とした「システム」との関係の中で、戦後の日本と日本人の生き方は制約されたということである。


勿論、それは何も戦後だけの話しだけに限定されるものではない。開国以降の、そして明治、大正、昭和のあの戦争に至る前においても、既に日本と日本人の生き方は制約されてきたというべきであろうが。


いずれにせよ、こうした観点に立脚することによって、初めて私たちは戦争の否認云々といった表面的・内向きな論の展開に陥ることを避けながら、あの戦争に関連した戦後の米国に代表される戦勝国と敗戦国の日本の相互に関係した近代化の歩みの中で呻吟しながら戦前・戦中、そして戦後を歩まざるを得なかったアジアの近隣諸国との間において織り成された差別と排除の関係の歩みに関連した重要な問題に向き合うことができるのではあるまいか。


―ーー(以上、引用貼り付け、終わり)


(付記)


 今また記事を読み返しながら、私自身の弱さを痛感した次第。と言うのも、覇権システムを、選挙でもって変えることなどできないし、全く意味のないことだ云々と、別の記事では述べながら、ここでは、棄権などしないで選挙で、どうのこうのと語っているのだから。できないとわかっていても、中途半端なあがきをするのは、仕方ないと、これまたいうしかあるまい。と同時に、まだまだ甘いというか、甘すぎる私自身を確認した次第である。



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