日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

21世紀版『危機の20年』ならぬ『(中国が覇権国へと至る)危機の20年』に引き起こされる「出来事」とは

2020-03-21 | エッセイ
21世紀版『危機の20年』ならぬ『(中国が覇権国へと至る)危機の20年』に引き起こされる「出来事」とは

前回までの一連の記事において、21世紀の危機の20年において予想される出来事を、20世紀版『危機の20年』をもとにしながら、同時にE・H・カーの著作の内容に縛られることなく、その比較論的考察を試みてきた。それぞれの危機の20年において共通する出来事とそうでない出来事を、私の〈「システム」とその関係の歩み〉に関するモデルを使って抽出するとき、以下のように示される。

(共通する点)

いずれの20年においても、システムとその関係の歩みを前提とした中で、それぞれの出来事が導かれていることがわかる。それらの出来事に共通しているのは、A、B、Cの、またB、C、Aの相互間における「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為を巡る「自己決定権」の争奪戦にみる差別と排除の関係である。もう少しわかりやすく言うならば、AはBやCに対して、BはCに対して、少しでも、より優位となる地点に位置しようと努めていることである。その結果として、CはBとAに対して、BはAに対して、より劣位の地点に置かれることを甘受せざるを得なくなる。

そうした関係が「大恐慌期」(急いで付言しておくと、21世紀版の〈大恐慌期〉については注釈が必要となるだろうが、私は今のコロナ騒動に伴う経済状況の悪化を捉えて、21世紀の大恐慌期とはみてはいない。それが起こるとすれば、私のモデルから判断して、もう少し先のことだと理解している。)と呼ばれる経済状況の悪化に対するA、B、C、あるいはまた、B、C、Aグループとその政治指導者における「危機」対応に大きく影響するのである。元より、A、B、Cの関係におけるB、矢Cは、特にCにおいては、それこそ爪に「危機」なのである。というのも、CはAやBの植民地や従属地に置かれていることから、主権国家とか国民国家という形での危機を体験することがそもそもできないのだ。しいて言うならば、Cグループ内の反・植民地、反・従属地運動を展開する政治指導者においては、今なお主権国家、国民国家の形成を目指す途上にあるからである。

こうした点に関して、付言すれば、「危機」や「通常通り」あるいは「戦争」という用語の使用法は、A、B、Cの、またB、C、Aのグループ間の政治的共同体とそこに暮らす人々がシステムとその関係の歩みにおいて、どの「段階」(地点)に位置しているかによって、それらの受け止め方や見方が自ずと異なってくるのは言うまでもないであろう。たとえば、Cにおいては、危機や戦争が「通常通り」となるのではあるまいか。こうした点を、いつも銘記しておくことが私たちには必要なのだ。

(異なる点)

21世紀の危機と想定される出来事が、20世紀の戦間期の「危」とされた時期の出来事と一番異なるのは、差別、排除する側に位置していたAグループが、今度は差別され排除される側へとその立ち位置を逆転するに至ったということである。(「システム」とその関係の歩みの観点から換言するならば、B、Cはその発展の「高度化」を歩むことができるのに対して、Aはその「低度化」をひたすら辿らざるを得なくなることを意味している。)すなわち、BからもCからも差別され、排除されている。ところが、未だにこの事実というか、この現実を多くのAグループの政治指導者はもとより、多くの国民は感じてはいないのではあるまいか。

たとえば、A、B、Cの関係を前提としていた、そうした差別と排除の関係が許されていた時期の「民主主義」、つまり自由民主主義体制と、今のB、C、Aの関係を前提とした、すなわちこれまで差別し、排除する側に位置していたAが、差別され、排除する側へと追いやられた時期の自由民主主義体制の、Aにおける発現形態は高いレベルの福祉国家を実現できなくなっている。逆に、そうした民主主義の発展の低度化に加えて、BやCグループからの「ヒト・モノ・カネの大移動」に伴う構造的圧力を受け続け、その結果として、Aのかつての中間層は解体され、これまで享受してきた豊かさを失っている。そうした状態に輪をかけるように、移民や難民の流入により、さらにAの諸国に暮らす人々の富が収奪されていく。(これらの話に関しては、以前のブログ記事でも論及している。)

21世紀における、こうした民主主義体制を構成するB、C、A間の差別と排除の関係を的確に描くことが、今後ますます社会科学に従事する研究者には望まれるだろう。なぜなら、もしそうした作業が手つかずのままに置かれてしまったならば、私たちはまた大恐慌期と想定される時期において、ただ拱手傍観するだけではないか。その挙句、移民や難民流入とそれに伴う排斥問題を、政治思想や政治的価値としての「自由主義」の抱える問題云々とか「ポピュリズム」の問題云々に矮小化してしまい、民主主義の形成と発展と変容の問題にまで目を向けることもできないままに終わってしまうだろう。もしそうであるのならば、私がこれまで読者に問い続けてきた〈「システム」とその「関係」の「歩み」〉云々の次元の話には到底至らないのは必至となるであろう。

それゆえ、一番肝心な対策ができなくなるのである。それは何か。普遍的人権で保障されている通商の自由、つまり営業の自由とそれをもとに稼いだ富を懐に蓄積する私的財産権の自由(保障)にメスを入れることができなくなるのだ。それは公共の福祉とか制限といった次元の問題ではなく、見直し作業の必要性を問うことなのだ。当然ながら、憲法は、とくにこうした内容に関連した、関係した条項は「改正」しなければならないのである。

勿論、これもまた何度も指摘してきたように、それができないから問題なのだ。付言すれば、私がここで言及している「できないのだ」という物言いは、こうした話の流れさえ理解できない者が多数を占めていること、それが何より問題だということなのだ。まさにシステム人なのだ。

とても広いとは言えない土地(マンションのたとえ話はここではしない)を、2・30年ローンで契約し、購入し、そこに家を建てる。そのマイホームで楽しい我が家をとの思いで、毎日身を粉にして働き、ローンの返済に努め、やっと手にした我が家には、妻も子供もいなくなり、寂しく一人で余生を過ごす、そんな人生だとしても、男どもはそうした生き方しかできなかったのだ。

そんな男たちからすれば、営業の自由とか私的財産権は神聖不可侵ではないか。「空気」みたいなものだから、その空気とそれがつくり出す関係など、まさか私の語るシステム云々の話など、それこそ糞(くそ)みたいなもの、いや糞となるのだ。こうした「私」に理解などできないだろう。理解する必要もないし、それすら感じないのである。これまた仕方のないことだ。「システム人」としての私ことオニクタラムならぬ村田邦夫がたどってきた道だから、人様に対してエラそうなことなど何も言えない、それは確かなことである。

それにもかかわらず、こうして話を続けているのは、これまた何度も言うように、「それにもかかわらず」という問題があり、同時にそれに関連して、たとえ結果は同じような事態に陥ったとしても、避けられるべき最小限度の努力は、やはり怠ってはならないということであり、その努力とは、「してはならない」ことをしないように努めるということなのである。

ただし、私がここで「想定」している21世紀版『危機の20年』も、20世紀のそれと同じような道を、すなわち「戦争」へと至る道をたどるのではあるまいか。(誤解のないように、ここでもまた付言しておくと、既にいろいろな識者により湾岸戦争頃を起点として「第三次世界大戦」が始まったとの見解が提示されている。これについて、私の見方もそれほど異なるものではないが、それを踏まえた上で、ここで私が言う戦争とは、日本が巻き込まれる、巻き込む「戦争」をとくに意味していることをここで断っておきたい。)大恐慌期とそれに前後した経済情勢の悪化とか危機と、それに伴う国内政治状況の混乱とそれに対処すべき台頭する強権的政治指導者とその政治支配云々の問題がマスコミを、今後ますますにぎわすことになるのかもしれない。そしてひょっとして、21世紀版ヒトラーに象徴される政治指導者が世界を攪乱することになるのかもしれない。

しかし、私がここでも声を大にして読者に訴えておきたいのは、私たちが本来問うべき根木問題は、そうした出来事をつくり出す仕組みではないのか、つまり構造こそが問題だということなのだ。20世紀の危機においては、{[A]→(×)[B]→×[C]}の、そして21世紀においては、{[B]→(×)[C]→×[A]}のシステムとその関係の歩みこそが本来ならば、俎上に載せられるべき問題なのだということを。

それゆえ、そうであるからこそ、そうした「システム」とその関係の歩みを、まさに「システム人」として担い、支え続けてきた「私」とその生き方こそも同様に俎上に載せられてしかるべき問題なのではあるまいか。「私(あなた)」と「あなた(私)」とまた別の「私(あなた)」と「あなた(私)」から構成される「公的空間」の構成員たる私たちこそが本当ならば、責任を負うべき「真犯人」なのではあるまいか。

そうしたシステムとその関係の歩みは、「金の成る木」であり、いつも戦争を引き起こすのである。そのシステムがヒトラーを、逆に言えば、レーニンやスターリン、チャーチルやF・ルーズベルトや蒋介石、毛沢東、そして近衛文麿や東条英機を歴史の、つまり「システム」とその関係の歩みの「舞台」に登場させるのだ。(忘れてならないのは、彼ら指導者を選出、選択するのはすぐ上でも述べたように、私たちシステム人であることを。)またそうした政治指導者を登場させるために、大恐慌期やその前後の経済危機とそれに伴う国民とその生活困窮状況、状態がつくられるのだ。そのためにFRBとか各国の中央銀行という名の民間銀行や株式市場が設置されるのだ。

(今回は、ここまで。)


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「システム」論からみる21世紀版『危機の20年』はどう書き換えられるのか(5)ー私たちが今のコロナ騒動において問うべき問題は「資本主義」それ自体ではなく、あくまでも〈「システム」---(修正版)

2020-03-19 | エッセイ

「システム」論からみる21世紀版『危機の20年』はどう書き換えられるのか(5)ー私たちが今のコロナ騒動において問うべき問題は「資本主義」それ自体ではなく、あくまでも〈「システム」とその関係の歩み〉なのだ(修正版)

前回の記事での問題提起ー今こそ「にほん」と「にほんじん」に生れ変る、変われる話を始めようではないかーの続きは、是非とも私よりも若い読者にお任せしたい。私自身は既にこのブログ記事の一番最初から10数回にわたる記事に置いて語っているので、もうここではやめておきたい。それよりも今回はすぐ下の引用貼り付け記事(その見出し)に目を通してほしい。

(引用貼り付けの始まり)

もはや、日銀もFRBも打つ手なし コロナ禍 資本主義を破壊の衝撃(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/675.html
投稿者 赤かぶ 日時 2020 年 3 月 18 日 20:00:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU  
 
【コロナ禍 資本主義を破壊の衝撃】もはや、日銀もFRBも打つ手なし 世界中の金利がつかなくなったことで、突如、終わりを告げた資本主義。加えて、いくら流動性を確保するために資金供給したところで、経済が回っていないのだから一時しのぎにもなりゃしない(日刊ゲンダイ) pic.twitter.com/VwxMAmALl2
? KK (@Trapelus) March 17, 2020

中央銀に打つ手なし コロナウイルスが資本主義を破壊する
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/270550
2020/03/17 日刊ゲンダイ

(以上、引用貼り付け、終わり)

これらの「見出し」は、〈阿修羅 総合アクセスランキング(瞬間)〉に掲載された記事からのものである。

私がこれまでのブログ記事、20世紀版『危機の20年』と21世紀版『危機の20年』で読者に伝えたかったのは、ここに紹介した資本主義はもう終わりだ、破壊された云々の話は1929年の大恐慌期においても、おそらく喧(かまびす)しく話されていたことだろう。少し以前のトマ・ピケティ著『21世紀の資本主義』が刊行された後でも、同様な議論がなされていた。

私はその際にも、このブログ記事で資本主義の終焉云々の見方を批判的に考察していたのだが、今回もまた、強調して述べなければならない。資本主義を、それだけを軸とした議論で世界を語ることは土台無理な話だということである。何度も語ってきたように、覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの下位システムから成る「システム」とその関係の歩みを軸として歴史を見ない限り、ほとんど何も語れないはずなのだ。とくに覇権システムの「親分ー子分」関係を抜きにしたのでは最初から、それこそ話にもならないのである。

換言すれば、「親分ー子分」関係が続く限り、その関係を維持させるための経済が、すなわち「親分ー子分」関係を維持させ、安定させ、発展させる、そうした「衣食足りて(足りず)」の営為が、つまりは経済が必ずつくられ続けるのである。その経済を、私たちは資本主義(経済)と呼んだり、社会主義(経済)と呼んでいるにすぎないのだ。同時にまた、そうした営為を合法化、正当化。合理化させる、そうした「礼節を知る(知らず)」の営為」が、政治が創造されていくのである。そしてここでもまた、その政治を、私たちは自由主義的・民主主義(体制)とか、非・自由主義的民主主義(体制)と呼称してきたにすぎないのだ。

それゆえ、今回の引用記事にあるように、たとえ資本主義が「破壊」され「崩壊」したとしても、「親分ー子分」関係が破壊され、崩壊しない限りは、私たちの想定している「資本主義」は終焉しないのである。そもそも本来は、「親分ー子分」関係を前提とした「経済」なるものを、私たちは勝手に経営者(資本家)-従業員(労働者)であるとか、需要と供給とか、また生産者ー消費者とか、資本収益率(r)ー経済成長率(g)等々の次元で、それこそ『21世紀の資本』の賛同者と批判者が共通して語っいるような「経済」にすり替えてしまい、そしてそれを資本主義と想定してきたにすぎないのである。

いずれにせよ、今回の記事で私が読者にお伝えしたいのは、20世紀の危機の20年とされた頃の大恐慌期を経験した後も、資本主義として想定されてきた「親分ー子分」関係の「経済」はその後も存続したし、そしてその時は覇権国であった英国から次期覇権国として君臨する米国への、そしてまた今は、そのの親分であった米国から次期覇権国の親分となる中国との覇権(親分の印)のバトンの引継ぎの間であるが、そうした経済は存続するということなのだ。

「木」を見て「森」を見ないではないが、私たちは、今のコロナ騒動と経済悪化、経済危機の中で、もう一度、20世紀の危機の20年とされた時期の歴史を、とくに大恐慌期前後の頃を振り返る必要があるのではなかろうか。そうした歴史を回顧する際の一つの羅針盤として、私の「システム論」を読者が援用されることをただ祈念するばかりである。

 

 

 


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「システム」論からみる21世紀版『危機の20年』はどう書き換えられるのか(4)ー今こそ「にほん」と「にほんじん」に生れ変る、変われる話を始めようではないかー

2020-03-17 | エッセイ

「システム」論からみる21世紀版『危機の20年』はどう書き換えられるのか(4)ー今こそ「にほん」と「にほんじん」に生れ変る、変われる話を始めようではないかー

前回の続きを述べるのは相当に疲れるし、正直やめたいのだが、それもできないから、またまた疲れるというか、落ち込んでしまうのだ。今の世界はコロナ騒動とそれが引き起こす経済危機、悪化により、普段あまり気が付かない、見えにくい処が少し見えてくる。その見える、いやそう私たちが錯覚しているのかもしれないが、危機とされる「地点」においても、「通常通り」と私たちが感じている「地点」においても、これまた私たちの錯覚かもしれないが、両者の地点は、〈「システム」とその「関係」の「歩み」〉の「段階」において、「継続」している。つまり、連続しているのだ。

今日のニュースでまた、株式相場の大暴落云々と伝えていたが、1929年のニューヨーク株式市場の大暴落は別にコロナ騒動とは全く関係なく引き起こされた。そして、その後の歴史は各国それぞれの危機対応過程を辿りながら、最終的には世界大戦と米国を除く世界の主要国の戦争による深刻な人的・物的被害をもたらしたのである。言うまでもなく日本も甚大な被害を被ったのだが、その日本とAグループを構成した当時のイギリス、米国、フランス、オランダの「侵略」によるアジア各国の被害も相当に深刻であった。

ところが、戦後「すぐに」、米国を起点としながら、ヨーロッパ諸国も日本も経済の回復を見るのだ。戦後20年も経過しないうちに復興とその後の繁栄の基礎が確固となる。もうこの頃には、戦前の20年間に経験したはずの危機や通常通りの出来事がそれこそ過去のものとなり忘れ去られているのである。勿論、私たちはそれと同時にまた、いくつもの嘘を重ね続けることを忘れないのである。たとえば、「あの日を忘れない」、「戦争の悲惨な歴史を踏まえ、二度と戦争はしてはならない」から「過去に盲目となってはならない」云々の繰り返しとなる。

こうした歴史の中で、私たちは生きている。いずれコロナ騒動も収束し、また通常通りとなり、また危機が私たちを襲うことになるだろう。私たちがいつも見ておかなければならないのは、こうした危機と通常通り、そして戦争の歴史の中で、私たちは今、システムとその関係の歩みのどの段階に位置しているのか、その確認なのだ。

当然ながら、そのためには、システムとその関係の歩みを理解しておかなければならなくなるのだ。さらに、そうした理解のためには、経済発展とデモクラシーの発展に関するモデルとそれに依拠した各国のデータ収集が必要となるのだが、いま私たちが行っているそうしたデータを得るための研究手法が、一国枠に基づいて構想された「デモクラシー」を前提としているということを抑えておかねばならない。

そもそもデモクラシーの実現は、一国では到底、無理なのである。関係を前提として、経済発展が実現され、またデモクラシーの実現も同様にそうした関係を前提としているのである。さらに、そうした問題以前に、経済発展やデモクラシ-の実現の舞台となった国家、すなわち主権国家。国民国家の実現も一国だけでは実現できなかったのである。たとえば、歴代の覇権国の、また強大国の、その多くはデモクラシーの母国とされたが、植民地や従属地とされた国々においては、最初から主権国家や国民国家の実現など目指すことなど不可能であり、同様に経済発展やデモクラシーの発展など望むべきもなかったのである。

こうした歴史の知見を踏まえるとき、デモクラシーの実現モデルは、関係を前提としたモデルとならざるを得ないだろう。つまり、従来のように、「ポリアーキー」のような一国枠モデルでは最初からデータ収集には不適格なのだ。そうした点を鑑みるとき、今の時点でもさらに今後においても、そうした一国枠の研究は続いていくだろうから、とてもシステムとその関係の歩み云々の話には至らないだろうし、当然ながら、危機と通常道理と戦争の流れなど掴(つか)めないことは言うまでもない。絶望的と言わざるを得ない。

また話がややこしくなったが、今回のコロナ騒動とそれに伴う経済危機に対して、私たち庶民は何もできない。悔しいが。私たちの税金を「私物化」することなど日常茶飯事のこととして、何の後ろめたさも感じない権力集団というか世界各国の権力ブロック等は、彼らが奉仕する世界的規模の大株主、銀行投資家らのマネーゲームをただ見守り、彼らの支持するように動いているのである。

以前の記事でも述べたように、21世紀の今も、映画「座頭市」の時代も、親分の「賭博場」が儲かり、庶民が貧乏くじを引くようにできているのは何も変わらない。ただ、その客層が変わっている。「座頭市」の賭博場に座っている客は男性であったが、現在では女性、家庭の主婦層や若い女性も多いのだ。「座頭市」の映画の場面では、賭博場に行く男たちに対して、家庭の主婦や子供たちが、「あんた、父ちゃん、行くな、やめてくれ」と泣き叫んでいたが、今や状況はまったく様変わりである。どの株が上がるか、中国株に乗り換えようかと真剣に検討している家族も少なくないし、小学校の高学年や中学・高校ではゲーム感覚で勉強しているところもあるのだから。もっとも、外観というか外見の話だが。

とにかく、いずれにしても庶民には何もできない。庶民の代表者の国会議員や総理にも、日銀にも何もできない。彼らがやっているのは、賭博場の維持と安定の方策ばかりではないか。どうして、そんなことしかできないのだろうか。私たちが歩んできたシステムの歴史からも分かるように、私たちは今や、「金融・サービス化」経済を前提とした社会の中で生きている。それゆえ、「金利生活者」としての生き方を大前提とするような社会を当然としているから、賭博場の維持とその安定は、現実にそうしたところに行かない人間にとっても他人事ではなくなっている。株や他の債権をまったく保持しない人々も、そうした社会を何某かの形で担い、支えているのは確かなことなのである。

あれほど、トルストイが『イワンの馬鹿』において、銀行家や戦争屋が跋扈する社会ではなく、イワンのような掌に豆粒のある農民となれと願っていたが、悪魔のささやきに私たちは負けてしまったのだろうか。システムとその歩みを何の躊躇もなくひたすら辿り続けているのだから。それに関連して言えば、コロナ騒動で、国会はまるでコロナと桜云々の話だけとなっているが、なぜ「種子法」に関しては野党も国民も今一つ動かない、その事の重大さを感じないのかと考えれば、これまた私も偉そうなことを何一つ言えなくなる。

とにかく安い農作物を云々から始まり、少しでも楽をして金を稼ぎたい、儲けたい、を国民すべてが目指す社会となってしまい、いまや農業は顧みられなくなっている。もうすぐまた食糧難となるのは見えているのに、そして金がいくらあっても手に入らないことも分かっているのに。今のマスク騒動の比ではない。それが少なくとも団塊の世代の政治家にはわかっているはずなのに。私も分かっているくせに、どうにもならない。これは私の責任であるが、私一人ではとても引き受けられない責任でもある。これまた身勝手な言い訳、弁解だと孫やその子供たちから言われても致し方ないのだが。

それゆえ、私に精いっぱい言えることは、確かに親分には逆らえないが、またそれゆえにシステムとその関係の歩みの中で生きていかざるを得ないのは仕方のないことなのだが、それでも日本と日本人の中に、違う生き方とそれを推進する公的空間が存在しても何ら問題にはならないし、今や一刻も早く取り組むべきことなのである。それは、農・林・水産業から成る第1次産業を生活の基盤とする社会である。その基盤を中心として、それを支える第2次、第3次、第4次、第5次ーーー産業の育成を目指すべきである。決して、第1次が第2次に、また第2次が第3次に、---に、取って代られるそうした歩みとならないように、ここで構想される公的空間だけは先に指摘した基盤とその関係性の仕組みを守らなければならない。

こうした社会の基盤づくりとその発展が保障されるならば、次の、いや繰り返される危機にあっても、日本に暮らす身の回りの人々を(そこには当たり前のことだが中国人やベトナム人や、韓国人や、イスラエル人やパレスチナ人やイラン人やその他のすべての外国人を含んでいる)を飢え死にさせない、それを許さない日本と日本人となれるのではあるまいか。それが実現した時に、「日本」と「日本人」は、日本国憲法の前文に謳われている、これまでの「普遍的人権」に替わる「ふへんてきじんけん」を提唱できる「にほん」と「にほんじん」に生れ変れるに違いない。私はこれからさきもこうした「にほん」と「にほんじん」の物語を考えていくつもりだ。ただし、ほとんどがこれまで述べてきた話の繰り返しとなるかもしれないが、それでもできることだけはしておきたい。

(付記)「にほん」と「にほんじん」とのべるとき、それは「にっぽん」と「にっぽんじんの誤りだ、と腹立たしく思われた読者がいたならば、我慢して今後もお付き合いお願いしたい。私もそれがそうだと言えればうれしいのだが、その前に先ずは「にほん」と「にほんじん」とならねばならない、と考えている。

 


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「システム」論からみる21世紀版『危機の20年』はどうを書き換えられるのか(3)

2020-03-14 | エッセイ

「システム」論からみる21世紀版『危機の20年』はどうを書き換えられるのか(3)

前々回の記事(2)の続きを少し書いている途中で、株式相場の乱高下のニュースに接し、コロナ騒動の流れもあり、少し書くのを控えようかと思ったが、コメント欄の投稿者の声に背中を押されたような気もしたので、また恥をかくことにした。

この前の記事(2)の中で、以下のように述べていた。

すなわち、---こうした点を踏まえて、これから2,30年の世界の歩みを俯瞰するとき、そしてその際、忘れてならないのは{[B]→(×)[C]→×[A]}の図式で描かれるシステムとその関係の歩みであるが、そのモデルを念頭において今後の世界の歩みを展望するとき、第1次世界大戦と第2次世界大戦の両戦間期に引き起こされた「忌々しき出来事」と同じ性格を有する出来事が、必ずや形を変えながらも繰り返されていく、再現される、と予測を立てておくことなのだ。そしてこうした枠組みの下で予測するとき、それはかなり見通しのいい予測となるだろう。(上で述べた「忌々しき出来事」をここでは列挙しないが、何度も言うように、システムとその関係の歩みからみれば、忌々しいどころか、むしろ「金の成る木」としてのシステムにとっては、大歓迎されることなのだ。それらの忌々しき出来事を、システムとその関係の歩みが導くことは、今さら言うまでもないだろう。)ーーー、と。

実は「大恐慌期」と呼ばれた歴史とそれに関する情報をシステムとその関係史と結び付けてまとめた後で、これからも類似の出来事が起こる可能性について言及しようとしていた矢先に、先のニュースとなったので、躊躇した次第。私にとっても大変な事態であるのは間違いないから、面白くもないからだ。

ここでもまた同様な点に留意したいのだが、コロナ騒動やそれと関連した株式の乱高下とそれから導かれる経済状況の悪化が、私たちのこれからの歴史を動かすのではない、ということだ。誤解を恐れないで言うならば、もう私たちの歩む流れは決まっているということなのだ。ただその流れを早くするか遅くするかにおいて、いま我々が直面している出来事が確かに影響するであろうが、そうした出来事の繰り返しが、私たちのこれから先の歩みを導くことにはならないということだ。

それは私たちが経験した歴史が教えてくれている。大恐慌期を「等しく経験した」各国のその後の歴史を回顧した時にもうかがわれる。ただし、その際、注意したいのは、各国の政治指導者と彼らが選択した政策とその決定との関係から、その後の歴史云々を語ってはならないという点を、私はここで強調しておきたいのである。

世界の国々とそれらの国に属する国民とその政治指導者と彼らが選択した政策とその決定過程を語る前に、(1970年代以前までの、それゆえ、大恐慌期と第二次世界大戦に至るまでの)私たちは{[A]→(×)[B]→×[C]}(省略形、共時態モデル)で描かれる「システム」とその「関係」の「歩み」を担っていたということを銘記しておかなければならない。たとえ、大恐慌期を「等しく経験」したとみるとしても、それはAグループにおいてなのか、Bグループにおいてなのか、Cグループにおいてなのかではその圧力(構造的圧力)というか衝撃は異なるだろう。

また、A、B、Cグループと言っても、その先頭に位置していたのか、中位七日、下位なのかでは異なるだろう。さらに、ここで重要な点は、あ、B、Cグループ内に位置した当該国が、システムとその関係の歩みにおいて、いかなる「段階」に、すなわちシステムの歩み(歴史)のどの段階に位置していたかを確認しておかなければならないだろう。Ⅰ期の段階に置かれていたのか、それともⅡ期の段階にあったのか。またそれぞれの段階の前期、中期、後期のいずれの段階に位置していたのか。これらの留意点を押さえた比較研究でない限り、そうした比較から導かれる結論は最初から予想されるものとなるだろう。私は既にこうした問題点について拙著や拙論で論及してきたが、残念ながら、いまだに「結論ありき」の研究が後を絶たないのだ。(この問題は大切なので、また話してみたい。というより、もう記事で述べているかもしれないが。)

こうした点を踏まえて、1910年代後半から40年代前半に至る時期と、2010年代後半から2040年代前半に至る時期を、システムとその関係の歩みのモデルから概観してみたい。ごくごく簡単に言えば、前者の時期は、Ⅰ期からⅡ期へとA、Bグループにおいて、その高度化を目指している頃だ。すなわち、Ⅰ期の{[権威主義的性格の政治→経済発展]}の前期、中期、そして後期の段階から、{[経済発展→分厚い中間層の形成]}の前期、中期、そして後期の段階を目指すのだ。

元より、この時期はこれまで覇権国として君臨していた英国がその力を失い、同時に、なお米国も覇権国と世界に君臨するだけの力をなお手にしてはいない。この点は、今の、そしてこれから2,30年先の次期覇権国として君臨する中国の現状と類似している。そしてその中国と言えば、Ⅰ期の段階からⅡ期の段階へと上昇する、高度化することには成功はしたが、Ⅱ期の段階の前期から中期、あるいは後期期の段階の前半のところに位置していて、とても中国一国では{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態モデル)の関係を維持、発展させていく力を有してはいない。

それに対して、Aグループの米国はなお相当な軍事力を保持していることには変わりはないが、その米国も先のシステムとその関係の歩みをもはやリードすることはできない段階に位置している。米国を筆頭に、かつての先進諸国は、Ⅰ’期、Ⅱ’期そしてⅢ’期へと下降、つまり低度化の段階をたどっているのだ。もう一度ここでその中身を示しておくと、Ⅰ’期の{[民主主義の発展(高度化)→経済発展]}、Ⅱ’期の{[経済発展→分厚い中間層の解体]}、そしてⅢ’期の{[分厚い中間層の解体→民主主義の発展(低度化)]}である。それぞれが、前期、中期、そして後期の段階に区分される。先進国はその多くがすでにⅡ’期の後期の段階から、Ⅲ’期の前期、そして中期の前半に位置しているのではあるまいか。

ここで押さえておかなければならないのは、いずれの時期も「貧しい生活状態」にあるということである。(とくに、先進国においては、70年代以降から「先進国病」と揶揄されてこの方ずっと低度化に向かい続け、その結果として国民生活は貧しくなっていたことを忘れてはならない。)もっともその内容は異なる。システムとその関係の歩みが高度化する、上昇する時期のB、Cグループの、とりわけBの貧しさは、これから先に分厚い中間層の形成の段階が待ち受けているその前段階としての貧しさであるのに対して、私たちAグループに位置していたかつての先進国がたどる貧しさは、分厚い中間層がこれでもかと言わんばかりに解体されていく、そうした貧しさなのである。

ここで注意しておきたいことは、何度も述べているように、今回のコロナ騒動とそれに伴い導かれる経済悪化は、先進国の国民生活をさらに苦しめるのは必至であろうが、彼らが引き受ける貧しさの根底にある流れは、1970年代を分水嶺として引き起こされた{[A]→(×)[B]→×[C]}から{[B]→(×)[C]→×[A]}へと、システムとその関係の歩みが転換・変容したことに基づくことなのである。

誤解を恐れないで言えば、新自由主義に依拠した小泉民営化改革やアベノミックスによる国民、庶民生活における経済悪化云々の話ではないのだ。そんな次元の話にしてはならないのだ。こうした話で私たちは小泉、安倍批判に終始しがちだが、私が読者に訴えてきたのは、先の図式で描かれる関係とそれを担ってきた、そして今も担い続けている「私」や「あなた」の責任を問わない限り、また同じ轍を踏む公算が大だと言うことである。

いや、戦後から今日に至るまで、ずっと踏んでいたのだが、幸いなことに、ここまで日本と日本人は生き延びられたにすぎない。その理由は、平和憲法を守ったからではない。覇権国である米国の親分に従順であり続けてきたからだ。簡単なようで、難しい国家のかじ取りができたのは、覇権システムとその関係の歩みの中で、日本と日本人が歩んだ、歩まざる得なかった(システムの歩みの)「段階」が大きく与っていたのである。

さて、先の「貧しさ」の話に続けよう。そこに、米国やヨーロッパでは難民や移民の流入が重なる。面白くない状況下に、さらに面白くない状況が重なるのだから、難民排斥を声高に叫び、それをエネルギー源とした政治団体が登場し、一触触発の事態がいわば恒常化し続けるのだ。日本も他人事の話ではない。中国と中国人の圧力を日増しに感じている。コロナ騒動でもそれがよくわかるのではあるまいか。今後ますます中国と中国人の圧力の前に日本と日本人は追い詰められていくだろう。その中国と中国人は豊になり、逆に日本と日本人は貧しくなるのだから、さりとて、生き残るためには彼らの力に頼らざるを得ないから、ますます中国と中国人に対する反感は増していくのではあるまいか。

ここでもまた歴史は皮肉である。いや因果応報なのだ。日本の中に、中国村や中国町、中国市ができ、そして中国県となるかもしれない。そして日本の一部に、日本版21世紀の「満州国」が復活するかもしれない。笑えない話ではあるが、私は書かざるを得ない。当時の満州国に移民した日本人は、日本においてその教養や財産はどのくらいあったのだろうか。そもそも自分の国を捨てて、いや正確に言えば、国から低調に追い出されたのだが、推して知るべしだろう。そうした貧しい者が、現地の貧しい者と一緒に暮らしていくのだから、それはもう大変だったろう。勿論、これは庶民の話だ。

それでは、どうして「日本」と「日本人」は人様の「迷惑」も顧みず、このような破廉恥極まりないことをしてしまったのか。今のマスク騒動を見ていると、ヒトの迷惑とか、情とか、品とかいった話がすっ飛んでしまいかねない話がごろごろしているが、やはり、人間は貧すれば鈍するものなのか。いろいろな理屈をつけて外観は繕うことができる。「大東亜共栄圏」、今は「東アジア共同体」とか、あるいは「文明化の使命」、文明による何とか等々、日本だけではない。文明先進国と僭称する欧米諸国もみな同じだ。人様の迷惑も顧みず、土地や財産、あるいは命を奪いながら、そうした所業を恥じない、悔い改めないのだから。しかも今も世界の此処彼処で同じことが同じような「理屈」で行われているではないか。残念なことに、あれほど日本の侵略を批判してきた「中国」と「中国人」もそうなってしまったではないか。

元より、「システム人」の私にそんな偉そうなことを言う資格もない。私もそうした恥じない、悔い改めない集団を構成する一人だから。コロナ検査で陽性であった50代の男性がコロナ(ウイルス)をばらまいてやると言って、自宅待機要請を無視して飲食店で云々の迷惑話を私たちは眉をひそめて批判するが、それではフクシマの原発汚染土を全国至る所に運んで、結局は放射性物質による汚染を拡散している私たち国民は一体どうなのか。両者は類似の「迷惑」行為ではないか、と私は感じるのだ。

最後に一言。これまた誤解のないように付言しておきたい。私は日本や日本人に対して、同様に中国や中国人に対して、世界の国やそこに暮らす人々に特段の敵意や悪意を抱いていない。むしろお世話になった人々と彼らが暮らしている国やその文化にも敬意を払うことを忘れてはいない。しかしながら、システムとその関係の歩みの中に組み込まれるや否や、私たちは、むろん私自身もそうなのだが、「システム人」となり、システムとその関係の歩みを構成する「主権国家」、「国民国家」、そしてその「国民」としての役割を引き受けざるを得なくなる。私が拙著や拙論で批判するのは、こうした意味における国家であり国民であることをここでも断っておきたい。

勿論、このような「言い訳」じみた「弁明」をしたとしてもどうにもならないのも確かであろうが、それをここで断らないままに私が生きていけるほど、私は強くはないし、嘘をつきたくはないのだ。と言ったとしても、また嘘に嘘を重ねてしまうばかりだが。それほど私にとって、システム人として生きること、そして主権国家、国民国家としての「日本」と、国民としての「日本人」を批判するのは天に唾する行為であり、そんな批判をしながら、同時にまた、その仕組みの下で命と安全を保障されているのだから、相当な厚かましさというか、神経のどこかが切れているかしない限りは、とても恥ずかしい生き方なのだ。それを重々分かった上で、それでもなのである。決して私の父や母を、また私の祖先や彼らの仲間たちを否定したり、批判するつもりは毛頭ないのだが、私はとにかく、この境目というか両者の線引きにこれまでずっと悩んでいるのだが、今回もうまくは弁明できなかったのは、残念至極というしかない。

さらにまたここで弁解じみたことを言えば、私がこれまでずっとこだわりながら、書き続けてきたのは、日本に生まれ、日本で育ったことから、いわゆる「日本人」とされてきた集団と、彼らが中心となって構成する「日本」という国家が、「システム」とその「関係」の「歩み」がつくり出す、つくり出してきた無数の「バリア」から、一体どうすれば、「フリー」になれるのか、という問題だったのだ。

 


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「システム」論をもとにした「閑話」

2020-03-12 | エッセイ

「システム」論をもとにした「閑話」

(追加、補筆)

先ほどの記事に関して、私をよく知る数少ない読者の皆様方に、ご報告がありました。やっと私はこの4月から、特別支援愛媛県立松山盲学校の保健理療科の2年生となります。長かったです。こんなにも進級するのが難しいとは。帯状疱疹で苦しんでいましたし、今もなお痛みはありますが、なんとか、あんま師の国家試験合格を目指すべく、少し近づきました。私のこの記事は私の安否確認(少し前は、私の父に対して私が確認していましたが)。それも合わせて書いていますが、ここにご報告しておきます。とにかくほっとしていますが、なお、まだまだ紆余曲折の道のりには変わりませんね。

村田邦夫です。後ろから読むとオニクタラムです。今回は前回の続きではなく、少し話を変えてみたいと思います。最近いろいろな政治学研究者の(そこには大学院時代や、それ以後に知り合った研究者も含まれていますが)過去といいますうか、過去にどんなことを書いていたとか、話していたかということを思い出すのです。今となっては皆どうでもいいようなことになってしまいますが、それでも当時において、それはどうでもいいようなものではなく、むしろ重要な話であったのですね。(その一番の原因は、村田邦夫と言いますかオニクタラム自身のオリジナルのようなものが何もでき上っていなかったからなのです。)

一言で言えば、斎藤和義さんのの歌詞の文句ではありませんが、「ずっと嘘だったんだぜ」となりますか。思いつくままに挙げてみれば以下のようなものがありました。---日本社会は「柔らかい個人主義」がなんとか、ナチス経済は「狂った資本主義」何とか、アメリカ民主主義を支えているのは「プルーラリズム」、「利益団体」がどうだとか、欧米のデモクラシーは(あるいはポリアーキーは)「正常な・ノーマルな発展」の経路をたどったのに対して、日本のそれは「不正常な・アブ・ノーマルな発展」の経路を歩んだとか何とか、それこそ、みんな嘘ばかりだったのですよ、少なくとも今の私はそう言わざるを得ないのですよ。

私はそうした知的閉塞状態、状況の中で大学、大学院時代を過ごしたのですが、いま振り返るとき、運よくその時代の主流とされたアメリカ政治学の洗礼を受けることなく、生き延びることができたと、つくづく思うのです。勿論、その代償といいますか、主流に位置していませんから、さりとてマイナーにもなれませんでしたから、それこそ私の精神状態は面白くもないままに、それこそ研究生活のほとんどを孤独のままに過ごさざるを得なかったのですよ。自分が選択した道とは言え、とても寂しい者でした。

そうした私の何よりの救いは、学生や院生との会話であったのですね。授業というか講義というか、ゼミというか、そうした中で、私の思考は鍛えられたのですが、それを思いますと、私を養ってくれた大学組織には感謝するのみです。そうした中で私は〈「システム」とその「関係史(関係の歩み)〉に関するモデルを試行錯誤するうちに何時しか描くようになっていたのですよ。

寄る年波には勝てないと言いますが、私もそれに似た感情を抱きます。しかし、生来が天の邪鬼ですから、それに逆らおうと試みますが、やはり勝てませんね。泣く子と地頭には勝てない、とこれまたうまくたとえられてますよ。安倍内閣には勝てません。安倍さんが退陣しても次の内閣の権力には勝てません。たとえ、(その権力の源泉が主権者である国民だとする考えに依拠したとしても。私はその国民にはなれませんから。)そうした政権交代を国内・国外で引き起こす波には逆らえません。そしてその波を何百年、何千年にわたってつくり出してきたグローバルな仕組みと、それを担い支えてきた地球上の人間と人間の〈「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」〉の営為の関係には従うしかありません。

別に勝ち負けではないと思いますが、政治は結果がすべてなんです。そこにはやはり、生殺与奪の権を巡る自己決定権の争いと言いますか、争奪戦がありますから、やはり、個人、集団、国家レベルにおける勝ち、負けと言いますか結果が付いてくると思うのですね。

少しここで、今回の大事な要点に戻ります。アメリカ政治学とそれを素直に継承した日本の政治学のウソは、1970年代までは{[A]→(×)[B]→×[C]}の、そして70年代以降は{[B]→(×)[C]→×[A]}(いずれのモデルも省略形、共時態モデル)のセカイとその関係の歩みを不問に付したままで、70年代は、70年代のモデルのA、B、Cの関係から勝手にAだけを引き抜いてきて、そのAの米国の政治は経済は社会はどうのこうのの議論に終始してきたのです。

私が驚くのは、21世紀のこの地点においても、70年代以降のモデルを用意する事もないままに、相変わらず70年代以前においてしか通用しない「システム」とその関係の歩みをもとにして、その関係から勝手に恣意的に取り出したAの米国をみて、ああだこうだと臆面もなく、今なお論じているのです。付言すれば、英国を考察する視点もまったく同様なのですから、イギリス研究者の議論は的外れになるのは最初から予想できることなのですね。

私が拙著や拙論、そしてこのブログ記事に置いて語ってきたのは、そうしたみんな嘘だったに関する話です。そろそろ政治学も「一国(一帝国)枠の殻を打ち破って、政治や歴史を語り直すときが来ているのではありませんか。

私が今後、杞憂しているのは、中国が名実ともに覇権国となった21世紀の中頃の中国政治学は、おそらく20世紀の中頃以降のアメリカ政治学がそうであったように、プルーラリズムは何であるとか、デモクラシー、ポリアーキーの「正常な発展」の経路はどうだとか、自らを覇権国、超大国へと導いた70年代以前のA、B、Cの関係及び、70年代以降のB、C、Aの関係を無視して、あたかも中国と中国人自身が自らの手と足でデモクラシーを実現したとする見方が支配的にならないかと、そうした思い上がりというか傲慢さなのであります。

そうした時に、中国と中国人に対して、また中国政治学に対して、「王様は裸だ」と的確に主張できる「日本」と「日本人」と「日本の政治学」であればいいのだが、と。しかしながら、日本政治学の60年代、70年第80年代、そして90年代、いやいまもなおそうなのですが、米国一辺倒の御用政治学の過去を解雇するとき、これまた仕方がないと心中思いながらも、祈念しているオニクタラムなのです。もうその時には、残念ながらあの世に旅立っているでしょうが。

 


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