日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

私の語る「システム」論から、改めて平時と戦時に共通して見いだせる①②③の下位システムから構成される「金の成る木」としての「システム」について考えるときー*差別と排除の関係をつくり出す*「格差バネ」

2022-06-25 | 日記

私の語る「システム」論から、改めて平時と戦時に共通して見いだせる①②③の下位システムから構成される「金の成る木」としての「システム」について考えるときー*差別と排除の関係をつくり出す*「格差バネ」の*「力量」を*最大限に働かす*(高める)ためにこそ「システム」はその存在価値を有している


(最初に一言)

今回記事も、前回記事の続きというか補足である。今回記事のタイトルにもあるように、前回記事のタイトルでは以下のように述べていた。すなわち、ーーーロシアのウクライナ侵攻は、私の語る「システム」の関係がA、B、CからB、C、Aへと転換・変容する歩みの中で引き起こされた。それは「金の成る木」としての「システム」の*差別と排除の関係をつくり出す*「格差バネ」の*「力量」を*最大限に働かす*(高める)ためである。すなわち、BとCによるAに対する差別と排除の関係を最大限に深化させることである。ーーー


ここからもう一度、論じてみたい。今よく、身体の中に何とかのチップを埋め込んで何々に役立てる云々の話を聞く機会が増えたのだが、それとの関連から言えば、私たちは生まれながらにして、私の語る「システム」の差別と排除の関係をつくり出す、この格差バネを自らの体内に埋め込んで生きているのではあるまいか。私たちの社会でのありとあらゆる学習によって、この格差バネのさらなる習得・就実によって、バネの働きは円滑さを増していくのである。

私たちは、国家や国民として位置付け理解される「一(国)枠的」ナショナリズムの担い手としての存在以前に、何よりも先ずは、差別と排除の関係を前提としてつくられてきたこの「関係枠」としての〈「システム」とその関係の歩み〉を担い支える「システム人」として存在しているのである。

そして、個々のシステム人の格差バネを介して、システム人は相互に補完し合う関係の下での社会生活を営みながら、それらがやがては「システム」全体としての巨大な格差バネをつくり出すことに貢献している。その強力かつ強靭な「システム」の格差バネは、まさに「金の成る木」としての「システム」の「富の吸い上げポンプ」の働きを最大限になるように、維持・管理しているのだ。


ここで私が特にこだわっているのは、私たちが一枠的ナショナリズムで世界を見渡そうとする限り、私の語る「システム」が抱える問題点を的確にはつかめないということだ。前回記事で少し概観的に説明していたように、ロシア対ウクライナとか、中国・ロシア対欧米諸国とか、ロシア連合対NATOとか、民主主義対独裁とかの図式で描かれる一枠的ナショナリズムを単位とした分析では、私の語る「システム」の抱え続ける「宿痾」に関して、ほとんど接近することは望めないということである。


(最後に一言)

最近は、また帯状疱疹というかその後の神経痛かどうかわからないのだが、顔の右の眉のあたりと、そこから頂上部にかけて、右の頭の中にもそれを感じるが、何か痛みが走り、それが体全身にだるさを引き起こし、とてもつらい。ただ救いは、それでも少しの間は体が動き、文章も書けるので。

それにしても、もうすぐ5年となる。その間、まるであれは何だったのかと思うほどに、体が軽く、だるさも消え、ほっとした時期もあったのだが、なかなか厄介である。そしてこの暑さである。本当に最近は思うのだ。思い知らされる。いつお迎えが来るか、それはわからないにせよ、もういつ来たとしても何も不思議ではない、ということを。。

それゆえ、たとえしんどい時でも、何かひらめいた時には、後から読み直して、なんだ、これは、との思いをたびたびするとしても、それでも書き残そうと、今も書いている途中だ。前回も、今回も、これまでの拙著や拙稿の内容の繰り返しだが、それでも少し何か違う味が出せたのではないか、と思えるときがある。。

勿論、それを喜んでいるのではない。私たちの抱える不条理というか生きづらさが、どこからきているのかに関して、少しわかりやすくかけたのでは、と思える時にはホッとする。だが、これも何の役にも立たない。それは確かにそうだ。それでも、私はただ書くしかない。もう何も私にはできないから。

 


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ロシアのウクライナ侵攻は、私の語る「システム」の関係がA、B、CからB、C、Aへと転換・変容する歩みの中で引き起こされた。それは「金の成る木」としての「システム」の「格差バネ」を最大限に働かすためで

2022-06-25 | 日記

ロシアのウクライナ侵攻は、私の語る「システム」の関係がA、B、CからB、C、Aへと転換・変容する歩みの中で引き起こされた。それは「金の成る木」としての「システム」の*差別と排除の関係をつくり出す*「格差バネ」の*「力量」を*最大限に働かす*(高める)ためである。すなわち、BとCによるAに対する差別と排除の関係を最大限に深化させることである。

そのために、{[B]→(×)[C]→×[A]}で描かれる「システムとその関係の歩みのますますの発展が求められたことから、「システム」全体の総力量と、B全体の力量が最大限に拡大される必要があったわけだ。たとえばロシアとウクライナ、そこに欧米諸国とが入り乱れた戦争が、Bで引き起こされたとすれば、B全体のエネルギー総量は増大するだろう。

たとえば、冷戦崩壊後の米国主導によるNATO加盟国の拡大は、ロシアに対する反撃能力を高めさせると同時に、ロシアが作り出す緊張状態がそのままBやCの緊張をもたらし、そのこと自体がBやCのエネルギー量を増大させるのは必至だろう。ただでさえ、Bの中国とAの米国との緊張状態の高まりによって、「システム」全体の総エネルギー量も高まっているのだから。

勿論、「金の成る木」としての「システム」がそれを狙っているのは間違いないことから、「システム」はことあるごとにB、C、Aの諸国を使いながら、そうした緊張状態を強めるように動いているのだ。ウクライナにおける米国政府が画策した民主化への強引な手引きは元より、先のNATOの拡大政策等々はその例である。

ロシアや中国がそうした米国の動きに乗ってくるのは避けられない。というのも、①②③の下位システムから構成される「システム」は、それ自体が差別と排除の関係を前提としてつくり出されたことから、絶えず何某かの緊張状態の中にあり、そのために、どこからかの横やりが入るや否や、それに対応するのが当然の務めであるからである。勿論、そこには、そのように各国が動くことを、「システム」が常日頃から教育・指導し訓練してきたということを看過してはならない。


今回記事において、私はこうした点を踏まえながら、これまでの話に関して、さらに「解説」してみたい。そのために、ここでこれまで数回にかけて述べてきた話を振り返っておきたい。

構造的暴力で描かれていた関係は、私のモデルで示す①②③の下位システムから構成される「システム」の下でつくり出された②の関係に見いだされたAの先進国によるCの途上国に対する差別と排除の関係であったとすれば、21世紀の今の構造的暴力は、どのように描くことができるのだろうか。

これまでの数回の記事で私が読者に伝えようとしていた内容の一つが、今回記事のタイトルで示されている。それに関して、以下でもう少し論及してみたい。ヨハン・ガルトゥングの構造的暴力は、私の「システム」を前提としてつくり出された当時の南北関係に見いだされた北の先進国と南の途上国との経済的な観点から見た構造的格差を導いた関係として、位置づけ理解できる。

だが、そこには付け加えられなければならない関係が存在していた、と私は考えている。すなわち、それは①②③で描かれる覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの「システム」を前提としてつくられてきた②の世界資本主義システムにみられた当時のAとCとの間に形成され発展してきた構造的経済的格差であった。

すなわち、私はガルトゥングの構造的暴力という概念を、私の語る「システム」との関連から位置付け捉え直したのだ。それは、1970年代前後の時代においては、有効な見方であったかもしれないが、1980,90年代から以降においては急速に説得力を失った概念であった、と私は理解している。それはA・フランクによる「従属論」にもそのまま該当する。

その理由として、私は構造的暴力が生み出されるに至った、私の語る「システム」という関係それ自体が、明確に捉えられていなかったところに、私はその原因を見ている。すなわち、私の語る{[A]→(×)[B]→×[C]}の関係から構成される「システム」は、確かに1970年までは続いていたのだが、次第に70年代を分水嶺とするように、{[B]→(×)[C]→×[A]}の関係として描かれる「システム〉へと構造的転換・変容をするに至ることによって、これまでの構造的暴力という概念で語られてきた南北燗の経済的格差の関係が、次第に80、90年代以降においては、その説得力を失うに至るからである。

換言すれば、北の先進国のAグループによる南の途上国のCやBグループに対する差別と排除の関係が、次第に逆転し始めることとなり、これまで差別・排除されていた南が北を差別し、排除する側へと回っていくということである。そうした「システム」における地殻変動により、これまで有効とされた構造的暴力の概念も、その役割を終えることになる。

だが、たとえ「システム」の構造的転換・変容が導かれたとはいえ、構造的暴力で示される差別と排除の関係が消えてしまったわけではない・たとえ北の南に対する差別と排除の経済的関係が見えにくくなっていくとはいえ、やはりじゅうらうのような差別と排除の関係が継続している側面もあると同時に、新しい差別と排除の関係が導かれたということも否定できないのである。

それゆえ、問題は、そうした新しい関係をどのように描き直せばいいのかということであろう。そのためには、私の語る「システム」論で描く「システム」との関連から、構造的暴力を位置付け直すことが、先ずは必要である、と私は言いたいのだ。それに関しては、既にここまで数回の記事において、論述してきたとおりである。

それらの点を踏まえて付言すれば、今回のロシアのウクライナ侵攻は、このような「システム」の構造的転換・変容の歩みと結び付けて論じ直すことが大事であることを、私は強調しておきたい。私の語る「システム」の構造的転換・変容の歩みの中で、いわゆる南とされた途上国の興隆、とりわけ中国の世界の工場へと至る歩み、それを介しながら、これまでのA、B、CからB、C、Aへと「システム」が転換していく中で、米ソの対立・敵対といった「冷戦」構造も、その終焉を迎えることとなる。

それは同時にまた、新たな「システム」の形成と発展の歩みの中で、「金の成る木」としての「システム」が本格的に再稼働することになったのを意味している。そのB、C、Aから構成される「システム」の先頭に位置したBグループと、これまでの旧「システム」の先頭に位置したAグループとの間における形を変えた南北問題が勃発したとみることもできる。しかしながら、私が強調しておきたいのは、それは①②③の下位システムから構成される一つの「システム」の関係における構造的転換・変容という観点から考察する必要があるということである。

すなわち、覇権システムにおいても、世界資本主義システムにおいても、世界民主主義システムにおいても、それゆえ、「システム」においても、その関係はじゅうらいのA、B、CからB、C、Aへと構成される関係を基にしているということである。AのCやBに対する差別と排除の関係に代わるB・CのAに対する差別と排除の関係である。

こうした「システム」の関係を前提として、同じBグループのロシアとウクライナの敵対関係、そのウクライナを支援するAの欧米諸国とそれに激しく対抗するBのロシアといった関係がすぐ目に付くのではあるまいか。それはそうだとしても、そうした関係をつくり出すに至る{[B]→(×)[C]→×[A]}の関係全体にこそまずは目を向けて考察することが何よりも大事であろう。


とくに、その「システム」全体において、B、Cにあっては「高度化」の歩みがこれからも続いていくのに対して、その逆に、Aにあっては、「低度化」の深化の歩みが今後も続くことに留意すべきであろう。確かに、これまでも何度も私が指摘してきたように、Bにおいて、モデルで示されるように、[経済発展→民主主義の発展]の関係が実現するに至るのは、2040,50年代までおそらく待たなければならないだろうが、今後もそうした段階に到達するように、「高度化」の歩みが続いていく、と私は確信している。 

その一方において、日本を含めたかつてのAに位置した諸国は、ますます「低度化」の深化の歩みを辿らざるを得なくなり、その意味において、Aに位置する多くの人たちの命と暮らしを守る安全保障は相当に困難を極めるとみておいた方がいいだろう。とてもではあるまいが、「金の成る木」としての「システム」が画策する戦争へとまんまと引きずり込まれるような、余裕などこの日本と日本人にはないことだけは、自覚しておいた方がいい。


(最後に一言)

すぐ上で、「自覚しておいた方がいい」と指摘したのだが、どうもこの国の指導者たちは自分たちだけは、戦争になっても安全だと言わんばかりに、忖度、忖度の連続でもって、米国政府が要求する以上に、日本の富を譲り渡しているのではなかろうか。自分たちの懐が別に痛むわけではないから、またその上前をちょろまかすことも容易だからと、せっせせっせと貢いでいるのに違いなかろうが、こんな連中が選挙のたびに力をつけるのだから、もういい加減にやめてくれよーと思うばかりである。

そうそう、彼らの存在自体も「システム」の総力量を増すのに貢献していることだけは確かである。それでは、Aの力量に対してはどうかって、それに対する私の答えは「あーかんべー」してくれよー!である。

 


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「一(国)枠」のナショナリズムを当然のこととして受容してきた日本と日本人である限り、戦争を拒否するのは容易ではない。一枠のナショナリズムをつくり出してきた関係枠としての「システム」のナショナリズムの

2022-06-23 | 日記

「一(国)枠」のナショナリズムを当然のこととして受容してきた日本と日本人である限り、戦争を拒否するのは容易ではない。一枠のナショナリズムをつくり出してきた関係枠としての「システム」のナショナリズムの中で生きてきた「システム人」としての確認と自覚ができれば、愛国(民)的ナショナリズムの包含する算術・打算的な戦争に、それほど簡単には巻き込まれることもない?ー私の語る「システム」論から、改めて「歴史叙述の〈神話〉」について考えるときーたとえば、自由主義、民主主義、民族主義、「公」と「私」等々に関する〈神話〉を事例として見た場合(8)

 

(最初に一言)

今回記事も、前回、前々回の記事の補足という形で書いていきたい。前回記事で示しておいた①②③の関係を念頭に置きながら、②の世界資本主義システムを、もしノルウェイのヨハン・ガルトゥングが命名したように、構造的暴力として位置づけ理解するならば、①の覇権システム、③の世界民主主義システムにみる関係は、まさに等しく構造的暴力として位置づけ理解できる、と私は考えているのだが、私はその用語に代えて、①②③の相互の関係を踏まえて構造的圧力として示したのだ。


私たちがいつも語ってきた「平時における平和」と「平時とは異なる非常時における戦争」状態の双方において、これらの①②③の関係から構成される私の言う「システム」は継続した関係を保持したままであることを鑑みるとき、平時における平和の状態においても、私たちは「主権」や「自由」に該当する自己決定権の獲得と実現のために、力と力のぶつかり合いである暴力を介した争奪戦を繰り返している。

それゆえ、その関係は、平時における平和だとされる時代にあっても、私たちは相手よりも少しでも優位に立てるように、相手を差別し排除する関係を担い支える中で、相手を傷つけたり、私たちの意識するとしないにかかわらず、相手の命を奪うことに与っているのではあるまいか。たとえ、そうした関係を積極的担い支えていないとしても、私たちは、構造的暴力という圧力を、相手にかけたり、またかけられたりする形で、平時における平和において、お互いを傷つけたり殺し合う関係の中に置かれているのである。

その関連からここで付言すれば、私が私の語る「システム」の下で生きるというのは、戦時下とは異なる平時であっても、私たちは「総力戦体制の下に総動員された状態」に置かれて生きているのに等しいと言及しているとおりではあるまいか。それはまさしく、拙著の副題にある〈「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ〉を表している。換言すれば、平和と戦争の境目など存在していないということでもある。

そうした関係を、私たちは非常時の戦争状態において、否が応でもっ自覚・確認するのではなかろうか。たとえ戦争に直接関与して、相手を殺傷する関係を担うことがないとしても、私たちはどこから飛んでくるのかもわからない砲弾の嵐の中に巻き込まれることにより、そうした戦争にかかわらざるを得ないことを悟るのだろうが、もはやその時には私たちの命と暮らしの安全保障はどうなるかもわからない。


その意味において、私たちは平時と戦時のいずれの場合も、①②③の関係とその関係から構成される「システム」の下で、お互いを殺傷しあう関係を担い支えているということなのだ。それゆえ、総選挙の時ぐらいは、せめてもの機会を私たちは持つべきではなかろうか。すなわち、戦時下において、私たちは自分の手で相手の命を奪う関係を担い支えるかについて、自らの意思確認を表明しておいた方がいい。それは婦女子や老人、子供等の直接には戦場へと送られないと思われる者たちも例外ではない。今のウクライナを見ても、いったん戦争ともなれば、すべてがそれに巻き込まれる可能性は否定できないからだ。

その際、私がこだわるのは、そうした関係を担い支え合うことをもし拒否する人たちが出てきた場合には、その人たちの立場を尊重すべきであるということである。だが、その人たちも、たとえそうした立場を保障されたとしても、戦時下において、彼らの命が十分に守られるとは限らないし、平時において、彼らが担い支えていた①②③に体現されている殺傷関係を、彼らがどのように受け止めて、対応するかという問題は絶えず残されているのは変わらないはずだ。

人間は臆病であると同時に卑怯な存在であるから、平時においての日々の①②③における構造的圧力を介した殺傷関係は見て見ぬふりをするものだというのは、私自身を少し振り返ってみても、すぐわかることである。だが、もしそれをそのまま放置しておくならば、戦時下のいざというときにおいて、私たちはその戦争へ巻き込まれる公算は大となるに違いない。それこそ、あの戦争でも経験されたことだろうし、今のウクライナもそうであった、と私はみている。

ここでさらに付言しておくならば、このようなややこしい話を、たとえどれほど繰り返したとしても、これまでの私たちの歴史がそうであったように、戦争から足を洗うのは相当に難しいというしかあるまい。というのも、平時の平和とされる時期においても、私たちは①②③の関係からつくられる構造的圧力を介した自己決定権の獲得と実現を巡る争奪戦における殺傷関係を支え担っていることを踏まえれば、容易に推察できるのではあるまいか。


(最後に一言)

今回の記事内容も、これまで私が拘泥してきた話と何ら変わるものではない。だが、私たちの置かれている環境の激変には、それでも驚きを禁じを得ないのも確かである。国民というか有権者にそれを求めるのは無理だとしても、参院選を前にした各党の声を聴いていても、命の奪い合いという修羅場を今しがた目の当たりとしたばかりだとの緊迫・緊張感を全く感じることができないのはどうしてなのだろうか。

おそらくそこには、私たちの命をだれかが守ってくれているからとの安心感があるのかもしれない。これだけ物心両面で米国に私たち国会議員は奉仕してきたのだからとの思いが。それこそ日本と日本人を二の次、三の次とすることを常識とした日米合同委員会の指揮命令下の下で、国民を愚弄してきたのだから、まさかの時には米国の軍事力が何とかしてくれるに違いない、との思い。

そのコケにされるだけの当の国民も、自分たちの命と暮らしの安全保障を日本の防衛力ではなく、米国の軍事力にひたすら頼り切ってきたことから、今さらなのに違いない。①②③の関係を、それこそ体を張って、すなわち、オレがお前の命と暮らしを破壊しているとの自覚をもって、担い支えてきたことを、感じているに違いない。

ひょっとして、私たちは未だに①②③の関係に気が付いていないのかもしれないし、わかろうとさえしていないのかもしれない。参院選の争点が一枠的「ローカル」な問題で賑やかなのは、そのためなのかもしれない。そこからわかるのは、関係枠としての「システム」とその関係の歩みに対する当事者意識と当事者能力の欠如だということである。

勿論、それでもかまわない。もし、そうであれば、隅の方でおとなしくしていればいいのだ。何も恥じることはない。だが、おとなしくするどころか、米国から指図される以上に、分不相応な形で、出しゃばりすぎるから、おかしいことになるのだ。

 


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「一(国)枠」のナショナリズムを当然のこととして受容してきた日本と日本人である限り、戦争を拒否するのは容易ではない。一枠のナショナリズムをつくり出してきた関係枠としての「システム」のナショナリズムの

2022-06-22 | 日記

「一(国)枠」のナショナリズムを当然のこととして受容してきた日本と日本人である限り、戦争を拒否するのは容易ではない。一枠のナショナリズムをつくり出してきた関係枠としての「システム」のナショナリズムの中で生きてきた「システム人」としての確認と自覚ができれば、愛国(民)的ナショナリズムの包含する算術・打算的な戦争に、それほど簡単には巻き込まれることもない?ー私の語る「システム」論から、改めて「歴史叙述の〈神話〉」について考えるときーたとえば、自由主義、民主主義、民族主義、「公」と「私」等々に関する〈神話〉を事例として見た場合(7)


(最初に一言)

今回は、前回記事を補足する形で、論を展開したい。その際、関係枠としてのナショナリズムと一(国)枠としてのナショナリズムに関して、またそれとの関連から、関係枠としての世界資本主義システムと一枠的資本主義の、同じく関係枠としての世界民主主義システムと一枠的民主主義との関係について、それぞれ論及してみたい。

ここで、福沢諭吉の『文明論之概略』の中の「製物の国」と「産物の国」についてのくだりを思い起こしてほしい。同様に、竹山道雄の「ハイド氏の裁判」で語られている「文明の世界では善良な様相のジーキル博士であるのに対して、「野蛮な世界では醜悪凶悪な様相のハイド」と変貌してしまう云々のくだりを思い出してほしい。私の目の都合で、正確な著作からの引用ができないことを断っておきたい。

福沢の「製物の国」と「産物の国」の比較と関係でもって示されているのは、まさに世界資本主義の特徴であり、それが的確に描かれているところに注目したい。それに対して、竹山による「ジーキル」と「ハイド」の比較と関係は、世界民主主義システムの特徴を見事に言い表している。その意味において、両著作は相互に補完的内容を構成しているとみていい。

そこで論じられているのは、どんな国も彼らが思い念じれば容易に、製物の国となり、同時にまた文明の世界のジーキルと成り得るのではなく、むしろ多くの国と国民は、産物の国に暮らす野蛮なハイドとして生きざるを得なかったということなのだが、その最たる原因となったものこそが、私の「システム」論で論及されている、関係枠としてのナショナリズムとして位置づけ理解される覇権システムであったということである。以下において、これらに関してもう少し詳しく述べてみよう。

たとえば、前回記事で触れていた日本の明治維新以降の一枠的観点から描かれるナショナリズムというか国造りは、当時の覇権国であった英国を中心としてつくられてきたA、B、Cから構成される覇権システムによって、その大枠は決められていたとみて誤りではない。

19世紀から20世紀初頭における覇権システムをA、B、Cグループに位置した諸国の一枠的ナショナリズムで簡単に図式して示すならば、次のようになる。

*{[A]→(×)[B]→×[C]」ーーー①

この図式の一番外側の記号{ }で示されるのが覇権システムである。その中に位置する[A]は一枠的ナショナリズムを示している。ここでのAは、Aグループとして複数の国を含んでいるが、わかりやすくするために、グループ全体をAとして示している。次の[B]の一枠的ナショナリズムは、Aほどには強固な基盤を持ち得ないとの意味を持たせるために、(×)をその前につけている。さらに、そのBよりも弱い基盤しか持てないCの一枠的ナショナリズムを示すために、その前に×の記号を付けている。

この①の図式で描かれているのは、諸共同体間における自己決定権の獲得と実現のための力と力のぶつかり合いを介した争奪戦を繰り返す中でつくり出された結果としての諸国家間に見いだされる「親分ー子分」関係である。その関係は、一枠的ナショナリズムを基本的単位としながら、それが全体としての諸国家間の関係としてつくられた際には、関係枠の総体としてのナショナリズムとなって示されるということである。それが①のナショナリズムの関係として描かれたものであり、そのナショナリズムを一枠的なそれと区別するために、私はここでは覇権システムとして位置づけている。

先の①の覇権システムの中に、明治維新以降の日本が開国を契機として、無理やり組み込まれていくのだから、後は、少しでもCの中でもできるだけ上に、できるものならばCよりはBへ、またBよりはAへと上昇することを至上命題としたんのは、それこそ理屈ではない。まさに「僕(日本)が僕(日本)であるために勝ち続けなきゃならない」であったということである。

その日本が上昇するためには、富国強兵ではないが、先ずは①の中で、日本の一枠的ナショナリズムを首尾よく実現しなければならないということであった。ここで問題となったのは、どうやれば、日本という国家建設ができるのかということである。それこそ、福沢の文明論ではないが、当時の文明の階梯があり、それによれば、文明ー半開ー野蛮という関係がつくられていて、その階梯をモデルとして歩むことが理想とされた。

だが、ここで厄介な問題に直面することになる。先に私が示した①の覇権システムにおける親分たちは子分との関係の中で、親分たちに有利なように、それこそ「衣食足りて礼節を知る」営為の関係のネットワークをつくり上げていたのである。先ず親分たちは子分との関係の中で、次の図式で示される豊かさを手に入れるための関係をつくり上げていた。

それが次の②の図式で示される関係である。すなわち、

*{[Aの経済発展]→(×[Bの経済発展]→×[Cの経済発展]}-②

の関係で示される世界資本主義システムである。この場合も①の覇権システムと同様に、できればCよりは、B、へ、そしてBよりはAへと上昇できれば、日本にとってはありがたいのはやまやまであったのだが、既にAに位置していた諸国はそれほど好意的ではなく、同様に、B、やCに位置していた諸国や共同体も、好意的ではなかった。

その理由は、この世界資本主義システムの関係は、覇権システムの「親分ー子分」関係を前提としてつくられていた差別と排除の関係であり、それゆえ、力の獲得をいずれの国家も最優先目標としていたことから、その力の獲得という面において、利用できない共同体は差別され排除され、その多くはCの植民地や従属地のままに据え置かれてしまい、世界資本主義システムにおいても、Cの経済発展の特徴である産物の国として、AやBの上位グループの製物の国の下請けを引き受ける役割を担わざるを得なかったのだ。

それゆえ、日本の明治以降の経済発展は、この①②の覇権システムと世界資本主義システムの下でつくり出されてきた「制約」を受容しながら、それこそ死に物狂いで、余裕のない発展とならざるを得なかったのは言うまでもなかろう。そんな日本と日本人によって、さらに劣悪な境遇へと貶められた他の共同体のナショナリズムの歩みがどのような悲惨な道をたどったかは、押して導氏であろう。

このような日本の覇権システムにおける位置とそれを前提とした経済発展との関係において、日本の民主主義の発展は世界民主主義システムとの関係において、さらに厳しい現実の前にさらされていたのである。ここで、その世界民主主義システムを図式して示すとき、それは、

*{[Aの民主主義の発展]→(×)[Bの民主主義の発展]→×[Cの民主主義の発展]}ーーー③

となる。ここでも注意すべきは、このシステムの前提となっているのは、世界資本主義システムと同様に、差別と排除の関係を基にしてつくられてきた覇権システムであったということである。

 

ここで、上述した竹山道雄のジーキルとハイドの関係を、この③の図式の関係に重ねるとき、ジーキルはAにおいて見いだせるのに対して、ハイドはCにおいてということになるに違いない。こうした関係から構成される③の世界民主主義システムにおける差別と排除の関係を前提として、日本の明治以降の一枠的民主主義の発展が目指されるということであるから、ここでもその実現の歩みには、筆舌に尽くしがたい歩みが見え隠れしていたのは間違いない。何しろ、その歩みの途上において、日本と日本人はアジアの近隣諸国はもとより、世界の多くの地域を巻き込む形であの戦争へと至ったのであるから。


(最後に一言)

今回記事では、日本の明治以降の国造りの歩みを念頭において、前回記事をさらに発展させる形で、ここまで記事を書いてきた。もとより、これらの記事内容は、既に拙著や拙論でたびたび論及してきたものであり、その点ではあまり新鮮味はない。だが、今次のロシアのウクライナ侵攻と、ウクライナによる公選とそれを取り巻く欧米諸国の関係を見るとき、確かにA、B、Cから構成される「システム」とB、C、Aから構成される「システム」の違いはあれ、私たちの国造りの歴史には同じような人間関係、共同体関係が繰り返されていることに気が付くのではあるまいか。

今回記事でも指摘したように、私たちは、覇権システムという力と力のぶつかり合いで示される暴力関係を直視することを避ける。それゆえ、そうした暴力関係としての帝国主義関係が、一枠的かつ関係枠的な資本主義の発展とどのように関係してきたかについて、積極的に論じようとはしない。

さらに、民主主義の発展と覇権システムとの相互補完的というか、覇権システムという暴力関係の中で実現された民主主義の発展に関しては、ほとんど目を閉ざすのを常としている。その理由は簡単明瞭だ。覇権システムの頂点に位置した覇権国の親分が自分たちに都合の悪い歴史叙述を、私たちに許さないからだ。それゆえ、今回のロシア侵攻に際してのメディア報道がどれほど「歪曲」されたとしても、それを全く意に介さないのも当然となる。

私たちの生きている覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムとそれらを前提としてつくり出されてきた私の語る「システム」という存在それ自体が、差別と排除の関係を基にしていることから、さらにその中で生きている私たち自身の立場も千差万別であるから、そもそも先の歪曲という言葉遣いそれ自体も、一筋縄ではいかないこととなる。

それを踏まえた上で、それでもなかなか伝わらない話を、どうやって読者に伝えられるか、それにこだわりながら、次回もこの続きを書いてみよう。その際、今回記事の製物の国と産物の国とを念頭に置きながら、今のロシアとウクライナを見るならば、両国は圧倒的に産物の国だと言える。だが、それにもかかわらず、ロシアは強大国である。ここには相当の無理があるというか、かなりの無理をして今のロシアは存在している。

ウクライナを簡単に民主主義国と位置づけ理解する風潮も、私はどこかに無理があるとみている。いずれにしても、これは経済発展と民主主義の発展の関係に関する話となるのだが、私たち先進諸国の民主主義の発展が、今日の格差の深化とともに、既にその低度化を深化させていて、民主主義対専制・独裁云々の話を偉そうにできない段階に入っていることも認めなければならないのだが、こうした点も今やあまり問題視されないことを鑑みるとき、とにかく、モノを語るのはすこぶる厄介となってきているのは、間違いなかろう。

 


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「一(国)枠」のナショナリズムを当然のこととして受容してきた日本と日本人である限り、戦争を拒否するのは容易ではない。一枠のナショナリズムをつくり出してきた関係枠としての「システム」のナショナリズムの

2022-06-21 | 日記

「一(国)枠」のナショナリズムを当然のこととして受容してきた日本と日本人である限り、戦争を拒否するのは容易ではない。一枠のナショナリズムをつくり出してきた関係枠としての「システム」のナショナリズムの中で生きてきた「システム人」としての確認と自覚ができれば、愛国(民)的ナショナリズムの包含する算術・打算的な戦争に、それほど簡単には巻き込まれることもない?ー私の語る「システム」論から、改めて「歴史叙述の〈神話〉」について考えるときーたとえば、自由主義、民主主義、民族主義、「公」と「私」等々に関する〈神話〉を事例として見た場合(6)


(最初に一言)

今回記事のタイトルに示されるように、私たちがその存在を当然とする主権国家と国民国家は、いつでも国民を戦争へと総動員できるように、愛国(民)的なナショナリズム教育を徹底してきた。その最たる例の一つが、海外事故での報道において、「なお、日本人の負傷者はいない」云々のニュースでのアナウンスだ。

そうした一枠的ナショナリズム(教育)を当然としてきたのは、私たちが他の国家と他の国民との間で繰り返してきた主権という自己決定権の争奪戦の歴史の中で生きてきたとの証であり、それこそが私たちが生きていかざるを得ない「親分ー子分」関係を前提としてつくられてきた覇権システムという空間の存在を示している。

この覇権システムとの関連から、私たちは今さらながら、以下のことを確認できるに違いない、すなわち、私たちが日頃なにも疑わない一枠的ナショナリズムに関して、看過してはならない重大な問題の存在というか秘密である。と言うのも、いかなる国・国民であれ、その国一国、国民一国民だけでもって国造りの歩みを実現できたのかを問うたならば、決してそうではないことがわかるであろう。

先の自己決定権の争奪戦というくだりの中で、既に明らかなように、私たちが語る国家とか国民は、いつも一枠以上の相手との、すなわち二枠以上の「関係」の中でつくられてきたということだ。このように私はみているのだが、じっさいには、そうではない。

たとえば、私たちが明治維新以降の日本と日本人の国造りの歴史を語る際、見事に一枠的なそれにすり替わっているのではなかろうか。言い換えれば、関係枠の中の一枠の日本と日本人となってはいないということである。そこから、当然ながら、一枠としての日本と日本人のナショナリズムの物語と、関係枠としての中の一枠としての日本と日本人の物語との違いは勿論のこと、両者のナショナリズムがどのように交錯しているのかについて、ほとんど語られてこなかったということではなかろうか。

もし、私がここで指摘した関係枠としての中の一枠として位置づけ理解し直した日本と日本人という場合、おそらく一枠を前提としたときには見出すことのできなかった日本と日本人の抱えるナショナリズムの問題点に気が付いたかもしれない。それはたとえば、「明るい明治」とか「暗い明治」といった話でもなく、あるいは「健全な」「下からの」ナショナリズムとか、「不健全な」「上からの」ナショナリズムといった類の皮相的な位置づけと理解によって済まされる次元の物語ではなかったはずである。

これに関して、わかりやすい例は、いわゆる市民革命の母国とされる欧米諸国のナショナリズムが、関係枠としてのたとえばインドやアフリカ、中国の諸国を組み込みながらそのナショナリズムを描き直すとき、いわゆる植民地や従属地を前提とする関係としての、関係枠のナショナリズムの歩みの中で、初めて実現するに至った自由主義、民主主義、市民的権利の実現の歩みを、今さらながら、再発見できるかもしれない。


これに関しては、私はすでに、私の語る「システム」論において、関係枠としての「システム」を描くと同時に、その〈「システム」とその関係の歩み〉の下で、一枠として語られてきた欧米諸国のナショナリズムや自由主義、民主主義、人権等々の抱え続けた宿痾に関して論及してきたのだ。

少し話がややこしくなってきたので、また最初の話というかこれまで私がこだわってきた話に戻してみたい。私がここ数回にかけて述べてきたのは、私たちがこれまで当然のごとく学習してきた歴史叙述のウソを読者に改めて再確認してほしかったのだ。

その理由は、ロシアであれ、ウクライナであれ、また世界の至る所で経験されてきた、あまりにも簡単に、戦争での死者を扱う私たちの姿勢に対して、私は違和感、嫌悪感を抱いているからである。国のために戦い、その挙句に死んだとしても、愛国者として持ち上げる今の風潮に、私は断固として反対したいからだ、

しかもだ。その愛国とか、ナショナリズムに関して、的確な論評がなされていたのならまだしも、決してそうではない。また私たちの語る平和がどのようにして実現されてきたかに関しても、いわゆる専門家とされる者たちのお粗末極まりない説明しか見聞きしない有様ではないか。

こうした点を踏まえながら、少し結論めいた話をここでしておきたい。私の語る「システム」論において、これまで論及してきたように、いわゆる一枠的愛国(民)ナショナリズムを取り上げるとき、たとえば戦前の日本のそれは、{[A]→(×)[B]→×[C]}の「システム」で描かれる差別と排除の関係を前提とした当の「システム」に位置するBグループの日本と日本人のそれであったということである。

すなわち、そうした差別と排除の関係を前提とした「システム」によって、明治維新以降Bグループへと上昇することが日本と日本人の一枠的愛国(民)ナショナリズムが担った役割であったということである。すなわち、戦前の日本のアジア・太平洋戦争は、Aに位置した英米覇権連合を中心とした連合国と対立・衝突し、そして戦争へと向かうことによって、「金の成る木」としての「システム」のさらなる発展に貢献したということであった。

Bの一枠的日本のナショナリズムは、Aの米国の一枠的ナショナリズムと交錯することを介して、米国を英国の次の覇権国へと台頭させる役割を担い、そのことによって、「金の成る木」としての関係枠としての「システム」の「高度化」に寄与することとなったということである。そのために、どれほど多くの命が犠牲とされたか。そうした「システム」の犠牲者を弔いながら、私たちはその「システム」の下で、「二度と戦争は繰り返しません」、「この尊い平和を噛みしめながら、犠牲者を悼みます」云々と、嘘にうそを重ねたのである。

そして、歴史は繰り返すではないが、ロシアのウクライナ侵攻を、私たちは目の当たりとしたのだ。今度の戦争は、関係枠としての{[B]→(×)[C]→×[A]}で描かれる「システム」の下で、Bグループに位置する一枠的ロシアの愛国的ナショナリズムと同じく同グループに位置するウクライナの一枠的愛国的ナショナリズムが、Aに位置するこれまで世界に君臨してきた覇権国の米国の一枠的愛国的ナショナリズムとの交錯を介して、Bグループに位置する中国やインド、ブラジルのブリックス諸国をはじめ、その他のBやCに位置する中東、アフリカ諸国、中南米、、東南アジア諸国等の一枠的愛国的ナショナリズムを動員しながら巻き込む形で、「金の成る木」としての関係枠の「システム」のさらなる発展を「演出」している最中というところだ。

この場合も、犠牲者は、力の弱い者たちがその先頭に来る。メディアは、これまた無責任というか、心ここにあらずという具合に、無味乾燥な戦争と平和を語る役割を担うように、関係枠としての「システム」に誘導されるままだ。ロシアの一枠的愛国的ナショナリズムも、ウクライナのそれも、またEUやNATO加盟国のそれも、ひとしく関係枠としてのB、C、Aから構成される差別と排除の関係を前提とする「システム」のつくり出す「ナショナリズム」を体現する覇権システムに奉仕する役割を担っている。


(最後に一言)

いずれにせよ、力のない者にとっては、寂しい限りではあるまいか。関係枠としての「金の成る木」としての「システム」のナショナリズムである覇権システムと、一枠的愛国的諸国のナショナリズムの間に見いだされる、それはそれはつまらない話。こんな仕組みの中で死んでいく者、死んでいった者を人間の尊厳を大事にする形で、果たして弔うことができるのだろうか。

私には無責任極まりないとしか言いようがないのだ。今生きている者たちの責任は、それこそたとえば、国家がもし、国民を戦場へと導くときに、その国民に対して、丁寧かつ納得のいく説明をして、彼らの同意を得て、はじめて国家と国民の「契約」が成立したと解されるのではなかろうか。

私がここで言わんとしているのは、戦争に反対するものを戦争に巻き込む資格など誰も持ち得ないということなのだ。それは国家であったとしてもそうだ、そうした「契約」が今ほど簡単に無視・破棄されている時代はないのではないか。否、その前に、私たちはそのような契約を国家との間で結んだことがあったのだろうか。

今のウクライナの状況を見ればすぐさまわかるように、たとえ戦場での戦闘行為を傭兵が担っていても、ロシアやウクライナの双方からの砲弾の犠牲者として、ロシア人やウクライナ人の婦女子が巻き込まれて命を落としている。その意味では、ロシアであれ、ウクライナであれ、国家という存在が市民の命をこれほど無造作に奪っているのは間違いない。

おそらく、読者の中には、戦争とは所詮そんなものであり、そもそもいかなる市民も戦場や戦闘へと巻き込まないで済むような契約など、いずれの国家も、国民との間に結ぶことなどできはしない、と考えているのではあるまいか。否、さらに戦時下では国民は国家に協力するのは当然の義務であるとして、いざ戦争になれば、それは仕方のないことだと受け入れているのではなかろうか。

この問題を、私たちはもっと正面から向き合って議論すべきなのだが、おかしなことに、せっかく今次の参院選をすぐまじかに迎える今の日本の政治において、与野党のいずれの政党からも、「まじめな声」が聞こえてこないのはどうしてなのだろうか。確かに、国防や安全保障に関する争点はそれなりには明確にされているが、ここで私が問題提起しているような形で、有事の際において、国民は戦争を自らの手に引き受けるのかどうかに関する肝心な問題が横に置かれたままではなかろうか。

すなわち、どんな事態に陥ったとしても、戦争には断固として反対し、絶対にそれには加わらないと自らの意思を鮮明にした日本人が現れた際に、その日本人に対して、あなたは国家の名のもとに、彼・彼女を戦場へと引きずり込むことを拒否するのか、それともそうしないのか云々の問題である。

こうした問いかけを、本来ならば参院選の争点にしてほしかったのだ。それがあやふやなままに、いくら核武装がどうの、敵基地攻撃能力がどうの等々の論戦をしても、あまり意味はないのではあるまいか。私は、今こうした問題を徹底的に国民は自問自答しながら、同時に、各政党はそうした国民に各党の考え方を鮮明にすべき時だと思うのだが、それを政党に期待しても無理かもしれない。

勿論、これは怖い話である。私も怖いのは当然だ。自分で自分の首を絞めかねない。その点では、勇ましく語られ始めた核武装とか、敵基地攻撃能力云々の話以上に、とても恐ろしい話ではあるまいか。だが、今次のロシアのウクライナ侵攻と、ウクライナの同胞の人命を軽視した際限なき徹底抗戦と、それを後押しする欧米諸国の勝手し放題な金儲けのやり口を前にして、もう逃げることはできないのではあるまいか。本当に、怖い地点に来てしまったものだ。

 


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