「一(国)枠」のナショナリズムを当然のこととして受容してきた日本と日本人である限り、戦争を拒否するのは容易ではない。一枠のナショナリズムをつくり出してきた関係枠としての「システム」のナショナリズムの中で生きてきた「システム人」としての確認と自覚ができれば、愛国(民)的ナショナリズムの包含する算術・打算的な戦争に、それほど簡単には巻き込まれることもない?ー私の語る「システム」論から、改めて「歴史叙述の〈神話〉」について考えるときーたとえば、自由主義、民主主義、民族主義、「公」と「私」等々に関する〈神話〉を事例として見た場合(7)
(最初に一言)
今回は、前回記事を補足する形で、論を展開したい。その際、関係枠としてのナショナリズムと一(国)枠としてのナショナリズムに関して、またそれとの関連から、関係枠としての世界資本主義システムと一枠的資本主義の、同じく関係枠としての世界民主主義システムと一枠的民主主義との関係について、それぞれ論及してみたい。
ここで、福沢諭吉の『文明論之概略』の中の「製物の国」と「産物の国」についてのくだりを思い起こしてほしい。同様に、竹山道雄の「ハイド氏の裁判」で語られている「文明の世界では善良な様相のジーキル博士であるのに対して、「野蛮な世界では醜悪凶悪な様相のハイド」と変貌してしまう云々のくだりを思い出してほしい。私の目の都合で、正確な著作からの引用ができないことを断っておきたい。
福沢の「製物の国」と「産物の国」の比較と関係でもって示されているのは、まさに世界資本主義の特徴であり、それが的確に描かれているところに注目したい。それに対して、竹山による「ジーキル」と「ハイド」の比較と関係は、世界民主主義システムの特徴を見事に言い表している。その意味において、両著作は相互に補完的内容を構成しているとみていい。
そこで論じられているのは、どんな国も彼らが思い念じれば容易に、製物の国となり、同時にまた文明の世界のジーキルと成り得るのではなく、むしろ多くの国と国民は、産物の国に暮らす野蛮なハイドとして生きざるを得なかったということなのだが、その最たる原因となったものこそが、私の「システム」論で論及されている、関係枠としてのナショナリズムとして位置づけ理解される覇権システムであったということである。以下において、これらに関してもう少し詳しく述べてみよう。
たとえば、前回記事で触れていた日本の明治維新以降の一枠的観点から描かれるナショナリズムというか国造りは、当時の覇権国であった英国を中心としてつくられてきたA、B、Cから構成される覇権システムによって、その大枠は決められていたとみて誤りではない。
19世紀から20世紀初頭における覇権システムをA、B、Cグループに位置した諸国の一枠的ナショナリズムで簡単に図式して示すならば、次のようになる。
*{[A]→(×)[B]→×[C]」ーーー①
この図式の一番外側の記号{ }で示されるのが覇権システムである。その中に位置する[A]は一枠的ナショナリズムを示している。ここでのAは、Aグループとして複数の国を含んでいるが、わかりやすくするために、グループ全体をAとして示している。次の[B]の一枠的ナショナリズムは、Aほどには強固な基盤を持ち得ないとの意味を持たせるために、(×)をその前につけている。さらに、そのBよりも弱い基盤しか持てないCの一枠的ナショナリズムを示すために、その前に×の記号を付けている。
この①の図式で描かれているのは、諸共同体間における自己決定権の獲得と実現のための力と力のぶつかり合いを介した争奪戦を繰り返す中でつくり出された結果としての諸国家間に見いだされる「親分ー子分」関係である。その関係は、一枠的ナショナリズムを基本的単位としながら、それが全体としての諸国家間の関係としてつくられた際には、関係枠の総体としてのナショナリズムとなって示されるということである。それが①のナショナリズムの関係として描かれたものであり、そのナショナリズムを一枠的なそれと区別するために、私はここでは覇権システムとして位置づけている。
先の①の覇権システムの中に、明治維新以降の日本が開国を契機として、無理やり組み込まれていくのだから、後は、少しでもCの中でもできるだけ上に、できるものならばCよりはBへ、またBよりはAへと上昇することを至上命題としたんのは、それこそ理屈ではない。まさに「僕(日本)が僕(日本)であるために勝ち続けなきゃならない」であったということである。
その日本が上昇するためには、富国強兵ではないが、先ずは①の中で、日本の一枠的ナショナリズムを首尾よく実現しなければならないということであった。ここで問題となったのは、どうやれば、日本という国家建設ができるのかということである。それこそ、福沢の文明論ではないが、当時の文明の階梯があり、それによれば、文明ー半開ー野蛮という関係がつくられていて、その階梯をモデルとして歩むことが理想とされた。
だが、ここで厄介な問題に直面することになる。先に私が示した①の覇権システムにおける親分たちは子分との関係の中で、親分たちに有利なように、それこそ「衣食足りて礼節を知る」営為の関係のネットワークをつくり上げていたのである。先ず親分たちは子分との関係の中で、次の図式で示される豊かさを手に入れるための関係をつくり上げていた。
それが次の②の図式で示される関係である。すなわち、
*{[Aの経済発展]→(×[Bの経済発展]→×[Cの経済発展]}-②
の関係で示される世界資本主義システムである。この場合も①の覇権システムと同様に、できればCよりは、B、へ、そしてBよりはAへと上昇できれば、日本にとってはありがたいのはやまやまであったのだが、既にAに位置していた諸国はそれほど好意的ではなく、同様に、B、やCに位置していた諸国や共同体も、好意的ではなかった。
その理由は、この世界資本主義システムの関係は、覇権システムの「親分ー子分」関係を前提としてつくられていた差別と排除の関係であり、それゆえ、力の獲得をいずれの国家も最優先目標としていたことから、その力の獲得という面において、利用できない共同体は差別され排除され、その多くはCの植民地や従属地のままに据え置かれてしまい、世界資本主義システムにおいても、Cの経済発展の特徴である産物の国として、AやBの上位グループの製物の国の下請けを引き受ける役割を担わざるを得なかったのだ。
それゆえ、日本の明治以降の経済発展は、この①②の覇権システムと世界資本主義システムの下でつくり出されてきた「制約」を受容しながら、それこそ死に物狂いで、余裕のない発展とならざるを得なかったのは言うまでもなかろう。そんな日本と日本人によって、さらに劣悪な境遇へと貶められた他の共同体のナショナリズムの歩みがどのような悲惨な道をたどったかは、押して導氏であろう。
このような日本の覇権システムにおける位置とそれを前提とした経済発展との関係において、日本の民主主義の発展は世界民主主義システムとの関係において、さらに厳しい現実の前にさらされていたのである。ここで、その世界民主主義システムを図式して示すとき、それは、
*{[Aの民主主義の発展]→(×)[Bの民主主義の発展]→×[Cの民主主義の発展]}ーーー③
となる。ここでも注意すべきは、このシステムの前提となっているのは、世界資本主義システムと同様に、差別と排除の関係を基にしてつくられてきた覇権システムであったということである。
ここで、上述した竹山道雄のジーキルとハイドの関係を、この③の図式の関係に重ねるとき、ジーキルはAにおいて見いだせるのに対して、ハイドはCにおいてということになるに違いない。こうした関係から構成される③の世界民主主義システムにおける差別と排除の関係を前提として、日本の明治以降の一枠的民主主義の発展が目指されるということであるから、ここでもその実現の歩みには、筆舌に尽くしがたい歩みが見え隠れしていたのは間違いない。何しろ、その歩みの途上において、日本と日本人はアジアの近隣諸国はもとより、世界の多くの地域を巻き込む形であの戦争へと至ったのであるから。
(最後に一言)
今回記事では、日本の明治以降の国造りの歩みを念頭において、前回記事をさらに発展させる形で、ここまで記事を書いてきた。もとより、これらの記事内容は、既に拙著や拙論でたびたび論及してきたものであり、その点ではあまり新鮮味はない。だが、今次のロシアのウクライナ侵攻と、ウクライナによる公選とそれを取り巻く欧米諸国の関係を見るとき、確かにA、B、Cから構成される「システム」とB、C、Aから構成される「システム」の違いはあれ、私たちの国造りの歴史には同じような人間関係、共同体関係が繰り返されていることに気が付くのではあるまいか。
今回記事でも指摘したように、私たちは、覇権システムという力と力のぶつかり合いで示される暴力関係を直視することを避ける。それゆえ、そうした暴力関係としての帝国主義関係が、一枠的かつ関係枠的な資本主義の発展とどのように関係してきたかについて、積極的に論じようとはしない。
さらに、民主主義の発展と覇権システムとの相互補完的というか、覇権システムという暴力関係の中で実現された民主主義の発展に関しては、ほとんど目を閉ざすのを常としている。その理由は簡単明瞭だ。覇権システムの頂点に位置した覇権国の親分が自分たちに都合の悪い歴史叙述を、私たちに許さないからだ。それゆえ、今回のロシア侵攻に際してのメディア報道がどれほど「歪曲」されたとしても、それを全く意に介さないのも当然となる。
私たちの生きている覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムとそれらを前提としてつくり出されてきた私の語る「システム」という存在それ自体が、差別と排除の関係を基にしていることから、さらにその中で生きている私たち自身の立場も千差万別であるから、そもそも先の歪曲という言葉遣いそれ自体も、一筋縄ではいかないこととなる。
それを踏まえた上で、それでもなかなか伝わらない話を、どうやって読者に伝えられるか、それにこだわりながら、次回もこの続きを書いてみよう。その際、今回記事の製物の国と産物の国とを念頭に置きながら、今のロシアとウクライナを見るならば、両国は圧倒的に産物の国だと言える。だが、それにもかかわらず、ロシアは強大国である。ここには相当の無理があるというか、かなりの無理をして今のロシアは存在している。
ウクライナを簡単に民主主義国と位置づけ理解する風潮も、私はどこかに無理があるとみている。いずれにしても、これは経済発展と民主主義の発展の関係に関する話となるのだが、私たち先進諸国の民主主義の発展が、今日の格差の深化とともに、既にその低度化を深化させていて、民主主義対専制・独裁云々の話を偉そうにできない段階に入っていることも認めなければならないのだが、こうした点も今やあまり問題視されないことを鑑みるとき、とにかく、モノを語るのはすこぶる厄介となってきているのは、間違いなかろう。