東京五輪開催中止を叫ぶデモに標榜される「みんしゅしゅぎ」とその強行開催をごり押しした寡頭利権勢力が標榜する「民主主義」ー戦後日本の平和憲法を擁護する護憲派はどちらの側に与するのか?
1 相容れない「民主主義」と「みんしゅしゅぎ」ー絶対王政や全体主義等の抑圧的独裁体制を打倒したとされる「(自由主義的)民主主義」、そしてその民主主義体制下での抑圧的専制主義(「逆さまの全体主義」もそこには含まれる)を打倒しようと立ち上がる人々が標榜する「みんしゅしゅぎ」
私がこれまで拘泥してきた大事な問題を、今回の記事タイトルにあるように提起した次第。読者の皆さんの多くは、この二つのみんしゅしゅぎ・民主主義を、おそらく何のこだわりもなく「混同」しているのではあるまいか。
結論から先取りして言えば、記事タイトルにある質問の答えは、驚かれる人も多いかもしれないが、後者の勢力である。この点に関して、以下に説明してみたい。行論の都合上、ここで本澤二郎氏の〈阿修羅・総合アクセスランキング(瞬間)〉に投稿されている本澤氏のブログ記事〈民主主義に点火!!〉<本澤二郎の「日本の風景」(4154)http://jlj0011.livedoor.blog/archives/29912907.html(2021年07月24日 jlj0011のblog)を参照資料として挙げておきたい。
同記事の内容は、私には大いに役立った。これまた誤解を恐れないで言うと、本澤氏がその記事で述べている「民主主義に点火」と言及されている民主主義は、私にとっては「みんしゅしゅぎ」として理解されるものに他ならない。この点に関して、さらに詳しく述べていきたい。
2 戦後日本の平和憲法の抱え続ける問題とはー護憲派が決して向き合おうとしなかった重要な問題とは一体何であるのか―いま私たちに必要なのは「みんしゅしゅぎ」であり、「民主主義」ではない。
その意味で言うならば、その「みんしゅしゅぎ」は、護憲派が標榜してきた戦後の平和憲法に体現された民主主義とは同じものではない。護憲派のそれは、いわゆる「市民革命」に端を発した「自由主義」とうりふたつのそれであり、同時に覇権国が中心となってつくり上げてきた〈「システム」とその関係の歩み〉(以下、「システム」と略す。)において創られた近代憲法に由来するのだ。
市民革命は確かに当時の絶対王政に反旗を翻したものではあったが、それとすべてにおいて断絶したわけではない。「システム」の形成と発展には、絶対王政とその歩みは欠かすことのできない役割を担った。すなわち、「親分ー子分〉の暴力関係と差別と排除の関係を内包した覇権システムの形成と発展の基盤形成において如実に示されるように、重要な役割を担っていたのである。
と同時に、当時の市民革命の「市民」を構成したのは一般の庶民ではなく、絶対王政後も影響力を持ち続けた王族や貴族と結びついた大金持ちの特権的富裕層であったということを、看過してはならない。
その関連から言えば、市民革命も、それが打倒したと言われてきた絶対王政も、その主導的役割を担ったのは、その後の「システム」の中心的役割を担い続けた王族や特権貴族・大商人層であり、今日の世界的大投資銀行家・大株主層である。彼らこそが護憲派が信奉する市民的自由(権利)に体現される普遍的価値を提唱・提供してきた連中であったのである。
(付言すれば、私たちの大部分は、小学校から中学、高校を卒業するまでには、洗脳されてしまい、「民主主義」や「普遍的価値」を何ら疑うことなど想像もできない「頭」になっているのだ。その洗脳に際して大きな影響力を持つのは文科省を始めとする政府官庁、メディアと学校・教育関係者等である。)
彼らは世界的ネット・ワークを形成しながら、戦争を繰り返し起こすと同時に、そのコインの裏返しである「平和」をもたらしてきた。この繰り返しによって、「金の成る木」としての「システム」の形成と発展、その維持と強化に与ってきたのだ。その過程で、オリンピックや原子力爆弾、原子力発電等々が私たち人類に提供されてきたということだ。
3 第五福竜丸の被爆者である大石又七氏の訴える「平和」と大江健三郎等の護憲派のそれは同じではない、決して、同じにしてはならない!―後者の掲げるへいわは、「システム」が押し付けた平和に他ならない。前者の「へいわ」は、そうした平和の嘘話を暴露する。
悔しい、悲しいほどに、東京五輪の開催を強行した寡頭金権勢力は、用意周到に計画を練り、彼らの思い描く形で今回の東京五輪を演出したといえよう。その狙いは、当初は「復興五輪」とアドバルーンを上げながらも、やはり東京電力の福島原発事故の隠ぺいと風化を企図したものであったと言える。
その関連から言えば、第五福竜丸乗組員の大石さんが指摘していたように、1953年のアイゼンハワーによる原子力の平和利用発言から始まる、54年の3月以降から2,3年後まで及ぶ一連の出来事も、まったく今回の五輪開催への流れと、根底において重なる歴史の再現であった。すなわち、被爆国である日本と日本人に、原爆投下と水爆実験による被爆の歴史を、同時にまた原発事故による被曝・自曝の歴史を、忘れ去らせるように企図されたものであったと言えよう。
大石さんが告発してきた訴えに、私たちの多くは耳を傾けることなく、また同じ過ちを犯してしまったと言っても過言ではあるまい。馬鹿に馬鹿を重ねるようにバカバカとなってしまった。ここでも教育とメディアの発揮した力は絶大だった。「日本」と「日本人」は「あの戦争」に負け、GHQによる占領政策の下で、徹頭徹尾、骨抜きにされ、自らの頭で思考することをやめてしまった。
4 大江健三郎の「民主主義」と大石又七の「みんしゅしゅぎ」-大江と大石の対話を演出することで、両者の存在理由を「あいまい」にしてはならない。「システム」はいつも巧妙に、自らの抱える文化人・知識人を動員・活用することを怠らない
大江氏に代表される戦後日本の知識人と持ち上げられてきた人たちは、またそうした彼らと共闘した護憲派の人たちは、結局のところ、「システム」に抵抗・敵対するのではなく、逆にそれを支持・強化する役割を担ってきたという事実を、私たちは過小評価してはならない。と同時に、いわゆる改憲派も、護憲派に勝るとも劣らず、「システム」の維持と発展に大いに貢献してきたことを銘記しておく必要がある。「システム」から見れば、彼らは同床異夢の存在であったことには変わりはないということになる。
私は少し前の確か7月23日金曜日夜の10時くらいであったと思うのだが、NHKN・ETV特集〈大江健三郎・大石又七 核をめぐる対話〉を偶然にもみることとなった。詳しいことはここでは省略するが、その際、私には特に印象に残った場面が番組の終わりの方にあったのだ。
それは、大石さんが大江氏に向かって尋ねる場面であった。大石さんは戦争指導者が責任を取らなかったこと、原発推進者が原発事故の責任を取ろうとしなかったことについて、どのように考えているのかであったのだが、それに対する大江氏の答えは、正直なところあまりにもつまらないというか皮相的なはぐらかすものであった。さすがノーベル賞の受賞者は、原子力を推進する勢力の本丸までには私たちを導くことはしない。
大江氏の答えは、「あいまいな日本と日本人」の生き方を指摘するだけであった。それは村上春樹氏がわざわざイスラエルにまで出向いて、イスラエルとイスラエル人に対して辛辣とも取れるメッセージを送ったのに見事に対比される知識人の在り方を示すものであった、と私は感じたのである。
5 「暴力」を直視して、それと向き合い、「目には目を、歯には歯を」の覚悟をもって「親分ー子分」関係を徹底的に論じ尽くすことのできない「日本」と「日本人」
大江氏に代表される護憲派の人々は、戦後日本の平和憲法を押し付けたGHQと米国の「暴力」と対峙することを回避してきたのではあるまいか。そして、そのことは、護憲派が擁護する戦後の平和憲法と結びついた覇権国である「親分」がが中心となって「子分」との関係においてつくり上げてきた覇権システムの暴力と、そして同時にまた、その暴力の下でつくり出された世界資本主義システムと世界民主主義システムに色濃く刻印された差別と排除の関係を的確に捉えることを不可能とさせたのではあるまいか。
大石さんが乗船していた第五福竜丸を被爆させた「システム」とその中に位置する米国とその暴力、そしてあのフクシマを生み出した「システム」とその中に位置する日本国とその暴力は、差別と排除の関係を前提としていることから、最初から加害者としての責任を引き受けることなど断じてないということである。
「システム」とそれを維持し発展させてきた勢力にとって、責任など引き受けることなど眼中にはなく、いつもその責任は彼ら勢力が中心的役割を担う「システム」の被害者が引き受けさせられてきたと言っても過言ではないだろう。そこには、「システム」が提供した平和憲法を擁護することによって、「システム」を批判するのではなく、それを支持し強化することに与る護憲派の存在が大きく影響していたことを理解しておかねばならない。
それゆえ、第五福竜丸の大石又七さんが告発し続けた「暴力」と結びついた「システム」が提供した「民主主義」「平和」をこれ以上、信奉してはならない。新たなる「みんしゅしゅぎ」「へいわ」を創造すべきなのだ。しかしながら、同時にまた、これまでに私たちが洗脳されてきた戦後の平和憲法と普遍的価値を前にするとき、そうした試みは最初から、絶望的だというしかないのも事実であろう。
結びに代えて
ここで、もう一度これまで語ってきた話をまとめ直してみよう。私たちがこれまで、後生大事に守ることを強いられてきた「民主主義」とは、自由主義と民主主義が結合した民主主義に他ならない。誤解を恐れずに言えば、その民主主義とは自由主義がその基本的要素であり、民主主義は付録に過ぎない。すなわち、どれほど民衆の力が増そうとも、何ら修正なり制限を言受けることのない自由主義がその源泉となっている。
さらに大事なことは、自由主義という耳障りの良い言葉に反して、それは、世界で最も力のある親分が子分たちに守るように上から押し付けたいわば専制主義的手法により提供された「礼節」に他ならない。その礼節によって、親分たちの「衣食足りて」の営為が合法化・正当化され続けてきたのである。
「あの戦争」の敗北後、GHQの占領下に押し付けられた戦後の日本国憲法は、そうした礼節であったことに留意しなければならない。その礼節を当時の覇権国である米国が「日本」と「日本人」に押し付けたのだ。それゆえ、その憲法は、「システム」に色濃く刻印されている差別と排除の関係を免れることはできなかった。と同時に、日本国憲法とそれを体現する日本の戦後民主主義は「日米の合作」として持ち上げる日本の研究者が登場するのだが、「システム」の抱える御用学者であると言わざるを得ない。
戦後の護憲派や戦後民主主義の礼賛者は、第9条を抱える戦後の平和憲法をことさら神格化して、神棚に祀り上げたが、そのことは、原子力の平和利用という名の下に原子力発電所の建設を推進することへと導くこととなり、それがやがてはフクシマへとつながることになったのである。結局のところ、私たち自身が親分ー子分の暴力関係の下でつくられる差別と排除の関係を生産・再生産する世界的な「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為のネットワークの中で生き続けたことにより引き起こされた災厄であったことは否定できない。
なお、その世界的な「衣食足りて(足りず)」の営為を、私は世界資本主義システムとして、また世界的な「礼節を知る(知らず)」の営為のネットワークを世界民主主義システムとして、それぞれ位置付け論じてきた。そうした営為を提供し、支持擁護しているのは親分である覇権国を頂点としてつくり出されてきた覇権システムである。
福島原発を介した金儲けも、東京五輪の金もうけも、すべてこの親分の礼節に由来した営業の自由、そしてその営業を介して獲得された富の蓄積に利する財産権の自由に象徴される普遍的価値を体現した自由主義に他ならない、そのごく一部の世界の大金持ちたちの礼節とその普遍的価値とそれが体現された自由主義を、私たち庶民が彼らの有する圧倒的暴力によって従うことを余儀なくされてきたのである。
その暴力には、物理的なハードな軍事・警察力もあれば、教育・文化といったソフトなヘゲモニーとして発揮される力もある。後者には教育とメディアがその絶大な影響力を担っている。今回のコロナ禍での東京五輪開催強行に際しても、学校教育と大手メディアが発揮した力は測り知れないが、そうしたソフト・パワーを思うがままに操作できるハード・パワーの独占的所有者である覇権国と覇権システムの存在を忘れてはならない。
そうした覇権国と覇権システムが率先してその維持と発展・強化を図る「衣食足りて礼節を知る」営為とその実現は、私の語る「システム」とその関係の歩みにおいて初めて実現されるのだが、そのことは、その衣食足りての営為とその実現、礼節を知る営為とその実現の双方において、暴力関係を基にした差別と排除の関係を常に必然とせざるを得ないことを意味していた。
それゆえ、自由主義とそれに奉仕する自由主義的民主主義は、いつも差別と排除の関係に刻印された普遍的価値とその実現に導く悪しき歴史となり、世界の多くの人々を呻吟させ続けてきたのである。そして、今まさにこの日本において、コロナ禍での東京五輪開催により、私たち日本人は多くの犠牲者を拱手傍観しながら、つくり出している最中なのだ。
一体、誰がこの責任を引き受けるのか。誰に対して引き受けさせられるのか。先述した大石又七さんと同じように、考えるところとなる。大石さんは、あの戦争をしでかし、悲惨な日本をつくった張本人たちが戦後もまた、のうのうと国民の指導者となって、何の責任も取らないでいることに、激しい怒りを表明していた。
日本の国民が戦争指導者を裁こうとする前に、親分の覇権国の米国が日本を占領して、暴力によって、そうした試みを曖昧模糊とするのに手を貸した。その暴力は、第五福竜丸の水爆実験による被ばく者の存在と彼らの怒りや責任所在の追及を、不問に付すことに手を貸した。そして、福島の原発事故においても、その暴力は、国際原子力機関や国連、そして日本政府やフランスの原発ビジネス関係者を始めとするいわゆる原子力マフィア関係者を総動員する形で、福島の被曝者と彼らのその後の健康状態に関する情報を隠蔽・封殺するするのに手を貸した。
それに対して、私たちは愚かにも、その暴力を基にして作られてきた「システム」の提供する自由、民主主義、人権、法の支配、平和といった普遍的価値とそれを体現した平和憲法を思想的武器として、戦っているのが実情ではあるまいか。それではどうにもならない。
コロナ騒動が一段落した後、誰が五輪開催とその後始末の、またコロナ感染者に対する責任を引き受けるのだろうか。安倍、菅、小池、橋本、丸川に対して、IOCのバッハ会長に対して、引き受けさせられるのか。それは土台無理だろう。そんなことができるのなら、開催など許すことも中たはずだから。彼らの暴力の前に、私たちは従わざるを得なかった。それゆえ、「一億総責任論」が、またぞろ復活して、その力の前に、ほとんどのことがあいまいな決着をみる公算が大だろう。
私たちの「あいまいさ」が戦争指導者や原発推進者、五輪開催者に対する責任を問うことを難しくさせているのではない。彼らに対して、その責任の所在を追及して、責任を取らせることができないのは、彼らと彼らの背後にある圧倒的な暴力の存在なのだ。つまりは、覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの「三つ」の下位システムから構成される「一つ」の「システム」が保持する暴力というか構造的圧力の存在なのである。
(付記)
また、性懲りもなく、これまでの記事内容の話と変わるものではない。「それで、どうした」のか、という自問自答のこれまた繰り返しとなる。それでも、今回は大石又七さんの訴え続けるとの執念に、また生き返った思いである。