日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

最後は、また「安倍晋三」さんの「勝利」で終わったわい!

2020-05-06 | エッセイ
最後は、また「安倍晋三」さんの「勝利」で終わったわい!

まぁ、こんなオーバーな題目にしているが、それにしても安倍さんは、「加計」に続いて、今回は「レムデシビル」を、何が何でもコロナウイルスの新薬として、日本に持ち込むとに成功した、また「お友達」のために、日本と日本人の大事なものを奪い去った、ということだろう。

ここまでして、安倍退陣となると、今度のリーダーは、もっと「お土産」を用意しなければならないなぁ。それは何だろうか。もう「主権」はとっくに、というか、そんなものは、戦後この方、なかったから、今度は逆に奪い取るのだろうか。おおこわぁ。いや、怖くても、立ち向かうべきではないか。安倍がアカン、売国奴だ、何とかしろ、みんな今コロナ騒動で、何を騒いでいるのだろうか。

今さら、そんなことを言ったとしても、自分が惨めになるだけだから、私はこうした話を、もうそろそろやめた方がいいのではないか、と、これまでも何度となく思ってきたのだが、先ほどの「ミヤネヤ」テレビ番組を見て、痛感した次第なのだ。アビガンがどうの、レムデシビルがどうの、大阪府の決定がーーー、また見事に安倍政権にはめられてしまった。

と言うより、「こちら」には、どうにもならない、何も働かないくせに、税金をただ食い潰すだけの「野党(議員)」しか存在していないから、それは巡り巡って、無能な癖に、人の二倍も三倍も欲深い「国民」しか存在していないということにもなるのだが。

何度も述べてきたように、米国による「対日要求書」と在日米国商工会議所の日本と日本人に対する「圧力」に屈した挙句が、今回の「のろのろ」とした政府の対応と、日増しに増加するコロナ感染者と死者数を前にして、やっと米国の製薬会社がお出ましとなったということではあるまいか。

何のことはない。日本のマス・メディアがこぞって、このシナリオどおりに動いたのだ。そこには米国の直接・間接の圧力があるのは、誰にもわかることだが、それにしても日本政府とマスコミは、「あまりにも」ひどすぎやしないか。韓国や台湾のコロナ対応を見るとき、いやというほど思い知らされるのである。これほど米国政府や日本政府になめ切られては、どうにもならないだろう。

さらに、こうした舐められる社会を支えるために私たちの子供や孫たちがせっせと受験勉強に励んで、そうした日米両国政府とその政府に奉仕する政府官庁をはじめ、もろもろの企業、教育機関において、たとえみんな歯車になるとしても、少しでも、よりましな「ポスト」を目指し続けるのだから、これまたどうにもならない始末となる。

それこそ、そんなアホな「生き方」をやめて、「新しい生活様式」を、自分たちが自らの手で、頭でもって、創造すればいいのに。問題は、そんなことを今の社会で許されるわけがないということだ。(このくだりを、「そのもの言いはおかしいじゃろが」と、すぐさま、腹を立てた人がいれば、まだ救いはあるかもしれない、なぁ。とにかく、先へ進む。)

誰かが誰かの歯車となって、働き続けなきゃならない。その予備軍として、子供や学生は学校で学んでいる。誰かの歯車にならないように、とそれこそ家族一丸となって、お互いを叱咤激励しながら、まさに「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の中で、「自己決定権」の拡大(消失)を巡る争奪戦の渦中に、身を投じているのだが、このコロナ禍で、勿論それ以前においてもそうであったのだが、その夢も半ばで、より一層その歯車の役割を担う羽目となる者が、多数生み出されたのは、もう今さら言うまでもないことだろう。

最後に一言。

すぐ上のくだりに関して言えば、前回に紹介したイアン・ブレナー氏が、コロナ禍以後の世界では、AIやその他の労働力削減に貢献する第4次産業革命の下で、ますます中間層や労働者の雇用が喪失していくことにより、一握りのエリート階層に対する嫉妬が生まれる云々と語っていたが、これはB、C、Aの世界(セカイ)のAに特に該当する、と私はみている。

今回も、またお付き合い、ありがとうございました。

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