日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

旧秩序を擁護する勢力と新秩序を推進する勢力との対決構図から世界を見る

2015-10-05 | 社会 政治
今日の話もこれまでの私の話とあまり変わりませんが、今回は語り方をもう少しゆっくりとした、現在の流れを意識した内容になるように、と心がけたいと思います。

私のモデルのセカイの変容、転換に関しても、まさにそうなのですが、私の語り方は何か既にそうした変容、転換を2040,50年代に実際に見てきてしまった者が、現在の地点で語っている、そのような話し方となっています。それは、旧秩序と新秩序の言い方にも表れています。まだ、そんなことは、はっきりとわからないのに。

これまでも、何回も、1970年代までのセカイと1970年代以降のセカイの図式を読者に示しながら、旧いセカイから新しいセカイへと現実の世界(国際)秩序が変容、転換していくと話してきましたし、ちょうど今日はそうした二つのセカイが重なっていると、述べてきました。

それを言い方を変えて話すとき、それは今日のタイトルにもありますように、これまで旧秩序を形成、発展させてきた勢力と、これから新秩序を推進していこうとする勢力との対立と抗争が、所と形を変えて私たちの眼前で展開されている、ということになります。

すなわち、{[A]→(×)[B]→×[C]}を擁護する勢力と、{[B]→(×)[C]→×[A]}を推進する勢力とが、それぞれの利権を守るために衝突しているのです。そして2,30年かけて、この対立、対決構図がその結着を見るのが、中国が覇権国となる2040,50年代だと、私は見ています。

Aの中心的担い手である現在までの覇権国であった米国は、欧米連合諸国と協力しながら、Bグループの中国とロシアをなんとか封じ込めようとしながら、この旧秩序をなんとか防衛しよう、守ろうとしています。少なくともこうした見方の方が、何か分かりやすく感じられるのではありませんか。

逆に、新しい秩序を推進する勢力は、なんとかAに取って代わり、システムの一番上位に位置しながら、Aを自分たちに奉仕させるような立場に置き、従属させようとしている、とみた方がわかりやすいのですね。

確かにそうした対立、対決の構図は一見したところ間違いではないように思われますが、それらを、私は、相互補完的な関係として、捉え直すのです。それらの対立、対決の構図は私からみれば、茶番もいいところです。それで、私はいつもこれまでの記事で示したように、変容、転換として語るのです。

これに関連した大切なことは、私からみると、多くの論者が旧秩序のセカイを前提として、また今後も当分の間は続いていくだろうとしながら、同時にそれに代わる世界像も提示できないままで、現在の国際政治、国際関係を語っているということです。それに対して、私は、やがては新秩序になることを前提として、新秩序が旧秩序に取って代わる、取って代わられたという観点からこれまで語ってきたのですね。それが読者の理解を妨げてきたように、思いますし、反省もするのですが、時代の流れは驚くほどに早いのですね。

「茶番」に多くの名もなく、貧しいものが巻き込まれてきたのですから、しかもその演出に、デモクラシーをファシズム、共産主義から守るとか、自由と民主主義世界を守るために、アフガニスタン、イラク、シリアの独裁政権を打倒しなければならない云々が流布されてきたのですから、閉口するだけです。

正確に言えば、当然ながら、二つの秩序とその背後の勢力は、対立し対決しているかのような構図であり、今まさに中東でその構図は「現実」のようになっていますが、この現実にのみ注視するのではなく、その後の「結果」を見据えて、そこからこの現実らしきものを理解すべきだと、それが重要だと考えています。

少しここで、飛びますが、キッシンジャーが描く世界(「新世界秩序」)が必ず現実の世界を構成すると、私は見てきました。私が描く新秩序のセカイと驚くほど類似しています。

誤解のないように言いますと、私はこの新しい秩序のセカイとその関係に無性に腹が立ちます。それは旧秩序のセカイとその関係に対しても同様です。しかし、それではどうやって、この世界の関係とその秩序を、別の異なるものに替えられるのでしょうか。

私の答えはそれは無理だということであり、そのシステムの枠の中で、できる限りそれに近いものをつくるにはどうすべきかということでした。そのためには、最低限、私たちがいまどんな世界で生きているのか、その世界の関係について知ることが大事です。またそうしたことを理解できる人たちが求められます。

残念なことに、今回の「安保法制」論議を見る限り、ほとんどその期待は不可能です。大変につらいものがあります。

ただ今日は少しうれしいことがありました。私の勉強不足から今日になり初めて分かったのですが、北野幸伯という方のブログ記事(ロシアのシリア空爆の裏側)を読んで、この方の著作を知りました。最新刊は集英社から新書で出ています。「ウィキぺディア」に北野さんの主張があります。すべてが一致するわけではありませんし、おそらく相当に意見の相違があると推察していますが、それでも国際政治を見る眼には共通するものがありました。

私はもう、観察者、傍観者のような見方、書き方しかできなくなりましたが、北野さんはどうやって日本と日本人を守るべきかについて、真剣に語っています。

私もずっと以前はこうした観点からものが言えたし、書けたのですが、残念ながら、それは私にはできなくなりました。

もっとも、とてもではありませんが、グローバリズムにも賛成できません。なかなか難しいものです。北野さんも言うように、「ウソ」ばかりなのです。

それは別にして、北野さんのブログや著作がもっともっと読まれることを私は願うばかりです。もっとも、北野さんの最新刊の著書は多くの読者を獲得されているようです。


































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モデルのセカイからみる「民主主義の発展」という名の「世界の富」の絞り出しの歩み

2015-10-04 | 社会 政治
最初に投稿した後しばらくして今また、タイトルを手直しし、文章を追加しました。

オニクタラムの例の図式で描くセカイについて、またここで少し補足しておきます。
1970年代までのセカイを描いた図式{[A]→(×)[B]→×[C]}ですが、このセカイが現実に適用できたのは、1940年代から1970年代のほんの数十年でした。

同様に、1970年代以降のセカイ{[B]→(×)[C]→×[A]}が、現実の世界となるのは、2040,50年代になるとみています。しかしここでも留意される大事な点がありますが、その大まかな話を少し述べておきます。

Bの中国は、2040,50年代に民主主義の発展の高度化がようやく実現されますが、そのことから直ちに、Bグループ全体がすべて民主主義の実現に成功することを意味しません。むしろ、そうなってしまっては、システム全体としては困るのです。かつてのAグループにおいても、スペイン、ポルトガル、その次にオランダ、その次にイギリス(フランス)、そして米国が順番にその「高度化」(換言すれば、自由、民主主義、人権、平和といった「普遍主義」の高度化の実現)の役割を担うことで、覇権システムの維持と発展、そしてその安定に寄与し、そこからシステムの変容にと結びついたのです。

そうしながら、システム全体を、たとえば濡れたタオルにたとえてお話ししますと、歴代の覇権国が相互に対立、協力しながら、絞りに絞って、もうこれ以上絞り切れなくなるまで、濡れたタオルにたとえられる世界中の富を、民主主義(普遍主義)の発展(民主化)を実現するという大原則の名の下で、吸い上げ切ったのですね。(これも拙論を参照してください。)

その1サイクルが1970年代で終わったのです。それで、2サイクル目に向かうために、すなわち、新たな絞り出せる若い、荒々しい国を求めて、システムの転換、変容が求められたのです。その先陣を切った、切らされたのが中国ということになります。それゆえ、中国の次に、「世界の工場」を目指す動きが必ずやBグループの中から次に出てくると、私は見ています。

ロシアだって、その例外ではありません。世界の工場という「段階」の経済発展を担う国の政治体制は、自由民主主義ではありません。私のモデルでは、Ⅰ期の段階で描かれる、「権威主義的性格の政治」の段階にあります。ロシアの政治は当分の間、民主主義を実現できないことが予想されます。そうなっつては、このシステムの富を絞り出す力が弱まるからです。システム全体としては、困るのです。とにかく恐ろしいシステムです。これについては、また後日お話しします。

私のモデルは、たとえば、1970年代までのモデルをもとに説明しますと、Aの[経済発展→民主主義の発展]の関係が実現するためには、Bの[経済発展→(×)民主主義の発展]とCの[経済発展→×民主主義の発展]の関係が「共時的」、「相互補完的」に創り出されなければならない、ということを示すために、同時にそのような民主主義(普遍主義)の抱える問題点を読者に考えていただくために、考案したモデルです。

これまで何度も断ってきましたように、モデルを参照される際は、その点に留意してください。

それとの関連から、モデルに関連したいくつかの重要な点を、述べておきます。1970年代以降のセカイとその関係を維持しながら、発展させるためには、Bグループの政治体制には一般的に共通の傾向が見られます。

それは、Bグループは、セカイとその関係(史)として描かれる覇権システムを安定化させなければいけませんから、Bグループでは、その当初においては、非常に抑圧的、強権的な政治手法が「選択」される傾向があります。そうした政治手法を選択させるのは、それでは何かに関する問題について、私はシステム全体の関係の形成と発展とその変容から、考えてきました。そのために、いくつかの別のモデルの図式が必要だったのですが、今回はそれは省略します。(詳しいことを知りたくなりましたら、このブログで紹介してきました拙著を参照してください。)

Bグループの中国やロシアや、インドやブラジル、あるいは韓国、台湾、インドネシア、ミャンマーなどの政治体制を評価する際には、私のこのモデルのセカイと結びつけることが重要だと言いたいのですね。

ロシアの89年以降の政治体制を見るときも、私はこのモデルのセカイを前提にして考察します。いまのプ―チンが、なぜ「普遍主義」に背くのか。それは1970年代以降の、このセカイの形成と発展に貢献するためなのです。その意味では、馬渕睦夫さんがいろいろなところで語られている「グローバリズム」と「ナショナリズム」の「対立」関係として位置づける見方は、私のモデルのセカイのAとBの「相互補完的」関係として、描き直されるのです。

こうしたモデルとそれに関した話を、もっとわかりやすく詳しく肉付けしていくことが、今後の私の大切な作業となると、自覚していますが、正直なところ大変です。ただ、最近はネットに扱えきれないほどの貴重な情報が見出されますから、そこから学びながら、より納得のいく論を展開したいと、切に思っています。

















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オニクタラムの「仮説」:湾岸戦争、アフガニスタン、イラク戦争そしてシリア戦争の「原因」

2015-10-02 | 社会 政治
私のモデルを手掛かりとして提示されるいくつかの「仮説」その(1)
私のモデルのセカイも「仮説」ですから、正確には、「仮説」から導き出される一つの推理ですかね。おおよその「あらすじ」だけを、ここに書いておきますから、どなたかこのモデルを参考にしてもっと詳しいものを書いてくださる方がいれば、私は大変うれしい限りです。

(概要)

何故、米国は「戦争」を継続するのか。

その理由は、これまで多くの論者が紹介してきた資料の中で主張されるように、米国の大企業(多国籍企業)の利権・利益に奉仕するためというよりも、あるいは「石油」のための戦争というよりも、あるいはまたそうした戦争によるケインズ政策による米国社会の豊かさの実現のためというよりも、むしろモデルで描くセカイの全体像、いわゆる覇権システムの形成と発展、その維持と安定化を導くためである、と私は考えるのです。

私のモデルで描くセカイの形成と発展に戦争は必要不可欠なものとして組み込まれている。そのことは、「平和な民主主義」社会の実現のためには、換言すれば、私たちが声高に標榜する自由、民主主義、人権、平和といった「普遍主義」の実現には、戦争が必ず必要とされるということです。「市民革命」戦争が卑近な例です。

1970年代までのセカイ
たとえば、第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争によって、{[A]→(×)[B]→×[C]}のセカイが固まる。

1970年代以降
ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタンとイラク戦争、シリア戦争により、{[B]→(×)[C]→×[A]}のセカイを発展させティル、と同様に考えています。

とくに湾岸戦争やアフガニスタン、イラク戦争は、そうした戦争を介在させることで米国経済の景気回復とそれによる米国の大企業の利権・利益に奉仕するというよりも、むしろそうした米国の経済発展の好調さを創り出すことにより、{[B]→(×)[C]→×[A]}のセカイとその関係をさらに順調に発展させるために、Aの景気回復により購買力を維持できた米国(の企業と国民)によるBの中国からの輸入を促進することができる。

このような関係を発展させ、安定させることによって、Bの中国の経済発展を支えるために必要とされた戦争であったと見るべきではないだろうか、とみるのです。

そして、Bの中国からAの米国やEU諸国への輸出の促進は、それだけ中国に対する米国やEU諸国からの資本投資の流れを導くと同時に、中国によるCグループ諸国からの原料資源の輸入増大に繋がり、そのことはまたCの諸国への中国をはじめ、米国やEU諸国からの資本投資の流れを導くこととなる。

そのことは、モデルのセカイとその関係(史)の発展を[順調に]促すことになるでしょうが、そのことは同時に、必然的に、アフリカのルワンダ、コンゴ民主共和国やイラクやシリアの混乱と混迷を深める流れをつくり出すのです。

逆に見れば、シリア難民問題が深刻になればなるほど、アフリカ諸国の内戦というより戦争が激化すればするほど、それだけBの中国の経済発展とAの米国の経済発展の関係が発展、強化されるところとなり、そのことがあの{[B]→(×)[C]→×[A]}のセカイとその関係(史)の歩みをますます強固なものとさせていくのです。

最近の中国の大手不動産会社と米国の資産運用会社の経済協力関係を、また日本の銀行と中国や米国企業との経済協力関係を、シリア難民問題やイラクの混迷状態と「共時的に」「コインの裏表」のような関係にあると(結び付けて)考えるとき、私のモデルのセカイの発展が少しは理解しやすくなるのではありませんか。

さらにそう見てきますと、あの「安保法制」をめぐる違憲論、個別的、集団的自衛権問題の騒乱は、一体何だったのでしょうか。私からすれば、こうした騒乱の陰で、日本、中国、米国企業の各々の「売国奴」的行動の進化と深化は、それこそ静かにその「歩み」を示していますが、その歩みと尖閣諸島や南沙諸島の騒乱はどのようにつながるのでしょうかね。

ここで「売国奴」と書きましたが、私はそうは思いません。私はおそらくもうそんなきれいなことを言う資格がない人間になってしまったからでしょうし、これまでの私の考えではそのようには見ていませんし、見れません。

ただし、櫻井よしこさんや、安倍首相ならば、そう理解されるのではと推察しただけです。私は彼らがこうした企業連携に決して反対しないこともよくわかりますから、彼らが日本の国土を守るとか、国民の命と生活を守るという場合には、こうしたグローバルな企業連携と協力によって、「蚕食されていない国土」と「侵略されていない国民」が存在するところにのみ限定適用されることを、私は理解しなければならないと肝に銘じています。
















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