「システム」(論)から人生の意味を考え直すときー「生きる」とは、その意味
最初に断っておくが、以下の内容は最後でも弁解しているように、ここにある小題とは異なる内容となっている。ただこれまで書いてきた話は「生きるとは」を問い続ける中で紡ぎだされてきたことから、今回も全く無関係ではないが、とにかくそういうことなので。
いよいよまた学校が始まる。9月2日は実力試験。生理学、解剖学、経穴の3科目。夏休み中もほとんど家から出ないで、閉じこもりながら、酒ばかり飲んでいたから、憂鬱。もうそろそろ試験なんか気にしないでどっしりと構えていればいいのに、65になっても情けない。とにかくつらいし、逃げたい。いやもう逃げているから、こんな記事を書いているのだろう。去年は帯状疱疹のために夏休み前に敵前逃亡の形で留年。またこの4月jから1年生をやり直し、何とか体調を整えて試験が受けられそうだが、正直、もう学校に行くのはやめようかと昨年からずっと悩んでいる。本当につらいことだ。
いろいろ考え考え、だましだましながら、ここまで来たが、生きる意味をここにきてまた考えないとは、なんということなのか。ほんまに今年の12月で66を迎えるのか。二足の草鞋を履くことがこんなにもしんどいとは思いもよらなかった。まだまだ時間の配分ができない。学校の授業を受けて家に戻るともう夕方の5時。そこから10時の就寝までに何かまとまった考えを整理して書き留めておくのは、体の疲れもあり、容易に前に進まない。昔の自分と比べると情けなくなる。すべてを目のせいにはしたくはないが、それでもいまだに腹立たしい。そんなことをいくら言っても、どうしようもないのだから、とまた自分を慰めている、酒を呑んでいるともう寝る時間。こうした毎日の繰り返し。朝の始発電車に乗って、20分ほどして降りた駅から、今度は徒歩で約20から30ぷんほどあるくと、もう、そこに、学校。そう、盲学校だ。
また無駄話をしてしまった。気分を一新しよう。私の書くものはとかく誤解を受けやすいし、人文・社会科学の研究者の多くは私の民主主義・普遍主義研究を受け入れがたいだろうし、その前に理解しがたいのではあるまいか。また理解したとしても彼らの多くはそれを受け入れないだろう。なぜなら受け入れたら最後、彼らのそれまでの研究を書き改めなければいけなくなるからだ。私から見れば、嘘で塗り固められた民主主義論や、それに依拠した各国の政治史研究は書き直すべきなのだ。
私は「平和憲法」を徹底的に批判するし、いわゆる普遍的価値や普遍的人権に関しても同じように批判してきた。しかし同時にまた、誤解のないように言っておくと、私はシステムが提供する先の平和憲法や普遍的人権を批判するが、そうだからこそ逆にシステムの制約を受けない「へいわ」や「じんけん」の大切さを嫌と言うほどわかるつもりだ。
よく聞く話として、日本の公務員である以上は、日本国憲法を遵守すべ云々があるが、私はこの物言いに接するたびに、正直とてもつらくなるのである。私はまだ少し目が今よりも見えていた頃、何とか苦労しながらまとめた拙論(「歴史叙述の神話」に関する一考察ーー」の最後の章で、中村淳彦著『女子大生風俗嬢 若者貧困大国・日本のリアル』(朝日新書)の話をシステムの中で生きることの一つの恐ろしさの身近な例として取り上げた。
そこでは詳しくは触れなかったが、例えば、大学の授業で憲法学担当のある先生が「人権」について語っている場面を想定してみよう。その受講する学生の多くがブラック企業やその関連会社のアルバイトをしながら授業料を稼いでいる。学生の中には風俗に関連した仕事に従事している者もいるだろう。彼らの授業料の一部が「人権」の授業料に流れ、それで大学の先生の生活費が賄われていると想像するとき、やはりそのシチュエーションを「面白くない」とみる人たちは少なくないのではあるまいか。
いや、そんな場面が何の疑いもなく当たり前のようになっているのが今の社会ではあるまいか。そう、現実社会はますます歯止めが利かなくなってきているのも確かではないか。労働の非正規化が当たり前の世の中になってしまったが、その原因の一つにもし私たちの人権感覚がマヒしたからだと指摘する前に、私はそもそも私たちの手にしてきた人権は、憲法で保障されている人権は、差別と排除の関係を前提として初めて実現されるものであったことを問題にしたいのだ。そうした人権を当然のように守り続けた結果が今日の社会の惨状につながったのだ、と。何度も指摘してきたように、70年代以前のセカイ({[A]→(×)[B]→×[C]})から、70年代以降から今に至るセカイ({[B]→(×)[C]→×[A]})への世界の変容・転換により引き起こされたのである。
ところが、こうした私の見方はほとんど顧みられない。もっとも、たとえ私の見方がその通りだとされたとしても、現状の打開にはほとんど役には立たないことも事実だ。それはそうなのだが、それにもかかわらず、してはいけないことを避けられるのもまた確かなのである。たとえば、向後2,30年後に、私のモデルの世界のBのトップに、付言すれば日本のすぐ横に、覇権国としての「親分」である中国が位置することを理解できたとすれば、今のような韓国や北朝鮮、そして米国との付き合い方はもう少し異なるやり方を考えたであろうし、何よりも出しゃばらない日本国家としての生き方を模索したに違いない。確かに戦後の日本は覇権国の親分の米国により飼い馴らされ、「属国」として甘んじる以外になかったが、そんな歴史をつい70年間かけて学んできた教訓が少しも生かされないとは、さすがに情けないと言わざるを得ないが、私には誰も攻める資格は当然ながらないが、それでも言わなければならないことがある。誰が今の「日本」と「日本人」のツケを払うのか。それは払えるものなのか。とても怖くて、これ以上は書けなくなる。今の若い世代に対してただ恥ずかしく、申し訳ないというしかないのだが。
憲法とその人権内容にも問題があるのではないかと、当然ながら疑っても十分にいい時代になってきたと思われる現時点でも、いまだに問題は憲法ではない、憲法を守らないからこんな社会になる云々の物言いをする人たちがいる。私たちは憲法で保障されている人権が守られていないから、今の惨状となる云々の議論を平気で繰り返す始末だ。さらに、それ以上にどうにもならないのは、改憲論者の存在だ。改憲すべきところ(「公共の福祉」云々に関わらず、私的所有権の制限を可能とするように)改めないで、してはならない箇所(その代表格は、第9条。ただこれは最初から有名無実の内容なのだから、わざわざ自ら手を汚こともないだろう。何度も言うように、横に親分がいることを忘れてはならない。)を改めるのだから、これまたどうにもならない。さらにうっとおしくなるのは、日本と日本人が自分達の憲法なんだから護憲にしろ改憲にしろ、自分たちが「主体」となってやるまでだと考えても、はたしてそれが許されるのだろうか。改憲にしろ、護憲にしろ、外部の圧力により強いられることになるとすれば、これは悲惨を超えて憐れむべき国家と言うしかもうないのではあるまいか。
ああ、今回もまた余計なことを書いてしまった。私の言いたいのはそんなことではなかった。今回の題目にある話をしたいのだ。(酒の呑み過ぎで)少し体調がすぐれないので、今回は尻切れトンボの形となってしまい申し訳ないが、これで終わりとしたい。
ああ、中国と香港デモの話だが、かつての大英帝国化の覇権国イギリスとイギリスのすぐ横のアイルランドとのアイルランド自治法案を巡るイギリスとアイルランドの関係を、とくに1867年から以降の歴史を重ね合わせてみるとき、類似した、酷似した歴史の流れが浮かび上がってくるのではあるまいか。イギリスの第1次選挙改正法(1832年)から1867年の第2次、84年の第3次、そして1918年の第4時に至る改革法の実現の歩みを振り返るとき、選挙権を有しないものがいかに大勢存在していたかが改めて理解できるのではあるまいか。その意味では、「デモクラシーの母国」と言われてきたイギリスの政治体制も、多数のイギリス国民を政治から排除してきたという意味で、中国の政治体制とその内実においては共通していたと言えるのではあるまいか。
そこで問題となるのは、なぜ中国もイギリスも、そしてアメリカもそうであったが、覇権国の道を歩む際に、民主化要求の大きな声に対して「弾圧」を行うのかということである。そこには覇権国となり、そして民主主義を実現する、実現した国の「民主主義」国に至る際に、何か民主主義、あるいは民主化に際しての「秘密」が存在しているのではあるまいか。
付言すれば、明治維新以降の日本の民主化運動は、戦前では「大正デモクラシー」でとしてよく知られているが、この民主化運動の担い手たちは、それでは朝鮮半島の日本の韓国併合とそれ以降の朝鮮半島、中国東北部の領有権に対してどのように向き合ったのであろうか。大正デモクラシー運動の担い手たちをはじめ、その当時の日本人の胃袋の中には、朝鮮半島や中国東北部で収穫された米や大豆や馬鈴薯を始めとした農作物が存在していたことを忘れてはならないだろう。民主化運動と帝国主義(植民地主義)運動とは決して矛盾するものではないということをイギリスの歴史も米国の歴史も、また日本の歴史も教えるところである。ここにある関係については。拙著を参照されたい。大正デモクラシー期の日本と朝鮮半島、中国東北部との関係は、『「日本人」と「民主主義」』(御茶ノ水書房 2009年)において、私のモデルにあてはめながら論じている。
それでは香港の民主化デモに参加する人たちの胃袋を、衣食住を満たしているのは一体どこの国の誰なのだろうか。(当然ながら、この問いかけは私に以下のように問うこととなる。すなわち、中国や韓国の批判をしている日本人の衣食住に、どのくらいの割合で中国や韓国製品が与っているのか、と。勿論、私が言いたいのは以前のブログ記事で、政治と経済は切り離すべきだ云々の議論をすることに関してである。そんな都合のいいことを言うのはいかがかという思いからなのである。私が「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係にこだわるのはそうしたことも念頭にあるがーーー。)
ああ、もう試験の勉強を始めないと。また次回。