日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

(追加)「システム」論から香港民主化デモの問題点を問い直すとき

2019-08-31 | 社会 政治

(追加)「システム」論から香港民主化デモの問題点を問い直すとき

今日の記事を投稿した後で、試験勉強をしていたが、どうも気が入らないので、気分転換よろしく、今日の問いかけの続きを書いてみた。私の読者と言うか、私にずっと付き合ってきた人たちには、「またか」と同じ話で済まないのだが、ご寛恕を。

そういうわけで、今日の朝の記事の問いに少しだけ答えておきたい。香港民主化デモの参加者の衣食住の欲求・要求を満たしているのは、もちろん中国本土の経済発展が大きく与るのだが、その中国本土の経済発展は、{[B]→(×)[C]→×[A]}(省略形、共時態モデル)で描かれる70年代以降の差別と排除の関係を前提につくり出されてきたシステムとその関係の歩みが提供している衣食住なのだ。そしてこのシステムの経済発展のネットワーク、すなわち、B、C、Aの「衣食足りて(足りず)」のネットワークの関係に他ならないのだが、そのネットワークの実現を可能にしているのは、さらにそこにB、C、Aの民主主義の発展のネットワークが、すなわち、「礼節を知る(知らず)」の営為のネットワークが支えているからに他ならない。さらにそうした二つの世界的システムのネットワークを覇権システムが覆っている。

そのことは、香港民主化デモの民主化、つまり「自由主義」的民主化運動は、世界のいかなる民主化運動も含めて、自らの内に、「人権」を(つまりヘーゲルの言う「市民的権利」)を実現するために所与の前提となる、「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為にみる差別と排除の関係の仕組みを組み込むことになるのである。この「棘(とげ)が、と言っても、それは想像を絶するほどに分厚く複雑に絡まりながら、民主化運動の体内深く食い込んでいるために、生半可な研究では何もつかめないのだ。中国や韓国の民主化研究者の手による研究書は読むに耐えられなくなる。(また偉そうな物言いだが、もういつ死ぬかわからないので正直になのだ。もっともこれはあくまでも私の感想。)と言っても、少し前の話である。(誤解のないように補足しておくと。確かに耐えられないが、それでもいろいろと知らない情報を教えてもらったのは感謝するのみである。)結局のところ、今の民主化を語る論者の仕事はシステムに痛くもかゆくもないものであり、それを勉強する読者もそこから先の疑問なり、想像しなければならない大きな問題へとは導かれることもないのだ。悔しい限りだが、どうにもならない。

実力テストの勉強から逃げている。だが、もう疲れたので、また少し呑むとしようか。


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「システム」(論)から人生の意味を考え直すときー「生きる」とは、その意味

2019-08-31 | 社会 政治

「システム」(論)から人生の意味を考え直すときー「生きる」とは、その意味

最初に断っておくが、以下の内容は最後でも弁解しているように、ここにある小題とは異なる内容となっている。ただこれまで書いてきた話は「生きるとは」を問い続ける中で紡ぎだされてきたことから、今回も全く無関係ではないが、とにかくそういうことなので。

いよいよまた学校が始まる。9月2日は実力試験。生理学、解剖学、経穴の3科目。夏休み中もほとんど家から出ないで、閉じこもりながら、酒ばかり飲んでいたから、憂鬱。もうそろそろ試験なんか気にしないでどっしりと構えていればいいのに、65になっても情けない。とにかくつらいし、逃げたい。いやもう逃げているから、こんな記事を書いているのだろう。去年は帯状疱疹のために夏休み前に敵前逃亡の形で留年。またこの4月jから1年生をやり直し、何とか体調を整えて試験が受けられそうだが、正直、もう学校に行くのはやめようかと昨年からずっと悩んでいる。本当につらいことだ。

いろいろ考え考え、だましだましながら、ここまで来たが、生きる意味をここにきてまた考えないとは、なんということなのか。ほんまに今年の12月で66を迎えるのか。二足の草鞋を履くことがこんなにもしんどいとは思いもよらなかった。まだまだ時間の配分ができない。学校の授業を受けて家に戻るともう夕方の5時。そこから10時の就寝までに何かまとまった考えを整理して書き留めておくのは、体の疲れもあり、容易に前に進まない。昔の自分と比べると情けなくなる。すべてを目のせいにはしたくはないが、それでもいまだに腹立たしい。そんなことをいくら言っても、どうしようもないのだから、とまた自分を慰めている、酒を呑んでいるともう寝る時間。こうした毎日の繰り返し。朝の始発電車に乗って、20分ほどして降りた駅から、今度は徒歩で約20から30ぷんほどあるくと、もう、そこに、学校。そう、盲学校だ。

また無駄話をしてしまった。気分を一新しよう。私の書くものはとかく誤解を受けやすいし、人文・社会科学の研究者の多くは私の民主主義・普遍主義研究を受け入れがたいだろうし、その前に理解しがたいのではあるまいか。また理解したとしても彼らの多くはそれを受け入れないだろう。なぜなら受け入れたら最後、彼らのそれまでの研究を書き改めなければいけなくなるからだ。私から見れば、嘘で塗り固められた民主主義論や、それに依拠した各国の政治史研究は書き直すべきなのだ。

私は「平和憲法」を徹底的に批判するし、いわゆる普遍的価値や普遍的人権に関しても同じように批判してきた。しかし同時にまた、誤解のないように言っておくと、私はシステムが提供する先の平和憲法や普遍的人権を批判するが、そうだからこそ逆にシステムの制約を受けない「へいわ」や「じんけん」の大切さを嫌と言うほどわかるつもりだ。

よく聞く話として、日本の公務員である以上は、日本国憲法を遵守すべ云々があるが、私はこの物言いに接するたびに、正直とてもつらくなるのである。私はまだ少し目が今よりも見えていた頃、何とか苦労しながらまとめた拙論(「歴史叙述の神話」に関する一考察ーー」の最後の章で、中村淳彦著『女子大生風俗嬢 若者貧困大国・日本のリアル』(朝日新書)の話をシステムの中で生きることの一つの恐ろしさの身近な例として取り上げた。

そこでは詳しくは触れなかったが、例えば、大学の授業で憲法学担当のある先生が「人権」について語っている場面を想定してみよう。その受講する学生の多くがブラック企業やその関連会社のアルバイトをしながら授業料を稼いでいる。学生の中には風俗に関連した仕事に従事している者もいるだろう。彼らの授業料の一部が「人権」の授業料に流れ、それで大学の先生の生活費が賄われていると想像するとき、やはりそのシチュエーションを「面白くない」とみる人たちは少なくないのではあるまいか。

いや、そんな場面が何の疑いもなく当たり前のようになっているのが今の社会ではあるまいか。そう、現実社会はますます歯止めが利かなくなってきているのも確かではないか。労働の非正規化が当たり前の世の中になってしまったが、その原因の一つにもし私たちの人権感覚がマヒしたからだと指摘する前に、私はそもそも私たちの手にしてきた人権は、憲法で保障されている人権は、差別と排除の関係を前提として初めて実現されるものであったことを問題にしたいのだ。そうした人権を当然のように守り続けた結果が今日の社会の惨状につながったのだ、と。何度も指摘してきたように、70年代以前のセカイ({[A]→(×)[B]→×[C]})から、70年代以降から今に至るセカイ({[B]→(×)[C]→×[A]})への世界の変容・転換により引き起こされたのである。

ところが、こうした私の見方はほとんど顧みられない。もっとも、たとえ私の見方がその通りだとされたとしても、現状の打開にはほとんど役には立たないことも事実だ。それはそうなのだが、それにもかかわらず、してはいけないことを避けられるのもまた確かなのである。たとえば、向後2,30年後に、私のモデルの世界のBのトップに、付言すれば日本のすぐ横に、覇権国としての「親分」である中国が位置することを理解できたとすれば、今のような韓国や北朝鮮、そして米国との付き合い方はもう少し異なるやり方を考えたであろうし、何よりも出しゃばらない日本国家としての生き方を模索したに違いない。確かに戦後の日本は覇権国の親分の米国により飼い馴らされ、「属国」として甘んじる以外になかったが、そんな歴史をつい70年間かけて学んできた教訓が少しも生かされないとは、さすがに情けないと言わざるを得ないが、私には誰も攻める資格は当然ながらないが、それでも言わなければならないことがある。誰が今の「日本」と「日本人」のツケを払うのか。それは払えるものなのか。とても怖くて、これ以上は書けなくなる。今の若い世代に対してただ恥ずかしく、申し訳ないというしかないのだが。

憲法とその人権内容にも問題があるのではないかと、当然ながら疑っても十分にいい時代になってきたと思われる現時点でも、いまだに問題は憲法ではない、憲法を守らないからこんな社会になる云々の物言いをする人たちがいる。私たちは憲法で保障されている人権が守られていないから、今の惨状となる云々の議論を平気で繰り返す始末だ。さらに、それ以上にどうにもならないのは、改憲論者の存在だ。改憲すべきところ(「公共の福祉」云々に関わらず、私的所有権の制限を可能とするように)改めないで、してはならない箇所(その代表格は、第9条。ただこれは最初から有名無実の内容なのだから、わざわざ自ら手を汚こともないだろう。何度も言うように、横に親分がいることを忘れてはならない。)を改めるのだから、これまたどうにもならない。さらにうっとおしくなるのは、日本と日本人が自分達の憲法なんだから護憲にしろ改憲にしろ、自分たちが「主体」となってやるまでだと考えても、はたしてそれが許されるのだろうか。改憲にしろ、護憲にしろ、外部の圧力により強いられることになるとすれば、これは悲惨を超えて憐れむべき国家と言うしかもうないのではあるまいか。

ああ、今回もまた余計なことを書いてしまった。私の言いたいのはそんなことではなかった。今回の題目にある話をしたいのだ。(酒の呑み過ぎで)少し体調がすぐれないので、今回は尻切れトンボの形となってしまい申し訳ないが、これで終わりとしたい。

ああ、中国と香港デモの話だが、かつての大英帝国化の覇権国イギリスとイギリスのすぐ横のアイルランドとのアイルランド自治法案を巡るイギリスとアイルランドの関係を、とくに1867年から以降の歴史を重ね合わせてみるとき、類似した、酷似した歴史の流れが浮かび上がってくるのではあるまいか。イギリスの第1次選挙改正法(1832年)から1867年の第2次、84年の第3次、そして1918年の第4時に至る改革法の実現の歩みを振り返るとき、選挙権を有しないものがいかに大勢存在していたかが改めて理解できるのではあるまいか。その意味では、「デモクラシーの母国」と言われてきたイギリスの政治体制も、多数のイギリス国民を政治から排除してきたという意味で、中国の政治体制とその内実においては共通していたと言えるのではあるまいか。

そこで問題となるのは、なぜ中国もイギリスも、そしてアメリカもそうであったが、覇権国の道を歩む際に、民主化要求の大きな声に対して「弾圧」を行うのかということである。そこには覇権国となり、そして民主主義を実現する、実現した国の「民主主義」国に至る際に、何か民主主義、あるいは民主化に際しての「秘密」が存在しているのではあるまいか。

付言すれば、明治維新以降の日本の民主化運動は、戦前では「大正デモクラシー」でとしてよく知られているが、この民主化運動の担い手たちは、それでは朝鮮半島の日本の韓国併合とそれ以降の朝鮮半島、中国東北部の領有権に対してどのように向き合ったのであろうか。大正デモクラシー運動の担い手たちをはじめ、その当時の日本人の胃袋の中には、朝鮮半島や中国東北部で収穫された米や大豆や馬鈴薯を始めとした農作物が存在していたことを忘れてはならないだろう。民主化運動と帝国主義(植民地主義)運動とは決して矛盾するものではないということをイギリスの歴史も米国の歴史も、また日本の歴史も教えるところである。ここにある関係については。拙著を参照されたい。大正デモクラシー期の日本と朝鮮半島、中国東北部との関係は、『「日本人」と「民主主義」』(御茶ノ水書房 2009年)において、私のモデルにあてはめながら論じている。

それでは香港の民主化デモに参加する人たちの胃袋を、衣食住を満たしているのは一体どこの国の誰なのだろうか。(当然ながら、この問いかけは私に以下のように問うこととなる。すなわち、中国や韓国の批判をしている日本人の衣食住に、どのくらいの割合で中国や韓国製品が与っているのか、と。勿論、私が言いたいのは以前のブログ記事で、政治と経済は切り離すべきだ云々の議論をすることに関してである。そんな都合のいいことを言うのはいかがかという思いからなのである。私が「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係にこだわるのはそうしたことも念頭にあるがーーー。)

ああ、もう試験の勉強を始めないと。また次回。


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「GSOMIA(軍事情報包括保護協定)」を巡る日韓外相会談はなぜ中国の北京でおこなわれたのかー「システム」(論)から考えるとき

2019-08-23 | 社会 政治

「GSOMIA(軍事情報包括保護協定)」を巡る日韓外相会談はなぜ中国の北京でおこなわれたのかー「システム」(論)から考えるとき

日本の安全保障に関して、誰もまともに考えていないことがよくわかる。別に今回だけの話ではないが。日本政府の安全保障政策の大目標は、アジアにおける中国と北朝鮮の脅威から日本を防衛するとの方針ではないのか。仮想敵国として、中国、北朝鮮を念頭に置きながら、たとえすぐ「嘘」だとわかるような話でも、「真面目そう」に国民に語ってきたのに、防衛に関する重要問題を、あろうことかその中国でおこなうとは。いくらなんでもそれは少し国民をバカにしているのではあるまいか。

北京での日韓外相会談開催(2019年8月21日)を、なぜトランプは激怒しなかったのか。米国との事前の根回しで、北京となったのは勿論のことなのだろうが、あまりにも国民を愚弄してはいないだろうか。いや、これまでも愚弄してきたし、国民も相当に愚かなのだ。(誤解のないように付言しておくと、「システム」論者の私は別に怒っていなし、何も今さらなのだ。私の周囲の日本人が怒らないから、代わりに、私がその振りをしているのだ。)

韓国も北朝鮮と敵対関係を、これまたたとえ表面的なものとして政治指導者間の間では何某かの「談合」があることは否定できないにせよ、自国の国民をある時は煽るだけ煽っておきながら、北朝鮮の後ろに控えている中国の北京で防衛問題に関する交渉を行ったのだから、やはり舞台裏がすぐわかるようなことではどうなのかと言わざるを得ない。いくらでも言い訳は可能だ。日韓外相会談に先立って、21日の午前中に、日中韓外相会談が行われていたから、それで北京という言い方もできる。中国は今と言うか今さら、そんな会談など不要に違いない。高みの見物と行きたいのだろうが、さすが中国は先を考えている。というか、システムとその関係の歩みにおいて、中国はすぐそこに覇権国としての地位を手に入れようとしているから、日本も韓国も、そして米国もそうだろうが、中国に相談するしかないという裏事情があるのだろう。

それにしても日本の政界もマスコミも、おかしなくらい中国北京での日韓会談を問題視しないのは、一体どうしてなのか。システムとその関係の歩みを鑑みれば、中国抜きには日本と韓国の、また米国との三者会談を執り行えない段階に、差し掛かっていることが理解できるのではあるまいか。

私たちは、「日本人」として、また「韓国人」として日韓の両者の政治・外交・防衛・経済・教育(歴史)の諸問題に関する「ああだ、こうだ」といった「やり取り」を嫌と言うほどに聞かされているが、それらは全く役に立たない情報かもしれない。何故なら「中国(ファクタ-)」が抜け落ちているからだ。韓国との間で繰り返されている「徴用工問題」「従軍慰安婦問題」「歴史教科書問題」は、韓国との間だけに限定されるものではない。北朝鮮との間においても、また今後ますます日本の命運を握る中国との間においても厳然として存在しているのだ。韓国一国だけの間でこのざまなのだから、あとは推して知るべしである。

システムとその関係の歩みは、肝心な情報を私たちには提供してくれないが、それでもこの先の歴史を考えるに際して、いろいろな手がかりを残してくれているのだ。それが今回の日韓の重要な会談が、米国も仮想敵国として位置付けている中国の、中国共産党のおひざ元の北京で開催されたということを、そろそろ感じる必要があるのではなかろうか。これまでもたびたび中国での会談はあったのだが、今回の北京会談を契機とした韓国のGSOMIA破棄は、韓国の中国シフトを鮮明にしたという意味で、日本外交はまた地団駄踏むこととなったのではあるまいか。米国の日本軽視・無視の姿勢もさらに強まるのではあるまいか。

ああ、それにしてもだ。「諸葛亮孔明」がもし日本の外務省にいたならば、何が何でも中国北京での日韓外相会談は避けていたであろう。もっとも、それは日本の落日を少し遅らせるだけの効果しかなかっただろうが、それでもこれほどの愚行に対する兆勝というか憐憫の情をかけられないで済んだのではなかろうか。また、詮無いことを偉そうに書いてしまった。読者の皆様にはご寛恕をお願いしたい。


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「システム」(論)から「香港デモ」を見直すとき

2019-08-22 | 社会 政治

「システム」(論)から「香港デモ」を見直すとき

連日マスコミの話題となっている「香港デモ」について「システム」の観点から一言。 中国が2040年頃には覇権国となるだろうといった見方を最近よく聞くようになった。勿論、これに対して今も中国は崩壊するという見方もなお根強いが。

中国が覇権国となると予想、予測する論者のほとんどは、その理由に関して正鵠な議論ができていない。その一つに、香港デモに象徴される「民主化」に関連した動きを、覇権国に至る歩みの中で位置付け理解することはないというか、できないのである。

もう同じ話をするのも気が引けるので、詳しくは拙著『民主化の先進国がたどる経済衰退ー経済大国の興亡史と自由民主主義体制の成立過程に関する一仮説ー』(晃洋書房、1995年)を参照されたい。ここでの話は歴史の「枠組み」を「モデル」として提供するものであり、それに依拠した詳しい歴史は描かれていない。なお、今日の米国と中国の「三位一体」的な相互補完的関係史をまとめなければならないが、私の眼の状態を踏まえれば、前途多難。私の代わりにこの作業をしたい者がいれば幸いである。協力したい。

手短に言えば、イギリスも米国も覇権国として登場する約30年前の時期には、民主化要求を力でもって弾圧していたということであり、覇権国として君臨した後も、なお国内の民主化の要求を満足できない段階にあったということである。今の中国の香港デモや新疆・ウイグル、チベットに対する弾圧は、先の両覇権国がたどった歴史と酷似している。

対外的な観点から見ても、今の中国が世界中にその支配力を拡大する動きと類似して、英国も米国も強権的な対外活動を展開していたのである。私のモデルで描く、Ⅰ期の[権威主義的な性格の政治→経済発展]の段階に位置していたのである。そこから次の段階のⅡ期の特徴である[経済発展→分厚い中間層の形成]の段階に至っても、なおその前期においては、Ⅰ期の段階の特徴が根強く残っていたのである。

前回のブログ記事でも書いたように、私たちはシステムに「強制的」(勿論、これを「自由」に読み換えてもなんら構わない)に「総連行(総動員)」されながら「従軍」している「システム人」なのだという自覚とそうした立場からの批判的考察でもって歴史を回顧しない限りは、「少女像」に象徴される哀れな、かわいそうなシステム人としての「私」としての存在に気が付くことは永遠にないだろう。(なお、これに関しては、拙稿 「「歴史叙述の神話」に関する一考察ー「システム」とその自己完結運動から「歴史」を語り直すー 」(『外大論叢』第66巻 第3号、2016年を参照されたい。)それゆえ、少女像の「モデル」は時代背景が異なるとか、否そうではないといった類のレベルの議論ばかりが横行してしまい、対立する両社も同じシステム人としてシステムとその関係の歩みを担いながら生きている、生きていかざるを得ないといった「宿あ」を感じられないままなのである。まるで他人事の歴史となる。それゆえ、本当に「どうでもいい」話となるのだ。自分自身の歴史なのだとして受け止められるならば、いきなり憲法の表現の自由だとか、国益、公共の福祉だとか云々の議論の前に、もっと身近な「感じる心」から、第一声を発したはずだろう。

最後にこれもまた今回の記事同様に「余談」なのだが、日本と韓国の対立を巡る論議において、「政治」と「経済」は分けて考えるべきだ云々の話がマスコミ報道でなされる。私はこんな話を真顔でできる者にあきれるばかりだが、私のこうした物言いも詮無いことなのだろう。それにしても、私たちはいつからこれほどおろかになったのだろうか、と私自身の愚かさを自覚しながらも、あえて言わざるを得ないのだ。これこそ。「インドは貧しいが世界最大の民主主義国だ」といった見方を何ら違和感なく私たちに受容させてきた「何か」かもしれない。また同じ話を繰り返してしまった。ご寛恕お願いするのみ。


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「システム」(論)から「あいちトリエンナーレ2019」での「表現の不自由」展を巡る「表現の自由(不自由)」云々に関する論議を考えるとき(続)ー

2019-08-20 | エッセイ

前回の記事を本日、投稿した後で、少し気になったことがあったので、今日また記事を投稿した次第である。詳しい話は次の機会にしたい。もっともそうは言っても、また同じ話の繰り返しだから、読者の皆様には申し訳ないと言うしかないのだが。

「システム」(論)から「あいちトリエンナーレ2019」での「表現の不自由」展を巡る「表現の自由(不自由)」云々に関する論議を考えるとき(続)ー「少女像」を前にして私たちが置き去りにしてきた問題を再考するとき

 おそらく「戦争犠牲者」は浮かばれないままだろう。従軍慰安婦であれ、原爆の犠牲者であれ、特攻隊の犠牲者であれ、戦争の「加害者」、「被害者」を含めたあらゆる犠牲者たちは、今も泣いているのではあるまいか。詳細は拙著『覇権システム下の「民主主義」論ー何が「英霊」をうみだしたか』(御茶の水書房、2005年)やその他の拙著、拙論を参照されることをお願いしたいのだが、前回「どうでもいい」話云々に関して補足言及しておきたい。 何のための「少女像」の展示なのか。日本の「侵略戦争」を糾弾するためなのか。侵略戦争がなければ、あのような「慰安婦」たちの「悲惨な」人生を送ることを阻止できたとでも言いたいのだろうか。前回の記事でも書いたように、日本の侵略戦争を告発し続ける韓国も、中国も、そして北朝鮮もまた今後その告発国の一員に加わるのだろうが、どの国も偉そうに糾弾する資格はないのではあるまいか。勿論、この議論は日本の侵略を棚上げにするためのものではない。問題にしたいのは、私たちのこれまでの議論は戦争犠牲者を二度とつくり出さないための議論であったのか、ということである。 その答えはあまりにも明白ではないか。今も世界の至る所で戦争犠牲者は生み出されているし、次から次にそれこそ「多国籍」の「少女像」の設置が求められているではないか。二度と原爆の犠牲者を出さないように、と嘘をついた結果があのフクシマではなかったろうか。私たちは嘘に嘘を重ねて生き続けている。生き残るためには必要だろうが、無理して前にしゃしゃり出てすぐわかるようなうそを言うことは控えられるのではあるまいか。このことは、韓国と日本の政治指導者にも該当する。 戦争犠牲者を「犠牲者」として遇する議論を私たちは果たしてこれまで展開できたのだろうか。私から見ると、そうする代わりに、生きている者たちの「利害」を代弁するだけの話に終始している。「少女像」の展示に反対する者たちも、当然ながら彼らの利害に依拠して行動しているのは言うまでもないことだ。展示に反対する人たちは、戦争犠牲者を二度と出さないための立場からの反対ではない。それゆえ、少女像に象徴される戦争犠牲者にとっては、「どうでもいい」そんな類の議論となるのである。この続きはまた後日にしたい。


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