日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧み

2024-11-02 | 日記
私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧みるとき(続・続))




(最初に一言)


 昨日のニュース報道で、千葉でホテルの従業員の女性が両手を縛られ暴行されて殺害されたとのこと。なんとも痛ましい事件だ。だが、私たちの社会はこうした暴力行使に対して、あまりにも甘すぎるのではあるまいか。




 私は前回記事において、『護られなかった人々』に対する物心両面の支援が必要云々と書いていた。しかし、その際に私が述べていなかったことがある。正直なところ、こんな話はしたくはないのだけれども、やはり責任ある個人としての務めを果たすとすれば、誰も言いたくないようなことを語っておく必要があるはずだ。それゆえ、私は今回記事において、もしこうした殺人行為に手を貸した者がいれば、それが闇バイトであろうと否とにかかわらず、殺人を犯した犯罪者に対して、私たちの社会は厳罰をもって処すべきである、と。それゆえ、私は死刑か無期懲役、*あるいは懲役50ー100年が相当であると考えている。当然ながら、このような私の主張に対しては死刑廃止論者や人権擁護論者は元より、おそらくそんな暴論はいかがなものかとまゆを顰める人たちが多数存在しているはずに違いない、と私は推察している。


 私もずっとこの問題について考えてきたのだが、不思議なことに民主主義社会における権力者は、凶悪犯罪の増加に伴い社会不安が強まる状況を前にしても、すぐさま死刑や無期懲役にすべしとの発言は差し控えるのが常識であろう。彼らはいわゆる世論に敏感であり、その声を前にしてあえて彼ら自身の考えや対策を自ら進んで離そうとはしない。そんなことをして議席を失ったり、権力を手放すことになれば、どうにもならないと知っているからだ。それゆえ、私たちの社会を見渡すとき、いつまでたっても中途半端な「成果」しか達成できないことになるのも仕方のないことだ。


 それは『護られなかった人々』に対する物心両面の支援に対しても、同じことが言えるだろう。誰もが苦労しながらそれこそ歯を食いしばって生きている。それこそ「天は自ら助くる者を助く」の精神でこの社会を生き抜いているのだから、たとえ自分の力で人生を切り開いていけない者がいたとしても、それは彼ら自身の努力が足りないのだと考えるのだ。たとえ極貧の状態にあったとしても、そこから自分自身の力で富を蓄えることのできる人間もいるのだから、すべてを社会の問題に還元してはならないとみる者も多いのが現実だろう。そんな社会に生きている者にとっては、私の物言いはあまりにも甘いとみなされてしまうはずだ。


 ここまでのくだりで、私は「あまりにも甘い」ととの表現を使っていることに読者は気が付かれたかもしれない。その一つは、私たちの社会が殺人を始めとした凶悪犯罪に対してあまりにも甘い云々の私の話というか批判である。そしてもう一つは、私が『護られなかった人々』に対する物心両面の支援というときに、私たちの社会の側からの私に対するあまりにも甘いという批判である。この両者はどのように関連・関係しているのだろうか。私は思うのだが、どんなに努力しても、それに呼応する成果を得られないものが出てくるのは致し方ない。もし彼らの中に、ジリ貧状態を抜け出すには盗みしかないと考えて行動するものが出てくるとすれば、自己責任論者は盗みを働いたものに対してどのような罪を求めるのだろうか。そこから、さらに殺人を含む凶悪犯罪者に対してはどうであろうか。この問題を考えるうえで、私は歴代の覇権国がどのようにしてその地位を獲得したのかの観点から接近してみたい。それと関連して、世の成功者として持ち上げられる大金持ちと言われる人たちは、どのようにして大金持ちとなったのかについても考えてみたい。


 私がここで言いたいのは、覇権国とその利権・利害関係者は、すなわちその多くは世界の大金持ちというか超富裕層を構成した者たちであったのだが、常に暴力行為というか犯罪行為を介して、のし上ってきた歴史を歩んできたというのは言い過ぎだろうか。卑近な例として、今のイスラエルのパレスチナに対する殺人を始めとした蛮行的犯罪は、そしてロシアのウクライナに対する、またウクライナとそのバックに位置する欧米諸国のロシアに対する暴力行為というか殺人を含む犯罪行為は、巨万の富の創造に与っているのではあるまいか。「天は自ら助くる者を助く」とはヴィクトリア朝中期のサミュエル・スマイルズの『自助論』の中の一説だが、この自助を可能にしたのは当時の英国の大英帝国としての、また覇権国としての力というか暴力の存在と同時に、それを介した暴力行使・犯罪行為を前提としていたということを、私は強調しておきたいのである。


 こうした点を鑑みれば、いわゆる世の成功者たちは、政治家も含めて、暴力行使や犯罪行為に対してはあまりにも甘いのは当然であるといえるだろう。なぜなら、彼らは自ら手をくだすことなく犯罪者の力を借りて目的を達成するであろうから、犯罪者とその予備軍に対しては甘くなるとみた方がいい。だが、そのために、その煽りというか被害を被るのは普通の国民であり、そうした犯罪の直接間接の被害者となる公算は高いというべきだろう。それゆえ、私たちは社会の中から犯罪者を生産・再生産しないような方途を、可及的速やかに講ずるべきなのだ。それにしても皮肉なことに、死刑廃止論者や人権擁護論者は、権力者の要請に従って暴力行使や犯罪行為に手を染めて普通の市民を殺傷した犯罪者を擁護すると同時に、アクドイ権力者たちの巣くう私の語る「システム」の維持と発展の良き協力者となってしまうのだ。


 それゆえ、私は言わなければならない。『護られなかった人々』の側に寄り添うと同時に、凶悪な暴力行使や犯罪行為に対しては厳罰をもって臨むべきことが肝要である、と。中途半端な立場ではどうにもならないことを肝に銘ずる必要があるのだ。こうした立場というか姿勢を、今後ますます「システム」の低度化が進展・深化するかつての先進諸国に暮らす私たちが保持できるかどうかによって、私たちの社会の中での生活上の安全保障を少しは実現できるのではないか、と私はみている。いずれにしても、イバラの道であることは間違いない。私たちは私たちのすぐ横で、ひたすら助けを乞うている者たちの姿を、明日の我が身であるとは想像し難いのだろうが、少し立ち止まって考えてほしいものである。




(最後に一言)


 記事を書きながら、これまでいろいろと思案していたことに改めて気が付いた次第。冤罪事件やそのほかにも簡単には白黒の付かない問題はあるのだが、誰の目にも明らかに許しがたい凶悪犯罪者だとすれば、を議論の前提として論を展開したのだが、私たちの社会は権力者というか、「システム」の維持と発展に与る者たちに本当に都合のいいように、上手くつくられている、と毎度のことだが実感するばかり。。同じ殺人行為だとしても、平時と戦時では違うとか、言い出せばそれこそきりがなくなる。とにかく歯がゆい思いしか残らないこの世の中だが、それでもまたまた朝がそこに来ているといった感。



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私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧み

2024-11-01 | 日記
私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧みるとき(続)

*NHK地上波の夜7時のニュースで、自民党会派に属する国会議員数は197になったとの報道に接した。今回記事の最後の方のあるくだりで、私は自公連立与党がいつの間にか過半数の233議席を占めるかもしれないと書いていた。そこではあと18議席だとしていたが、今のニュース報道を受けて、後12議席に訂正しておきたい。維新の代表選の前後あたりにおいて、何かが起こるのかもしれない。



(最初に一言)


 私たちが今抱えている日本の政治や経済そして社会の問題は確かに私の語る「システム」の枠の中で位置づけ理解される必要があるのだが、だからと言って何も私たちができないというわけではない。否それどころか、ひとたび「システム」の存在とその制約を知りさえすれば、私たちはその枠の中で、私たちの着手すべき多くの「仕事」に気が付くはずに違いない。その中でも、私たちの社会がこれまで差別し排除してきた『護られなかった人々』に対する物心両面からの支援は、最優先の課題とされるべきではあるまいか。




 いやはや、私たちの社会の見苦しさと言ったらきりがない。先の衆議院議員総選挙での国民民主や令和新撰組の躍進ぶりに嫉妬?してか、早速〈立民・米山隆一氏 れいわと国民民主の政策を「ばらまき」「非現実的」「安易な主張」と指摘 10/30(水) 21:26配信『デイリースポーツ』〉と題する記事を目にした。本来であれば、「共闘」をもっと真剣に考えてもいいはずの立憲から、「こちら側の私たち」に向かってデッドボールが投げられた格好だ。私には、デッドどころかレッドにしか思えない。私はこの米山氏に逆に問いたいものだ。私たちの社会がこれまで見て見ぬふりをして差別し排除してきた『護られなかった人々』に対して、それでは米山氏はどのように向き合えばいいと考えているのだろうか、と。


 私たちが30年近くにわたり打つ手なしの政治空白の中で、あれもしない、これもしないの連続無安打状態の中で、生活困窮者は増えるばかりなのだが、その現実を前にしても、なお政治は、相も変わらずの自らの利権確保に鎬を削るばかりではあるまいか。私たちの目には与党も野党もどうにもならないという感がするばかり。そんな中でも、今回の総選挙では、令和新撰組と国民民主の主張は当然であり、もはやこの場を切り抜けるには、それ以外に何があるのかとさえ、国民の多く?は感じているに違いない、と私はみている。


 とにかく、一刻も早く手を打つ必要があるのだ。消費税の見直しや廃止、低所得層への税の再分配、大学の授業料を含む教育費の無償支援対策等々の政治的解決は可能であり、早急に国民の取り組むべき共通課題とすべきであろう。その際、毎度のこと提起されるのは、「今をうまく取り繕うとするためのバラマキに過ぎない」「それでは財源はどうするのか」「あまりにも選挙対策が見え見えであり、その先の実現性や実効性に関する議論が足りなさすぎる」等々の後ろ向きというか否定の大合唱となるばかり。本当に不思議なのだが(勿論、何も不思議な話ではないのだが)、兵器産業を潤すためのバラマキ政策である防衛費の増額問題は、それによる国民生活へのしわ寄せと圧迫とその影響に関する侃々諤々の議論もなされない間に、あっという間にOKとなるのだから。この種の案件には、先の財務省関連の話とは異なり、当の財務省をはじめ、メディアも含めて総がかりで支持に走るのはこれまでの歴史が示すとおりだ。


 ところで、私は今回の総選挙結果にも驚いたというか、さもあらんと言うべきか、とにかく何も変わらなかったとの思いばかりだ。確かに各党の獲得議席数や比例得票数の目立った増減はみられるものの、日本政治の地殻変動に魔では到底至らなかったとみている。あれほどまでに徹底的とは言わないまでも批判されまくっていたはずの自公の獲得議席数は200を超えていたのを(自公連立与党で215議席)、私たちはどう考えればいいのだろうか。自民党単独でも200議席に近いのだ(191議席)。衆議院議員の総数465議席の過半数は233議席であることを鑑みるとき、今後の議会運営を介して、自公はあっという間に18議席を上乗せることに成功するかもしれない。




(最後に一言)


 昨日というか今朝の前回記事に続いて、再び今日の記事投稿となったのだが、国民生活に関するいろいろなデータを参照する限り、暗くなるだけの私なのだが、それでも真面目というかひた向きに前を見ながら、日々の生活に挑戦している老若男女の読者を想像しながら、私も私なりのやり方で、このブログ記事を書いていきたいと思うばかり。



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私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧み

2024-11-01 | 日記


私の語る「システム」論から、「多文化共生」を推奨する私たち社会の「共生」とはほど遠い厳しい内実を顧みるとき


(最初に一言)


 前回記事の続きをあれこれと思案していたところに、先の衆議院議員総選挙があり、その結果にまたまた落ち込んでいたというか毎度のこととしばらく元気になるのを待っていたのだが、何にも変わらないので、無理して少し記事を書いてみようとしているところ。これまでの記事の流れを踏まえるとき、大切だと思うのは、私たちの社会のこれからに対して、私個人が引き受けるべき責任を感じながら、少しでも建設的な話を展開することだと、今さらながら痛感している次第だ。




 それにしても私は思うのだが、これほどまでに日本社会がダメになるとは。凄まじい限りである。10代や20代の若者が闇バイトで手っ取り早く金を稼ぐために、人殺しもお構いなしに蛮行を平然と繰り返しているのだから、もう何をか言わんやなのだ。それほどまでに追い詰められているのも確かであり、それでもやはりそんなことは許されないのもまた確かであろうが、それにもかかわらず、殺人ありきの事件に自らを駆り立てる私たちの社会の不気味さは尋常ではないはずだが、それも既に織り込み済みで、今はどのようにして我が身と家族を守るべきかの話でもちきりとなっている。


 それにしてもだが、こんな社会で多文化共生が推奨されているとすれば、やはりそれはどこかおかしなことではないか、と私は言わざるを得ない。勿論、多くの読者もそのように感じているのではあるまいか。だが、私たちのこのような思いは社会を動かしている者たちというか、そのような彼らを操作している(私の語る)「システム」には届きようもない。多文化共生社会の悪影響を直接間接に被らざるを得ない人たち、そこには低所得層の非正規労働者やその家族は元より、その他さまざまの生活困窮者が含まれているのだが、そうした彼らの意向に関係なく、これまで先進諸国を構成していた私のモデルで描く〈「システム」とその関係の歩み〉の{[B]→(×)[C]→×[A]}のAに該当する諸国の政治指導者たちは、共生社会の浸透を、例えば移民・難民の受け入れに見られるように、着実に推し進めながら、他方でそうした共生を受け入れる(ように仕向けられている(社会それ自体が共生どころか、やがて共食いから自滅へと進んでいる結果に対して、ほとんど責任を引き受けようとはしていない、と私はみている。


 先の総選挙を振り返って見た時、日本の与野党の政治指導者もこうした移民・難民問題に端的に象徴される多文化共生社会の抱える深刻な事態に向き合うことなく背を向けていたことが見事に明らかにされていたのではあるまいか。ドイツやフランス、イタリア、北欧諸国では既に顕在化している問題に対して、日本と日本人はいまだに向き合うことを避けているように、私には思われる。日本のこれからの重要な政治課題の一つとして、世界的な多文化共生社会の流れにどのようにかかわるべきかが耳目を集めるはずだ。だが、現状ではなお時間を要するのは疑いようもない。そこには与野党の政治家が責任をもってこの問題に向き合おうとしていないことが大きく影響している。何度もこれまた述べてきたことだが、私の語る「システム」の枠の中での多文化共生問題であり、移民・難民問題であり、それらの問題と密接に関連する日本経済の「復活」?問題であり、労働者の可処分所得の引き上げ問題であり、時給1500円問題であり、国民民主党の主張する103万円の壁問題であり、消費税減税・廃止問題、さらには日本の税収をどのようにして賄うべきかの問題だということなのだ。


 また今回記事でも指摘したのだが、私たちは私たちがこれから辿るであろう「道」についての見取り図を描けていないのではあるまいか。先に示した私のモデルにあるように、これからの世界の歩みは、「システム」のB、Cの高度化の歩みを支えるように、かつての先進諸国であったAグループは低度化の歩みを引き受けることによって、B、Cに従うことを余儀なくされている。すなわち、B、Cの歩みとAの歩みは相互に補完する一体的関係にあることを理解しておく必要がある。そうした枠の中での日本の政治であり、経済であり社会であるということだ。「ヒト・モノ・カネ」の大移動の今の時代、その流れを妨げることは容易ではないし、「システム」はそれを許さないのは必至である。それゆえ、B、C諸国からAへの人の移動は、それが移民・難民だとしても避けられないということなのだ。そこには、B、C諸国の方がAのグループよりも力関係においてより優位に位置していることが大きく関係している。いずれ、この力関係はますます明らかになってくる、と私はみている。


 こうした私の話との関連から言うならば、今の日本の政治談議はあまりにも小さな話ではあるまいか。自公と国民が組んで政権をどうするとか、立憲民主党とその他の野党間で連合を進めて云々とか、果ては部分連合がどうの大連立がどうのと、それこそ木を見て森を見ない、森が最初から見えていない、見ようともしないままなのだ。いつもそこには米国が立ちはだかっており、米国が森というわけなのだ。その米国との日米関係を維持し発展することで既得権益を手にしてきた政・官・財・労働・学・情報等々の様々な「界」がつくり出されてきたと同時に、米国もそれらを利用してきたというべきであろう。今も日本の政治指導者たちはそうした影響から抜け出せていない。否、抜け出そうともしていないのである。どうしてこんな連中に、私の語る「システム」の話など理解できるだろうか、できるはずもない。(誤解のないように、エラソーな物言いをしているのではないことを、念のために断っておきたい。)残念至極だが、仕方がない。それゆえ、私は若い読者に何とか伝えておきたいのである。




(最後に一言)


 何とかここまで書いてきたが、もう朝というか早く寝たほうがいい時間となってしまった。こんなことを書いても、何の意味もないのだろうが、とにかく、今回記事はここまでとしておきたい。



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私の語る「システム」論から、もう一つの「システム」論の〈可能性〉と〈方向性〉について、堀 有伸氏に

2024-10-25 | 日記
私の語る「システム」論から、もう一つの「システム」論の〈可能性〉と〈方向性〉について、堀 有伸氏による〈日本社会の「最大のガン」の正体…私が「ポスト・モダン」だけを語る人たちが嫌いである理由 10/22(火) 6:45配信『現代ビジネス』〉の記事から再考するとき


(最初に一言)


 前回記事の最後の(補論)で取り上げていた堀氏の見解に関して、今回記事ではもう少し接近して論を展開してみたい。




 堀氏も指摘していたように、私たちは原発や国防に関してあまり大きな関心を払わないできた。そこには、堀氏と異なり、日本国家や政府による国民を奏した問題にかかわらせないようなバリアが張り巡らされている、と私はみている。国家や政府の都合のいい情報しか提供されないのは、先の福島原発問題においても私は痛感した次第だ。当時の政権党は自民党ではなく民主党であったが、肝心の情報提供はなかったと記憶している。その意味では、民主党政府も、自民党と同様に、その隠蔽体質にはあまり大差はない。だが、そこには、コロナワクチン問題も含めて、親分である米国の存在が色濃く反映されている、と私はみている。こうした私の見方とは異なり、堀氏はポスト・モダンの影響が大きな物語の議論を封じ込めるのに貢献したとの見方を表明しているのだが、私はその最大の原因を日米関係における「親分ー子分」関係を介した差別と排除の関係にあると考えている。すなわち、親分の意向には逆らえないといった関係が存在していることである。 


 仮に、日本と日本人が原発や国防、さらにはコロナ等の問題に向き合い侃々諤々の議論に加わったとしても、そこにはあらかじめ米国による有形無形のバリアが張り巡らされていて、その枠の中での論となることは避けられないことから、堀氏の指摘していた日本での大きな物語に関する話は熱を帯びないのだ。少なくとも、私はそう見ている。その関連から言えば、日本の社会科学の世界では、たとえば覇権国の興亡史であるとか、国際秩序の問題であるとかのテーマを社会科学の、特に政治学関係の研究者が選択するのは極めて限られている。そこには、そうしたテーマを選択したとしても、研究者の多くの結論は米国と米国政府の強力な後押しを受けた研究者の支配的見解の枠の中に納まるような議論しかできないのが関の山なのだ。私は、その最たる例として、民主主義というかデモクラシーの研究の流れを振り返った時、それを確認できると考えている。米国の恥部を告発したり、米国の民主主義に関する代表的理論を疑問視・問題視することは極力差し控えるということが、前もって研究者の心構えとして受容されているように、私には思われて仕方がないのだ。


 ここで日本における大きな物語というか近代なるものが日本社会において注目された時期を、私の「システム」論との観点から振り返るとしよう。前回記事でも述べていたように、日本における近代なるものが俎上に載せられたのは、〈「システム」とその関係の歩み〉で描かれる{[A]→(×)[B]→×[C]}の[B]の段階の時期であったとみている。もう少し丁寧な形で表すならば、{[Aの衣食足りて→Aの礼節を知る]→[Bの衣食足りて(足りず)→Bの礼節を知る(知らず)]→[Cの衣食足りず→Cの礼節を知らず]}の営為の関係として描かれる図式の。[Bの衣食足りて(足りず)→Bの礼節を知る(知らず)]の段階においてである。


 このBの段階を日本と日本人が引き受けていたのは、最初は開国以降から明治維新、そしてそれ以降のあの戦争に至るまでの時期である。すなわち、この時の日本はAの文明には属してはないものの、Cの野蛮に位置づけられるのを、開国期から明治期の国際関係の諸事情の下で、幸運にも何とか免れることができたのだ。(この辺りの事情は前回記事で紹介した拙著でも詳しく述べているので、ここではややこしい話は触れないでおく。)そして、日本はAの文明を見習って、主権国家、国民国家の建設にまい進する。そしてその歩みと連動する形で経済発展と民主主義の発展に向けて国づくりを進めていくのだ。その際の大きな指針を与えた思想家の一人に福沢諭吉がいた。彼の文明論を道しるべとして、日本と日本人は奮闘したのだ。


 私のもう一つの通時的モデルで日本の段階をあらわっすならば、第Ⅰ期の{[権威主義的性格の政治→経済発展]}の前期から中期を経て後期の段階に差し掛かっていたとみられる。そして第Ⅱ期の{[経済発展→分厚い中間層の形成]}の前期の段階に入ろうとしていたのかもしれないが、中期、後期の段階を迎えることはできなかったとみていい。「システム」の高度化がなお十分には実現できないことから、Aの構造的圧力の下にBの日本がAの仲間入りをすることは許されなかったのだ。そのために、日本が選択したのはあの戦争であった、と私はみている。そして見事に日本は敗北して、再び「システム」のBあるいはCの段階に位置づけられようとしていたのだ。


 日本はあの戦争の敗北後、米国主導の占領下におかれた。この時の日本は明治期の時と同様に、当時の国際関係の事情もあって、「システム」のBの段階に位置づけられることになった。敗戦後の廃墟の中から日本と日本人は今また開国以降からあの戦争に至るまでの歴史を繰り返すことになったといえるだろう。そして。私の通時的モデルの第1期から第Ⅱ期の段階を目指す上で、明治気の福沢に対比される知識人として登場したのが丸山眞男であったのだ。ここで注意してほしいのは、福沢といい、丸山といい、彼らが活躍したのは、私の語る「システム」のBの段階であったということである。なおモダンというか近代の途上にある段階のBにいて、Aを夢想しながら彼らは彼らの言論を戦わせていたといえるだろう。


 それゆえ、Aの素晴らしく思われる側面しか見えなかったのかもしれない。さらに、「システム」全体の関係を捉えることができなかったのは問題だが、これは致し方なかろう。たとえ、「システム」全体の差別と排除の関係を理解できたとしても、それでもAを文明を目指したに違いない。それは、前回記事で堀氏が〈モダンの考え方で、日本の前近代的な部分を近代化させていくという課題にも、同時に立ち向かっていかねばならないのだ。〉と主張するように、日本がモダンとなるのならば前近代的な部分を近代化できると考えていたところにも端的に示されている。こうした見方に対して、私は前回記事でも指摘していたように、近代なるものと前近代なるものは、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉の中で、相互に補完し合う関係にあり、勝手に切り離すことなどできないからだ。Aが文明としての地位というか段階に到達できたのは、Bの半開とCの野蛮との一体的関係を前提として初めて実現できたということを、私たちはゆめゆめ忘れてはならない。


 堀氏の近代なるものを現代の日本社会でもう一度取り戻そうとの見方は、もはや到底かなうものではないのだ。すなわち、1970年代以降から今日にかけての〈「システム」とその関係の歩み〉は{[B]→(×)[C]→×[A]}であり、日本と日本人は、「システム」の低度化の段階を、これまで以上にこの先もひた走ることを余儀なくされているからだ。福沢や丸山等の近代的個人、責任ある主体といった人間像は、かつての「システム」の高度化を目指す段階の中で提唱されたものであり、もはやAに位置した「システム」の低度化の段階にある諸国と諸国民には適合しない主張である。それは、BやCのこれから高度化を迎える諸国と諸国民には歓迎される見解であるのは確かであろう。正確に言えば、「システム」がBやCにおいて、そうした近代的個人や責任ある主体である人間を求めると同時に、今日のBやCにおいて、かつての福沢や丸山等の知識人が担っていた役割を引き継ぐ知識人が彼らの主張を展開しているはずに違いない、と私はみている。


 それゆえ、今の私たちに必要となるのは、B、C、Aの関係から構成されるAの低度化の段階を引き受けざるを得ない日本と日本人に望ましい責任ある主体としての人間像を模索すべきことである、と私はみている。決してかつての「システム」の高度化の段階に向かう時期の人間像ではなく、今の低度化の段階に相応しい人間像である。そしてその際、望ましくは、「システム」の「親分ー子分」関係を前提とした差別と排除の関係を支え担う責任ある主体としての人間ではなく、できればそうした差別と排除を解消していく人間像を探求したいものである。私は、こうした差別と排除の関係の下に置かれた人間は、世界の至るところに存在している、その意味では普遍的人間であるとみている。


 その関連から言えば、丸山のいう「無責任の体系」を、また中根氏のいう「タテ社会」をつくり出す社会の構造的要因として、覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される「システム」の中で生産・再生産される普遍的人間を担い手とした差別と排除の関係が存在している、と強調しておきたい。




(最後に一言)


 読者が直接この堀氏の記事に目を通してくれることを前提として、以下に私がとくに気になったというか、堀氏による重要な指摘だと思われるくだりを引用張り付けておきたい。今回記事での拙論の内容と比較参照されたい。そうすることにより、私と堀氏の見解の違いがより分かりやすくなる、と私はみている。なお、私の引用貼り付けしたくだりは、あくまでも私の判断によることから、堀氏の見方にそぐわないかもしれないので、読者には堀氏の記事の全文に目を通されることを願う次第だ。前回記事において、堀氏の記事で重要だと思われた二カ所を引用張り付けていたので、今回の引用貼り付けでは、そこは省略していることを、ここで断っておきたい。




ーーー(以下、引用貼り付けした堀氏の記事のくだり)


ー(中略)ー


私は精神科医で、2011年の福島での原発事故の後に2012年に南相馬市に移住してから、政治的な事柄について考えたり発言することが増えた。当初から自分のことをいわゆる「左派・リベラル」だと自認してきた。しかし、10年以上の年月を経て、次第に保守的な姿勢が強まった。今回はそのあたりの事情を説明したい。




この記事では「左派」「リベラル」に大きな影響を与えている「ポスト・モダン」という思想傾向に触れている。そうするのは、俗流化したポスト・モダン的な左派の思考や行動の様式が、「ナルシシズム」という人間心理の厄介な問題を解決させることにつながらず、それをこじらせて成熟を妨げるような性質を強めていることに危機感を抱いているからである。


日本が全体として精神的な成熟を深めるためには、第二次世界大戦における敗戦という出来事に向かい合い、何らかの国民としての共通認識を持てるようになることが大切だと考えている。現在は、「何も悪いことはなかった。帝国主義の欧米がつくった状況に強いられてそうなっただけだ」という意識と、「日本のように罪深い国はない」という意識に分裂している。そのどちらも、熟慮の末に達成されたものではない。


ー(中略)ー


「ポスト・モダン」について簡便に説明することは難しい。しかし、丸山らが理想として掲げていたような「一貫した責任を持てる市民」といったイメージを解体する方向の影響を与えるものであると説明することは、不可能ではないだろう。柄谷自身の表現を引用する。


「自己(主体)の不在というようなことを日本の思想の欠陥として批判したのですが、そのような近代的主体を否定するポスト・モダニズムの思想が西洋から到来したのです」


ー(中略)-


「ポスト・モダン」が受け入れられ、その影響力が強まっていった流れがあるにもかかわらず、2024年という今の時代に私がやっているように、1980年代の文献に依拠して「日本は非近代的な」などと批判しているのは、まったく時代遅れのダサい所作とみなされるようになっている。


ー(中略)ー


西欧におけるポスト・モダンの思潮の高まりは、第二次世界大戦のホロコーストのような体験に彼らが向かい合った思想的経験に影響されている。これも丸山眞男が指摘していることであるが、ナチス高官の一部は過度に理性的で、合理的な判断としてホロコーストを遂行した。そのような経験を反省し乗り越えるための営みとして、近代的な主体を解体するモーメントを持つポスト・モダンの思想を解釈できる。


一方日本である。大日本帝国のプロジェクトにかかわり戦後も生き残った指導層の多くが、戦争遂行の理念には表面的に賛同していただけで、自分は空気に強いられただけであり、主体的にそこに関与した感覚に乏しいという状況だった。丸山はそのような日本社会のありようを「無責任の体系」と呼んだ。


このような無責任さが日本社会についての真剣な分析結果として指摘されていたのにもかかわらず、現在の左派知識人のサークルが外来の「ポスト・モダン」の受容と紹介に没頭することを続けたらどうなるのか。ますます無責任さが強まってそれが温存されてしまうのではないか、それが私の問題意識である。


誤解がないようにしたいのは、私も日本のポスト・モダンの受容とその精緻な応用は、多くの価値をもたらしたと思っている。


ー(中略)-


しかし、「政府は全部正しい」権威主義者と、「政府は全部間違っている」という雑な水準で判断している左派言論人は、精神的なレベルでは同水準にあるとしか思えない。役所>民間、年長者>年下、男>女といったタテ社会の論理の逆をいつも実践したからといって、タテ社会の論理への依存を克服したことにはならないだろう。


ー(中略)ー


ここで、近代のオーソドックスな考え方である、「一貫して責任を持って判断する主体」という概念の重要性に立ち返る必要があると考える。そのような主体が真剣に物事に取り組む特に行うのが熟慮であり、そこで重んじられるのが中庸だ。


ポスト・モダン的な論者が「そんな主体とか自我とかいうものは、ペテンでまやかしで、本当にはない」と主張したとしても、それをまともに受け取る訳にはいかない。人間の経験や社会を成り立たせるためには、そういう次元の精神活動も必要なのだ。そもそも、近代社会を成り立たせる基本的人権、民主主義、資本主義などは、そういう「主体」「個人」を前提にできている制度なのである。


ー(中略)-


「とにかく、痛感することは、「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」


ー(中略)-


ーーー(以上、引用貼り付け終わり)



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私の語る「システム」論から、もう一つの「システム」論の〈可能性〉と〈方向性〉について、とくに国家の

2024-10-23 | 日記

私の語る「システム」論から、もう一つの「システム」論の〈可能性〉と〈方向性〉について、とくに国家の「暴力装置」、また「シビリアン・コントロール」の話との関連・関係から、考えるとき(続)


(最初に一言)


 前回記事に続き、私たちがどのような立場で「暴力」と向き合い、それをコントロールできるのか否かについて、ここからまずは述べていきたい。




 M・ヴェーバーは、国家の条件として、暴力を独占できる主体として理解していた。その関連から、国家とその軍隊は「暴力装置」として位置づけ理解できる、と私も当然の如くみているのだが、かなり以前?の国会中継において、確か民主党政権下で官房長官を務めていた仙谷由人氏が、自民党?の議員の質問に答えて、自衛隊は暴力装置云々と述べたところ、それは何事か云々の議論というかちょっとした騒動となって世間に話題を提供したことを今でも覚えている。正直、これは「もうアカン」と思った次第。こんな常識というかそれもアリだとの考え方を共通の前提として政治や国際社会を語れないとすれば、もうアカンしかあるまい。だが、おそらくは今もこんな状況・状態ではなかろうか。「暴力」という言葉に良くも悪くも過剰に反応するばかりで、その中身と正面から向き合うことはしないのだから。


 それに関連して、私たちは少し前までは、よく「シビリアン・コントロール」(「文民統制」)という話をしたものだ。今はあまり耳にしないというか既に死語になってしまった感もあるのだが、これも同じように、平時や戦時下で戦争に関連すると思われる出来事のコントロールに与るのがシビリアン(文民)だとすれば、これまたその中身・内容を巡りややこしくしんどい話となるのは目に見えている。あの菅氏や二階氏や岸田氏がコントロールできる軍隊では、これは最初から先は見えているだろう。そう、お先は真っ暗だ。さらに、私たちの日米関係を踏まえれば、私たちをコントロールしている米国をさらにコントロールしているのは果たしてシビリアンだろうか。それは世界の超富裕層の大金持ちだとしたとき、彼らはどのような次元のシビリアンなのか。


 こうした私の疑問に答えてくれるシビリアン・コントロールについては、以下の新藤宗幸氏による定義・解説を参照されたい。


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改訂新版 世界大百科事典 「シビリアンコントロール」の意味・わかりやすい解説
シビリアン・コントロール
civilian control


〈文民統制〉と訳す。一般的には軍人は文民civilianの権力に服従すべきことを意味するが,巨大な常備軍を備える現代国家において,シビリアン・コントロールの意味するところは一義的でない。シビリアン・コントロールの思想と制度は,清教徒革命および名誉革命を経たイギリス,これに学んだ独立革命後のアメリカにおいて生まれた。これらの市民革命は常備軍を自由への脅威とみなし,常備軍の組織と予算を可能なかぎり市民の統制の下において縮小することを国民的合意とした。このために,軍の最高司令官を文民である首相ないし大統領とし,軍を行政府の内部におくとともに,市民の代表たる議会に立法,予算,国政調査権,弾劾権による軍の外在的統制権限を与えたのである。議会による常備軍統制が有効に機能しえたのは,市民革命の思想に加え,軍事技術の未発展の結果市民による統制が専門知識上からも可能であったことにもよる。こうしてシビリアン・コントロールの伝統が築かれたが,帝国主義の時代を迎えると常備軍は必然的に巨大化し,軍事技術的にも高度化していった。20世紀に入るとシビリアン・コントロールの思想にも変化が生じた。それは軍の規模を政治的に抑制することよりはむしろ,膨張する軍事組織を合理的に強化しつつ政治化しないように管理すべきである,との主張であった。今日,シビリアン・コントロールにはこうした伝統的思想と新たなそれとが対立しているが,〈産軍複合体〉といわれる民間と軍による科学・軍事技術の開発と兵器生産体系の形成は,それに密接な利害を持つ議員を生み,議会による軍の統制を形骸化する危機をはらんでいる。日本の自衛隊は,文民から成る内閣と国会による立法,予算などの統制を受けており,法形式的には伝統的なシビリアン・コントロールの制度の下にあるが,上記のような考え方の対立や問題点を免れるものでない。
執筆者:新藤 宗幸


出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」


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 私たちは何度も述べてきたように覇権システムの枠の中で生きている。もしその物言いがピンとこなければ、言い換えてもいいだろう。すなわち、私たちは核爆弾がいついかなる時にも使用される可能性のある社会の中で生きているのであり、その意味では私たち各人は、その暴力行使の少なくとも間接的な担い手として位置しているという意味において、凄まじい暴力手段を手にしているということなのだ。その意味でも私たちは暴力から免れることはないのだ。私たちはいつも、「いかなる暴力も許されない」と「嘘」を言っている。そして自ら手にする暴力と向き合うことをしないままに、暴力反対の掛け声を発するだけではあるまいか。本当におかしな社会である。シビリアン・コントロールなどできるわけがないにもかかわらず、それを信じたいだけなのだ。だが、信じるだけでは何も事態は改善されない。そして、今ではその懐かしい議論さえ聞かれなくなってしまったのではあるまいか。




(最後に一言)


 今回記事はこの辺にしておきたい。行論の都合上、以下の補論で昨日の「Yahoo Japan」の(トピックス一覧)に掲載されていた堀 有伸氏による〈日本社会の「最大のガン」の正体…私が「ポスト・モダン」だけを語る人たちが嫌いである理由 10/22(火) 6:45配信『現代ビジネス』〉の記事について少し言及しておきたい。




(補論)


 堀氏により提起された論点は、私たちの社会が抱え続けてきたものであり、それゆえ大変に重要な指摘であると言える。簡単に言えば、社会の様々なところで、誰も責任を引き受けることなく、それゆえ明確な責任主体となることを避けるというか逃げるという、本来あってはならないことだが、今の私たちが目にしている現実はまさにそうした事態の連続ではあるまいか。ここに至った原因としてはそれこそいろいろなことが考えられるだろうが、堀氏はその根本理由として、ポスト・モダンの論者の知の在り様を問題視して、以下のように論じている。すなわち、---(段落)彼らは、「大きな物語」にコミットすることを警戒し、それを忌避する。そのような仕草は、日常的なミクロな体験を分析し記述するのには役に立つが、「原発」「国防」といった国全体や世界のあり方にかかわる「大きなこと」からは切り離された、タコ壺化した一部左派知識人とその取り巻きによる、やや自閉的なサークルを生み出すのみで、それを超えた影響を十分に発揮しないことに通じる。もちろん、そうなる。彼ら自身が、そういう大きな意味で社会に影響を与えることを望んでいないのだから。しかし、私たちの社会の指針を示してくれるような信頼できる「文系の偉い人」がいないのも、心細い話である。ーーー。


 非常に刺激的というか、挑発的な物言いにも感じられる記事の中のくだりである。ただし、私は堀氏ほどには、左翼的言論(人)やポスト・モダンの論者が、それほど日本社会に大きな影響力を持っていたとはみていない。むしろ、彼らの影響力を削ぐことに、現実の政治を担う支配集団とその取り巻きのお雇い保守言論人とその雇い主である主要なメディア界が大きな力を発揮してきた、と私は強調しておきたい。それを断った上で、堀氏の論に対する私の考えを述べておきたい。


 先ずは氏の記事の最後の段落のくだりに対する私の見方を述べておきたい。堀氏はそこで以下のように述べている。


ーーー


〈もちろん、日本以外の世界を見れば、民主主義や資本主義などが危機にあることは明らかだろう。そこで、ポスト・モダン的な思索が重要なのも理解できる。しかし日本はそれだけではやっていけないと思う。モダンの考え方で、日本の前近代的な部分を近代化させていくという課題にも、同時に立ち向かっていかねばならないのだ。〉


ーーー


 私は私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉に関するモデルである{[A]→(×)[B]→×[C]}を議論のたたき台として論を展開していきたい。このモデルはいわゆるスペイン・ポルトガルの覇権国の誕生からオランダ、イギリスそしてアメリカへと続いた覇権国の興亡史の歩みを含む1970年代に至るまでを描いた図式である。その図式のA、B、Cは、福沢諭吉の『文明論之概略』で指摘されている文明、半開、野蛮にそれぞれ呼応している。近代(モダン)なるものを、私の図式で表すとすれば、すぐ上の私のモデル{[A]→(×)[B]→×[C]}の全体が該当する、と私はみている。すなわち、文明をつくるためには、半開と野蛮の存在抜きには不可能ということである。Aの歴史はB、とCの歴史と「共時態的関係」の中で初めて実現された、と私はみている。それゆえ、上で引用貼り付けした堀氏のーモダンの考え方で、日本の前近代的な部分を近代化させていくという課題ーにあるように、「近代」と「前近代」を切り離していない。近代は前近代抜きには実現できなかったと言うこと、前近代は近代が近代として存在するために、前近代の段階に、留められてきたということであると同時に、私たちはこのような関係をつくり出してきた近代から、また前近代からも脱却すべきである、と私は私の語る「システム」論を使って論述してきたのである。既に、これに関しては拙著でもまたこのブログ記事でも述べてきたとおりだ。


 私は堀氏が氏の記事の最後のくだりで提起した近代成るもので私たち社会の前近代の遺物を清算する必要性云々の話に対して違和感を抱かざるを得なかった。その問題提起の前に、私たちは近代なるものは歴史のある時点において、どうしてつくり出されたのか。また近代と前近代はどのようにつながる者なのか、あるいは近代は、前近代の歴史とは切り離されて、それ自体が独自の歩みをたどったのか等々の問題に、予め答えておく必要がある、と私は考える。私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉に関するモデルは、これらの問いに答えるために用意されたものと言える。そのモデルは、何度も語ってきたように「省略形」だが、もう少し丁寧に述べておくならば、{[Aの衣食足りて→Aの礼節を知る]→[Bの衣食足りて(足りず)→Bの礼節を知る(知らず)]→[Cの衣食足りず→Cの礼節を知らず]}の関係として描かれる。なお、逆のCから始まる図式はここでは省略しておく。詳しくは、拙著『「日本」と「日本人」と「普遍主義」ー「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ』晃洋書房 2014年の88-91頁を参照されたい。


 私は丸山氏や大塚久雄氏等の「近代」に適合する担い手とその近代「文明」なるものは、どのような仕組みの下でつくり出されるのかに関していろいろと思案した挙句、ここで紹介している「システム」論の形としてまとめた次第だ。それを前提として述べるならば、丸山氏や大塚氏の説く近代なるものは、{[Aの衣食足りて→Aの礼節を知る]→[Bの衣食足りて(足りず)→Bの礼節を知る(知らず)]→[Cの衣食足りず→Cの礼節を知らず]}の営為の関係を前提としながら、「Aの礼節を知る」の営為として結実されるものなのだ。それゆえ、それは力(暴力)を介してつくられる差別と排除の関係を基にして実現される営為でもある。そのAに体現される営為を担う責任ある主体がたとえいかなるものだとしても、私には到底受け入れがたい近代であると同時にその主体として位置づけ理解されるのだ。丸山氏のいう「無責任の体系」の担い手である日本と日本人は、このモデルのBに位置して、Aと同様にCを前・非近代の次元に封じ込める上において「共犯関係」にあった、と私は理解している。AはさらにCのみならず、Bも同じく差別し排除している。ちなみに、丸山氏が「超国家主義の論理と心理」(『世界』岩波書店 1946年)で日本と対比させて論じているドイツもまた、このBグループに属しているとして、私は位置づけている。


 こうした私の立場からは、堀氏の見解に対してもろ手を挙げて歓迎することはできないと言わざるを得ない。だが、堀氏も言うように、ポスト・モダンの論者は、モダンの否定には躍起となって近代の打ち立てた像を破壊することを試みたのは確かであり、同時にまた彼らポストモダン論者は、それでは彼らなりの社会の姿や規範やその構成員の人間像については、多くを語らないできたのも確かである。大塚久雄氏が『社会科学における人間』(岩波新書・黄色版)において、近代に適合する人間類型を描いていたように、ポストモダンの論者らがそうした試みをしなかったのは間違いない。勿論、そこには上で引用貼り付けした堀氏の見解の中にも、その理由の一端を垣間見ることができるだろう。だが、それはそうだとしても、私たちは何某かの人間関係を抜きにしては生きてはいけないのも確かなことである。


 そうした意味において、堀氏の記事を読みながら思い出したことは、ポストモダンの論者の中には、私が指摘したモダンと前近代との関係を問うことなく、ただただモダンの問題点を論及することに終始していたということだが、私もそれは同じ思いだ。たとえば、国民であるとか、その器である国民国家をを批判はしても、それではそれに代わる何か別の存在を提示するかと言えばそうではなく、ただの国民国家批判の議論であったのではあるまいか。これでは、私の語る「システム」からどのように抜け出せるのか云々の話などできるわけがない。さらにそれ以前の作業として、何がそうした国民を、国民国家を歴史のある時点において登場させたのか。いま振り返るとき、これらの問いに対する考察もままならない議論であふれていたことを、堀氏の記事を読みながら思い出した次第だ。


 私は少し以前のブログ記事において、「こちら側の私たち」と「あちら側の彼ら」という具合に対比させて、これからのあるべきというか、私たちがやがて辿ることを避けられない社会の姿について述べていたが、そこには丸山氏とは異なる次元で、すなわち私の語る「システム」の枠の中でつくり出されてきた近代とその近代的人間、すなわちこれこそ「システム人に他ならないのだが、それには縛られない形で、こちら側の私たちが主体となって責任ある共同体の在り方を思案しているのは事実であり、私の残された課題であると考えている。そうした文脈の下で言うならば、堀氏とは立場を異にするものの、堀氏のいわんとすることに関しては敬意を払いたい。こうした観点から、次回記事では堀氏の見解にもう少し接近してみたい。(続)



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