日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

(加筆・修正版)「山椒は小粒でもピリリと辛い」的共同体のススメ考ー私の語る「システム」論から、かつてのAの先進国グループにおいて、日本だけが〈置いてきぼり〉状態に甘んじたままで、「人間らしい生き方?」

2022-01-30 | 日記

 

(加筆・修正版)「山椒は小粒でもピリリと辛い」的共同体のススメ考ー私の語る「システム」論から、かつてのAの先進国グループにおいて、日本だけが〈置いてきぼり〉状態に甘んじたままで、「人間らしい生き方?」が許されないのは、一体どうしてなのか、をシミジミト考えるとき(続・続)


(最初に一言)

あるテレビ局の番組で、ロシアのウクライナ侵攻の可能性云々についての報道とそれを巡る解説を聞きながら、私は唖然とした次第。その理由は至極簡単だ。そこでアナウンサーが、「ロシアはどうしてウクライナに進攻しようとしているのか」、と問うていたからだ。それに対してのあるコメンテーターの解説に、また驚いた。かれいわく、うくらいながNATOに組み込まれたら、ロシアはウクライナという「緩衝地帯」を失い、すぐ横に敵対勢力が位置してしまうことから、ロシアの安全保障には深刻な問題となる云々。


別に目くじらを立ててとやかく言うことでもないのだが、私の語る「システム」論からすれば、現在進行中のB、C、Aの「システム」において、私たちは爪に「総力戦体制」のもとに「総動員」されながら生きている・生きることを余儀なくされていることを踏まえれば、冒頭の話自体がナンセンスなのだ。

何度も述べてきたように、私たちは私の語る「システム」を構成する下位システムの一つである覇権システムの中で生きている。そこでは、自己決定権の獲得とその実現を巡る力(暴力)と力(暴力)のぶつかり合いを介した争奪戦が繰り返され、その過程で「親分ー子分」関係にみる差別と排除の関係がつくられていくのである。当然ながら、子分はもっとより住みやすい環境を求め、また親分はそうした子分を抑え込むと同時に、さらに自らの自己決定権の獲得とその実現を目指すことから、絶えずきな臭い状況・状態の中に、私たちは置かれ続けているということなのだ。もっとも、私たちがそれを意識するかしないかに関わらず、である。


こうした観点から、私たちがいま暮らしている日本という空間をシミジミト眺めて見るとき、そこには驚くべき光景が展開しているのではあるまいか。「侵攻」という言葉をどう理解するかは別にしろ、私たちは戦後一貫して米国占領軍の侵攻の前になすすべなく、今日に至っている。もっとも、その侵攻が自覚・理解できない(されない)のは、私たちが勝手に日米安保体制の下で、米国と米軍に軍事基地を提供して「やってあげている」かのように、魯迅の「アキュウ」宜しく振舞うことを強いられてきたからに他ならないのではあるまいか。

そして、その米国と並んで、日本国内では中国政府と中国企業、中国人が猛烈な勢いで日本の国家と国土を買い漁っているのではあるまいか。これも私には侵攻にしか見えないのだ。勿論、ここでも山ほど自分の情けなさ・不甲斐無さを、「ああだ、こうだ」と隠してしまうのは簡単であり、今や魯迅が生きていれば、アキュウは日本人そのものではないか、と納得したに違いなかろう。いずれにせよ、米中は日本侵攻の面では、仲良く日本分割を進行しているということなのだ。

誤解のないように急いで付言すれば、私は米国や中国のこうした振る舞いを批判したり非難しているのではない。私の語る「システム」の中で、また覇権システムの中で生きている限り、こうした米中の行動は至極当然のことなのだ。自己決定権の獲得とその実現に邁進しなければならない、そうした仕組みの中で生きているのだから。


私が問題視しているのは、それに対する日本と日本人の無自覚というか感覚の鈍さである。もう、これでは、どうしようもないというレベル、いやレベルにすらならないラベルの段階、か。それゆえ、冒頭のような、話が、私たちには違和感なく聞こえてくるのではあるまいか。

さらに、いま私たちが生きている「システム」は、B、C、Aの関係から構成されるそれであり、Bの中国やロシアは、今後ますます自らの自己決定権の獲得とその実現に向けて「努力」を惜しまないはずだ。誤解のないように、ここでも一言付言すれば、私たちは私の語る「システム」の中で生きていることを鑑みれば、誰もエラソーに中国やロシアを批判したり非難などできないのである。

もしそれをするならば、この「システム」とおさらばする覚悟とその具体的成果を、B、Cの諸国に明らかにしなければならない。私たちの過去を振り返るとき、Aの先進国は、1970年代までA、B、Cの「システム」の下で、B、矢Cに対して、今の中国やロシアに勝るとも劣らない侵攻というか侵略を繰り返してきたことを、銘記すべきなのだ。


さらに誤解のないように付言すれば、私は、それでいい、とは決して述べてはいない。「仕方がない」という言い方はできれば避けたいのだが、私の語る「システム」の中で生きている限り、容易に今の社会の在り様を変えるのは難しいと言わざるを得ないのだ。すなわち、ロシアはひどい、中国は横暴だ、両国が平和と国際秩序を危うくしている、それゆえ、勢力拡張の具はすぐさまやめるべきだという掛け声では、まったく何も語ってはいないと同時に、自分たちの理不尽さを隠ぺいすることに手を貸すだけなのだ。

あくまでも、批判・非難されるべきは、私の語る「システム」とその下位システムである覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムとその「関係」であると同時に、それらを支持し担い続けている「システム人」としての存在である、私たち自身であることを、ゆめゆめ忘れてはならないのである。

 

(最後に一言)


今回記事も、読者を不快にさせてしまった。それは申し訳ないが、私二は読者を喜ばせるような記事はとても書けない。そんな能力は私にはないのが、残念。

今回記事の最後に、とくに私が強調しておきたいのは、中国やロシアの外交官から、マトモに扱ってもらえるような外交の専門家が日本にはいないということだ。それに関連して言えば、日本の人文・社会科学の「知」でもって、両国とは渡り合えないということを意味する。その理由の一端は、これまであまりにも米国ヨイショの外交官や研究者が多すぎたということである。そしてそんな連中が、今や「保険」をかけるかのように、米国にしっかりと根を下ろしながら、姑息な策を弄するかのように、中国やロシアに秋波を送ろうとしている。

これでは話にならない。今でも中国は覇権国(超大国)にはなれない云々、と論じている専門家が多いのだが、一体、彼らは過去の覇権国の歴史をどのように学んできたのだろうか。これも米国の支配の賜物なのか。

佐渡の金山の世界遺産の登録を巡り、日本はまた韓国とすったもんだを繰り返しているが、もうそろそろ自分の頭で考えてもよさそうなのに、ここでも外交の専門家はだんまりというか、政府の御用学者?に甘んじている。こんな「知」的レベルを中国の外交の専門家が見逃すはずはない。

今この瞬間にも、読者の中には、「お前、それでも日本人なのか」、「日本の国益を主張するのに、誰に遠慮がいるのか」等々、と思っているだろうが、覇権システムの中で、私は子分の子分の、さらにそのまた子分であるとの分際を自覚し、それをわきまえて、語っているとだけ、述べておきたい。

念のために一言。私はどこかの国と仲良くやれとか、友好は大切だなんて言うつもりはない。B、C、Aの「システム」と覇権システムの中で、私たちはこれから残りの21世紀を生きていかなければならないのだ。無論、私は2040年まで生きているかはわからないが。その2040,50年代頃には、中国は覇権国として君臨しているだろう。韓国もBグループの諸国の一員として、その時には北朝鮮と統合しているかもしれないが、そんな「システム」の中で、Aの中でも最下位あたりをうろうろしている日本と日本人を考えてみれば、からの話である。

誤解のないように、さらにまた一言。別にいいではないか。Aの最下位あたりをうろうろしていても。国力がたとえ弱くても、それは気にしてどうなるものでもない。あくまでも、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉において導かれる者であり、日本と日本人が一国・一人で力んでどうなるものでもない。

大事なのは、そんな中でも堂々として他人)他国)を思いやりながら、しかも覇権システムのジャングルの中で生き残れる普通の賢さをもって平然と生きるそうした姿勢ではなかろうか。それこそ大国や超大国をも、ウナラセル生き方である。それを思えば、別に佐渡金山云々でいま騒ぐことではあるまいに。そんな暇など許されない国際情勢の真っただ中に、日本と日本人はいるのだ。「山椒は小粒でもピリリと辛い」的共同体を目指す道しかないというよりも、その道こそ選択するべし、と私は言いたいのである。

ああ、またダメモト精神でここまで書いてきたが、いま何時だろうか。

*(付記)

それにしても安倍政権のやらかしたことは、日本に相当のダメージを与えた、と何度言っても、言い過ぎにはならないだろう。あれ以降、とにかく、力があれば、何でもできるる、何をしても許されるといったよどんだ空気が、日本社会を覆いつくした感がある。煙草をふかしながら、優先席に寝そぶっていた、どうしようもない「ダメ男」に対して、注意した勇気ある高校生がボコボコにされても、見て見ぬふりの私たち。

どこか似てやしないか。あの財務省職員だった赤木さんが、それこそ安倍やその取り巻き連中に、ボロボロにされて、挙句は自死へと追い込まれても、私たちはみて見ぬふりなのだ。これは、沖縄県民が、とにかく基地問題を何とかしてくれと、在沖米軍に対して、何度も何度もボコボコにされながらも闘い続けているのに、それを見て見ぬふりの私たち。

私もエラソーに言えるものではないと重々承知しているのだが、それでも私自身の卑怯さを、私自身に対する恥辱として、受け止める自覚だけは、今も持ち合わせている。それを多くの人が共有していれば、テレビ番組における度を越した「あほの競い合い」は少しは改善されるはずだろうが。何か、今の日本社会の風潮は、私たちの卑怯な振る舞いを見ないでも済むように、行動しているようで、私には、それこそ気色が悪いのだが、今やもうそんな恥じらいさえ、忘れてしまったかのように思われて、なんとも残念である。


*後日というか、今日(2022,2,3)またこの少し上の(付記)のくだりを読みながら、もう少し補足しておいたほうがいいと思ったことを述べておきたい。

**それは、「見て見ぬふりはやめて、現状を直視すること」は大切だとしても、それにもかかわらず、私たちが、「親分ー子分」関係を基本とした覇権システムの中で生きていることを忘れてはならないということである。それは、たとえば、公的空間の中での「非道」を目の当たりにした際に、すぐさまそれを糾弾する代わりに、少し間をおいて、周りの状況に目を配ると同時に、その非道の主との「力」関係を、見定めることが、まずは何よりも必要だということである。

***それを無視したり、自覚しないままの行動は、かえって非道の主からの反撃にあって、糾弾する者が、肉体的精神的ダメージを負いかねないような事態に追い込まれることも多々、考えられるだろう。さらに、その周りの者たちへの被害をもたらす可能性も否定できない。

****こうした点を鑑みるとき、私たちは自らの力を、どのようにして獲得するかについて常に考えておかなければならない。その力を単独で、あるいは多くの者の協力を得て得られるとの保証がないのであれば、たとえ、その行いが卑怯だ、と後ろ指をさされることになったにせよ、あえてその非難・批判を甘受しなければならないだろう。それは、どうしようもない、仕方のないことである、と私は言わざるを得ない。

*****だが、それを踏まえた上で再度、言うならば、常に現状の非道な・理不尽な力の行使を直視しながら、それへの対抗策としての力をどのようにして獲得するかについて、目を背けてはならないということに尽きるだろう。

******勿論、これも言うは易し、行うは難しであるのは、無論のことだが、「システム」の、そして覇権システムの中での「親分ー子分」関係と、そこから導かれる差別と排除の関係を、もし私たちが何とかして、少しでもそれを是正しようとするのであれば、私は力というか自己決定権の獲得とその実現に向けての何らかの方策を、絶えず思案することが必要である、とここでも強調しておきたいのである。第9条論者の、そして戦後の日本人の「まやかし」は、まさにこうした力の獲得に関する考察に目を閉じてきたということではあるまいか。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「山椒は小粒でもピリリと辛い」的共同体のススメ考ー私の語る「システム」論から、かつてのAの先進国グループにおいて、日本だけが〈置いてきぼり〉状態に甘んじたままで、「人間らしい生き方?」が許されないのは

2022-01-27 | 日記

「山椒は小粒でもピリリと辛い」的共同体のススメ考ー私の語る「システム」論から、かつてのAの先進国グループにおいて、日本だけが〈置いてきぼり〉状態に甘んじたままで、「人間らしい生き方?」が許されないのは、一体どうしてなのか、をシミジミト考えるとき(続)


(最初に一言)

「普通の国」ならぬ「普通に賢い共同体」を目指せばいい。背伸びする必要もない。隣に強大な覇権国ができるのなら、安心して小さな共同体でいられるぐらいにどっしりとした生き方をするべし、であろう。


「天下三分の計」のもとに、『イワンの馬鹿』的生き方をモットーとする共同体の創設を目指す私ごときが、今さら日本と日本人の明日を心配するかのような物言いをするのもどうかと思うのだが、それでも、他の三分の二がしっかりしなければ、「共倒れ」となるのは必至であるから、それを鑑みて、少し言及しておくことにする。


今回は手短に、箇条書きの形で述べてみたい。勿論、ダメモト的発言であるのは言うまでもない。


一部の特権層だけが「我が世の春」を謳歌する、そんな国にサヨナラを告げるべし。

自分の理不尽なふるまいを「年少者」に避難され、その相手を暴行した挙句に「正当防衛」云々なんて戯言を抜かす、その意味ではその卑怯さ・卑劣さの面でどこか似ている、そんな「安倍晋三」的人間やその取り巻きヨイショ連中みたい的生き方を、もうこれ以上、のさばらすまじ。

「普通に賢い人」でいい、否、それができれば、もの凄いことではあるまいか。

「山椒は小粒でもぴりりと辛い」的生き方を踏まえた共同体の「安全保障」論はどうあるべきかを、真剣に討議すべし。

「第9条」論者は、覇権システムとそれを前提とした世界資本主義システムの下での新たなる「衣食足りて」の営為の在り方について、もっともっと提言すべし。

「普通の賢い人」が集う共同体は、決して中国や韓国を貶めるような発言はしないだろうし、それ以上に、どうすれば隣人同士、「つかず離れず」的関係をつくれるかについての知恵を小出しに出すべし。


(最後に一言)


私の語る「システム」論から、私が最低限、これだけは「守るべし」と思っていることを、少し述べてみた。「普通の賢い人」が日本の中にどんどんと生まれてくるならば、それこそ、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」的生き方を当然とした共同体へと生まれ変れるだろう。一刻も早くそうなるように、それこそ各人の自己責任ある行動が問われているのは間違いなかろう。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の語る「システム」論から、かつてのAの先進国グループにおいて、日本だけが〈置いてきぼり〉状態に甘んじたままで、「人間らしい生き方?」が許されないのは、一体どうしてなのか、をシミジミト考えるとき

2022-01-27 | 日記

 

私の語る「システム」論から、かつてのAの先進国グループにおいて、日本だけが〈置いてきぼり〉状態に甘んじたままで、「人間らしい生き方?」が許されないのは、一体どうしてなのか、をシミジミト考えるとき

 

(最初に一言)

今回から、上記のタイトルで、何回かにわたり論を展開してみたい。私がこれまで引っ掛かりを覚えてきた「問い」は、今回記事のタイトルで提起した問題である。


私の基本的スタンスは、私の語る「システム」論で何度も論じてきたように、1970年代を分水嶺とするように、それまで〈「システム」とその関係の歩み〉の下で、A(先進国)、B(中進国)、C(後進国)の関係から構成される「システム」の「高度化」の「段階」を歩むことで、B、Cを差別し排除してきたAの先進諸国は70年代以降、「システム」の「低度化」の「段階」に突入する中で、分厚い中間層が解体され、社会の二極化・分極化が進み、生活困窮者が増大していく「冬の時代」に突入するという大筋においては、今も変わらない、と私はみている。その関連で言えば、日本も勿論のこと、その例外ではない。

こうした私の見方とは、一見したところ、異なるように思われるトマ・ピケティの『21世紀の資本』にみる内容は、フランス革命以降今日に至るまで、主要先進国における富裕層と貧困層の間にみられる「格差」とそれに根差した社会は、ずっと一貫して、継続していたとの主張であった。もっとも、その間、二度ほど両者の格差が縮小していく例外の時期が見られたとの「但し書き」が加えられていたが。


それを踏まえた上で、〈ずっと「格差」社会は継続していた〉というピケティの見方に対して、私は私の語る「システム」論で描かれる「システム」は、ずっと差別と排除の関係から構成されていたと捉える点では、共通した視点が見い出される、と私は理解している。すなわち、覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムは、自己決定権の獲得とその実現においての各人、各集団、各共同体(国家)間にみられる差別と排除の「カクサ・格差」の関係から構成されていた、と私は位置付け理解している。なお、「カクサ」は世界的な観点から捉えられる途上国と先進国の南北関係を、「格差
は国内の「持たざる者」と「持てる者」との関係を示している。


それは確かにそうだが、それでも、そうした関係を前提としながらも、かつてのAの先進国の中で、日本の経済力が、GDP成長率の低水準状態にも端的に示されているように、日本だけが〈置いてきぼり状態〉に甘んじていることが、たびたび話題となっていることに、私も目を向けざるを得ないのだ。。

もとより、日本の経済力の鈍化というか陰りに関しては、いくつもの参照記事・資料をネットでも検索できる。たとえば、【2021年】日本のGDP推移はやばい?長期停滞の理由と今後の見通しを解説(投稿日2021年8月19日 日本のGDP推移)、「日本がこの先もずっと低成長しか望めない理由 労働力が減って実質成長率はせいぜい0.6%」(野口 悠紀雄 : 一橋大学名誉教授)、「こんなに頑張っているのに、なぜ日本だけGDPが回復しないの スピン経済の歩き方」(2021年04月06日 09時29分 公開([窪田順生,ITmedia])等等による論説や解説があり、私も大いに参考とさせてもらった。


それを踏まえた上で、私は、私の語る「システム」論から、日本の経済力の陰りに関して考察してみたい。B、C、Aから構成される1970年代以降から今日に続く「システム」とその関係の歩み〉のもとにあっては、かつてのAの先進国グループは、「システム」の「低度化」の「段階」に突入することから、それ自体、先進国の経済力の低下というか陰りは致し方のないとして、位置付け理解できる。その意味では、日本の経済力の低下は如何ともし難い〈「システム」とその関係の歩み〉に、基本的には起因している、と考えられるのだが、問題は、それでも、そうしたAの中で、どうして日本だけが、後塵を拝し続けるのかという問題は、やはり取り組むべき課題として残されている、とみていいだろう。

私はこの問いに対して、覇権システムにおける戦後の日米関係と、その中で日本と日本人が国際社会においての「力」(暴力)の担う役割を十分に認識、理解できなくなったことが、日本の経済力の低下に抗しきれなくなった根本原因である、とみているのだ。換言すれば、日本と日本人は、戦後一貫して、覇権システムで生き残るための、本来ならば日本と日本人が担うべき国防を、米国に肩代わりさせてきた結果、そもそも覇権システムの存在それ自体に対しても、すこぶる感度が弱(鈍)くなってしまった、と言わざるを得ないのだ。


日本が世界との交易をしていくためには、その経済的関係をグローバルに展開できる保障がなされていることが必要不可欠な問題となってこよう日本経済のグローバル化の展開とその維持と発展を、継続して可能とさせるためにも、外交や軍事力を介した日本の安全保障に関する能力が高いレベルに位置していることが何よりも望ましい。

とくに、これからの世界における紛争の多発化にともない、軍事や外交交渉力の面で、力のない国家において、覇権システムにおける暴力と暴力のぶつかり合いが顕在化し常態化した世界で、力を持たない国家が主体となって行動する余地は、限られてくるのは必至となるだろう。日本の経済力の強化と向上のためには、こうした紛争地域における国家や企業との交易機会を確保すると同時に、そのビジネスチャンスを、できるだけ拡大する必要があることは言を俟たないだろう。また、平和な場所での経済活動が、いついかなる具合に、紛争の多発地帯へと変貌するかは、これまた予想のつかないながらも、蓋然性を否定できない地点で、今や私たちが生きていることを、忘れてはならないだろう。

わかりやすいたとえ話をするならば、古今東西、覇権システムを前提として世界のあらゆる国家は行動していることから、「貿易は国旗に従う」のが現実であり、決してこの逆ではないのだ。これについては、福沢諭吉も的確に論じている。すなわち、「平時は互いに物と物とを交換しながら、一旦ことあれば。相手を殺すも可なり、と。」ここにもあるように、商売(経済)と戦争はコインの裏表の関係として理解されていたのである。

少し考えてみればわかることだろう。世界の各地で紛争が起きているが、そうした日の中にでも入っていかない限り、経済的パイを増やすのは難しい現実がそこにある時、その経済活動を少しでも安全に保障するのは、当該国の軍事力と外交力より他にはない。それを自前で展開できる国とそうでない国とが商売をするとき、結果はおのずと明らかではあるまいか。


残念なことに、この基本的原則に私たちは永らく背を向けてきたというしかあるまい。そのつけが、これから覇権システムにおいて、米国に替わり覇権国としての親分の地位を継承する中国との向き合い方にも、端無くも露呈されるというしかあるまい。事実、もう後戻りのできない地点に、日本と日本人は来てしまった。

これらを踏まえて、今一度述べるとき、日本は米国の国力の後ろに隠れるかのように、これまで生きてきたことから、その米国の力が低下する中で、当然ながら、日本の国力もまた低下するところとなり、そのことが、世界各地で日本が展開している経済活動(交易)の安全を保障するに足る国力というか防衛力、軍事力、外交力を発揮できなくさせていることは否めない。

主要先進国の中でも、日本の力は弱いと言わざるを得ない。それは防衛費や軍備だけの問題でもない。一番肝心なのは、「自分一人でも戦う」との覚悟なのだ。その覚悟が、戦後の日米関係の中で、醸成されることはなかったというしかあるまい。それは日本と日本人の問題もさることながら、やはり、覇権システムにおける地政学的観点から、親分の米国に、日本独自の国力増強に向かう道は、封じ込まれてしまったということである。

それとの関連で言えば、日本の独自の外交力と交渉力も、同様に、米国によって封じ込められてしまったということである。こうして、戦後の日米関係の中で、日本と日本人は米国からの日ごと圧力の下で、自分の頭で行動して、その責任も自分が背負うという、本来ならば、ごくごく当たり前の国家としての生き方を十分に身につけることができなかったのである。その意味では親分の米国に子分の日本がいつも顔色をうかがい、米国の判断を忖度しながら生きてきたということである。

そして今や、B、C、Aの関係から構成される〈「システム」とその関係の歩み〉の下で、Bの先頭に位置する中国と同グループ内のロシアが中心となって、Bグループを構成するその他のインドやブラジル、あるいは韓国やアセアン諸国、ラテン・アメリカ諸国を、またCの中東やアフリカ諸国、中央アジア諸国を、覇権システムにおいて指揮・監督しながら、そのシステムを前提としながら、{[Bの衣食足りて(経済発展)]→[Cの衣食足りて・足りず(経済発展)]}の関係を形成・発展させながら、Aのかつての先進諸国との間に、{[Bの衣食足りて(経済発展)]→[Cの衣食足りて・足りず(経済発展)]→[Aの衣食足りず(経済発展)]}の図式で示される関係を創り出していくのである。

Aの日本は、こうした関係の中で、覇権システムにおける地位の低下に伴う国力の低下を反映して、B、C、Aの経済発展から構成される世界資本主義システムの関係において、当然のように、その経済力を後退させていくのである。それに関連して、既に上述したように、戦後の日米関係における米国と日本の「親分ー子分」関係の在り様が大きく関わっていたことを、ここでも重ねて強調しておきたい。

さらに付言すれば、日本のトヨタに代表される世界的多国籍企業は、もはや日本経済の経済力・経済成長を支える存在として位置付け理解してはならない、と私はみている。日本を起点としながらもグローバルに経済活動を展開する多国籍企業は、B、YCのグループを構成する諸国の経済力と経済成長を支えているのである。この点に関して付言すれば、Aの主要先進諸国における世界的多国籍企業も同様の存在として位置付け理解できよう。

*すぐ上のくだりに付言すれば、B、C、Aから構成される現在進行中の「システム」に位置するAのかつての先進諸国に本拠を置いている多国籍企業は、ボーダレス状態にあるAの国家を離れて、今やB、Cの諸国家の「国旗」に従うように、つまりは彼らの国力の庇護のもとに、その力を利用しながら、経済活動を展開していると位置付け理解した方が良い、と私はみている。

先の図式の主権国家・国民国家を示す記号である[ ]の外側の[壁]は、既に薄くなっていて、いわゆるボーダレス状態にある。その意味では、もはやかつての分厚い中間層が担っていた国民国家は、その担い手の消滅にともない、国民国家としての状態を維持できない中で、もはや日本の国家は、他のAの先進諸国同様、主権国家としての存在だけに留まる以外にはないのだ。


(最後に一言)

今回記事も、なんだか身もふたもないような話となってしまった。日本という国家は、今後の覇権システムにおいて、もはや、その国力を増強できない地点に位置していることを、日本の経済力の長期の停滞・後退に関する考察の前に、是非とも押さえておくことを、私は今回記事で述べたのである。

「貿易は国旗に従う」とは、いつの時代においても然りなのだ。残念ながら、私たちが生きているこの国際社会は、そうした現実がまかり通る世界なのだ。この貿易を、交易、あるいは経済活動、経済発展に置き換えてみるとよくわかる。同様に、国旗を、世界的多国籍企業、大企業、中小企業、零細下請け企業、孫請け企業等々に置き換えてみればいいだろう。

世界的多国籍企業や大企業と中小企業や零細下請け企業との交易をみるとき、例外のあることも私は否定はしないものの、その多くは、力を持った企業が、力のない企業をねじ伏せていくのが「自然の摂理」となっていく。その意味では、交易というか経済活動は、企業の力に従っているということである。それゆえ、力のない企業は、なんとかして切磋琢磨の精神のもとに、その力を手にしようと懸命に努力するのだ。そうした数限りの無数の努力が、まさに「僕が僕であるために、勝ち続けなきゃならない」人間関係を基本とした世界・セカイを、生産・再生産し続けていくのである。

それは換言すれば、「僕が僕であるために、勝ち続けなきゃならない」、そんな人間関係の中でしか、僕は生きられないということを意味している。そうした人間関係は、国家間の関係にもみられる。国力の弱い国は、「勝ち続けなきゃならない」世界の中で負け続けてしまい、植民地や従属地、あるいは属国となる以外に道はない。

これからの日本を考えるとき、私は覇権システムの中で、それゆえ、「システム」の中でもそうだということなのだが、生き残るのは相当に難しいと予測せざるを得ない。これについては、もう何度もこのブログ記事でも述べてきた。とにかく、厄介な話となる。これまでの親分であった米国の力がどうしようもなく弱体化する中で、これからの親分となる中国が、日本のすぐ横で世界に君臨しようとしている。そんな時に、どこかの間抜けな国は、敵基地攻撃能力云々の話だから。どうして北京オリンピックの外交ボイコットなどと主張するのか。「親分ー子分」関係が見えていない。としか言いようがないのだが、そもそも生き残ろうと、本気で考えているのだろうか、それさえ、怪しくなる。


行論の都合上、ここで、「第9条」について、それが果たした役割に関して、少し述べておきたい。第9条とは、たとえて言えば、柳生新陰流の「無刀取り」にも等しい離れ業なのだ。素手で勝つためには、どうすればいいか、これは、「普通の国」になるよりも相当に至難の業だが。それは、積極的にこちらから言論でもって攻め続けていく以外にはない話ではあるまいか。それを支えるのが外交力・交渉力であるのだが、すべて米国の力の前では、なすすべなく終わった感がある。

無論、第9条それ自体にも、問題はたくさんあるのは、今さら批判しても仕方あるまい。その使い方を、誤ったというか、それを使わせてもらわなかったということだろう。その原因は、覇権システムの中で、第9条が位置付けられているということを、その支持者の多くが自覚し理解できなかったということだ。覇権システムに対して、(それゆえ「システム」に対してもだが、)第9条を「平和」を実現するための「武器」として、向き合うこと自体が、ナンセンスであることを、第9条論者が理解できなかったことは、国防に対する認識や理解を深められない大きな原因を構成した、と私はみている。

それを踏まえてさらに言及すると、B、C、Aの関係から構成される「システム」の中で、そのBの先頭に位置する中国やBの韓国との良好な関係が築けているのかどうか、また、Aの米国との「属国」関係もその問題に密接にかかわってくるだろうが。いずれにしても、ほとんど希望のない状況。おかしいというか、面白いというか、情けないというか、米国と中国に対する「親しみ度」をみても、米国が断然リードしている。原爆を二度も日本に投下した「ジェノサイド」犯罪国家ではなかったのか。


今回記事の最後に、繰り返しを恐れないで言えば、B、C、Aの「システム」の、とくに覇権システムにおける日本の位置がそのまま国力とその低下を導き、そこから、経済力の低下が導かれたと、私は考えている。貿易は国旗に従うは、古今東西において、自明の心理だが、これは覇権システムを前提とした上での話であることに注意する必要がある。拙著でも述べていたように、日本の戦後から高度経済成長期における経済力は、覇権死捨て身における米国(国旗)を後ろ盾として培われてきたことを忘れてはならないのだが、日本人は、「水と安全はタダ」的思考によって、もうどうにもならない地点にまで追い込まれている。だが、この期に及んでも、まるでそれを理解しないような政治家や官僚、メディア、さらには国民の自覚のなさにみられる惨状だろう。以上、今回記事はここまで。(続)

(付記)

これもまた、「米国の日本征服・占領計画」が上手くいったという話となるのだろうか。私はそうだと思うが、それにしてもここまで日本の内部に、日本を平気で売り渡す輩が多いのだとすれば、もうほとんど絶望的というしかなかろう。本当に悔しいというしかないが、当の私自身も他人事では済まされない生き方をしているのは間違いない。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(加筆・修正版)私の語る「システム」論から、「システム」とその下位システムの「支配(管理)の手段・道具」としての「役割」を担った人文・社会科学の「知」を問い直すときー「歴史叙述の神話」を打破するための

2022-01-24 | 日記

 

(加筆・修正版)私の語る「システム」論から、「システム」とその下位システムの「支配(管理)の手段・道具」としての「役割」を担った人文・社会科学の「知」を問い直すときー「歴史叙述の神話」を打破するための「起点」となるのは?(続)


(最初に一言)の前の、これまでの記事に対する私自身の「コメント」


私のブログ記事での私の話は、何度もこれまた言及してきたように、私の「仮説」と、それに依拠した私の「主張」というか、「論説」である。最近の記事での私は、あろうことか、研究者がそれこそ一生かけても到達できない研究対象とそれに関する研究に対する「成果」を、ほとんど踏まえることなく、つまりはそれに対する敬意を表しないかのように、バッサ・バッサと、なりふり構わず論及しているように、私自身も、そう思ってしまう。

何度も言うように、そうした「所業」は、私の語る「システム」論から、おこなっていることを、その都度、断っている。サルトルやカミュ、あるいはマルクスやマルクス主義等の専門家というか研究者には相当に腹立たしいことも、確かに意図的に述べているくだりもあるのだが、それはすべて、私の語る「システム」論を前提としての、私のささやかな「抵抗」の証に過ぎない。

私の語る「システム」論を、それこそ俎上に載せて侃々諤々と論じてくれたならば、垢の一つや二つに気がつくかもしれないだろうに。だが、これだけは私も指摘しておきたいのだが、自由、民主主義、人権、法の支配、平和党の普遍的価値とその実現の歩みである普遍主義に関しては、私もそんじょそこらの専門家に対しては、譲れないなにがしかの積み上げてきた成果を手にしている、と。(***後でこのくだりを読みながら、私自身に対して、赤面したのだが、この箇所は、自分自身の未熟さを自覚・自戒するための一文として、そのまま残すことにした。このようなことを述べる暇があれば、どうすれば、もっと今よりは少しでもマシな社会ができるかについての術を、考えるべし、だろうが。)

それゆえ、自由主義、民主主義、帝国主義、民族主義(ナショナリズム)の「渾然たる一体的関係」を、他の誰よりも的確に、その意味では「公平」に論じることができたと、自負している。それは、サルトルの語るアルジェリアのフランスに対する民族解放のための(反)植民地独立戦争に関する位置づけ方理解の仕方の問題点を的確かつ公平に議論できるということを意味している。それゆえ、同時にまた、サルトルによるカミュに対する批判に垣間見られる問題点も、さらには、カミュによる「革命」ではなく「反抗」的生き方の提唱に対しても、より的確活公平な論評ができる、と考えている。

私から見れば、サルトルも、カミュも、また彼らを取り上げた研究者も、すぐ上で指摘したように、〈自由主義、民主主義、帝国主義、民族主義(ナショナリズム)の「渾然たる一体的関係」〉と、それが抱える問題に関して、究明ないし論及を試みてきたとは、私には思われないからだ。それゆえ、どうして、私たちがそれに従いながら歩むべきだ、とサルトルやマルクス主義者の説く「歴史」など描けようか、描けるはずもない、と私は言わざるを得ないのである。

*念のために、ここで付言すれば、私の語る「システム」論で提示している〈「システム」とその関係の歩み〉に関するモデルは、先の「渾然たる一体的関係」を表したものである。


それでは、今回のブログ記事に取り掛かるとしよう。


(最初に一言)


サルトルもまたカミュも、さらにその他の哲学者・思想家たちは、彼らの生きた時代と空間の中で、各人各様の人生の意味(無意味)を問い続けながら、自由(不自由)とは、幸福(不幸)とは、社会の抱える不条理(正義)について、思案し続けたのだろうが、それはまた、私が拙著『21世紀の「日本」と「日本人」と「普遍主義」ー「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ』(晃洋書房、2014年)の中で、引用・紹介した尾崎豊も例外ではなかった。

勿論、私たちも、大なり小なり、人生の中でいろいろなことに悩み、苦しむと同時に、喜びや幸せを感じながら、「生きるとは何であり、また何のために生きるのか」云々について考えているに違いないだろう。そして、その中で、人間関係や社会における不条理に直面したり、同時にまた、「正義」とは何かについて、繰り返し問い質しながら生きていくのだろう。それを意識するかしないかは別にしても、である。


ここで、行論の都合上、以下に尾崎豊の「僕が僕であるために」の歌詞を引用・貼り付けておきたい。


ーーー


(引用貼り付け、開始。)


「僕が僕であるために」 (作詞・作曲尾崎豊、1991年5月15日、発表)


心すれちがう悲しい生き様に
ため息もらしていた
だけど この目に映る この街で僕はずっと
生きてゆかなければ
人を傷つける事に目を伏せるけど
優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく


僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる


別れ際にもう一度 君に確かめておきたいよ
こんなに愛していた
誰がいけないとゆう訳でもないけど
人は皆わがままだ
慣れあいの様に暮しても 君を傷つけてばかりさ
こんなに君を好きだけど 明日さえ教えてやれないから


君が君であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
君は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる


僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる


(以上、引用貼り付け、終わり)


ーーー

すぐ上で紹介した尾崎の歌にある次のくだり、すなわち〈僕(君)が僕(君)であるために勝ち続けなきゃならない/正しいものは何なのか/それがこの胸に解るまで/僕は街にのまれて/少し心許しながら/この冷たい街の風に歌い続けてる〉は、何度聴いても、私の胸に痛く響いてくる。

****尾崎の凄さは、ここにある〈僕(君)が僕(君)であるために、勝ち続けなきゃならない〉と鋭く説いているところだ、と私は感じた次第。私のいう「自己決定権」の獲得とその実現のために、力(暴力)と力(暴力)のぶつかり合いを介した「争奪戦」を繰り返す中で、「親分ー子分」関係にみる差別と排除の関係がつくり出されていく云々と、重なる、と私はずっと後になって、気がついたのである。この「僕」は、まさに絶対王政時、以来の「主権国家」、そしてその後の「国民国家」にも言い換えられると同時に、そうした共同体をもとにした民族主義(ナショナリズム)を前提としてつくられていく覇権システムへと繋がるところである。


今のコロナ禍の社会で、コロナワクチン(接種)に関する情報が乱れ飛び、それこそ、何が正しいのかさえ、問い詰めれば問い詰めるほど、わからなくなってくる。しかも、安倍や菅、さらには、その前の内閣もそうだったが、嘘に嘘を重ねての「政治」がこれでもか、と言わんばかりに強引に推し進められ、それにメディアとそこに登場する政府ご用達の専門家連中の胡散臭い発言が重なって、もう誰も信用できないなあ、との空気というか雰囲気の中でのコロナ騒動であるから、何をいわんや、いわんかなあ、の連続となっているのだ。


それはさて置き、哲学者や思想家さらには尾崎豊等の人生に関連した問い掛けは、私の語る「システム」論とコラボさせてみるとき、以下のような問題提起が可能となるのではあるまいか。すなわち、彼らも日常生活の中で、彼らの哲学を思考するわけだから、彼ら自身の存在を継続的に維持する必要がある。そのためには、彼らの安全かつ安心できる「衣・食・住」の確保が、当然のことながら、その前提条件となるだろう。

それでは、彼らはその「衣・食・住」に関する「商品」を、どこで調達するのか。それは各種商品を取りそろえた商店からであろう。もとより、彼らが直接商品を購入するかは別にかまわない。それでは、その商店は、その顧客との間で売買する商品を、どこから、どのようなネットワークを介して、仕入れてくるのだろうか。

こうした問いかけを、さらに次へ、そしてまたさらに次へと展開していくとき、最後に見えてくるのは、私の語る「システム」論で描く〈「システム」とその関係〉から、辿り辿って、巡り巡って、仕入れている、ということになるのだ。それゆえ、偉大な哲学者や思想家と言えども、また尾崎もそうであるが、さらには私たちも結局のところは、そうした関係の下で、仕入れた商品を購入しているということになる。


そうした関係を、前回記事における私の話に置き換えて述べるならば、以下のようになる。すなわち、ーーー私たちがこの世に生を受けた瞬間に、私たちの好むと好まざるとにかかわらず、〈{[Aの衣食足りて]→[Bの衣食足りて・足りず]→[Cの衣食足りず]}の営為と、{[Aの礼節を知る]→[Bの礼節を知る・知らず]→[Cの礼節を知らず]}の営為の関係〉の中で生きることを強いられるという、「不条理」極まりのない「世界・セカイ」なのだ。ーーー


そして、この二つの営為の関係は、「「Aの衣食足りて→礼節を知る]→[Bの衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[Cの衣食足りず→礼節を知らず]}の営為の関係として、描き直すことができる。いずれにしても、哲学者や思想家、そして私たちは、こうした差別と排除の関係を前提とした不条理な世界・セカイを介して、自らの衣・食・住に関する商品の購入を、日々繰り返しているということになるのではあるまいか。なお、図式の記号等の簡単な説明に関しては、前回記事を参照されたい。

**ここでも、念のために付言すれば、すぐ上で紹介したモデルは、サルトルやカミュの生きた時代を射程に入れた1970年代までのA、B、Cの関係から構成された〈「システム」とその関係の歩み〉を描いた図式であるが、尾崎豊の生きた時代は、正確に言えば、1970年代以降から今日に続くB、C、Aの関係から構成される〈「システム」とその関係の歩み〉であることを、ここで改めて強調しておきたい。ここでは、尾崎も前者のモデルに含めた話を便宜的にしていることを、断っておきたい。


こうした点を鑑みるとき、私はそこから以下のような問いかけをするのだ。実存主義哲学者に限らず、人生の不条理さを考察する者は、私の語る「システム」論で描く差別と排除の関係を前提としてつくられてきた〈「システム」とその関係の歩み」〉それ自体が体現している、「システム」の「不条理」さと、どのように向き合っているのか、という問いかけである。逆に言うならば、私は、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉から、哲学者や思想家、あるいは尾崎が問うている人生や社会の不条理さと彼らの問題点を、捉え直すことを試みてしているのである。


たとえ、いかに高邁な哲学者や思想家であろうとも、まったく彼らが現実に生きている暮らしている「空間」(私の語る意味での「システム」を指している。)の不条理には、まったく無頓着のままに、人生の不条理を哲学しているそんな様を、私はついつい想像してしまうのだが、なに不自由のない生活を送っている者の中には、彼ら自身の人生の不条理と、彼らもまたそこに組み込まれているはずの社会(私の言う「システム」)の不条理に関して、両者の結びつきを哲学するのは、やはり難しいのかもしれない。


私は今こう述べながら、イギリスの哲学者であったJ・S・ミルの「自由論」を思い出した。さらに、J・ロックの「市民政府二論」でのある有名なくだりが念頭に浮かんだ。簡潔に言えば、彼らの「自由」は、インドやアメリカ大陸の「土着人」を奴隷的存在とするイギリスの帝国主義(帝国支配)と密接不可分な関係にあったということである。そして、そのイギリスの帝国主義、帝国支配は、私の語る「システム」論の「システム」の一構成要素として、位置付け理解されるものである。

結論を先取りして言えば、ミルもロックも、イギリスの帝国主義、帝国支配を何ら疑問視することなく、むしろそれを当然の前提とした議論に終始しているのだ。それゆえ、彼らが、イギリス帝国主義やイギリス帝国支配をその内に組み込んだ私の語る「システム」論とそこで展開されている「システム」とその「関係」とその「不条理」を、疑問視したり、批判・非難したりするのは、先の先の、またまた先の、遠い遠い話となるのは間違いなかろう。


(最後に一言)

今回記事も、また以前にどこかで書いたような記事を、練り直しながら書いている?ような、そんな感じがするのだが。それでも、私なりに何とか工夫しながら、話そうとしているのは確かではあるが、それでも、まだまだといったところ。

とにかく、最近は昼と夜が完全に逆転してしまい、これが結構ツライ、つらい。若い頃には想像もしなかったようなことが最近はアルは在るはで、私より年長者には心から「エライなあ」の感慨もひとしおとなる。

それにしても、このコロナ禍を生き抜くのは大変だ。目の不自由さのせいに、すべてしたくはないが、ほとんど家の中にいるだけの毎日だから、しかもなかなか運動もできない中で、気分転換もままならないから、やはりストレスはたまる一方。それでも、私はまだ恵まれている。こうして文章が、まだ書けるのだから。

そんな私のつまらない、どうでもいい話は別にして、若い人たちが、大変な思いをしながら、生きていることを思うと、本当に申し訳ないのだが、とにかく、生き抜いてほしい、とそれだけを願うのみ。こんなことしか言えない私自身にも辛いのだが、とにかく、そう伝えるしか、仕方がないのだ。ごめんなさい。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の語る「システム」論から、「システム」とその下位システムの「支配(管理)の手段・道具」としての「役割」を担った人文・社会科学の「知」を問い直すときー「歴史叙述の神話」を打破するための「起点」は

2022-01-21 | 日記

私の語る「システム」論から、「システム」とその下位システムの「支配(管理)の手段・道具」としての「役割」を担った人文・社会科学の「知」を問い直すときー「歴史叙述の神話」を打破するための「起点」となるのは?


(最初に一言)の前に、私の目指そうとしている「終着点」を、人間の「生き方」としてイメージするとき、それは「革命」的生き方でも、「反稿」的生き方でもなく、やはり「イワンの馬鹿」的生き方だろう。もっとも、「言うは易し行うは難し」、に間違いないことだが。

前回記事で紹介したサルトルと彼が依拠したマルクス主義の「革命」的生き方や、それに反対・拒否の姿勢を示したカミュの「反抗」的生き方を巡る「論争」なり「問題」は、ある意味において、戦後の日本の知識人による「あの戦争」を巡り提起された第2次世界大戦とも重なるあの戦争に関して規定された「三つの性格」で描かれたあの戦争へと至る日本の歴史を巡る論争なり問題とも密接に関連するものとして、私は理解している。

すなわち、そこでの戦争の規定は、①帝国主義国と帝国主義国の戦争、②民主主義を擁護しようとした「デモクラシー」を掲げる国と、その民主主義を破壊しようとした「ファシズム」を掲げる国の戦争、③植民地や従属地にされた諸地域における民族解放と独立を求めての戦争、としての三つに分類されていたが、それぞれの性格を相互に関連付けて、全体像を描くというものではなかったことから、歴史のある面には日が当たり、逆にある面は看過されたままであった、と私は理解している。

そうしたことから、サルトルとカミュの戦争を巡る「歴史」認識に関する論争となって、両者の対立の溝は深まったのだろうが、それにもかかわらず、サルトルも、マルクス主義者も、カミュも、「同じ歴史」を当然の前提として「共有」して生きていたことは間違いなかろう。その意味においては、彼らの論争は、その共有する歴史空間を、少しでもよりましな居心地の良い空間とするための論争であって、決してその空間を別の空間へと移し替えることを意図しておこなわれたものではなかったと、私はみているのだ。その点では、彼らも、日本の知識人と同様に、第二次世界大戦を位置付け理解していたのではあるまいか。


こうした点を踏まえて、さらに付言すれば、サルトルとカミュの論争は、①②③に関する位置づけ方と理解の仕方において、フランス一国を前提とした「一国枠」に依拠して、そこから捉えられる自由主義・民主主義や帝国主義や全体主義、植民地等の問題を、相互に関係・関連付けないままで、それらを個別の問題として、もっぱら考察していたのはいなめないのではあるまいか。そうした「知」的営みは日本の『昭和史』の中にも垣間見られるように、日本の知識人も同じであった。

単刀直入に言えば、②の自由主義・民主主義と①の帝国主義の歴史は、水と油の歴史として位置付け理解された。③の植民地における宗主国の支配からの解放・独立を求める歴史は、宗主国の②の自由主義・民主主義の歴史と結び付けられないままで、宗主国の①の帝国主義の歴史と、もっぱら結び付けられて考察されたのだ。それゆえ、独立した植民地が、宗主国と同様な自由主義・民主主義の歴史をたどることには何の違和感も抱かれないままに、むしろ歓迎されるという様相を帯びていた。

こうした歩みは、自由主義陣営に限定されるものではなかった。もう一つの民主主義のモデルとされたソ連の社会主義をモデルとして、戦後の植民地から独立した国家がソ連型を目標とする道を切り開いた。そこには、自由主義陣営であれ、社会主義陣営であれ、ファシズム体制を打倒することでは協力した二つの民主主義体制の下で、戦前・戦中の植民地や従属地に展開された差別と排除の関係の下での収奪と人権蹂躙の歩みが、まるで夢であったかのような世界の支配的見方によって煙幕を張られたような光景が出現していた、と私はみている。

こうした米国に代表される自由主義・民主主義陣営と、ソ連に代表される社会主義陣営が、戦前・戦中に植民地や従属地とそこに暮らす人々におこなってきた歴史は、すぐ上で紹介した第二次世界大戦(「あの戦争」)を特徴づけるとされた①②③のような位置づけ方・理解の仕方からは、どうしても弾き飛ばされてしまい、それゆえ、私たちが戦争を的確に理解するのを妨げることにもなるだろう。

もう少し簡潔に言えば、先の戦争の位置づけ方・理解の仕方では、私たちが知りたい本当の問題には答えてくれないのだ。すなわち、そもそも何故、自由主義や民主主義を標榜する国が自由や民主主義や人権、平和や法の支配といった普遍的価値を自ら否定するように、植民地や従属国をつくり出し、そこに暮らす多くの人々の人権を、平然と踏みにじってきたのか、という問いに対して、私はこれまで、欧米や日本の知識人から、「まともな返答」を受け取ったことはない。


そこで、私自身でもって、これまでその理由を考え、考えてきたのだ。私の語る「システム」論で、私が提示した図式で描かれるモデルとそこで示された覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムとそれを支える様々な「関係」とそれをもとにしてつくられてきた〈「システム」とその関係の歩み〉こそが、先の私の問いかけに対する答えとなっている。

それゆえ、私には、私の語る「システム」とそれを構成する覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムとそれらを結びつけている無数の「関係」から、少しでも離れたい、距離を取りながら生きたいものだと、それこそ頭の中だけの話ではあるのだが、悪戦苦闘の連続の中で、今までとは異なる「知」の在り方を哲学・思考してきたのだ。

こんな私には、サルトルもカミュも、この「システム」の関係を結局のところは支えざるを得ないとして捉えられるのだ。たとえ革命であろうが反抗だろうが、その知的営為では、この「システム」とその関係を、ますます複雑化することに与るだけだ、と私にはみえる。誤解のないように、私は彼らを責めているわけでもないし、批判や非難するつもりもさらさらない。私自身も何もできないままで、ただ頭を抱え込んでいるにすぎないのだから。


だが、それを断った上で、私が言いたいのは、私の語る「システム」とその「システム」を支える覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの間に張り巡らされた「関係」から、少しでも離れる生き方がまったくないわけでもないことは、これまでのブログ記事でも述べてきた。勿論、それは国家の安全保障の問題には「ただ乗り」する結果となってしまい、身勝手だとの批判や非難にも直面するであろうが、それは致し方ない。だが、だからと言って、下を向くこともない。覇権システムを構成する「国家」は、それが自由主義・民主主義国家であれ、社会主義国家であれ、決して私たちを守ってくれない、否、そもそも守れないのは、重々承知しているから。


とにかく、もう時間はあまり残されてはいない。これから以下の私の提言というか話は、もう私自身で取り組めない問題を、それこそ誰かに「託したい」との思いで述べている。その点では、あまりにも無責任な物言いなのだが、後生だから、聞いてほしい。

私たちが取り組むべき最初の目標は、先ずは閉校・廃校となった小学校、中学校、あるいはそれに代わる施設等を拠点として、そこで共同体づくりのノウハウを、お互いが学習しながら、共同体のモデルを提示できるところまでが第一歩となる。今後の自然災害等とそれに伴う次の原発事故等の影響も踏まえながらの土地探しは重要な問題となる、

同時に、全国の農山漁村で、こうした試みが可能な地域を探しながら、横の連携を図っていく。これは第二歩の目標となる。そして、そのネットワークづくりを、日本のその他の地域、そして世界へと拡大していくことを、第3歩の目標として位置付けておく。

おそらく、有機農業や自給自足的農業の従事者の中には、既にこうした試みを展開している人も存在しているのではあるまいか。そうした情報作成や発信は、既にネットで検索できるのかもしれないが、これについても、私は勉強不足だから、調べないと。先にもう行動している人から教えてほしいのは、こうした運動において、気を付けなければならない点や、なお手付かずの問題があればそれについても、教えてほしい。ただ、そうは言うものの、これまで私が自分なりにわかっているのは、未だに、そうした共同体づくりに向けての「ネットワーク」形成すら、できていない?ということだ。


そのための実践・実戦的目標として、日本に暮らす人の「3分の1」が、それこそ「土に立つ者は倒れず土に活きる者は飢えず土を護る者は滅びず」の旗じるしの下に結集した「共同体」を生活の基盤として生きていくことが求められるのではあるまいか。これについては、私のブログ記事の最初の方(〈オニクタラムの「感じる心」は何故、ーー(3)「天下三分の計」?〉で語っている。今回記事の一番最後の(付記)に貼り付けておくので、よければ参照してほしい。いずれにせよ、私の語る「システム」の中にいながらも、その中で何とかして、差別と排除の関係を少しでも軽減できるような、そんな生活空間づくりを目指したい、と頭の中だけでは、今もそう考えている。

少し前置きが長くなって申し訳ないが、それではいつものように、話を始めていきたい。


(最初に一言)

前回記事で、私が最後のくだりで述べていたのを、もう一度今回記事の冒頭で紹介しておきたい。私は次のように述べていた。すなわち、ーーー私に言えることは、これもこれまで何度も述べてきた話だが、{[Aの衣食足りて]→[Bの衣食足りて・足りず]→[Cの衣食足りず]}の営為と、{[Aの礼節を知る]→[Bの礼節を知る・知らず]→[Cの礼節を知らず]}の営為の関係を前提としたままで、別言すれば、その関係を不問に付したままで、「知」的探求を繰り返すだけの「哲学」に、はたして私たちの未来を語る資格はあるのだろうか。ーーー、と。


私の知的探求の、まさに出発点となるのは、私たちがこの世に生を受けた瞬間に、私たちの好むと好まざるとにかかわらず、〈{[Aの衣食足りて]→[Bの衣食足りて・足りず]→[Cの衣食足りず]}の営為と、{[Aの礼節を知る]→[Bの礼節を知る・知らず]→[Cの礼節を知らず]}の営為の関係〉の中で生きることを強いられるという、「不条理」極まりのない「世界・セカイ」なのだ。

もう何度も、モデルの図式に関して説明してきたが、今一度ここで説明しておきたい。このモデルは、15世紀から1970年代に至る〈「システム」とその関係の歩み〉を描いている。この図式にあるような関係が現実化したのは、1940年代の後半から1970年代前半の本の一時期に過ぎないのだが、差別と排除の関係から構成される「システム」の実態・実情をわかりやすく紹介するために、便宜上、私はこのモデルを使っていることを、再度ここでも断っておきたい。。

図式の一番外側の記号である{ }は、覇権システムを示している。A、B、Cの外側にある記号[ ]は、主権国家、国民国家を示している。なお、この記号は、すべて同じではない。Aにおいては分厚く(ボーダ・フル)、Cにおいては薄くなっている。植民地や従属地の段階では、ボーダ・レスの、つまり記号の[ ]は存在していない状態で、ある。

そして、私は、私たちが生きている、暮らしている「システム」の空間を、国家を単位とした国家間の関係から成る「インター・ナショナリズム」としての空間と、国家の中の個人間・集団間の関係から成る空間の、二つに区分して、前者を「世界」として、後者を「セカイ」として、それぞれ位置付け理解している。以上である。


さて、私は前回記事で紹介した、私の「何故」を巡る知的探求の起点として、上述した二つの営為の関係を指摘したが、これも読者にはすでにわかるように、一つのモデルに、すなわち、{[Aの衣食足りて→礼節を知る]→[Bの衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[Cの衣食足りず→礼節を知らず]}の営為の関係に、置き換えられるのだが、ここでも、わかりやすくするために、二つに分解していることを、断っておきたい。

私は、このモデルで描いた図式の営為の関係を起点とすることによって、これまでの私たちが享受してきた人文・社会科学の「知見」がどれほど役に立たないのか、つまりは、私たちの命と暮らしを守る安全保障に何の支えとなるものではないことを、改めて理解した次第なのだ。その一端を、前回記事でのサルトルやマルクス主義の「歴史」の位置づけ方・理解の仕方と結び付けて、論述したのである。

私の「何故」を巡る知的探求の起点を前提とするとき、私にはもう、これまでの人文・社会科学の「知」的営みを理論的「武器」としたところで、私の語る「システム」の「打倒?」とか「解体?」を念頭においたとき、まったく何の役にも立たないことを、その入り口にすら立てないことを、残念ながら悟ったのだ。

取り分け、寂しく思ったというか感じてしまったのは、政治学や経済学研究者の「民主主義」論が、どれほど安易で惰眠を貪り続けた挙句の情けない成果に安住したそれであるということに、気がついた時であった。これも何度も指摘しているのだが、ハーバード白熱講義での「民主主義を取り戻せ!」云々の話は、さすがにもう、私には絶句であった。格差に呻吟する米国社会の解決方法として、米国の民主主義が最も輝いていた1950、60年代の民主主義を復活しよう。取り戻そうであったからだ。

失礼ながら、彼らは、私に言わせれば、民主主義なるものが、すなわち、普遍的価値としての民主主義が現実にどのような関係の下で実現してきたか(普遍主義)に関する研究や考察など、ほとんどしてこなかった連中である、と揶揄されても仕方がないだろう。私の起点であるあの二つの営為の関係とその歩みを、少しでもわかるものならば、そもそもこんな問い掛けなどはしないし、できないことを重々承知しているはずだからだ。

それに関して補足説明しておく。第二次世界大戦後の米国は、パックス・アメリカーナの全盛期を迎え、米国を覇権国とした覇権システムの中で、世界資本主義システム、世界民主主義システムの維持と発展に与るA、B、Cの関係から構成される差別と排除の関係を前提とする「システム」のB、Cに対する支配と従属を深化させる中で、Aのトップに位置した米国は、いわゆる民主主義の黄金時代を迎えることができたのである。

「システム」のこの関係を前提として享受できていた米国の民主主義は、1970年代以降の「システム」の構造転換とその変容にともない、いまや{[B]→(×)[C]→×[A]}におけるAの地点の「民主主義の発展」の段階を迎えているのだ。その段階の特徴は、これまで享受できていた自由や民主主義、人権、法の支配の面での自己決定権に関わる能力における段階の「低度化」により特徴づけられている。

すなわち、米国社会に存在していた分厚い中間層の解体とそれに伴う社会の分極化と少数の持てるものと多数の持たざる者との格差の深刻化する社会が長期にわたり表面化してくる。この背景には、これまでAに位置した米国が、BやCに位置した諸国とそこに暮らす人々を差別し排除することで手に入れていた米国社会における民主主義の素晴らしさが、1970年代以降から今日に至るまでの「システム」の構造転換とその変容により、今度はB、やCに位置する諸国とそこに暮らす人々が彼らの民主主義の発展における「高度化」の実現へと向かう歩みによって、Aに位置した米国の民主主義の発展における低度化への歩みが顕在化する、そうしたBやCによるAに対する差別と排除の関係がつくられていくことが
与っているのである。

それゆえ、私たちが簡単に民主主義を取り戻せという場合には、こうした関係それ自体も同時に、取り戻すことを必要とすることを理解できたなら、今後はもう、そのような戯言を言うこともないであろう。だが、ところがなのだ。ノーベル経済学賞を受賞した研究者たちが(たとえば、クルーグマンもそうであったが)、平然とこんな話を繰り返しているではないか。

しかもBS・NHKの番組で何度も取り上げられていた。またメディアでもこんな類の話が、またか、またかの報道としておこなわれている始末。まったく変わらないのだ。今のコロナ報道にしても、水道の民営化問題に関しても、種子・種苗法を巡る法改正の動きにおいても、「多様な価値の尊重」どころか、ただ一つの価値とその実現に向けての動きのみが強調されているだけではあるまいか。これを異様と呼ばずして、何と形容すればいいのか。


まあ、今さら驚くようなことでもない。これまで私の語る「システムとその関係の歩みの中で、何の疑いもなく、面白おかしく生きてきた、いや、それすら許されなかったのかもしれないし、たとえ疑ってみたところで、少し声を発したところで、どうにもならないことばかりではないか。

そんな想いを、私や他の人たちも共有して生きているに違いない、と私は勝手に誤解しながら、それでもその誤解に救われて、これまで生きてきていることは、間違いない。事実、誤解ではなく、正真正銘、いまだに戦い続けている「虐(しいた)げられた人々」が、悪戦苦闘の日常生活の連続の中で、静かに闘い続けている、まさにそうなのである。

私は、そんな彼らから力をもらいつつ、ダメモト精神で何とかして、「システム」に向き合うことのできる「知」を追い求めてきたのだが、私の頭ではやはりどうにもならないかとの情けない思いをズーット抱きながらも、それでも何とかして探し求める一日一日を大切にして、ここまで這(は)い蹲(つくば)ってきたというところだ。


(最後に一言)


とにかく、もうこれからは、私の、と言うよりは、私の夢を受け継いでくれる誰かの「夢」に向けての実践・実戦をとおして手にできる「知」の他には、それほど期待のできる知は獲得できそうにもないように思われるのだが、それでも、なおこれからも、「知」的探求の旅をやめるわけにもいかないことも、また然りというところだろうか。。


(付記)

(2014,2,20)のブログ記事

〈オニクタラムの「感じる心」は何故、ーー(3)「天下三分の計」?〉


みなさん、おはようございます。今日もお互い、しっかり生き抜きましょう。息抜きですよ。
前回のモデルの紹介。呆れましたか。ごめんなさいね。まだ頑張ってますよ。でもやっとあの頃よりは、もう少し、わかりやすく説明できるようになったんじゃないですか。とにかくごめん。

私も「感じる心」を持たないといけませんね。

それで、今日はおそらく、まだモデルについての話をすべて読んでないと思うので、ごくごく簡単に何をこれから話したいのか、また何のために、に注意して今日は以下の概要のみで終了。ごめん、同じ話の繰り返しですが、辛抱してください。みなさんの後輩がまた新しく4月から加わりますので、そのための準備もあります。


「マルクス主義」の「感じる心」は
 (ヨーロッパ、欧米=中心を単位) 

「従属論」の「感じる心」は
 (「中心ー周辺」を単位)

「世界システム論」の「感じる心」
 (「中心ー半周辺ー周辺」を単位)

「構造的暴力」論の「感じる心」は

護憲論者の「感じる心」は

広瀬隆さんの「感じる心」は

革新政党の「感じる心」は


こうした点を頭に置いて、これからの話を聞いてください。
その際、留意して欲しいのは、従来の議論は、資本主義を「一国(地域)」枠、「二国(地域)」枠、「三国(地域)」枠の違いはあれ、そうした資本主義が抱える格差というか、差別と排除の関係とそこから導かれる問題の解決に、「感じる心」を包み込んでいる、含み込んでいるはずの自由、民主主義、人権、平和といった「普遍的価値」を手にしながら、簡単に言えば、日本国憲法とその第9条を掲げて、資本主義の生み出す問題を、例えば今日の格差問題とかを解決しよう、是正しようと考えてきたし、またそれは可能だとしてきたんですね。

それがなおできないのは、普遍的価値とその実現の歩み(普遍主義)が現実に十分に適応・展開できていない、換言すれば、憲法が十分に守られていないと考えて、その実現運動というか、護憲運動に邁進してきたんですね。
私はこれ自体、また問題だったとみていますが、それでも1970年代までは、なんとか存(ながら)えることに成功した、しかしながらその反面、原発問題や基地問題に背を向け続けてきた、あるいはそうならざるを得なかったんじゃないかと。

こうした見方に対して、私は、その「感じる心」というか、それを内包した普遍的価値、これまで私は特にその民主主義を取り出して論及してきましたが、それ自体が、資本主義と関係しながらも、つまり簡単に言えば「存在が意識を規定する」というような見方ですが、その意識というか普遍的価値が、そうした資本主義との関係から独立して、普遍的価値それ自体の関係を、歴史的に形成し、発展させてきたんじゃないかと考えたんですね。意識というか思想やイデオロギーの次元だけではなく、「史的システム」の次元においても、つまり「感じる心」を含む普遍的価値自体も、「史的システムとしての資本主義」と同じように、格差というか差別と排除の関係をつくり出して来た、あるいは創り出されていると。(平仮名と漢字の違いの意味はありません)

それゆえ、いくら「犠牲のシステム」(高橋哲哉)が存在しているとしても、例えば高橋が指摘している東京と福島、日本本土と沖縄の関係ですね、そのシステムが抱える問題を解決するために、普遍的価値を思想的武器として掲げて、例えば、アメリカがそれをかつての日本や、イラクやアフガニスタンに「押し付け」たように、介入しても、それ自体が差別と排除の関係とそこから導かれる問題を抱えている以上、もはやどうにもならない、と私は主張してきたんですよ。これに対して、高橋自身もこの点は深く追求しなかった。

それゆえ、護憲派には都合のいい著作となった。ごめん、名前が出てこないが、他の著者の『民主と愛国』の本も護憲派を勇気づけた。私はその枠組み自体に何か違和感を抱いたし、それについて拙論で言及したことがある。

つまり、資本主義というか、「衣食足りて(足りず)」の営為の関係が「犠牲のシステム」であると同じように、民主主義というか、「礼節を知る(知らず)」の営為の関係も、「犠牲のシステム」なんだということが言いたかったんだ。二重の「犠牲のシステム」で、その二重のシステムが相互に「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の「一つ」の営為の関係を構成するシステムになっていると。さらに、ここに「覇権国・親分-周辺国・子分」の関係から成る覇権システムという犠牲のシステムが加わるから、正確には「三重の〈犠牲の〉システム」ということになるのだが。
ごめん、みんなに話を聞いてもらっているようで、つい丁寧な言葉遣いができなくなって。

それじゃどうする、ということなんだが、就職して働いたら嫌というほどわかるだろうけど、ホンマどうしようもないことだらけ。どうにもならない。
それを踏まえて、都知事選を例に挙げてみたい。

簡単に言うと、立場は二つある。第1は、これまで同様に、「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係史を前提としながら、先の話に従えば「一つの」「犠牲のシステム」に留まりながら、護憲を推進する、あるいは改憲を主張する従来型の生き方。革新政党はずっとここにいた。21世紀もおそらくずっと、ここ。

第2は、もう第1をやめて、第1とは違う生き方を選択する。つまり、第1の「衣食足りて(足りず)」の営為の関係と第1の「礼節を知る(知らず)」の営為の関係とは異なる、第2の「衣食足りて礼節を知る」営為の関係を創る、つくっていくこと。

ただしここが肝心。この第2の生き方は、日本の「三分の一」でいい、それ以上は目指さない。また偉そうに、一人もいないのに、まだ。「天下三分の計」ではないが、それを目標とする。政党も当然必要だが、最初から、政権政党の道は放棄する。また偉そうに、政党もないのに。これもまたゆっくり聞いて。

しかし、第1は、じゃぁー、ダメなんだという時に、その人たちが第2の〈可能性〉と〈方向性〉を直ちに理解して、そうした路線を目指しているかといえば、そうではない。

ほとんど第1の立場をウロウロしているだけじゃないか。これは仕方がないこと。現実を生きている人間は臆病になるし保身に走る。責められない。それはまたいつか書きたいけど。

話を戻すと、第1に立ちながらも、脱原発や、基地問題やその他の日常の問題に「感じる心」を人一倍、保持している人たちは、やはり諦められないんだ。それで、第1の枠の中で精一杯に抗うんだ。
それじゃぁー、どんな「衣食足りて(足りず)」の営為の関係を選択するか、それが問題となる。

「脱」原発運動のややこしいのは、その立場を支持する、またそこ周りを行ったり来たりしている人たちが、第1の護憲の立場に立ちながら、第1の立場の「衣食足りて(足りず)」の営為の関係から、「原発」あるいは基地問題だけを取り出して、しかも勝手に引き抜くことが出来ると信じきって、あとはほとんど従来と変わらない営為の関係を守ろうとしていることに気がつかないこと。気が付いたとしても、そこから離れられないこと。簡単には、次の「食い扶持」なんか見つからないから、これも仕方がない。

さらに、第1の「衣食足りて(足りず)」の営為の関係をやめて、別の第2の「衣食足りて」の営為の関係を創ることを目指そうとするにも関わらず、相変わらず従来の第1の「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の関係を前提とした「礼節を知る(知らず)」の営為の「礼節」を、つまり憲法を守ろうとする立場に固執しているという矛盾に気がつかないこと。

これではとても「一本化」はできない。細川か、宇都宮かの問題ではなかった。

私は、第2の立場をずっと構想してきました。頭の中だけですが。しかしながら、もうなにか、このままじゃ終われないと。いや、ケンシロウなら私に言うかもしれませんね、「もう、お前は死んでいる」と。冗談じゃなくてね。

実際に、日本でも第2の立場に近い人たちがいます。自給自足的生き方を実践している人たちです。ただし、それはなお、まだ、第2の生き方の実践とは言えませんし、実現には遠く及ばない段階です。
ごめん、ホント、お前ヤッテミロ、すぐそんな声が聞こえてきます。お許しを。

例えば、そうした人たちの周りに、彼らの子供が集う学校があり、当然、先生がいて、また当然ながら、公務員も必要ですし、病院も、また製造業や流通業も必要でしょう。銀行も保険会社も当然大事ですね。こうした仲間と集団の関係をもとにした共同体を、私は創ってみたいんです。これは私の夢ですが、その夢の実現のために私ができるのは、じゃぁー、第2の生き方を支える第1次産業、第2次産業、第3次産業のあり方はどんなものなのか。また「礼節を知る」営為はどうあるべきなのか。それを考えることでした。

東京で働いていたら、もう私のこと笑うだろう、「お前、まだそんなこと言っているのか」、と。ただ、私の田舎の限界集落に近づいている空間にいると、君の素晴らしい、そのIT技術が必要なんだ、あなたの卓越した流通業のノウハウ、それでここで収穫した、ここでしかできない夢の「商品」を世界各地に売り込みたいんだ、ぁーあ、思い出した、確か商社で働いているのいたなあ、彼もぜひスカウトせんと。みんなの語学力も相当にアップしてると聞いたよ。いつかこの共同体を世界各地の人達が見学しに訪れるだろうから、そのためにもいろいろな準備が必要だ。

共同体の「モットー」、それは「勝ち続けない、負け続けない、とにかく息抜く、だらしなく、しぶとく生き続ける」、まぁー、そういうこと。

この共同体は資金がたくさん必要、しかも第2の生き方しながら、どうやって金稼ぐ。誤解しないで、天下三分の計だ。残りの世界と、商売せんといかん。それでいて、自分たちの世界を守るためには、やはり、息子が必要だ。あいつには勘当されている状態だから、なんとか許しを請いたい。

また聞いてください、今日はこのへんで。ホンマに、恥ずかしい話の連続、しかしオニクタラムの〈可能性〉と〈方向性〉を考えるには避けては通れないんだ。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする