読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『てんのじ村』

2019年05月24日 | 作家ナ行
難波利三『てんのじ村』(1984年直木賞)

私はなにわの人情物といったような話や小説が嫌いなので、この手の小説は敬遠してきた。タイトルからしていかにもなものだと分かる。それにこの作家、『てんのじ村』で1984年に直木賞を取ってから、本来ならこの賞は登竜門のはずだが、ほとんど作品を書いていない。ただなんとか文学賞の選考委員とか、なんとか館の館長とかに収まってあぐらをかいている。余計に読む気がしない。

その私の気を変えさせたのは、数日前に読んだヤフーのニュースに載っていた産経新聞の記事であった。「苦学、結核、官能小説 直木賞作家、難波利三が語る半生」というタイトルのその記事は、難波利三が文字通り苦労をして作家生活をしてきて、やっとのことで『てんのじ村』を書くにいたった半生を語っているもの。

私の興味を引いたのは、難波利三がてんのじ村のことを知って取材をしているうちに長老の芸人のことを語った次の行を読んだ時だった。以下は記事からの引用である。

「長老の男性芸人、吉田茂さんに粘り強く取材交渉をし、やっと話を聞くことができた。期待した彼の芸「珍芸かぼちゃ」は、赤いパンツを見せて笑いを取るというお粗末なもの。「これでは小説にならへん」とあきらめかけたが、吉田さんに付いて各地を回るうちに、ふとひらめいた。「えらい勘違いをするところやった。しょうもない芸に50年も人生をかけている人間のすごさ。これをテーマにしたら絶対面白くなる」と。下積み芸人のしたたかさと優しさ、人情を描いた『てんのじ村』は、59年に直木賞に輝いた。」

私は難波利三が語ったという「えらい勘違いをするところやった。しょうもない芸に50年も人生をかけている人間のすごさ。これをテーマにしたら絶対面白くなる」という言葉がどうしても気になって仕方がない。しょうもないこと、どうでもよさげなことに、小説の主題を察知する作家の嗅覚とでもいうようなものだろうか。

いったいどんな小説を書いたんだろうか、とえらく興味が湧いた。それで借り出して読んでみた。そこに描かれているのは、私がイメージしていたような売れない芸人のどうしようもない堕落した生き様なのかと思ったら、まったく違った。それこそ自分の芸に誇りもある、研究心もある、筋を通す、これと決めたら一線を超えないというような、まっとうな人間の生き方が描かれていたので、なるほどなと納得した。

登場人物たちの語りは、まさに吉本新喜劇のあれ。こてこての大阪弁。戦争中から戦後の闇市の世界から、高度経済成長時代の大阪の変化がよく分かる。

最近は小さな文字を読み続けるのが辛いので、今回は大活字本シリーズのものを借りたら、文字が大きくて読みやすかった。



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