鴻上尚史『不死身の特攻隊』(講談社現代新書、2017年)
佐々木友次さんという北海道出身の特攻兵が9回特攻命令を受けながらも、死んでこいという上官の命令に反抗して、生きて帰ってきたという話を書いたもの。
第一部で別の本にもとづいて、佐々木さんの飛行機乗りとしての経歴と最初の特攻命令を受けてから、終戦になって帰国するまでをルポ風に記述している。
第二部では鴻上尚史が三回にわたって90才を超えた老齢の佐々木さんにたいするインタビューを記したもの。
第三部では、特攻全般についてまとめている。
以前も書いたことがあるが、私も戦争なんかで死にたくないので、長男を戦艦大和で死なせた祖母の話を聞くたびに、戦争になったら山の中に逃げ込もうとかいろいろ考えていたので、特攻命令を受けても死ぬことはない、戦艦や船を沈めることが本来の目的なのだから、それを目指そうとして、2回成功させ、それが不可能な状況の場合には帰還したり、不時着したという佐々木さんの話には心打たれる。
しかしインタビューの中でも自らそう言っているように、これは下士官だからできたことで、将校にはできないことだっただろうと、私も第一部を読みながら思っていた。
それにしても命令する側がのうのうと生きていられるのが腹立たしい。これは明治維新の頃からの伝統のようだ。会津藩の白虎隊だって、総攻撃を命じた人間は生きて(つまり自決することなく)天寿を全うしている。集団自決したのは世間のことを何も知らない若者たちだけだ。佐々木さんに死んでこいと何度も命令した猿渡参謀長もこの作戦の最高責任者であった富永司令も米軍のフィリピン上陸に部下たちを捨てて先に台湾に逃げている。
特攻のようなことが成り立つ日本人の精神構造の特徴として「集団我」ということを著者は書いているが、たしかにそうなんだろうと思う。スポーツでも個人戦よりも団体戦のほうがいい結果がでるというところに、この日本人の特徴が現れている。
それにしても特攻というは過去のことではない。この本の最後で、2016年の自衛隊の南スーダンへの「駆けつけ警護」作戦への参加に、同じことがあったと答えている自衛隊員がいるそうだ。「1944年と2016年が一気につながった瞬間でした」と書かれている。
二度とこういうことがないようにするためにも日本は戦争をしてはならないと思う。
佐々木友次さんという北海道出身の特攻兵が9回特攻命令を受けながらも、死んでこいという上官の命令に反抗して、生きて帰ってきたという話を書いたもの。
第一部で別の本にもとづいて、佐々木さんの飛行機乗りとしての経歴と最初の特攻命令を受けてから、終戦になって帰国するまでをルポ風に記述している。
第二部では鴻上尚史が三回にわたって90才を超えた老齢の佐々木さんにたいするインタビューを記したもの。
第三部では、特攻全般についてまとめている。
以前も書いたことがあるが、私も戦争なんかで死にたくないので、長男を戦艦大和で死なせた祖母の話を聞くたびに、戦争になったら山の中に逃げ込もうとかいろいろ考えていたので、特攻命令を受けても死ぬことはない、戦艦や船を沈めることが本来の目的なのだから、それを目指そうとして、2回成功させ、それが不可能な状況の場合には帰還したり、不時着したという佐々木さんの話には心打たれる。
しかしインタビューの中でも自らそう言っているように、これは下士官だからできたことで、将校にはできないことだっただろうと、私も第一部を読みながら思っていた。
それにしても命令する側がのうのうと生きていられるのが腹立たしい。これは明治維新の頃からの伝統のようだ。会津藩の白虎隊だって、総攻撃を命じた人間は生きて(つまり自決することなく)天寿を全うしている。集団自決したのは世間のことを何も知らない若者たちだけだ。佐々木さんに死んでこいと何度も命令した猿渡参謀長もこの作戦の最高責任者であった富永司令も米軍のフィリピン上陸に部下たちを捨てて先に台湾に逃げている。
特攻のようなことが成り立つ日本人の精神構造の特徴として「集団我」ということを著者は書いているが、たしかにそうなんだろうと思う。スポーツでも個人戦よりも団体戦のほうがいい結果がでるというところに、この日本人の特徴が現れている。
それにしても特攻というは過去のことではない。この本の最後で、2016年の自衛隊の南スーダンへの「駆けつけ警護」作戦への参加に、同じことがあったと答えている自衛隊員がいるそうだ。「1944年と2016年が一気につながった瞬間でした」と書かれている。
二度とこういうことがないようにするためにも日本は戦争をしてはならないと思う。