読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『どくとるマンボウ青春記』

2010年12月30日 | 作家カ行
北杜夫『どくとるマンボウ青春記』(中央公論社、1968年)

何を想ったのか、北杜夫の『青春記』が読みたくなって(というか、読み返したくなって)図書館から借りてきた。私もこの借りてきた本と同じように、たぶん初版を持っていたはずなのだが、いったいどこに消えたのだろうか?

北杜夫じゃないが、私ももともとは理科系というか自然科学が好きな人間で、将来は天文学とか宇宙科学を研究する研究者になりたいと思っていたし、現に高校までは数学も理科も得意中の得意であったのが、まさにこの『青春記』に出会ったがために、文学などという世の役にも立たないようなものにはまり込んでしまい、それから30数余年をこんな世界ですごしてきてしまった。したがって今年のはやぶさ騒動やら金星探査機騒動などを見るにつけ、本当なら(?)あそこに私がいるはずだったのにというような、夢と現が混ぜ合わさってはいるが、じくじたる想いにとらわれている。

この『青春記』に書かれている旧制高校というもののバカらしさにとかく高校生という時代ははまりやすいものだ。オイルショックでスーパーからトイレットペーパーがなくなるだのという騒ぎなどをバカにしたように見下して、ブンガクの世界に深く沈潜してみたり、幣衣破帽をまねて、といってもそもそも時代が違うので、弊衣とか破帽なんてものは無理なので、とりあえず下駄を履いて、マントを肩にかけて、ちょうどこの『青春記』の掲載されている北杜夫の旧制高校時の写真を真似て、記念写真を撮ってみたりしただけでなく、自分も小説などが書けるような気がして、何本か書いているうちに、なんだかこの世界で食っていけるのではないかと錯覚して、高三のときの進路希望欄に「物書き」などと書いて、担任から「何考えとんだ!」と言われてみたりしたものだが。そうした余韻は、大学に入学してからも一年くらいは残っていたようで、本気になって小説を北杜夫に送ったところ、思いもかけず彼から「もっと修行してください」みたいな返事がきたりしたが、いったいあの葉書はどこにいってしまったのだろうか?

こういう風に後ろ向きになるのってなんだかよろしくないなと思いつつも、同時に昔私が面白がっていた『青春記』が想っていたほど面白いものではなかった、というか、今の私には面白いとは思えないのが、少々残念だが、少しは私の成長したということなのだろうと気を取り直している。




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