横山三四郎『ユーロの野望』(文春新書、2002年)
ユーロ関係の本が続いている。今度はイギリスに新聞社の特派員として滞在し、ヨーロッパにおける通貨統合を目の当たりにした経験から、ユーロの政治的な意味についてとくに焦点を絞って書いたものである。田中素香「ユーロ その衝撃とゆくえ」が経済の専門家によるユーロ解説だったのにたいして、こちらはジャーナリストによるユーロの政治性解説のような本になっている。それだけ経済が専門でない私には読みやすかったし、ちょっと目から鱗的な発見もあった。
その第一が、これって本当に定説となっているのか、たんにこの著者が勝手に言っているだけのものなのかよく分からないが、1980年代後半にEU諸国が通貨統合を目指して話し合いを進め、それを実現するためにさまざまな試みをしていたが、それが実って着実に経済成長を進めつつあるのを目の当たりにした東ヨーロッパの共産圏の国々の人々が、このままでは通貨統合にも参加できず、経済発展に乗り遅れてしまうとあせって、ベルリンの壁を揺り動かすことになり、東欧諸国での民主化が大きなうねりとなって実現したというものである。そういわれてみるとそうかもしれない。通貨統合を目指していた国々は東欧諸国から見ればすぐ隣の国々であり、とくに東ドイツの人たちは西ドイツの繁栄・堅実な経済発展に羨望の目で見ていたことは、想像に難くない。
東ドイツに留学していた知り合いがいて、彼が日本に帰国してから東ドイツでの生活の話などを聞いたことがあるが、その中の一つに、彼がいた一年の間に彼の近所で行われていたマンション建設が完成しなかったという話がある。もちろん何十階とあるような高層マンションではない。日本で言えば、文化住宅程度の、数階の小規模マンションである。日本なら二・三ヶ月で完成するような規模のものが、彼が到着したときにすでに工事中だったのに、帰国するときにもまだ工事中だったというのだ。こんな調子だから、そのほかの労働も同じで、仕事は遅い、出来は悪い、品数は少ない、種類もほとんどないという最低の状態というのが東欧諸国の生活レベルだったのだろう。
ユーロに関わるもう一つの発見は、1970年代に日本が空前絶後の石油ショックでそれまでの高度経済成長が止められ重厚長大の技術から軽薄短小のテクノロジーへと転換することで新しい経済成長の波に乗ろうとして、それをもってヨーロッパ進出を果たした頃、日本の優秀な製品に席巻されて門戸を閉ざし、それがゆえに高度なテクノロジーの養成をすることができないまま80年代を迎えたヨーロッパが経済通貨統合によって、その巻き返しをはかろうとした試みと努力、その行き着いた先が通貨統合なのだ、この意味では通貨統合の助産婦となったのが日本なのだと(こんな表現を筆者は使っていないが)いう説明である。なるほどなー!フランスって、たしかに高度なテクノロジーって国じゃないものなーって80年代初めに始めてフランスに行った頃には思っていたけど、ここのところの科学技術の発展はちょっと驚くものがあるのは確かだ。それが日本の経済進出に刺激された結果だったとは、意外!
田中素香「ユーロ その衝撃とゆくえ」がユーロ圏内での通貨統合にいたるまでのさまざまな手続きややり取りを中心に書かれていたのに対して、ユーロ圏と日本、ユーロ圏と世界という関係で書かれているので、世界の動きの中でのユーロというものがよく分かるようになっている。経済的なことについてはほとんど専門的なことは書かれていない。しかし単純に、それまで日本やアジアに投資されていた資金がアジアでの通貨危機などを経て引き上げられて、ちょうど通貨統合の動きが活発化現実化していたヨーロッパに投入されることで、ユーロ実現に拍車がかかったというような説明を読むと、世界の投資家の目がどこに向いているか、どこに将来性を見ているかによって投資の向きが変わり、その地域の経済が活況を帯びたり、不況になったりするというレベルの説明でも、まぁ素人にはなるほどと思わせるところがあった。ユーロについて知るには、素人向けとしてはこのあたりがちょうどいいのかなと思う。
ユーロ関係の本が続いている。今度はイギリスに新聞社の特派員として滞在し、ヨーロッパにおける通貨統合を目の当たりにした経験から、ユーロの政治的な意味についてとくに焦点を絞って書いたものである。田中素香「ユーロ その衝撃とゆくえ」が経済の専門家によるユーロ解説だったのにたいして、こちらはジャーナリストによるユーロの政治性解説のような本になっている。それだけ経済が専門でない私には読みやすかったし、ちょっと目から鱗的な発見もあった。
その第一が、これって本当に定説となっているのか、たんにこの著者が勝手に言っているだけのものなのかよく分からないが、1980年代後半にEU諸国が通貨統合を目指して話し合いを進め、それを実現するためにさまざまな試みをしていたが、それが実って着実に経済成長を進めつつあるのを目の当たりにした東ヨーロッパの共産圏の国々の人々が、このままでは通貨統合にも参加できず、経済発展に乗り遅れてしまうとあせって、ベルリンの壁を揺り動かすことになり、東欧諸国での民主化が大きなうねりとなって実現したというものである。そういわれてみるとそうかもしれない。通貨統合を目指していた国々は東欧諸国から見ればすぐ隣の国々であり、とくに東ドイツの人たちは西ドイツの繁栄・堅実な経済発展に羨望の目で見ていたことは、想像に難くない。
東ドイツに留学していた知り合いがいて、彼が日本に帰国してから東ドイツでの生活の話などを聞いたことがあるが、その中の一つに、彼がいた一年の間に彼の近所で行われていたマンション建設が完成しなかったという話がある。もちろん何十階とあるような高層マンションではない。日本で言えば、文化住宅程度の、数階の小規模マンションである。日本なら二・三ヶ月で完成するような規模のものが、彼が到着したときにすでに工事中だったのに、帰国するときにもまだ工事中だったというのだ。こんな調子だから、そのほかの労働も同じで、仕事は遅い、出来は悪い、品数は少ない、種類もほとんどないという最低の状態というのが東欧諸国の生活レベルだったのだろう。
ユーロに関わるもう一つの発見は、1970年代に日本が空前絶後の石油ショックでそれまでの高度経済成長が止められ重厚長大の技術から軽薄短小のテクノロジーへと転換することで新しい経済成長の波に乗ろうとして、それをもってヨーロッパ進出を果たした頃、日本の優秀な製品に席巻されて門戸を閉ざし、それがゆえに高度なテクノロジーの養成をすることができないまま80年代を迎えたヨーロッパが経済通貨統合によって、その巻き返しをはかろうとした試みと努力、その行き着いた先が通貨統合なのだ、この意味では通貨統合の助産婦となったのが日本なのだと(こんな表現を筆者は使っていないが)いう説明である。なるほどなー!フランスって、たしかに高度なテクノロジーって国じゃないものなーって80年代初めに始めてフランスに行った頃には思っていたけど、ここのところの科学技術の発展はちょっと驚くものがあるのは確かだ。それが日本の経済進出に刺激された結果だったとは、意外!
田中素香「ユーロ その衝撃とゆくえ」がユーロ圏内での通貨統合にいたるまでのさまざまな手続きややり取りを中心に書かれていたのに対して、ユーロ圏と日本、ユーロ圏と世界という関係で書かれているので、世界の動きの中でのユーロというものがよく分かるようになっている。経済的なことについてはほとんど専門的なことは書かれていない。しかし単純に、それまで日本やアジアに投資されていた資金がアジアでの通貨危機などを経て引き上げられて、ちょうど通貨統合の動きが活発化現実化していたヨーロッパに投入されることで、ユーロ実現に拍車がかかったというような説明を読むと、世界の投資家の目がどこに向いているか、どこに将来性を見ているかによって投資の向きが変わり、その地域の経済が活況を帯びたり、不況になったりするというレベルの説明でも、まぁ素人にはなるほどと思わせるところがあった。ユーロについて知るには、素人向けとしてはこのあたりがちょうどいいのかなと思う。