読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『神社の起源と古代朝鮮』

2014年05月19日 | 人文科学系
岡谷公ニ『神社の起源と古代朝鮮』(平凡社新書、2013年)

これもどこかの新聞の書評欄で見つけたのだと思うが、数年前からの私の関心領域の一つである、古代朝鮮と日本の関係を示す本だということがすぐにわかったので、図書館に予約をしていた。

一見すると、旅の報告という形態をとっているので、比較的読みやすいが、なんか強烈な驚きを期待していた読者には、ちょっと肩透かしかもしれない。大学を定年退官した老研究者が、それまで研究できないでいた日本の神社の起源が古代朝鮮、とくに日本にやってきた朝鮮人たちが作ったものではないのかという問題を実地研究によって切り開いていこうとしている。

しかしとくに第四章の「出雲と新羅」や第五章の「三輪信仰の謎」あたりからは、かなり突っ込んだ議論も見られ(って、素人の私には、議論をまとめて、こんなことが議論になってましたよと、示すことができないのだけど)、じょじょに面白くなってくる。

これを読んでいると、どう見ても、神社の起源、つまり言い換えれば、記紀に書かれているような神話の元になっている出来事の言い伝えは、ほとんどが朝鮮人が日本に渡来してきて作り上げたものだということが言えるのではないだろうか。つまり、日本人の古ーーい昔からある素朴な信仰―つまり、巨大な岩や山や巨木を神と見なして畏敬し、祀る行為―は、古代朝鮮人が日本に持ち込んできたものだということではないだろうか。

そうであれば、その系列の結果として出来上がった伊勢神宮なんかもそういう系列であろう。ということはまさに…。

韓国では、長期に続いた李朝朝鮮時代が儒教を国教としたことで、神社などは壊されたりしたということがこの本でも書かれているし、その後戦後になってからは、キリスト教がかなり浸透して、神社のもとになるものが忘れ去られ、破壊されたために、もとから神社やその信仰はなかった、日本古来の信仰であるかのように思われているのかもしれないが、その起源は朝鮮にあるのだということをこの著者は示そうとしている。

それにしても、いつも思うのだけど、記紀のあの訳の分からない文章、あれは古代朝鮮語で読み解かないと正しい意味が現代人に理解できないのではと思う。古代朝鮮語で読み解けば、これまで知られていなかったまったく新しい意味が浮かんでくるんのではないだろうか。もし神話の起源が古代朝鮮にあるということなら、それを研究する人たちは古代朝鮮語を勉強すべきじゃないのかな。

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