読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

2008年12月10日 | 作家ラ行
リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社、2005年)

私のいつもの癖で、みんながいいという本は読まないようにしてきた。そのような一冊だった。図書館の返却コーナーにあった、ということはほとぼりが冷めてきたのだろう。たしかに面白い。これならよく売れるはずだ。下手するといやなマザコンの小説ってことにもなりかねない内容なのに、オカンがいい。この人のおかげでマザコンではなく、普遍的な母性愛を描いた小説になったのだと、一人で納得。

この小説、普通なら、自分の半生を綴ったものとして、前半で終わりだろう。前半部分もそれなりに面白かったが、これはまぁよくある素人の自伝と同じで、前半の面白さは少年時代から大人へとなっていく男の面白さであって、どんな人の話を聞いても、それはそれなりに面白いものだ。

そして30歳で東京に母親を迎えて同居するところから後半が始まるのだが、まだなんか書くことあるのかなと思いつつ読んだ。私も一人で暮らしている老母を大阪に迎えて一緒に住むべきかどうか思い悩むときもあるが、たいていその決定を先延ばししている理由は、まぁ本人がまだ一人でやっていけると言っていることもあるが、大阪に出てきて友達もなく、あまり人付き合いもうまいほうではないのに、面白くないだろう、ただ死ぬのを待っているだけになってしまう、それよりはまだ友人のいるふるさとのほうがいいだろう、という判断だ。だからこの小説で63歳の母親を東京に迎えるという後半になって、なにかまだ書くことがあるのだろうかと思ったのだが、まったく私の間違いだった。

いやー、このオカンがいい。63歳とはいえ、自分で積極的に出かけて、買い物もするし、知り合いも作るし、老人会に入ってサークルにも出かけるし、なによりも息子のお世話になっている人にお礼と言って、食事をふるまい、親しくなってしまう。すごいキャラクターだなと感心した。最後には息子ではなく自分が若い人たちの中心になってしまうのだから。たしかに「オカンとボク...」のはずだ。オカンが主人公の小説と言ってもいい。

そしてガンによる壮絶な死。主人公は激痛に苦しむオカンをよく最後まで看取ってあげたなと感心する。たいていなら逃げ出したくなるだろう。それが息子のために生きてきたオカンへの息子の唯一の恩返しだったのだろう。

オダギリジョーと樹木希林で映画にもなった。読む前から知っていたので(観ていないが)、小説を読みながら、オカンは完全に樹木希林になっていた。オダギリジョーはかっこよすぎるが、こんなオカンならたしかに樹木希林がピッタリだな。どんな映画だったのだろうか。

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