読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「東京ゲスト・ハウス」

2006年05月28日 | 作家カ行
角田光代『東京ゲスト・ハウス』(河出書房新社、1999年)

ネパールのカトマンズでネパール人の行動パターンが読めずにネパール人嫌いになっていたところに声を掛けてくれて、同じ宿の人たちとピクニックに行ったことがある暮林さんという女性が旅館のような家に間借りすることになった「ぼく」ことアキオとその暮林さんの家に間借りしているヤマネくん、フトシとカナ、そしていつの間にか同居しているミカコたちとの、おかしなやりとりの数ヶ月を描いた作品ということになるだろうか。

ある意味この小説のテーゼは逆説的だと言っていいい。そもそも「ぼく」は変わり映えしなさそうな自分の毎日から逃れるように東南アジアへの旅行に出かけたのだし、金がなくなって日本に帰ってきて、6ヶ月前にほったらかしにしてきた元同棲相手の「マリコ」のところに戻るはずが、別の男が同居中だったために、暮林さんのところへ転がり込んだあとも、まるで旅行の途中でもあるかのように暮らしているにもかかわらず、そして「ぼく」と同じように、まるで旅の途中の、アジアのどこかの「ゲスト・ハウス」にでもいるような人たちと生活しているにもかかわらず、幸せを感じることはできない。そして登場人物の中で一番幸せを感じているのは、日々のルーティンのなかに埋没して、そこから出ようとは決してしないようにみえるヤマネくんだからだ。

ヤマネくんは毎日紐結びだかなんか訳のわからない仕事をして、夜もふけた頃になると、近所でネグレクトされている犬に勝手に名前を付けて、餌をやったりして世話をしてやることに幸せを感じている男で、暮林さんに晩御飯を作るという約束をしていて、毎日どんなに周囲が混乱していようと律儀に晩御飯を作っ暮林さんと二人で(あるいは一人で)食べるというルーティンを崩そうとはしないのだ。そして暮林さんが再び旅行に出てしまった後もおそらくこのルーティンを崩すことはないだろう。

ヤマネくんはなぜ幸せなのだろうか?私が思うに、彼は自分の身の丈に合った生活をしてその中で充足して生きているからだろう。まさにこれこそ現代社会にたいする、きつい風刺のように思う。みんな中流であるかのように錯覚して、異常なほどの物のなかに埋もれて、それがなければ生きていけないかのように、物に従属して生きている。その点でヤマネくんはじつにシンプルに生きている。そういうテーゼをこの小説はもっていると思う。

それにしても、この小説は読みやすい。あまりに読みやすくて、あっという間に読んでしまった。

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