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読書な日々

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いまだに封建社会の日本

2021年01月02日 | 日々の雑感
いまだに封建社会の日本

年末に浅田次郎原作の『壬生義士伝』を見た。中井貴一が主演した吉村という南部藩出身の武士が生活のために家族を置いて京都に出稼ぎに来て、お金の心配ばかりしているような言動をしている彼を見てバカにする新選組の組員たちをよそに、いざ新政府軍との戦いになったら「義」のために命を賭して戦い、南部藩の京都の屋敷に落ち延びたが、お家のために自害させられたという話である。

封建社会の主従関係は、家臣が殿様のために命を投げ出して義に尽くすというものだが、それはお家大事という口実のもとに家臣の側に一方的に押し付けられた自己犠牲のようなもので、下っ端はお家のために死を押し付けられる。上のものは決してそんな自己犠牲はしない。自己犠牲させられるのは、下っ端だけ。

この映画が描いている維新前後の戦いもそうだ。会津藩の白虎隊がいい例。何も知らない若者たちだけが集団自決しなければならない状態に追い込まれ、会津藩の上層部は生き延びている。

そしてこの封建社会の主従関係は武士階級だけのものだったが、それが明治時代になって天皇と全国民の関係にそのまま持ち込まれた。天皇のため、国家のために、命を捨てさせられる。そしてそれを命令する上の者たちは決してそんな自己犠牲はしない。特攻隊がいい例で、それを命じた者たち(東条英機をトップとして)は決してその責任も取らない。それを皮肉ったのが、以前にも書いた、中曽根と美輪明宏の逸話。こちら

それが敗戦で終わったわけではなくて、今度は雇用関係に持ち込まれた。会社のために下っ端は自己犠牲させられる。過労死するほど働かせられ、うつになったらポイ捨て。上のものは決してその責任を取らない。

太平洋戦争の敗戦で日本は変わったと思っているのなら大間違いですよ。何も変わっていません。いまだにコロナ禍に「竹槍」(精神論)「大本営発表」(嘘八百の情報ばかり)ですからね。

<1月3日追加分>ーーーーーーーーーーーーー
これをブログにアップしてから、内田樹と福島みずほの対談『「意地悪」化する日本』を読んでいたら、日本が太平洋戦争の敗戦によって戦前の忠義社会から「民主化」によって新しい社会制度を作ったはずなのに、いまだに戦前と同じ支配構造がそのまま労働関係に残っている理由が分かった。

内田は、その11頁から12頁で、敗戦による日本の支配者たちは、国家戦略として、アメリカの属国になって忠義を尽くしアメリカから「信頼できる同盟国」という承認を獲得することができれば、アメリカから「自立のお許し」が得られるかもしれない、その日までがんばって従属しようという選択をしたという。まさにアメリカを支配者とする忠義国家になるという選択だ。つまり戦後日本の国家の有り様そのものが、まさに主君と家臣、天皇と国民といった戦前までの日本の支配構造を戦後にもアメリカと日本のあいだに受け継がれたということになる。

そのような支配構造が国家の有り様だとすれば、それがそのまま労働関係に反映されても当然であろう。会社のためといって社員は切り捨てられ、自己犠牲を強いられる。

議員と秘書の関係も同じ。議員が悪事をしてそれがバレるといつも秘書のせいにして逃れる。秘書は尻尾切りのように犠牲者にされる(裏では家族の面倒は一生見るからみたいな約束があるのかしれないが、秘書そのものは主君へ悪事をなした人、主君を裏切った人として永遠に社会から葬り去られるだろう)。

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