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読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『ジヴェルニーの食卓』

2018年08月16日 | 作家ハ行
原田マハ『ジヴェルニーの食卓』(集英社、2013年)

じつは、原田マハって読みたいと思いながら、読んでいないな、と思い、図書館でこれと一緒に『楽園のカンヴァス』も借りてきたのだが、その表紙絵を見ているうちに、これってもう読んだかもと思い出したので、このサイト内検索をしてみたら、あった。

2012年の暮に読んでいたのだ。こちら

それはそうとして、『ジヴェルニーの食卓』は、短編集である。アンリ・マティスを主題にした「うつくしい墓」、エドガー・ドガを題材にした「エトワール」、セザンヌがメインの「タンギー爺さん」、そしてクロード・モネのジヴェルニーを描いた「ジヴェルニーの食卓」。

どれも詩情あふれる文章で、印象派の偉大な画家たちによりそった人々から見た画家たちの日常生活を描き、それを通して彼らの喜びや苦悩を描き出している。

マティスの死の数ヶ月前から彼のアパルトマンに世話係として雇われて、彼の死を看取ったマリアという若い女性が年老いてから、その時のことを回想して語る「うつくしい墓」は、かつてフランス語の勉強のためによく見ていたフランス制作のヴィデオのワン・レッスンにマティスの絵が題材になっていたこともあって、親しみを感じた。

もちろんジヴェルニーのモネ美術館となっている屋敷のことは、テレビでもよく見かける。この間もやってきた番組で、あの庭園や池の世話をしていたのはモネ自身であったということを知っていたので、この小説も興味深く読めた。

これらの画家に興味がある人には、なかなかいい作品だと思う。

『世界青春放浪記』

2018年06月09日 | 作家ハ行
ピーター・フランクル『世界青春放浪記』(集英社、2002年)

国際的な数学者にして、大道芸人という変わった人、テレビでときおり見かけるが、いったい何をして生計を立てているのか、さっぱりわからない人、ピーター・フランクルの青春記。

なんでこんな人の本を読んでみようという気になったのか?ヒラノ教授の本を読んでいる時に、ちらっと触れられていたからだったと思う。

読んでみてびっくり。両親はアウシュビッツ生還者。数学が抜群にできて、ハンガリーの科学アカデミーの会員にも選ばれているという。しかも数学を大学で講義する程度の力なら11ヵ国語を使えるという。たぶんこの本も自分で書いた…のかな。

東ヨーロッパの国々というのは、私には本当に想像がつかない世界なのだが(悪い意味ではない)、そういう世界で生き延びてきた人々は、日本は天国かもしれない。その風貌が、そんな厳しい世界を生き抜いてきたようには見えない。

アマゾンを見れば、結構な数の本を出版している。その印税だけでも食べていけるのかもしれない。

私にとって興味深かったのは、1975年からパリの学園都市にいたという部分。私もその数年後に一夏を過ごしたことがあり、興味深かった。

『テレマックの冒険』

2017年03月06日 | 作家ハ行
フェヌロン『テレマックの冒険』(現代思潮社、1969年)

時はルイ14世の統治の後半の17世紀末のこと。度重なる領土拡大戦争と疫病や冷害などのために国民は疲弊し、国庫は底をつきそうになっていたが、ルイ14世は、国民を犠牲にして、さらにかつての大貴族を没落させて得た栄光にすがりついて、政策を変更しようという気はまったくなかった。

そういう状況の中でルイ14世の近くにいて彼の王位を継承する王太子の側近や王太孫の教育に携わってきた貴族たちは、彼ら王位継承者を教育することで、貴族と民衆を大事にする新しいフランスを作ることを考えていた。

それがヴェルサイユで影響力をもっていたシュヴルーズ公やボーヴィリエ公であり、王太孫のブルゴーニュ公の師傅であったフェヌロンであった。彼は『統治計画案』を書いて、その中で、ルイ14世亡き後に曾孫が5才で王位を継承してルイ15世になったときに摂政となったオルレアン公が行った合議制や三部会の招集などを提言している。

残念ながら、1711年に、つまりルイ14世よりも先に王太子が、その翌年には王太孫のブルゴーニュ公が病死したために、彼らの希望は潰えてしまった。

そのフェヌロンが出版したこの『テレマックの冒険』は、1699年に出版された。ホメロスの『オデュッセイア』をもとにして、トロイ戦争の英雄であるユリス(オデュッセウス)を父とする王子テレマック(テレマコス)が、師メントール(実は英知の女神ミネルブの化身)に導かれて、行方不明の父ユリスを探して旅をして、辛苦を重ねたすえに父と再会するという話である。教え子のブルゴーニュ公の古典的教養を深め、君主はどのようにあるべきか、どのように国を治めるべきかという帝王学の伝授を目的としたと言われている。

それゆえに、人々は、巻七で語られる暴君ピグマリオンにルイ14世を、奸婦アスタルべにマントノン夫人を見ながら読んだと言われている。また同じ巻でアドアムが語るべティック国の素晴らしい治世や、「この国には、技芸を生業とする者はわずかです。人間の真実の必要に役立つ技芸しか認めようとしないからです」とか、めったに肉を食べず、果実とミルクを食料とし、質素だが、賢明で、純朴な生活をしているというこの国の風俗などを読むと、ルソーの『エミール』を思い出す。まさにルソーが最も理想とするような生活習慣や考え方が描かれている。

次から次へとテレマックとメントールに襲い掛かってくる困難や悲惨を乗り越えていく冒険譚は確かに読んでいても面白い。以前から一度読んでみたいと思っていた本だったが、古本屋で手に入れることができて、やっと読むことができた。

『インフェルノ』

2015年10月07日 | 作家ハ行
ダン・ブラウン『インフェルノ』(角川書店、2013年)

久しぶりのダン・ブラウンである。友人がフランス語で『インフェルノ』を読んでいるとか言っていたので、ダン・ブラウン新刊出したのかと思ったら、もう二年以上も前の話。今度はダンテの『神曲』を題材にした話だが、主題は地球の収容能力を超える人口増加に危機感をもった天才的な学者が、13世紀の黒死病のパンデミックみたいな、人間大量死を作り出そうとするのを阻むという話である。

フィレンツェやヴェネチアの町をラングトン教授とその連れが縦横無尽に走り回るので、これらの街のコトを何も知らない私としては、チンプンカンプンで、ストーリーをたどるのに精いっぱい状態。これらの町のことを熟知している人たちには面白いかもしれないが、どうもわけが分からない。

それにダンテの『神曲』もその中の第25の詩が導きの糸となっているのだが、本当に反社会的なことをやろうとしている連中がそんなガイドを敵対者に渡すのかなという気もするし、その大量破壊ウィルスのありかを見つけるための案内を記した友人の言葉も、そんな面倒な言い方をするのかなと、勘ぐれば勘ぐることができる。

つまり、作り物感が半端なくて、これまでのダン・ブラウン作品の中では一番話に入り込みにくいものだった。それに最初の病院での出来事―医者がスナイパーみたいな女に撃ち殺される―が全部作り物だったとか、ずっと一緒に探しまわっていたシエナがじつは敵方の女だったとかというどんでん返しも、ちょっとなーという感じ。

『天使と悪魔』や『ダ・ヴィンチ・コード』のときのあのわくわく感はどこに行ったのだろうか。

『麒麟の翼』

2015年09月05日 | 作家ハ行
東野圭吾『麒麟の翼』(講談社、2011年)

最近ケーブルテレビでアメリカ映画『デジャヴュ』を見た。デンゼル・ワシントン演じる捜査官の知り合いを含む多数の人が港に停泊中の遊覧船に仕掛けられた爆弾で死亡する。

テロ犯罪と認定され、政府の特殊な捜査室から呼び出されたデンゼル・ワシントンは、この操作が最新鋭のコンピュータ機能を駆使したもので、現在から46時間の過去から現在方向への時間軸で、任意の場所の任意の人物に焦点をあてた映像を表示できるということを知る。まさにデジャヴュの世界が繰り広げられる。

まぁそれはいいとして、『麒麟の翼』を読みながら私にもこのデジャヴュ感がずっとつきまとっていた。最初に青柳武明が胸にナイフを突き刺されたままでたどり着いたのが日本橋の麒麟の翼のあるところだったという箇所で、あれ、これ読んだことがあるな、と気づく。

そして、水天宮めぐりをしていただとか、これが息子の悠人がクラブ仲間と起こした事故で下級生が植物人間になってしまったことに関係しているという箇所まで、ずっとデジャヴュ感に何度も襲われた。

しかしこのブログを検索してみても、読んだ形跡が出てこないし、映画を見た記憶もないし(ってかなりこの記憶がいい加減だけど)。結局、最後まで読んでしまったけれど。ウィキペディアで映画の配役を見てしまったので、ずっと読みながら阿部寛とか松坂桃李だとかが喋っているような錯覚に陥りながら読んだ。これってどうなのだろうか。

昨日はちょうど病院に行く用事があって、その行き帰りの電車や待合室で読むのにピッタリ。降りる駅を間違えるのではないかと、ちょっとヒヤヒヤ。それだけ熱中していたってことかな。

『侍とキリスト』

2013年10月29日 | 作家ハ行
ラモン・ビラロ『侍とキリスト』(平凡社、2011年)

図書館でたまたま見つけた。日本へのキリスト教布教の先陣を飾ったことで、つとに有名な、あのフランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着してから、平戸、山口、堺、京都、山口と回って、平戸から中国へ向かって旅立って行くまでを描いた小説。

ゴアにいるときにキリスト教の洗礼を受けた弥治郎という鹿児島出身の若者がいたことが、ザビエルの日本での布教を決心させたということだが、通訳をしてくれる者がいなかったら、とても布教などできないだろう。この小説の主題となっていることはいくつかあるが、その一つに唯一神の概念を理解させることが難しいということがある。

日本人はあらゆるところに存在するヤオロズの神々を信仰し、さらには多数存在する仏の手本である阿弥陀、如来などを信仰する多神教である。キリスト教とユダヤ教、そしてイスラム教以外は、ほとんどの宗教が多神教だと思うのだが、その意味では一神教のほうが珍しい。現代の日本人なら、信仰するかどうかは別として、概念的は理解できるだろうが、イエスのような人の姿をしているわけでもなく、まったく実体をもたず、どんな姿形もしていない唯一存在としての神というようなものが、理解できなかったのはよく分かる。

その上、上に挙げた一神教がすべてそうだが、これらは排他的な宗教である。ここで排他的というのは、敵対的という意味ではなくて、この小説でも問題になっていたが、キリスト教を信仰したら、他の宗教を信仰してはいけないという意味である。仏教にせよ神道にせよ、どちらも同時に信仰してもかまわない。思うに、こうした排他性は結局、敵対性になる。

だから、仏僧のトップたちが、キリスト教を排除しようとした理由もここにある。とくにこの小説でしっかり描かれているが、鹿児島の福昌寺の忍室との対談で、忍室は互いを認め合っていくのなら何も問題ない、仏教には仏教の真理への近づき方があり、キリスト教にもそれ固有の道がある、だから互いを尊重しあっていこうと主張しているのにたいして、ザビエルはそれを頑なに拒んでいる。そういう排他的な宗教を仏教の指導者たちが受け入れられないのは当然だろう。

もう一つ不思議なのは、庶民にキリスト教が広まっていったことだ。もちろん庶民は虐げられ、貧しい暮らしを余儀なくされていた時代だ。だからといって、訳の分からない宗教に救いを求めるというのが私には理解できない。もちろんあくまでも少数派には違いないが、キリスト教の何が彼らを動かしたのか、知りたいものだが、残念ながら、そこまで立ち入った書き方にはなっていない。

原題はDAINICHIという。これは大日如来のことで、神を日本人に理解させることが難しく、彼らの心のなかにストンと入るものを探した結果、「大日」と呼ぶようにしたということから来ている。だが、京都ではまったく布教の手がかりをつかむことができず、山口への帰還を余儀なくされたため、ザビエルはそれが神を勝手に大日などと言い換えたことへの天罰だと思い込む。

ザビエルは日本を出て、中国への布教に行くが、それも果たさないうちに亡くなっている

『日御子』

2013年03月26日 | 作家ハ行
帚木蓬生『日御子』(講談社、2012年)

邪馬台国の隣にあった那国が漢に使者を送って、漢委奴國王という金印をもらった時代から、邪馬台国の卑弥呼が魏に使者を送って親魏倭王の称号をもらった時代を経て、魏から普に変わった中国に使者を送ろうとする卑弥呼の次の女王の時代の邪馬台国にいたる百有余年の北九州地域の邪馬台国の通訳を務める一族<あずみ>を語り手にした物語。

邪馬台国の所在地については、九州説と近畿説とがあって論争も盛んに行われているが、こういう小説を読むと、やはり九州にあったと考えるのが妥当なような気がする。この小説の語り手となっている通訳を務める一族の<あずみ>は、中国から渡ってきた漢民族が代々漢字と発音を伝承していき、倭人と中国との橋渡しになったという設定にもとづいて書かれている。これは決して荒唐無稽な推論によるものではないと思う。朝鮮半島から日本へは確かに偶然でも到達できる。なによりも対馬と壱岐が間にあるからだ。だが、中国から日本へは万に一つの偶然でもない限りは流されて来ることはないだろう。だから、そういう一族がいて、代々漢語を伝承したという設定でもなければ、那国や邪馬台国が漢や魏に使節を送って、中国の信任を得るという行為は成り立たないだろう。そもそも文書を作ることもままならない。通訳だっていなければ、話が通じない。

この時代の歴史を書いた本はいくつも読んできたので、最初はあちこちツッコミを入れながら読んでいたが、すぐにやめた。そんなことをしていても面白く無いし、小説の世界に入り込めないからだ。この小説に書かれていることは正しいと思って読み進めようと思い直し、そのようにして読むと、面白かった。初めて漢に使者を送った那国の国王の人柄から、卑弥呼(小説では日御子)となる少女の人間像から、邪馬台国の南にあって邪馬台国と敵対していた求奈国との違いなど、作者は相当の研究をして書いているのだと思う。

『楽園のカンヴァス』

2012年12月19日 | 作家ハ行
原田マハ『楽園のカンヴァス』(新潮社、2012年)

アンリ・ルソーの『夢』という大作(死の直前に描かれた作品)にまつわる真偽を取り上げた作品で、今年のベストなんとかにたいてい入っていたり、この間毎日新聞を読んでいたら、高校生が選んだ文学賞のトップにこの作品が選ばれていた。たしかにすごい筆力でぐいぐい読ませ、作品世界に入り込ませる力をもっている。

アンリ・ルソーが死の直前に描いた『夢』という大作はニューヨークの近代美術館にある。ところがどうやら親交のあったピカソの青の時代の母子像の絵の上に『夢』にそっくりだがヤドヴィガの左手が何かを指しているのではなくて握りしめた状態の絵『夢をみた』という作品がある。その真贋をティム・ブラウンと新進の研究者オリエ・ハヤカワが対決することになる。その作品の持ち主は伝説のコレクターでバイラーという。ヴァカンスシーズンにバイラーの屋敷に招かれた二人は古い書物に書かれたアンリ・ルソーの伝記(主に最後の数年に焦点を当てた伝記)を読みながら、作品の真贋を検討し、最後に講評を添えて本物か偽物かをバイラーに答えなければならない。

この作品は結局のところ、このバイラーというコレクターが実はアンリ・ルソーがこの作品を描いていた頃に付き合いがありモデルとなったヤドヴィガの夫でアンリ・ルソーを助けていたジョゼフ当人であり、真贋対決に勝利したティム・ブラウンが、バイラーの孫であるジュリエッタにこの作品を譲り渡すことで、表には出てこないという形で、オチがついているのだが、こういう作品は、有名画家の実在しない作品をいかに実在するかもしれないという話にもっていけるかどうかにかかっており、たいへんな知識と技量が必要で、その点は申し分のない作品だといえる。

こういう作品がときに推理小説っぽくなるのは、本当にそんな作品が存在する可能性があったのかを見極めようとする主人公たちの探求がなければ作品が成り立たないからだし、有名画家の未発見の作品であれば、すごい値がつくことになり、国際的な利害関係者が絡んでくることによって、場合によっては殺人だとかスパイだとかという話になってくるからだ。

そういう意味では、この作品は決して目新しいものではない。たとえば高橋克彦なんかの絵画関係の小説が同じような作りのものであるし、こちらも決して面白さという点で負けてはいない。ただ『ゴッホ殺人事件』とか『写楽殺人事件』というようなタイトルにしてしまったので、タイトルから受ける印象が薄っぺらい感じになってしまい、叙情性がないのではないかと読む側が読む前から思い込んでしまうことになるのが残念だ。本当はそんなことはないのだけどね。

『ゴッホ殺人事件』はこちら
『写楽殺人事件』はこちら

『浮雲』

2011年12月18日 | 作家ハ行
二葉亭四迷『浮雲』(岩波文庫、2004年)

浮雲 (岩波文庫)
二葉亭 四迷,十川 信介
岩波書店
言文一致体で書かれた小説として有名な作品。言文一致体で書かれているということで読んでみると、明治中期の東京の言葉には、現代とほとんど変わっていないことが分かる。たとえばパラパラとめくって適当なところを開いてみる。第一篇第三回のお勢と文三の会話の部分。

「アノー夕べは貴君(あなた)どうなすったの
返答なし
「何だか私が残酷だって大変おこっていらしったが 何が残酷ですの。

というようなところを読んでも、それほど違和感がない。たいてい現代を変わっているところは漢字による当て字の部分が大きい。

それ以上に興味深いのは、大卒なのに就職がなかなか見つからない、また雇用されても簡単に解雇される(しかも公務員であるのに)など労働条件が非常に不安定というところだ。私たちが子どもの頃には大学を出れば、生活は安定しまともな暮らしができるということが当たり前になっていたように思うが、明治中期には大卒というものがそれほどたいしたステイタスではなかったのだろうか。

たしかに私の祖父母の時代、つまり昭和の30年代あたりだって、とくにたいした定職についていなくても、ほそぼそと生活していくことができたような時代だ。いったい何をして毎日飯を食っていたのかと思うような生活をしていたらしいことが、祖父母の話を聞いていると分かる。ややり大卒が大企業に就職して定年退職までバリバリ働き、退職後は悠々自適の老後を過ごすみたいな、私たちが大卒に持っている安定したイメージは戦後の高度経済成長期にできた神話の一つなのかもしれない。

そのあたりのことはもうひとつよく分からないが、そうした作品の状況設定はまさに時代の姿をリアルに伝えているのだろうし、もう一つ感心したのが、登場人物たちの行動やそれを動かす心理のあり方や価値観にそれほど現代人との違いがないということだ。つまり文三やお勢や彼女の母親のお政、そして文三の同級生である本田昇たちの行動の規範に違和感を抱くことなく読めるということは、それほど私たちの行動規範と隔たっていないからだろう。もちろん個人的には私だったらそんなことはしないだろう、こうするだろうという思いを持つことはあるが、それと登場人物たちの行動が理解できる・できないとは別のことだ。

ここでは登場人物たちがなぜこの場面でこのような行動をするのか、いったん物語の進行を止めて、語り手が説明をしている。これは漱石でいえば最後の作品『明暗』に典型的に使われた手法である。『明暗』は漱石の作品のなかで初めて女が主人公になった(あるいは津田、彼の妻、津田の妹たちの視点で物語が語られる)作品であると言うことができるが、たぶんそれもあって、女がこんなときにどうしてこんな行動をするのか事細かに説明をすることで人間をリアルに描くという目的を持っていたはずである。『浮雲』は初めてそうした登場人物の行動原理を説明していくために、実際に読者が日常的に考えたり感じたりしていることと同じレベルで登場人物の思考や感情を提示するために、どうしても言文一致体を用いる必要があったのではないかと考えられる。

高校生の頃からタイトルだけは知っていた小説をやっと読んだので、胸のつかえがおりた感じ。

『船に乗れ!Ⅲ合奏協奏曲』

2010年04月30日 | 作家ハ行
藤谷治『船に乗れ!Ⅲ合奏協奏曲』(ジャイヴ、2009年)

連作の最終巻。高校二年生で付き合っていた南枝里子が他の男性とのあいだに子どもができて退学し、恋愛も破綻してしまうという事件があり、なんとかその痛手を隠しつつ、三年生になって、音楽ホールの落成をきっかけに、オーケストラは専攻科だけでやるという方針転換に新たな気持ちで取り組んでいた津島たちの演奏会に突然枝里子がやってきて隠れてバッハのブランデンブルグ協奏曲5番を演奏して、またあっという間に去ってしまう。後から渡された手紙とかつて一緒にやっていた曲の楽譜でやっと踏ん切りをつけた津島は、チェロを捨てる決心をして予備校に通い始める。

たぶん作者が高校生のときに経験したことをほとんどそのまま小説にしたんだろうなと思いながら読んだ。また小説だからそういうふうに作ってあるのかもしれないが、なんだかすごく凝縮された高校三年間という気がする。普通の人間の3倍も4倍もの出来事が濃縮されているというか。

私の高校三年間も心の中ではけっこう波乱だったけど、外見的にはとくにたいした出来事もなく過ぎていった三年間だった。毎日(日曜日も祝日もなく、休みだったのは正月くらいか)ボートの練習に明け暮れ、帰宅したら、勉強もせず、テレビを見るばかりで、音楽を聴いたり、小説を読んだりはたまにするくらい。坐骨神経痛で膝が痛くなってボートができなくなった三年生の初め頃からは小説を読むようになった。それでちょっとは小説らしきものを書いたりして、大学も文学部に行こうと決めた。

「あのときこうしていればよかった」というようなことは誰しも考えることだが、あのときあの子が言ったあの言葉はじつはこういうことを意味していたんじゃないのかとか、あのときのあいつの行動はこういうことから来ていたんじゃないかというようなことが、つぎつぎと合点がいくというか、思い当たる節がある的に、突然ひらめいたりするということが、20歳代の出来事について私の場合は40歳代まであった。しかしそういうことも最近はほとんどない。たぶん人はそういう形で若い頃の過去と切れていくんじゃないかと思う。忘れるということは、本当に忘却してしまうということもあるけれども、重要な出来事の場合は、本当に忘れてしまうことはできないで、その隠された意味が突然分かる、よみがえるというような、牛の反芻行為ににたことが起きなくなることを言うのだろうと思う。

この作家はこれを30年後の45歳くらいで書いているわけで、まさに反芻行為を行なってきたことを思い出しながら書いたのだろうが、きっとこれでそれも終わりになるにちがいない。そういうことで青春時代に踏ん切りをつけることになるのだろう。