読書な日々

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『土偶を読む』

2023年05月07日 | 人文科学系
竹倉史人『土偶を読む』(晶文社、2021年)

人類学者による土偶研究の本として結構知られているようだ(第43回サントリー学芸賞を受賞したとある)。最近、土偶の専門家たち(じつは自分から土偶の専門家と名乗っている人はいないと、本書には書かれている。専門家なんて言うと、土偶は何を意味しているのとか、彼らに答えられない質問があちこちから飛んでくるかららしい)から批判の本『土偶を読むを読む』(2023年4月、文学通信)という本が出版されたので、また話題になっているらしい。

私もまったく専門外だが、ある人のツイッターで『土偶を読むを読む』を読んだというのを読んで、それの元になっている本書が図書館にあったので借りて読んだら、めっぽう面白い。

結論から言うと、ハート型土偶はオニグルミ、中空土偶はクリ、椎塚土偶はハマグリ、ミミズク土偶はイタボガキ、縄文のビーナス(カモメライン土偶)はトチノミ、刺突文土偶はヒエ、遮光器土偶はサトイモをモチーフに縄文人が造形したという。

縄文時代は弥生時代と違ってまだ稲作が登場していないので、狩猟生活というように説明されているが、もちろん狩猟もやっていただろうが、だからといって定住していなかったわけではなくて、三内丸山遺跡のように大規模な集落跡も見つかっているように定住していた。

当然、上のような植物や貝類を季節にあわせて常食しており、それの収穫が集落の生存を左右することになっただろうから、それらが充分に収穫できるように、祈願するために土偶が用いられたという著者の仮説は道理がある。

私も最初にこの本のカバー写真(中空土偶=どんぐりの写真)を見て、冗談でしょうと思ったのだが、読んでみると、しっかりした調査・研究・推論の上にこの仮説が成り立っており、「なるほどなー」と唸らせられた。

途中に固苦しい記述もあるが、人類学者であり、土偶にはまったく興味がなかった著者がなぜ土偶に興味を持つに至ったかから始まる箇所は、体験談でも読むような親しみ感があって、どんどん惹きつけられる(この箇所は、飛ばしてもいいと書いてあったが、読んだほうが興味がわいてよい)。だからあっという間に読み終えた。(まぁ専門家でもなければ、固苦しい箇所はすっ飛ばしてもいいと私は思うし。)

最近では世界的な人気も出ている日本の土偶がいったい何を表し、何に使われていたのかということの研究がまったく進んでいないということだが、この著者によると、土偶研究の初期に遮光器土偶のあの目の部分が光を遮るゴーグルだと言った偉い研究者がいたのだが、それが完全に否定されたために、考古学者たちには土偶研究が一種のトラウマというか、タブーみたいなものになっていたことに原因があるらしい。

それに考古学会は、例の「神の手」事件(行く先々で次々定説を翻すような時代の石器を掘り出した考古学者がいたが、じつは完全に捏造―自分で埋めていた―だったという事件)があったしね。専門家たちがきちんとやらないからこういうことになるんだろうね。

本書が考古学の専門家以外の人に書けたのは、1.考古学会による実証的な研究がしっかりなされている(食べ物の分布や土偶の分布など)、2.あと足りないのは人類学的な象徴体系の知識と発想(まさに著者がこれの専門だった)ということにあると思う。つまり本書は偶然の産物ではなくて、書くべき人が書いた、書かれるべくして書かれた考えるべきだろうな。

本書を批判する『土偶を読むを読む』も読んでみたいけど、「素晴らしいのはデザインだけで、正直なところ内容には極めて失望しました」なんてレビューもあるしね。

後日談
『土偶を読むを読む』も図書館から借りて読んでみたが、まったく面白くないので、ここに取り上げることはしない。

旧石器時代遺跡捏造事件に触れた竹岡俊樹『旧石器時代人の歴史』についての私のレビューはこちら

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