日本人は、言葉に対して独特な感性もっている。古くは濁点を嫌らったり、今でも、結婚式や葬式で“忌み言葉”を多用します。
図書館で借りてきた『なぜ日本人は、最悪の事態を想定できないのか――新・言霊論』(祥伝社新書・12/9/3・井沢 元彦著) は、その辺りを深く掘り下げています。
まずは本の内容紹介です。
国会の原発事故調査委員会は今月6日に出した最終結論で、福島で起きた爆発は「深刻な人災」であるとして、企業や組織のなかに染みついた「日本文化」こそが原因だと結論づけました。ここでいう「日本文化」とは何か? 井沢元彦氏によれば、彼が長年唱え続けてきた「言霊」も、その一つです。 本書では、現代においても言霊の思想がいかに日本人の考え方を決定づけているかを検証していきます。本書を読めば、「口に出したことは実際に起こってしまうので、嫌なこと、あってはならないことは口に出さない、考えない」という言霊の思想が現代でも大手をふるって生き延びていることがよくわかります。
東京電力は、事故を想定すること自体が不吉なことだとして、地震や津波という、充分想定される事態をないこととしてきました。そのことは、さまざまな調査・証言から明らかになっています。 (以上)
本からの転載です。
日本人の深屑心理を支配する宗教-言霊
ここで改めて、言霊という概念の定義を紹介しておきましょう。
まず「広辞苑」では次のように定義しています。《言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた》。
ちなみに、ネット上のフリー百科事典ウィキペディアでも、こうあります。
《声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ。良い言葉を発すると良い事が起こり、不古な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため勵旅を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。結婚式などでのきみ言葉も、言霊の思想に基づくものである。日本は言霊の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸(さき)はふ国」とされた》(以下略)(以上)
言葉が物事を支配するという考えは、名においてもいえると紹介しています。以下転載。
言霊の世界では、人の名前を知る、知られるということは、その人を支配するということになるのです。恋人同士ならば身も心も捧げることになる。なぜなら名(言葉)と、その名によって表現される実体(この場合は恋人)は表裏一体のものだからです。言葉と実体は、言霊の作用によって一つのものになっているのです。
名と実体が一致するのだから、実体のほうを殺したい場合、名のほうへ呪いをかけても効果があることになります。ですから、うっかり名を人に知られたりしてはならないのです。名は単なる記号ではないわけです。
たとえば、子供が生まれるとわざと汚い名前をつける。あまりよい名だと鬼神か目をつけ、その子の命が危うくなるからです。無事成長すれば。よい名に変えることは言うまでもありません。
日本でも、歴史上有名な例があります。豊臣秀吉は淀君との間にようやく生まれた男子に、はじめ棄丸と名付け、後に鶴松と付けましたが、この子はわずか三歳で死んでしまいました。そこで次に生まれた子には拾丸とつけました。しかも絶対に呼び捨てにせよ、[お]の字をつけて[おひろい]と呼んではならぬ、と厳命しているのです。
ここで呼び捨てにするのは、言霊的にはひどいあつかいをすることによって、災いを避けようとする意識が働いているからです。逆に成人して本当の名を名乗れば、その名は絶対に呼び捨てにしてはならない。いや、そもそも囗にすること自体許されない。
では日本ではどうでしょうか。日本でも名前(実名)を呼ばないという習慣は守られました。そのことは実名のことを「諱」(いみな以下イミナと表記する)ということでもわかります。忌み名、なのでしょう。忌む、とは避ける・遠慮する・憚ることです。明治以降、日本に本当の意味でのイミナはなくなったので、イミナというものがどういうものか、わからなくなったようです。
簡単に説明するために。江戸時代の名奉行・遠山の金さんにご登場願いましょう。
金さん、姓は遠山、通称は金四郎、イミナは景元です。役職は江戸町奉行。官位は左衛門尉。つまり、遠山金四郎景元というのか彼の正式な名です。
しかし彼が生きていた時代、人からこのように呼ばれたことはまずなかったはずです。まず彼と親しい人間、竹馬の友や册蒙は、彼を「金四郎」あるいは「遠山」と呼ぶ。役所に出勤すれば、「お奉行」、あるいは[遠山様]でしょう。江戸城に登城すれば「遠山左衛門尉様」、同僚からは「左衛門尉殿」、上司からは「左衛門尉」あるいは「遠山」と呼ばれます。この場合、たとえ老中でも「景元」とは言いません。
相手が老中でも、そう呼ばれたら金さんは怒るでしょう。また怒ってもいいのです。少なくとも抗議はできます。なぜなら金さんと老中は。身分の差はあっても、同じ将軍の家臣だからです。「景元」と呼べるのは、主人である将軍か両親ぐらいで、あとは罪を犯して罪人になったときに呼び捨てにされることかあるかな、というぐらいのものなのです。
では、イミナはどんなときに使うのか。それは公文書や系図に名を書くときです。
また、自分で自分のことを言うときで、つまり、他人が「景元」と呼ぶことは許されませんが、自ら「遠山景元つつしんで申し上げます」などと言うのは、一向にかまいません。それから死んだときです。彼がこの匪の人でなくなれば、われわれは彼を遠山景元と呼んでもいいし、むしろそう呼ぶべきなのです。(以上)
諱について勉強になりました。また名が体を表すという考え方は、浄土真宗の名号でもいえることで、名号との関連は不明ですが、中国人、日本人の情念の中で関係しているのかもしれません。
図書館で借りてきた『なぜ日本人は、最悪の事態を想定できないのか――新・言霊論』(祥伝社新書・12/9/3・井沢 元彦著) は、その辺りを深く掘り下げています。
まずは本の内容紹介です。
国会の原発事故調査委員会は今月6日に出した最終結論で、福島で起きた爆発は「深刻な人災」であるとして、企業や組織のなかに染みついた「日本文化」こそが原因だと結論づけました。ここでいう「日本文化」とは何か? 井沢元彦氏によれば、彼が長年唱え続けてきた「言霊」も、その一つです。 本書では、現代においても言霊の思想がいかに日本人の考え方を決定づけているかを検証していきます。本書を読めば、「口に出したことは実際に起こってしまうので、嫌なこと、あってはならないことは口に出さない、考えない」という言霊の思想が現代でも大手をふるって生き延びていることがよくわかります。
東京電力は、事故を想定すること自体が不吉なことだとして、地震や津波という、充分想定される事態をないこととしてきました。そのことは、さまざまな調査・証言から明らかになっています。 (以上)
本からの転載です。
日本人の深屑心理を支配する宗教-言霊
ここで改めて、言霊という概念の定義を紹介しておきましょう。
まず「広辞苑」では次のように定義しています。《言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた》。
ちなみに、ネット上のフリー百科事典ウィキペディアでも、こうあります。
《声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ。良い言葉を発すると良い事が起こり、不古な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため勵旅を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。結婚式などでのきみ言葉も、言霊の思想に基づくものである。日本は言霊の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸(さき)はふ国」とされた》(以下略)(以上)
言葉が物事を支配するという考えは、名においてもいえると紹介しています。以下転載。
言霊の世界では、人の名前を知る、知られるということは、その人を支配するということになるのです。恋人同士ならば身も心も捧げることになる。なぜなら名(言葉)と、その名によって表現される実体(この場合は恋人)は表裏一体のものだからです。言葉と実体は、言霊の作用によって一つのものになっているのです。
名と実体が一致するのだから、実体のほうを殺したい場合、名のほうへ呪いをかけても効果があることになります。ですから、うっかり名を人に知られたりしてはならないのです。名は単なる記号ではないわけです。
たとえば、子供が生まれるとわざと汚い名前をつける。あまりよい名だと鬼神か目をつけ、その子の命が危うくなるからです。無事成長すれば。よい名に変えることは言うまでもありません。
日本でも、歴史上有名な例があります。豊臣秀吉は淀君との間にようやく生まれた男子に、はじめ棄丸と名付け、後に鶴松と付けましたが、この子はわずか三歳で死んでしまいました。そこで次に生まれた子には拾丸とつけました。しかも絶対に呼び捨てにせよ、[お]の字をつけて[おひろい]と呼んではならぬ、と厳命しているのです。
ここで呼び捨てにするのは、言霊的にはひどいあつかいをすることによって、災いを避けようとする意識が働いているからです。逆に成人して本当の名を名乗れば、その名は絶対に呼び捨てにしてはならない。いや、そもそも囗にすること自体許されない。
では日本ではどうでしょうか。日本でも名前(実名)を呼ばないという習慣は守られました。そのことは実名のことを「諱」(いみな以下イミナと表記する)ということでもわかります。忌み名、なのでしょう。忌む、とは避ける・遠慮する・憚ることです。明治以降、日本に本当の意味でのイミナはなくなったので、イミナというものがどういうものか、わからなくなったようです。
簡単に説明するために。江戸時代の名奉行・遠山の金さんにご登場願いましょう。
金さん、姓は遠山、通称は金四郎、イミナは景元です。役職は江戸町奉行。官位は左衛門尉。つまり、遠山金四郎景元というのか彼の正式な名です。
しかし彼が生きていた時代、人からこのように呼ばれたことはまずなかったはずです。まず彼と親しい人間、竹馬の友や册蒙は、彼を「金四郎」あるいは「遠山」と呼ぶ。役所に出勤すれば、「お奉行」、あるいは[遠山様]でしょう。江戸城に登城すれば「遠山左衛門尉様」、同僚からは「左衛門尉殿」、上司からは「左衛門尉」あるいは「遠山」と呼ばれます。この場合、たとえ老中でも「景元」とは言いません。
相手が老中でも、そう呼ばれたら金さんは怒るでしょう。また怒ってもいいのです。少なくとも抗議はできます。なぜなら金さんと老中は。身分の差はあっても、同じ将軍の家臣だからです。「景元」と呼べるのは、主人である将軍か両親ぐらいで、あとは罪を犯して罪人になったときに呼び捨てにされることかあるかな、というぐらいのものなのです。
では、イミナはどんなときに使うのか。それは公文書や系図に名を書くときです。
また、自分で自分のことを言うときで、つまり、他人が「景元」と呼ぶことは許されませんが、自ら「遠山景元つつしんで申し上げます」などと言うのは、一向にかまいません。それから死んだときです。彼がこの匪の人でなくなれば、われわれは彼を遠山景元と呼んでもいいし、むしろそう呼ぶべきなのです。(以上)
諱について勉強になりました。また名が体を表すという考え方は、浄土真宗の名号でもいえることで、名号との関連は不明ですが、中国人、日本人の情念の中で関係しているのかもしれません。
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