仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

ウチのげんき予報

2011年07月13日 | 現代の病理
東京新聞夕刊に四コマ漫画「ウチのげんき予報」(新田朋子作)が掲載されています。一昨日(23.7.11)のマンガは次のようなものでした。

一こま目
おやじ「ちょっとだけエアコンつけてもいいかね」
妻「待って耳を澄ませてみて」

二こま目
二人で手を耳に当て外の音を聴いている

三こま目
おやじ「なんだね?これといった音は聞こえないが」
妻「でしょ」

四こま目
妻「ご近所の室外機の音がしないうちはダメよ」
おやじ「電気を使うにも体裁を気にするご時世か」(以上)

電気の供給不足から、定期的に電気の配給がカットされていた時、確かに、これと似た世相があった。家の外の玄関灯をつけっぱなしにしている家があった。地域ぐるみで節電に、家の玄関灯は真っ先に消さなければならないご時世でした。

坊守が知人から、「地域で一軒だけ玄関灯をつけている家があり、玄関灯を消した方が良いと伝えるべきかどうか」と相談されたという話しでした。

災害地で民衆がモラルを守って列をなしていることが、外国の人に評価されたという話しがありました。この“みんなと一緒”というモラルは、一歩間違えば、強制力をもって間違った方向に動く可能性もあります。

良い方向に向かうか、悪い方向に向かうかは、紙一重なので、全体主義的なモラルその物を疑いのまなざしで見る必要があると思っています。

またこの全体主義的な圧力は、世の中が危機になれば危機になるほど、強くなっていく傾向があるようです。全体主義が悪いと言っているのではなく、無反省にどっぷりと全体主義的な流れに身を置こうとする凡夫の情がくせものです。
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