仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

祖父・渋沢栄一の教え

2020年03月02日 | 日記
昨日(2020年3月1日日曜日)の深夜便「明日へのことば」は、鮫島純子(エッセイス)「祖父・渋沢栄一の教え」 で、聞きごたえがありました。妙好人のような人がおられるのだなーと感心しました。以下「明日のことば」(下記ネット)からの一部転載です。本篇を、是非読んで下さい。

http://asuhenokotoba.blogspot.com/2020/03/blog-post.html


いつでもポジティブにと言う癖をつけていて、悔しがったり相手を恨んだりという事はまず皆無になりました。
オレオレ詐欺に遭いましたが、過去に頂いたものがこれでゼロになったのかなあと言う考え方で、悪役を演じてくれてプラスマイナスゼロにしてくれたのを「有り難う」というこことと、あの人たちの親は自分の息子がこんなことをしていると親に同情するとともに、あの人たちに人生の仕組みなんて、その時その地とにとって得をしたと思うかもしれないけれど、長い目で見ると何処かで又帳消しになるんだからという、人生の仕組みを教えてあげられなかった自分が悔しいというそんな思いでした。
足を骨折してしまいましたが、頭ではなくて良かったなあと、「有り難う」に持って行こうと癖がついています。
癖をつけるために「有り難う」という言葉はいろんなところに貼っていましたが、今はトイレだけになりました。
神様は感謝だけでいいんで、お願い事なんてとうにご存じなんだから、今更御利益のために神社詣でをするのはおかしいという考え方は、そういう会話から自然と身についているんだろうと思います。

列車の二等席に乗ったときにご老人と席が近くあり、「お天道様も大事ですね、神様も大事ですね」と言って、「みんな神様から頂いているご縁なんだと諭していただいて、宇宙に遍満して我々をいつも見守ってくださるのが神様なんだ、お姿は見えないけれどもいつでも守ってくださる鵜ですよ」と、気が付かせていただいて、それが神への感謝の基本だったのかもしれません。
父の一高の時代の校長先生が新渡戸先生で祖父とはごじっこんだった様で、そこでご挨拶してそのご老人が新渡戸先生だと判りました。(以上)
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