仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

命のターニングポイント

2009年12月06日 | 日記
昨夜は西方寺世話人などの役職者慰労会があった。チーム西方寺で、ガンガンとまではいかないが、協力し合っている。役職者がそれぞれの力量に応じた役割を果たしていく。チーム西方寺で一番仕事をしていないのは、私かも知れない。

もちろん寺の仕事は一番している。しかしチーム西方寺での私の役割は、やはりリダーとしての役割であろう。その点、慰労会が終わった帰りに、歩きながらこの一年を振り返り反省した。

進行役のMさんが、懇親会の中で「私の今年の10ニュースのトップニュースをお一人ずつご披露を」(意趣)となった。今月に入り報道で「今年の○べストテン」を聞くことが多くなった。そんな折、つらつら「私の今年の○ベストテンニュースは」と思いを巡らせたことがあった。そんなとき、「ニュースらしきものは何もなく平穏無事に過ごせた」ことがベストニュースかなと思っていた。

ところが人に「今年のベストニュースはと」聞かれ披露の段となると、脳細胞が刺激されたらしく、私の意識下にある今年の一番のニュースをはじき出してくれた。

今年の正月に、この10年の西方寺の計画を発表した。それは私も来月で56歳になるが、残された時間も限りが見えてきた。それで10年(5年は予備)後の西方寺のあるべき姿を発表した。
病気で明日の命をも知れない方には叱られるかもしれないが、私も残された時間が少なくなってきたという意識を明確に持ったことが、計画発表の動機でした。「今年一番の出来事は、残された時間が少なくなってきたという意識をもったことです」。これがその折に発表したことです。

面白いことに、残された時間が少なくなったことを自覚する。いわば夏至の自覚です。もうはるか以前に夏至は過ぎていたのですが、ここへきて夏至のわたくし時間を意識した。夏至に反し冬至は、次第に昼の時間が長くなっていく時のターニングポイントです。

人間の命の終りの自覚は、夏至と冬至が一緒に来るようなものです。終りの時間が短くなったことの自覚は同時に、残された時間の中で何をやって終えていくのかということが、次第に明確になっていくことでもあるからです。次第に明確になっていくということからすれば、命の終りの自覚は冬至のように、次第に明るくなっていくことのターニングポイントでもあるのです。

残された時間が少なくなってきたので、次第に忙しくなりそうな気配です。
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