現代日本を代表する洋画家であり日本芸術院会員である絹谷幸二氏が産経新聞(21.12.4)に【不況時こそ「破壊と創造」】というコラムを寄せていた。
そのコラムの中に「芸大に入学して以来、常にうまくならないように心掛けてきた」とあった。その一言だけで、なにか師の人間性が伝わってくる感じがした。人は自分の技術や技に安住して、昨日を生きるといっては御幣があるが、新しい出会いや感動的な今との出会いが失われる。師の絵を描くことと生きることが、重なっていて人格の深さに思われる。
そしてコラムの最後に絵を描く秘訣を綴っておられる。「大作の絵を描く場合、画家は絵から数歩離れ、目を細くしてその絵全体を見渡す。目を細めるのは細部を見ないようにするため。全体をおぼろげに見てバランスを整え、しかる後に目をカッと見開き、細部を見つめるのである。涼しげな細い目。これが大切な所である。」(以上)
これは商売でも寺院経営でも生きることも同じことであろう。大きな理想と手の届く小さな願いをもつ。でも小さな願いに振り回されている現実がある。そう器用に全体をおぼろげに見るなどのことはできることではない。
でも幸い仏前に座り沈黙の中に身を置いていると、自分の全体がおぼろげに見えてくるような気がする。毎日にお給仕は仏壇で、月に一度は手次寺(菩提寺)、年に一度は本山参りとは、よく言ったものです。
そのコラムの中に「芸大に入学して以来、常にうまくならないように心掛けてきた」とあった。その一言だけで、なにか師の人間性が伝わってくる感じがした。人は自分の技術や技に安住して、昨日を生きるといっては御幣があるが、新しい出会いや感動的な今との出会いが失われる。師の絵を描くことと生きることが、重なっていて人格の深さに思われる。
そしてコラムの最後に絵を描く秘訣を綴っておられる。「大作の絵を描く場合、画家は絵から数歩離れ、目を細くしてその絵全体を見渡す。目を細めるのは細部を見ないようにするため。全体をおぼろげに見てバランスを整え、しかる後に目をカッと見開き、細部を見つめるのである。涼しげな細い目。これが大切な所である。」(以上)
これは商売でも寺院経営でも生きることも同じことであろう。大きな理想と手の届く小さな願いをもつ。でも小さな願いに振り回されている現実がある。そう器用に全体をおぼろげに見るなどのことはできることではない。
でも幸い仏前に座り沈黙の中に身を置いていると、自分の全体がおぼろげに見えてくるような気がする。毎日にお給仕は仏壇で、月に一度は手次寺(菩提寺)、年に一度は本山参りとは、よく言ったものです。
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