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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

「ついたち」という言葉

2024年06月22日 | 日記
親鸞聖人の妻『恵信尼消息』に冒頭の言葉は「去年の十二月一日の御文、同二十日あまりに、たしかにみ候ひぬ。なによりも殿の御往生、なかなかはじめて申すにおよばず候ふ。」(去年の十二月一日付のお手紙、 同二十日過ぎに確かに読みました。 何よりも聖人が浄土に往生なさったことについてはあらためて申しあげることもありません。)と始まります。

「十二月一日」(しわすついたち)とカナ表記されます。

『いつもの言葉を哲学する』(2021/12/13・古田徹也著)を読んでいたら、次のような記述がありました。以下転載。

 「ひとつ」、「ふたつ、」「みっつ」、「よっつ」、「いつつ」、「むっつ」、「ななつ」、「やっつ」「ここのつ」、「とう」
 「ついたち」、「ふつか」、「みっか」、「よっか」、「いつか」、「むいか」、「なのか」、「ようか」、「ここのか」、「とうか」 という風に、共通している箇所とそうでない箇所が見出せる。なぜ「一日」は「ひとか」ではなく「ついたち」なのか、なぜ「六日」は「むっか」ではなく「むいか」なのか等々のことには、それぞれ、人間が号音しやすい音の特徴や、日本語の音便(連音変化)の経緯、語源に遡る言葉の長い歴史といった、多様で複雑な背景が存在する。たとえば、「ついたち」は元々は月のはじめ頃を指す「月立(つきた)ち」であり、それが連音変化したかたちだという(角川古語大辞典)。(以上)
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