仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

光 風のごとく⑫

2011年07月15日 | 日記
拙著『光 風のごとく』(探究社刊)

ボロ

日の光に
照らされたら
私がきているのは 
ボロ着物でございました

[榎本栄一]『煩悩林』(難波別院刊)より。

人はどうしょうもなく解説が好きです。ひとつの詩を与えられても解説を試みる。解説は比べあいであり、私の計らいの世界だ。すべてのことは解説することによって、私という小さな経験という枠の中に閉じ込められてしまう。と、こうして書いている間にも、解説の土俵に引きずり込まれました。これが私のボロ着物の一着です。


うらを見せおもてを見せてちるもみじ

[良寛]『蓮の露』―(終に際し「みずからの(こと?)にはあらねど」)より。

良寛は腸の癌であったといわれる。今から二百年前、医療とは無縁な越後の山村、しかも他人の家の離れで息を引き取っている。臨終は正月であった。越後の寒波は激しい下痢の身には耐えがたく、

言に出てで言えばやすけしくだりばらまことその身はいやたえがたし

と詠んでいる。
そんなある日、貞心尼から、

いきしにのさかひはなれてすむ身にもさらぬわかれのあるぞかなしき

と別れの悲しさを告げられる。そのお返しの歌が標記の歌という。

苦しみも、悲しみも、喜びも、愛ごころも、落ち葉がひらひらと裏と表を見せなが散るように、そんないのちの終わりの私を生きているという歌だ。自分を散り紅葉に喩えたところが、大自然のひとしずくのいのちを生きているという良寛さんの感性が味わえる。
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