“これって何?”と思うことがあります。昨夜、宇宙飛行を特集したNHKのテレビ番組に、宇宙飛行士であった山崎 直子(やまざき なおこ)さんが出演されていました。
そして番組の中で、宇宙飛行士定番のコメント「宇宙から見た地球には国境はなかった」と語っていました。
ところが現実生活では、報道によれば(週刊朝日 2012年2月24日号)、「専業主夫」としてマスコミにも登場した夫と離婚の破局に至ったとあります。その離婚をイメージしながら「国境はなかった」という言葉を聴くと、何か虚しく感じました。
この「国境はなかった」と「離婚」をどう考えるのか。理想と現実を兼ね合わせて考えると、むしろ「国境はない」という理想を、そのまま現実に持ち込むことは、危険なことです。むしろお互いの国境を認め合う中で、国境のないものを育むということが現実的です。
言い過ぎかもしれませんが宇宙飛行士は「宇宙から見た地球には国境はなかった」という体験に酔ってしまう傾向があるようにも思われます。この現象は、真宗の念仏者にも言えることです。阿弥陀さまのご覧になった物差しの世界を、現実生活の中で、得意げに語るということがあります。これはもちろん私の身の上のことです。
テレビを見ながら思ったことです。
そして番組の中で、宇宙飛行士定番のコメント「宇宙から見た地球には国境はなかった」と語っていました。
ところが現実生活では、報道によれば(週刊朝日 2012年2月24日号)、「専業主夫」としてマスコミにも登場した夫と離婚の破局に至ったとあります。その離婚をイメージしながら「国境はなかった」という言葉を聴くと、何か虚しく感じました。
この「国境はなかった」と「離婚」をどう考えるのか。理想と現実を兼ね合わせて考えると、むしろ「国境はない」という理想を、そのまま現実に持ち込むことは、危険なことです。むしろお互いの国境を認め合う中で、国境のないものを育むということが現実的です。
言い過ぎかもしれませんが宇宙飛行士は「宇宙から見た地球には国境はなかった」という体験に酔ってしまう傾向があるようにも思われます。この現象は、真宗の念仏者にも言えることです。阿弥陀さまのご覧になった物差しの世界を、現実生活の中で、得意げに語るということがあります。これはもちろん私の身の上のことです。
テレビを見ながら思ったことです。
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