知人から、「能登半島地震以後、子どもが死ぬ事に怯えているが、僧侶として何か語ってくれ」といわれて、どう説明したらいいか」という問い合わせを頂いた。電話だったので「100万回生きたネコ」「花咲き山」などの絵本を親が読んであげたら良いのではないか。と提案しました。また古い本だが『死ぬってどういうこと?―子どもに「死」を語るとき』(1992/7/1・アール・A・グロルマン著・重兼裕子翻訳)も参考になるとアドバイスをしました。
日頃から「100万回生きたネコ」「花咲き山」など死に関わる絵本を読みきかせておくことの大事さを考えさせられました。
以前、「花咲き山」をブログで紹介したので、転載しておきます。
「花咲き山」(斉藤隆介作)の話は、法照師の「この界に一人、仏の名を念ずれば、西方にすなはち一つの蓮ありて生ず。」というお言葉を童話にしたものです。
県立図書館の近くを通ったので図書館の小学校の教科書のコーナーで見ると、3.4年生のほとんどの道徳の本に掲載されていました。まずは物語です。本文は「おどろくんでない・。おらはこの山にひとりですんでいるばばだ。山ンばというものもおる。山ンばは、わるさをするというものもおるが、それはうそだ。おらは何にもしない。」といった方言で書かれています。以下概要です。
あやは、山菜取りに山へ入り、やまんばのいる山奥まで来てしまいました。すると一面、見たこともない、きれいな花が咲いています。その花が、どうしてこんなにきれいなのか・・・やまんばは、その訳をあやに話すのでした。
この花は、ふもとの 村の にんげんが、やさしいことを ひとつすると ひとつ さく。
あや、おまえの あしもとに さいている 赤い花、それは おまえが きのう さかせた 花だ。あやの家は貧乏で、祭り用の着物を、あやと妹のそよの二人に買ってやることは出来ません。あやは自分はいいから、そよに買ってやってくれと母に言ったのでした。そして今、咲きかけいる青い小さい花。それは双子の赤ん坊の兄の方が、母親に抱かれたいのを我慢して、弟に譲っている為に咲いていると・・・兄は目にいっぱい涙をためて辛抱している・・・その涙が花にかかっている露だと。
自分の事より人の事を思って辛抱すると、その優しさと健気(けなげ)さが、花となって咲き出す。それがこの花さき山の花だと、やまんばは言いました。そして優しさは、花だけでなく山もつくった、と。
やさしいことを すれば 花がさく。いのちを かけて すれば 山が うまれる。うそでは ない、ほんとうの ことだ・・・。
山から帰ったあやは、やまんばから聞いた話を皆にしましたが、誰も信じてはくれませんでした。でもあやは、その後、時々「あっ、いま 花さき山で、おらの 花が さいてるな」って思うことがあるのでした。
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