本願寺新報2024.1.1日号掲載の西原祐治法話原稿です。
人間が人間だけでやっていく 現代の問題はそこにある
「蛇は水を飲んで毒をつくり、牛は水を飲んで乳をつくる」。栂野の明恵上人の言葉だ。
昔、仲間と上野公園へ桜見に行ったことがある。呼びかけ人である私は、午後から席取りに行った。良い場所を取って楽しく愉快に過ごそうという思いだった。しかし時遅く、桜の木の下は既に陣取りのシートが敷かれている。すると二人の男が来て相談を持ちかけてきた。それは相談ではなく商談だった。「桜の下のいい場所に席を確保してある。一坪二千円でどうだ」。なんと上野公園の土地分譲をしていたのだ。彼らは、桜見の季節、桜を見ずに、桜の下の地べたは金になると見ていた。まさに「蛇は水を飲んで毒とする」という悪知恵だ。
毒も、細菌毒素の毒性を弱めるか失わせ、その毒から抽出してワクチンをつくられることもある。
親鸞聖人と同じ年に生まれた明恵上人は、「牛は水を飲んで乳をつくる」という言葉のように智慧のある人になろうと努力された。
一方、親鸞聖人は、何を見ても聞いても毒しかつくれない愚者であると自らを「愚禿親鸞」と名のられた。実は親鸞聖人は、阿弥陀さまの働きの中に、「牛は水を飲んで乳をつくる」はたらきを見ていかれた方だ。『讃仏偈』という偈文の最後に「たとい身はもろもろの苦毒のうちにおくとも、わが行、精進して、しのびて悔いじ」とある。
阿弥陀さまは私という毒の中に身を置いて、私をして念仏を称え、仏さまもみ教えを喜ぶ身になるよう、努力してくださった智慧と慈悲の仏さまだ。今年もこの阿弥陀さまに導かれて過ごして行きましょう。
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