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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

弔事

2011年07月25日 | セレモニー
結婚式の祝辞も葬儀の弔事も、まずはご家族へ喜びや悲しみの同情の念を表明して、本題へ入るべきだが、どうも弔事では、ご遺族へお悔やみの言葉を伝えることが欠落している。

昨日はご門徒のUさんのご葬儀。総代の西さんが弔事を読んでくれた。参考までにご披露します。

弔辞 
謹んで阿弥陀如来の尊前に申し上げます。この度、上原一高様ご逝去の事。

人の世に別れのある事は、諸行無常と、お釈迦様もおさとしの事ですが、肉親とのお別れは、 辛く、悲しく、お寂しい事であろうと、まずはご遺族、ご親戚の方々のご心中をお察し、お悔み申し上げます。
上原さん。81年のご生涯、お疲れ様でした。この世でのお別れに際し、一言御礼とお別れの言葉を申し上げます。 
 
上原さん。貴方は、昭和5年11月19日、築地本願寺のお膝元であります中央区築地に上原家の長男として,この生まれ難き、人の世にお生まれになりました。小さい頃より、築地本願寺の梵鐘を聞きながらお育ちに成り、昭和31年、鹿児島で江戸時代、浄土真宗御禁制の中で浄土真宗の法等を守り続けてきた菊水家で生を受けた、御内室、トミ子様と契りを結ばれ、家庭にあっては良き父、良き祖父として過ごされました。

社会にあっては、税理士として地域社会の繁栄につとめてこられました。一方、本願寺門徒として、尊い念仏者として、西方寺では布教所時代から篤信者として、法話会等の仏縁を大切にされて過ごされました。

過去に引きずられず、未来にとらわれず、今を生きる人は、清らか川の流れの様に濁る事は無いと、お経にあります。いま、貴方の御遺体を前にして、“その時が来たら、秋に木葉が風に誘われて、樹木から離れるように、時の流れに身を任せて、そっと目を閉じればよいのですよ”とささやいているように思われます。

常日頃、西方寺ご住職より、浄土真宗の宗祖であります親鸞聖人は、阿弥陀様のお働きを磁石にたとえられているとお聞きしております。磁石は鉄を吸い寄せる時、鉄を磁気で満たし、鉄を磁石にして吸い寄せる。同様に阿弥陀如来が私たちを浄土に摂取するにあたっては、私達をして、念仏を称え念仏を悦ぶ身となさしめて浄土へ摂め取るとの事であります。

貴方の御生涯は、まさに阿弥陀様の働きにより、念仏の香りと阿弥陀如来のお慈悲に色づけられたご一生でした。

貴方は今、浄土真宗の御本願の道理によって、美しいみ仏となられ、無量の命につつまれて、親鸞様や先にご往生された方々と尽きせぬお慈悲を語ろうておられることでしょう。
私達一同は、御遺族さまの皆さまと共に、いよいよ仏法に心を寄せ、阿弥陀如来の恵みの中に生かされ、うるわしい念仏相続の歩みをまっとうすることを、ここにあらためてお誓いし、お別れの言葉といたします。

平成23年7月24日西方寺 総代 西久昭
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