今月は(株)ミツトヨの宇都宮、呉、溝の口本社の3箇所で、創業者恵範忌の出向しました。三か所で、メートルの話をしたので、しっかり「一メートルは光が真空中を一秒間に進む299792458分の一」ということが記憶されました。ひと月も経てば忘れることでしょう。
もう一度だけ『世界でもっとも正確な長さと重さの物語』( 2014/11/20ロバート・P・クリース著, 吉田 三知世翻訳)の続きです。著者は、「いまの技術では、多くのものが計測できるようになってきたけれど、それだけに、すべてを数字だけで判断してしまう風潮がみられてきている」ということに警鐘を鳴らしています。
そしてエピローグに次のようにあります。
ギリシアの哲学者プラトンは、計測にはまったく異なる二つの方法があると指摘した。一つは、本書で論じてきた、数、単位、物差し、そして何らかの計測開始点を使う方法だ。あるものが持つ何かの特性が、ほかのものが持っている同じ特性よりも大きいか小さいかをはっきりさせたり、あるものが何かの特性をどれだけ持っているかを数値で表したりする。この計測法を、現実に独立して存在する物体やその性質を指して哲学者が使う言葉を借りて、「存在的な計測法」と名づけることができるだろう。…
これに対して、もう一つの計測方法がある。こちらは、物差しや天秤皿などを使ったりはしない。こちらの計測方法は、プラトンが言うところの、「適者」や「正しい者」を基準とする計測だ。この種の計測は、行動というよりむしろ経験である。つまり、われわれがやったこと、あるいは、われわれ自身が、できるはずのところまで行っていない、あるいは、達するべきところに達していないと感ずる経験なのだ。…(以上)
読みながら西洋的だと思ったのは、計れるものを計れないものとの二面に分ける考え方です。
たとえば命は数量で測れますが、計れない一面もあります。物は数量化できますが、思い出とか意味とか、計れない一面も持っています。一つのものに二面性がある。これは仏教的な考えかたかも知れません。
もう一度だけ『世界でもっとも正確な長さと重さの物語』( 2014/11/20ロバート・P・クリース著, 吉田 三知世翻訳)の続きです。著者は、「いまの技術では、多くのものが計測できるようになってきたけれど、それだけに、すべてを数字だけで判断してしまう風潮がみられてきている」ということに警鐘を鳴らしています。
そしてエピローグに次のようにあります。
ギリシアの哲学者プラトンは、計測にはまったく異なる二つの方法があると指摘した。一つは、本書で論じてきた、数、単位、物差し、そして何らかの計測開始点を使う方法だ。あるものが持つ何かの特性が、ほかのものが持っている同じ特性よりも大きいか小さいかをはっきりさせたり、あるものが何かの特性をどれだけ持っているかを数値で表したりする。この計測法を、現実に独立して存在する物体やその性質を指して哲学者が使う言葉を借りて、「存在的な計測法」と名づけることができるだろう。…
これに対して、もう一つの計測方法がある。こちらは、物差しや天秤皿などを使ったりはしない。こちらの計測方法は、プラトンが言うところの、「適者」や「正しい者」を基準とする計測だ。この種の計測は、行動というよりむしろ経験である。つまり、われわれがやったこと、あるいは、われわれ自身が、できるはずのところまで行っていない、あるいは、達するべきところに達していないと感ずる経験なのだ。…(以上)
読みながら西洋的だと思ったのは、計れるものを計れないものとの二面に分ける考え方です。
たとえば命は数量で測れますが、計れない一面もあります。物は数量化できますが、思い出とか意味とか、計れない一面も持っています。一つのものに二面性がある。これは仏教的な考えかたかも知れません。
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