『動物の心 人間の心- 科学はまだ心をとらえていない』(戸川達夫著)からの転載です。
言語によって心の内容を共有し合える
動物でも、高度の脳機能を持つ動物は、経験の蓄積によってさまざまなことを学習し、それだけ豊富な心の内容を持つと考えられます。したがって、高齢の個体は、渡り鳥の渡りのルートを先導したり、捕食者に見つからないように群れを移動させるような知恵を発揮することができます。しかし、言語を持たないなら一個体が獲得した知恵は一代限りで消滅し、子孫に伝えることができません。ところが、言語の獲得によって、自分の体験を他の個体に伝えることができるようになり、一個体の経験によって得た知恵を多くの個体が共有できるようになりました。ことに、経験の浅い若い個体と経験の豊富な高齢の個体とが、生きる知恵を共有できるようになったわけです。しかも、世代間で知恵の継承が可能になれば、何世代にもわたって繰り返し継承していくことも可能になり、心の内容が何世代も離れた個体間でも共有できるようになりました。(以上)
言葉によって、異次元の領域である仏と凡夫が一つのことを共有する。そうしてことが何故可能なのか。(つづく)
言語によって心の内容を共有し合える
動物でも、高度の脳機能を持つ動物は、経験の蓄積によってさまざまなことを学習し、それだけ豊富な心の内容を持つと考えられます。したがって、高齢の個体は、渡り鳥の渡りのルートを先導したり、捕食者に見つからないように群れを移動させるような知恵を発揮することができます。しかし、言語を持たないなら一個体が獲得した知恵は一代限りで消滅し、子孫に伝えることができません。ところが、言語の獲得によって、自分の体験を他の個体に伝えることができるようになり、一個体の経験によって得た知恵を多くの個体が共有できるようになりました。ことに、経験の浅い若い個体と経験の豊富な高齢の個体とが、生きる知恵を共有できるようになったわけです。しかも、世代間で知恵の継承が可能になれば、何世代にもわたって繰り返し継承していくことも可能になり、心の内容が何世代も離れた個体間でも共有できるようになりました。(以上)
言葉によって、異次元の領域である仏と凡夫が一つのことを共有する。そうしてことが何故可能なのか。(つづく)
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