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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

承認をひらく──新・人権宣言③

2024年06月16日 | 現代の病理
『承認をひらく──新・人権宣言』(2024/4/6・暉峻淑子(てるおか・いつこ)著)からの転載です。


そのうえで、ホネットは承認が社会的に持っている意味を、以下のように整理しています。
一 承認は社会の規範意識であり、あらゆる社会統合は烝認の仕方に依存している。
二 承認とは市民が社会に参加する中で、価値観をもう一度問い直す理念である。目先の判断でなく、長い将来への視点で普遍性と照らし合わせて価値観を問い直す行為である。
三 社会の変化・展開に目を配りながら社会的承認の妥当性を問い直すことで、社会的統合の質を向上させる役割も果たしてきた。
四 人は単認されることで自己実現を果たし、自分の人格のアイデンティティを成就させることができる。
 人格のアイデンティティは、他者によって承認されることではじめて成立する。個人が自己を形成するには、自己肯定だけでなく自己を肯定する他者を必要とする。自分自身では気が付かなかった能力を他者から発見されることで、自己肯定感がさらに高められることもある。承認を拒否されると自己のアイデンティティが歪められ人格が毀損されるというだけでなく、社会的な排除を受けたと感じる人が多い。
 マイノリティは承認拒否に正当な理由がないと感じると、反転して承認をめぐる闘争を起こし、それが従来の制度化された承認基準を変革する社会運動となる(たとえば第四章に述べる障碍者問題や不登校問題)。
 近代資本主義社会の社会統合の基盤には三つの承認原理がおかれている。
 ・親子・家族間の自然な愛情や慈しみの感情など。
 ・法的な制度(愛情というような自然の感情にはリスクも含まれるので、相互的な愛情や慈しみを純粋に実践することから起こりうる危険を予防し補完するための外的な法規制、あるいは道徳的な規範としての法規制)。
 ・業績による承認(業績による単認は封建制度の下での身分や権威による承認を解体させた、客観的な承認原理である。しかし、社会の構成員による社会的貢献を業績という枠組みだけで評価できるかという問題が残る。人権や平和、地球環境への貢献などの共通善への貢献は評価されにくい。人間の能力という根源的な問題とも関連する。
 社会の一員である市民は、人間の本性として相互承認という潜在能力を持っている。その能力は人間の自然から出てくるのではなく、人間関係から出てくる特殊な能力である。その精神構造にしたがって、大びとは社会の中に組み込まれ、そのメカニズムを通して自己白身を再確認することができる。
 もし、社会が時代の偏見に基づく一つの支配的文化的価値パターンによって異質なものを排除するとすれば、承認という言葉が持つ属性(公正であり、真実であると認めること)とは、相反する社会になる。単一の価値のパターンに支配されているメディアのステレオタイプの描写で社会的に誤解を広げた事件や、ある人の人格を毀損した事件は跡を絶たない。
 公共圈や審議会からの排除(たとえば日本学術会議の新会員候補者に対する任命拒否。貧困に対する軽蔑などは自由な討議を介して行なわれるわけではなく、硬直化した社会制度の偏見から生まれる。同性間の結婚、シングルマザーヘの特別視、人種的偏見、痩せているのがいい、速くやり上げるのがいい、効率がいいのがいい、金メダルがいい、一番だけに価値かおる、非正規労働者は一段劣った労働者である、生活保護の受給者は
社会の逸脱者・たかり・非納税者・借金ナシの公金取得者……というようなかすかすの誤単認が横行して、社会的統合を分裂させ邑。
 しかし単認は社会的排除の理念ではなく、社会的包摂と統合の理念なのである。人びとは平等に社会に参加し、社会的相互行為に参加する。
 社会生活において、人びとは同等の参加のチャンスが与えられるそのことによって、アイデンテゴアイを形成する可能性を広げ、社会的平認を受けるに値する人となる。近代社会にとって、社会的平等の目的は社会構成員全員の人格的アイデンティティの形成を可能にすることにある。平等に取り扱われるという本来の目的は個人の自己実現を可能にすることにある。
 アイデンティティが形成される前提には相互単認という関係が必要で、そのまた前提には、ひらかれた平等な社会参加が重要な意味を持つ。相互単認し合う他人との出会いが多ければ多いほど、個人の承認基準は一般性を持つものに質的転換をする。社会参加が妨げられると、その貴重な経験ができない。相互承認とは相互に尊敬を持ち、補い合うという合意である。
 「余談を言えば、相互承認が」般的昼認基準となっていく過程が、物々交換から貨幣が出てきて一般的価値の表象となっていくことに類似していることに、私は驚きを覚えるI’-資本論の価値形態論。)
以上が、ボネットの主張の要約です。
 ボネットは、個人の人格の完成(アイデンティティの成就)と社会的承認とが結びついていることをくり返し諭じているが、彼の主張を理解するためにはボネットが書いた前掲『承認をめぐる闘争』を合わせ読むとさらに理解しやすくなります。その中で彼は、承認という概念を哲学・政治学の中にはじめて取り上げたヘーゲルに言及して、ヘーゲルがマキャベリやホッブズのいう利己心による敵対的な競合や、万人の万人に対する戦いを十分に肯定したうえで、さらにその奥にある相互承認の概念に到達していることを高く評価しています。そして、ボネットはヘーゲルの概念をさらに発展させて次のようにいうのです。
 「人間の精神構造には、相互承認という人間相互の関係性が埋め込まれている。相互承認は人間の持つ潜在的能力で、人は生まれながらに相互承認の中で生きているのだ」と。
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