仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

『しあわせの高齢者学2』④

2024年06月20日 | 日記
『しあわせの高齢者学2』(2023/4/8・樋口範雄編集)からの転載です。

「自分は何なのだろう? どんな人物なのだろう?」
 と考えたときに、自分を規定するものとして身体的自己である「ミニマルセルフ」と、物語的自己である「ナラティブセルフ」という、2種類の自己があるといわれています。 ミニマルセルフ(身体的自己)とは、「今、ここにいると感じる最小限の自己」のことです。
 ここにいる皆さんに、「の自分を表してください」といえば、「ここで私(葛岡)の話を聞いている」と答えることができます。
 次に、「あなたはこれまでどのようなことをしてきた方ですか?」と聞くと、「自分はこんな仕事をしてきました。このような性格の人間です」という表現ができます。これがナラティブセルフ(物語的自己)です。 このように2種類の表現方法があるのです。
このようなミニマルセルフ(身体的自己)と、ナラティブセルフ(物語的自己)が、お互いにどのような影響を与えているのかを、私の研究室で畑田先生が研究をしてきました。
彼が注目したのは、大手町にあるロボットカフェです。ここでは、障がいを持った方々が、遠隔でテレプレゼンスロボットを操作して接客をしています。
 障がいを持った方でも就労ができる場を調査して、そうした方々が就労によって、「どのように自分自身を捉えるようになったか」というインタビュー調査をしました。
 ロボットを操作する人のことをパイロットと呼びます。ロボットは、OriHimeという名前です。
 結論からいいますと、OriHimeを使って就労するまでは、次のように思っていたそうです。
「自分は何もできない。外に出ることができないし、うまく人とコミュニケーショッもできない。こんな障がいを持った人生を送ってきているのだから、これから先も、未来に対する自分の展望は、今の状態の延長でしかない」
 そのような「ナラティブセルフ(物語的自己)」でした。
 ところが、ロボットを使って就労するという「ミニマルセルフ(身体的自己)」体験を繰り返すことで、次第に「自分自身」を猩得して、「このまま将来も、私は社会に貢献できるはずだ」という明るい展望を想像できるようになったそうです。(以上)
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