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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

インドにおける仏教の衰亡と復興

2021年03月14日 | 仏教とは?

借りてきた『インド文化入門』(辛島昇著)に、現代インドの仏教について書いてありました。興味深いので転載しておきます。

 

インドにおける仏教の衰亡と復興

12世紀アフガニスタンからインドの地に侵人したゴール朝の軍隊は、略奪を目的にガンジス川流域の寺院を襲い、ナーランダー、ヴィクラマシーのような大きな仏教僧院は第一にその餌食にされ、13世紀初頭には、壊滅的打撃をこうむった。そして、ヒンドゥー教と違って、一般の人々の間に大勢の確固たる信者をもっていなかった仏教は、丁度そのような教団組織の中心的僧院を破壊されると、なすすべもなく、それ自体が崩壊に向かったのである。ヒンドゥー教の方では、仏教をその内部に取り込む試みをつづけ、ブッダは、ついにヴイシュヌ神のアヴアターラ(化身)の一つとされるに至ったのである。

その後インドにおいて仏教が復興するのは、20世紀に入ってからの話であるが、19世紀にはイギリスの支配下で、インドの知識階層によるインド社会の改革運動がはじめられた。先駆者はラーム・モーハーン・ローイであったが、多くの人物によって推進されたこの運勍は、カースト差別やサティー(寡婦殉死)に象徴されるようなヒンドゥー教の「不合理な悪習」を改革することを目標としていた。ある者は、そのような悪習に染まる以前の「ヴェーダ」の教えに帰れと主張したりしたが、そのような風潮が広まるにつれて、インドの宗教の中で、より「合理的」と考えられる側面の多い仏教に関心を示す者も現れてきた。仏教だけに関心をもったわけではないが、ロンドンで仏陀の生涯について記すエドウィン・アーノルドの『アジアの光』を読んで深い感銘をうけたガンディーも、その一人に数えることができる。

 しかし、仏教に対する知識人のそのような関心が社会運動として実際の意味をもつようになったのは、アンベードカルによっている。彼はマハーラーシュトラの不可触民の出身であったが、開明的藩王の助力をえてアメリカで勉強し、帰国後に不可触民の解放運動に身を挺するようになった。ガンディーも不可触民の差別撤廃を目指したが、彼はカースト制度そのものの存続を容認したのに対し、自身不可触民として様々な差別に苦しんだアンベードカルはカースト制度そのものに反対し、ガンディーと対立した。独立後に彼は、法務大臣、憲法起草委員会の長として活躍したが、最終的には不可触民がヒンドゥー教の中に留まっていたのでは差別から解放されないとして、一九五六年、死の二ヶ月前に数十万のマーハルの者たちと一緒に仏教に集団改宗をしたのである。

その後、不可触民からの仏教への改宗はつづき、現在インドに住む六〇〇万人の仏教徒のほとんどは、この新しい改宗者なのである。彼らはしばしば、新仏教徒(ネオ・ブディスト)と呼ばれている。そのような形での仏教の復興と直接の関わりを持つものではなかったが、藤井日達による日本山妙法寺の運動は、仏教をインドに「お返しする」という視点から、また、スリランカの仏僧ダルマパーラが始めたマーハボディ・ソサエティの運動は、ブッダガヤの「仏跡を保護する」という視点からなされた、今世紀における仏教の普及運動である。(以上)

 

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