親鸞聖人と明恵上人①
拙著『親鸞物語―泥中の蓮華』(朱鷺書房刊)に、明恵上人と親鸞聖人との会話が創作されています。
親鸞聖人と明恵上人との出会いの可能性
明恵上人と親鸞聖人は同じ年です。明恵上人は、親鸞聖人、三十四歳の折、九条殿において「建永元(一二〇六)年、十一月二十日より二十六日まで九条殿に招かれ「宝楼閣法」(ほうろうかくほう)の修法」しています。その直後の11月と12月の夢に兼実をはじめ九条家の人々が登場しています。九条殿より、その足で後鳥羽院より賜った栂尾に居を移しています。また翌年秋、東大寺尊勝院学頭の院宣を受けています。明恵上人は、すでに時の人であり、京都では清僧として高名であったようです。
かたや親鸞聖人も、法然然上人がこの年(一二〇六)の七月頃より兼実が住む月輪殿に隣接する小松殿を布教の拠点をしていたことから、その場所に親しく通われたいたことが想像できます。隣接する同じ場所、同じ時間に両氏がいたことです。
また親鸞聖人の九条家との関係は、恵信尼公の父、三善為則が九条家の家司(けいし・家老職)であったこと、また法然上人と兼実公との関係から、兼実公とは、面識があったものと思われ、明恵の滞在を知って訪ねることも可能な状況にありました。
親鸞聖人のお手紙に「聖道といふは、すでに仏に成りたまへる人の、われらがこころをすすめんがために、…すなはちすでに仏に成りたまへる仏・菩薩の、かりにさまざまの形をあらはしてすすめたまふがゆゑに権といふなり。」とあり、明恵上人のことが脳裏にあったのではないでしょうか。その部分を小説から転載し紹介します。