『コロナ不安に向き合う精神科医からのアドバイス』(2020/09・藤本修 著)、コロナ関連の本を図書館に数冊リクエストしていますが、みなリクエストが多く、なかなか落掌できません。その様な中で届いたのか上記の本です。「新型ウイルスによって、人々に強い不安やストレスが生まれている。精神科医としてこれらを分析し、症例に合わせた対処法を伝授する。」とあります。第5章に「不安に向き合う」とありますが、不安は向き合うことが良いようです。その向き合い方です。最後に各章をまとめて「コロナ不安に向き合う10箇条」が記されています。
その前章に「コロナ不安の対応策4」があり、その中から1つまずは紹介してみます。
「ネガティブ・ケイパビリティ」、初めて聞く言葉です。これは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しょうのない事態に耐える能力」だそうです。あるいは、「性急に証明が理由を求めずに、不確実さちゃ不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」とあります。これっと、電話相談でわたし自身が、時に用いる手法です。自分を思い通りにコントロールできないもどかしさの中で、コントロール出来ないと安心できない自分に気づき、その自分を受け入れるということです。浄土真宗的に言えば、思い通りになったことだけにしか安心できない自己の愚かさが明らかになり、ありのままの自分を受け入れるということです。
本から転載しています。
このネガティブ・ケイベビリティという言葉をこの世で初めて口にしたのは、ジョン・キーツというイギリスの一九紀の詩人である。そしてこの概念は、170年後にウィルフレド・R・ビオンという著名な精神科医によって、精神分析の分野で不可欠であるとされた。人と人との出会いによって悩みを軽減してしく精神療法の場において、必要な要素だと考えられ、注目されたのである。
私たちは何か起これば、それがなぜ起こったのか、それを放置するとどうなるのかといったことを何でも知ろうとする。ところがビオンはネガティブ・ケイパビリディを培うのは、「記憶もなく、理解心なく、欲望心なし」状態だという。私たちの脳は何でもわかろうとし、わからないものが目の前にあると不安になるが、そのような小さなころからの習慣を見直すことが必要である。目の前の事象に、拙速に理解の帳尻を合わさず、宙ぶらりんの解決できない状況を、不思議だと思う気持ちを忘れずに持ちこたにえてしく力が、人々にも治療を行う精神科医にも必要だと指摘する。
コロナ禍での不安がいっぱいの時勢、どうにも答えの出ない、対処しようのない状況で、居心地が悪くても宙ぶらりんの状態をそのまま保持し、持ちこたえていれば、いつかは好転するはずであるし、これこそネガティブ・ケイパビリティだと自分によい言い聞かせることで、耐える力も増していくものである。積極的に解決法を見つけ出そうとするポジティブ・ケイベビリティばかりでぱなく、自然や不思議なことを受け入れ、その宙ぶらりんの中にいようとする。そのようなこころも必要なことを、ネブティブ・ケイザビリティという言葉は表している。(以上)
どうも私の理論の方が優れているように思われます。上記は「ほっとけばそううち波は収まる」という消極的な手法です。私が実践しているのは、それば目的そのものであるという完結型です。
最後に各章をまとめて「コロナ不安に向き合う10箇条」が記されています。(つづく)