本願寺出版刊月刊誌『DAIJO』に2022年4月号から毎月、執筆者無記名のコラムに執筆しています。出版社から三か月は掲載しないでとのことで、期限切れから掲載しています。
24年12月号掲載文です。
現状維持バイアス
言葉には、人間の性質や情念、社会のあり様などを可視化するはたらきがある。三十数年前、幼稚園の講演会に児童精神科医の佐々木正美(1935~2017)先生をお招きしてお話を伺ったことがある。講演の中で、文化人類学者の我妻洋氏(1985年没)の話を引用しておられた。それは「他罰化」のことで、地球上、どのような民族であっても、経済的、物理的に豊かな地域や文化圏に住んでいる人間ほど、外罰性とか他罰性という感情を強くもつ。豊かさと外罰性、他罰性、貧しさと内罰、自己罰という感情は結びつきやすい。これは、人類としての特性だとのことだった。私はその話を伺って、自分の日常生活を振り返り他罰的な感受性を持っていることに「ほんと、ほんと」と頷くものがあった。言葉によって私の行動パターンが可視化されたということだ。 もう一つ例を引こう。私は毎朝、ウオーキングをしている。真冬の早朝は、布団から出にくい時もある。ある日のことだ。その日の寒さは厳しく「床から出たくない」という思いを持った。その時、前日、放送大学で耳にした「現状維持バイアス」の講義(『現代社会心理学特論』森津太子)を思い出した。その講義は、人は一〇万円得ることの喜びよりも、一〇万円を失うことの悔しさのほうが大きく、現状維持志向となりやすいとこことで、次のような内容だった。「実験参加者は三つのグループに分ける。第一の人たちにはマグカップが、第二の人たちにはチョコレートバーが与えられた。第三のグループには何も与えられなかった。その後、時間をおいて第一の人たちはチョコレートバーに交換する機会を、第二の人たちにはマグカップに交換する機会を、第三のグループにはマグカップとチョコレートバーの好きなほうを選べる機会を設けた。その結果、最初にマグカップを与えられた参加者の八九%、第二の人たち九〇%は品物の交換を希望しなかった。第三のグループが選んだのはマグカップとチョコレートバーがほぽ半々だった」。一度手にすると離したくないという心理が働くということだ。私は寒中の未明、床の中で講義を思い出し、現状維持バイアスの術中にある自分を思った。この現状維持バイアスを、経済の動向に組み入れたカーネマンは2002年にノーベル経済学賞を受賞している。これを「プロスペクト理論」といい人間の行動選択に関する理論で、同じ金額を得る場合と失う場合では、失うときの悲しみのほうが大きい。そのバイアスが、経済の意思決定に影響するという理論だ。これも言葉によって現実が可視化されたということだ。
話を元に戻そう。未明の寒さの中で、現状維持バイアスの講義を思い出したとき、この命が終わるとき、やはり「この生を手放したくない」という思いの中で、死を迎えるに違いないと思った。そして「なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまいるべきなり」の『歎異抄』(浄土真宗聖典『註釈版』837-6)の言葉を回想し、なごり惜しという思いのままに、阿弥陀仏にゆだねて命を終えていくことのできるご本願の有り難さを思った。
浄土真宗のみ教えは、人間のもっている闇が可視化される教えでもある。「すべての人が救われる」とは、「すべての人が救われるみ教えでなければ、救われることがない存在である」ことが明かになることだ。『仏説無量寿経』には、阿弥陀仏の智慧と慈悲のはたらきを「威神極まりなし」(『註釈版聖典』11-9)「照耀極まりなし」((『註釈版聖典』33-12)と説かれている。それは、私の闇の深さと罪の重さが極まりがないからであり、阿弥陀仏の慈悲の深さとして、私の闇が認識されていくということでもある。