ねこ吉のよしなしごと

どうでもいい事ばかり書いていますが・・・。すっかり備忘録になってます。

三島由紀夫没後50年だって!

2020-11-25 13:06:00 | 思い出






(写真は、本文と何の関係もありません。)

今日は、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で、割腹自殺をしてから50年だそうです。

そんなに年月が流れてしまったんだね。

当時、ねこ吉は、短大の被服科1年生。

「何を間違って、こんな科に入ってしまったんだろう。」
家庭科が好きだったわけでもなく、運針は超苦手。
後悔しながら、学校の帰りにはダイエーのスポーツ用品店でアルバイトをしていた。

特に嫌だったのは和裁の授業。

運針が全くダメ。
袖以外、自分がどこを縫っているか判らない。
課題を提出したら、山ほどお直しを書かれてウンザリしていた。

和裁のW先生は、女子寮の舎監と兼務していた。

寮から通う友人は、W先生の悪口タラタラ言っていた。

和裁の授業は実習だからサボれない。

よりにもよって、水曜日の午後からでウンザリの2乗、いや、3乗かな。




(駅前の花屋さんにいたウサギさん。)

前置きが長くなったけど、50年前の水曜日、袷の着物の縫いかけを持って嫌々学校に行った。

教室に入って先生が来るまでお喋りをしていたら、寮に住む友人が慌てふためいて入ってきた。

「三島由紀夫が割腹自殺したって!」

寮は学校から近いので、授業ギリギリまでテレビを見ていたらしい。

ヒェ〜!

ねこ吉は、三島由紀夫の小説など読んだこともなかったけど(今も)、割腹自殺というセンセーショナルな出来事に恐れ慄いた。

やってきた先生は、三島由紀夫には一言も触れなかったと思う。

いつも通り、出来の悪い生徒たちに嫌味ったらしく注意して授業は終わった。

慌てふためいて入ってきたアコツ、お元気ですか?
何処に住んでいますか?
卒業以来、会っていませんね。

追記

アコツって、ニックネームです。
本当はアツコさんです。
寮のお風呂の順番の札に、誰かがアコツと書いたらしく、以来ずっとアコツと呼ばれていた。