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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

政治責任と統括責任。 responsibility of politics , governance

2011-01-11 19:56:31 | 日記
 (1)この国の政治責任(political responsibility)、統括責任(governable responsibility)
について、政治家、公務員共通して「無責任」なのが不可思議だ。検証すべきメディアも、
表面的な安易な正義感での捉え方まである。

 ①「政治とカネ」問題では、検察の不起訴処分を自己保身、防衛に拡大解釈して説明責
任に応じない元幹事長。②郵便料金不正利用事件では、検察の事件ねつ造に無罪判決
で現場復帰した元局長の当時の統括責任者としての管理者責任の「不問」と、政治、行政
責任の所在不明のままでは政治、行政の体質改善は進まない。

 (2)首相は、通常国会開会の与野党対立問題となっている問責決議を受けた官房長官、
国交大臣の交代を含めた内閣改造を明言している。「問責決議」の「真意」とはかかわりな
く、同両大臣の引責辞任が政局打開の政府の「取引き、かけ引きカード」としてのみ取り沙
汰されている。

 尖閣諸島沖事件での不可解な中国漁船長の釈放問題での外交失墜、国会審議での不
適切な発言、情報隠しに情報漏れに対する強圧的な姿勢と独裁的な官房長官の政治姿
勢の責任問題と、尖閣ビデオ流出に対する関係組織の統治能力欠如、規律違反問題で
「誰も」政治責任、統括責任をとることなく政治不信、行政不信は改善されない。

 (3)官房長官は、問責決議の法的拘束力のないこと、これを理由に野党が国会審議に応
じないことを、憲法論まで持ち出して否定してみせて、自分の立場の正当性を主張している。
 事は、法的根拠とか解釈論などではなく「政治責任」の取り方の問題であり、官房長官が
責任の取り方が不適切として問題にしている元幹事長とまったく同じ正当性主張の「ロジッ
ク」(logic)に落ち入っているのが皮肉だ。

 官房長官の政治手法は、民主党政権のテーゼであった政治主導による情報開示の風通
しのいい政府からは逆行した「ロジック」のパラドックス(paradox)だ。この政治手法が政治
責任として問われている。

 (4)政府、与党内には、ただ政治取引き、かけ引きカードとして(野党に問責決議で足元を
見られ弱みを見せられない)の官房長官続投論も根強く、政治責任の本質論議は見かけな
い。
 この国の統治能力(governance)の欠如は、国民不在の抜け道のない自己保身のための
政局対立ばかりが続く政治レベルの不幸だ。
 3月に向けて政界再編、国会解散、首相交代も視野に政治改変の模索も続く。

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