いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

国技と国代表。  national sport and delegation

2010-06-22 19:48:10 | 日記
 (1)日本相撲協会の統治能力(governance)が崩壊(break down)。国技の名のもとに、
国、メディアの庇護のもと、もともと統治能力があったのか、あやしいものだが。
 探せば次ぎから次の不祥事だ。極まったのが、暴力団がらみの野球賭博。国技の名のもと
に、かっては地方巡業の興業に暴力団関係がかかわっていたとされて、そういう風土が絶ち
切れないでいた実態。力士教育以前の、協会自体の教育指導(文科省)がなおざりにされた。

 野球賭博申告者は65名(6.23現在)、氏名の公表はない。他人まかせの協会体質。
相撲協会の財政、経営の透明性、力士の社会常識からはずれたバブル金銭感覚、所得には、
以前から社会乖離(かいり)性があった。
 パラドックス(paradox)として、そのバブル金銭感覚が魅力の力士願望でもあるのだろう。統
治能力(governance)が働いてこその、夢のようなバブル(bubble)金銭感覚だった。

 協会関係者の本場所開催中止の危機に、「申告者65人。力士全体700人の1割にも満
たない。なぜ連帯責任を取らなければならないのか。」
 賭博容疑(しかし、自己申告)者65人の「数」にまず驚くのに、追い打ちをかけるこの程度
の反省のない社会常識から逸脱した認識には、ア然とする。

 それなら、まず65人全員の氏名を公表すべきだ。テレビ中継に出番のある力士(幕内)
だけでも、40~50名は十分いる。氏名を隠して、暴力団とかかわりのある賭博行為者を
メディアを通して土俵に登場させるわけにはいかない。社会正義のルールがある。
 以前からもそうだが、社会常識から大きくはずれた①日本相撲協会の体質改革、よくわか
らない②国技からの離脱、③文化、スポーツとしての再建の見直しをはかる好機とすべきだ。


 (2)ワールド杯サッカー南アフリカ大会。風のメッシ、ルイスファビアーノ、スナイダー、ロナル
ドのアルゼンチン、ブラジル、オランダ、ポルトガル代表の個人スキル、組織的パスワーク、
理論的ディフェンス能力には従来の世界レベルを彷彿とさせるに十分な能力を見ることができ
る。
 しかし、強豪といわれたフランス代表の崩壊、イタリア、イングランド、スペインのいまままで
にない不調は、どうしたのか。特に、かってのプラティニ、ジダンのスーパープレーヤーに代表
される前回大会準優勝国のフランス代表のチーム崩壊は、監督批判のFWプレーヤーの追放、
帰国を受けて大統領のメディア登場にまで発展して、深刻だ。イングランド代表のチーム内も
おかしい。

 破格の契約金額で、国を超えたクラブチームで活動する各国代表プレーヤーの意識に変化
はあるのか。しかし、スポーツ世界最高ランクの大会だ。世界注視の中でのその実力(skill)
評価にかける意識は高い。どうも変だ。

 日本代表チームにもある、ディフェンス中心のフォーメーション(formation)が主流の大会と
いわれるが、第9日現在の1試合平均得点が2点に満たず、過去最低だった90年大会の
2.2得点にも遠く及ばない。
 ようやく第11日のポルトガル代表が一気に7点と気を吐いた。南アフリカの冬の季節(通常、
ワールド杯は真夏の大会)、高地での大会のボールコントロール、フィジカルコンディショニン
グの影響があるのか。

 さらに熱戦は続く。波乱の大会、日本代表にもチャンスは開けている。

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